2016年08月23日

地蔵盆2016

 日が暮れてからの帰り道、この時間帯にしては子供の姿が多いなと思っていたら、地蔵盆栽だった。
 駄菓子がいっぱいにつまったビニール袋を手にした子供たちと、たくさんすれ違った。

 ああ、いいなあ。
 でも、夏休みがもうすぐ終わるんだよ……
 

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posted by 九郎 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 地蔵 | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

本当の「日本の伝統」は「戦前回帰」にあらず

 これまでに何度か書いてきたけれども、「日本の伝統」としてなんとなくイメージ的に受け入れられているものの多くは、実際はさほど「古来」のものではないことが多い。
 たとえば「日本武道」ということで考えると、その代表のように考えられる柔道や剣道が現在のルールで試合が行われるようになったのはせいぜい戦後のことで、目一杯遡っても明治以降にしかならない。
 江戸時代とそれ以前でも、時代によって「武」の在り方はそれぞれ違う。
 だから教育現場で「武道」が必須になったところで、それで「古来の日本の伝統」が身に付くわけではない。
 現代の柔剣道は分類するなら「スポーツ」で、指導者の意識も西欧流のスポーツの在り方が基本になっている。
 むしろ日本流に悪くアレンジされ、非科学的な精神論の横行する劣化スポーツに成り果てているケースも多いのだ。

 日本古来の信仰とは何か?
 この答えも一つではない。
 歴史上のどの時点をスタンダードとするかで様々な考え方が可能だ。
 一応「記紀神話」が日本古来のものとされることが多いが、それは近世になって以降の、国学〜復古神道〜国家神道という一連の流れをくんだ発想だ。
 純粋な本来の神道というものが、歴史上のどこかの時点に存在したわけではない。
 事実だけ視るならば、古事記・日本書紀は成立当時有力だった各氏族の伝承を(かなり政治的に)集大成した「その時点での創作神話大系」だ。
 宗教、宗派に関わらず、改革や中興が行われる時にはしばしば「復古運動」の形が取られる。
 しかしそれは、一種のフィクションでしかない。
 実際の庶民の信仰では雑多な神仏習合の時代の方がはるかに長いし、長さだけで言うなら記紀よりはるか以前から続いたアニミズムこそが「本来の姿」ということになる。
 国家神道などは「きわめて短期間で破綻した近代日本の新興宗教」でしかなく、史実ではありえない神話を現実の天皇制に仮託して強引に「復古」し、その結果国を滅ぼした官製カルト宗教だと言う見方だってできる。

 ところがこの日本史上最悪のカルト宗教を、復活させようと目論む勢力がある。
 しかも、現政権構成員の大半がこの勢力の影響下におかれている事実がある。
 カルトが布教する際の常套手段として、「最初は口当たりのよいマイルドな入り口を用意する」という手口がある。
 ヨガサークルであったり、「聖書の勉強をしてみませんか?」等の、一見問題なさそうな、いつの時代も一定の需要のあるテーマで勧誘し、徐々に内容をすり替えていくのだ。
 国家神道や明治憲法等への戦前回帰を目論むグループの場合、表面上は「日本の伝統を大切にしましょう」とか「皇室を敬いましょう」等の、抵抗の少ないテーマを表看板として掲げる。
 教育現場の「武道必須化」も、こうした流れの延長線上にあるとすれば、注視が必要である。
 

●「日本会議の研究」菅野完(扶桑社新書)
●「日本会議の正体」青木理(平凡社新書)
●「日本会議 戦前回帰への情念」山崎雅弘(集英社新書)


●「国家神道」村上重良(岩波新書)
●「愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか」中島岳志,島薗進(集英社新書)
posted by 九郎 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2016年08月15日

旧日本軍の大半は飢えと病で死んだ

 終戦の日という表現にはずっと違和感を持っている。
 本日は「敗戦の日」だ。

 およそ70年前、政治力・外交力の敗北から日本が開戦に追い込まれ、多くの国民を失い、国土を灰塵に帰した後、敗戦が確定した日だ。
 戦争の真実は勇ましげな戦記だけでは理解できない。
 旧日本軍の大半は、ろくな補給もなされないままに、無意味な精神論で追いたてられ、戦闘行為以前に飢えと病に倒れ、命を落としていったのだ。
 そうした悲惨な現実は、実際に南方戦線に兵士として出征し、片腕を失って帰ってきた水木しげるの作品の中に、多数描き残されている。


●「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)


●「水木しげるのラバウル戦記」(ちくま文庫)


●「ねぼけ人生」(ちくま文庫)

 先に紹介した中沢啓治「はだしのゲン」とともに、これらは今後もずっと読み継がれるべき作品だと思う。
 
 戦後七十年を越えてなお、我がニッポンは相も変わらず外交力は貧弱で、国民に補給は与えず無意味な精神論ばかり押し付ける国であり続けている。
 このような状態で戦争をやれば、次も必ず負ける。
 国民目線から見れば、負ける戦争は決してやってはいけないのだが、積もり積もった失政のつけを戦争でチャラにしようと目論む奴等は、着々と準備を進めているのである。
posted by 九郎 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2016年08月14日

虚構の中にはせめて希望を

 あまり映画を映画館で観る方ではないのだが、個人的に信頼する目利きの皆さんが皆評価しているので、久々に映画館に足を運んだ。
 上映中の「シン・ゴジラ」である。
 噂にたがわず、物凄く面白かった。
 まだ公開から日は浅いが、ネタバレがどうのというような内容ではないと思うので、気にせず感想を書く。

 誰もが一見して、約60年前に公開された初代ゴジラを、現代のリアリティで再現したとわかる作品だ。
 日本映画にありがちな「売るための保険」を極力排除し、カメラはただただゴジラという自然災害に近似した災厄に右往左往する日本と世界の対応を追っている。
 一定数の客を入れることを義務付けられた「ゴジラ」というコンテンツは、数を重ねるごとに「売るための要素」を混ぜ混むことを余儀無くされて、初代を除いて質的にはビミョーな作品を連発してきたのだけれども、現代ニッポンのいままさにこのタイミングで、これだけハイレベルの原点回帰が為されたことは本当に意味深いと思う。
 やや危うく見えた石原さとみの演技も、本人の頑張りで「売るための保険」のレベルは遥かに越えていたのではないだろうか。
 庵野監督にしか為し得なかった偉業である。
 ゴジラというコンテンツは、作り手にとってはある意味で「ふりかかる災厄」そのものなので、今回のキャストもスタッフも、脚本に深く感情移入しながら映画を造り上げたのではないかと思う。

 ゴジラは、60年前の初代から「核」であり、「放射能」であり、「アメリカの生んだ奇形生物」であり、台風のように、火山のように、地震のように、津波のように、そして原発事故のように、日本に突然現れ、破壊の限りを尽くす怪物だった。
 作中のゴジラと悪戦苦闘する日本の官僚や政治家は、一人一人の無力さが非常にリアルなのだが、タカ派もハト派も、保身に長けた調整派も、組織に馴染めない変わり者も、「最後は日本のため、国民のために尽くす」という一線は崩さない。
 その一点において、非常にファンタジックな作品であるとも言える。
 残念ながら、現実の政治家や官僚が、実際の緊急事態にその一線を守ってくれそうもないことは、3.11後の日本の大前提になってしまっているのが、なんとも悲しい。
 そうした悲惨な現状を踏まえてなお、せめて虚構の中だけでも「リアルに映る希望」を語れるところが、90年代に一度「エヴァ」で破滅を吐き出し尽くした庵野監督の成熟度なのではないかと思う。

(一応続編もありえる作りになっていて、翼の生えた奇形的なある怪獣に繋ぎ得る設定になっているのだが、まあ続編は実際には撮らないで、一部の客が妄想の中であれこれ楽しむのが一番望ましいのではないかと思った)


 絵描きの習性として、これだけのものを見せられると、描かずにはおれなくなる。 

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 観た勢いのまま資料なしでざっくり描いた。
 私の頭の中のゴジラ像に、今回の映画で印象的だった「抑えきれないマグマ」のような質感をプラスした一枚になったと思う。
 今回の映画のゴジラは、古くからのゴジラファンには賛否のあるデザインであろうことは想像に難くないが、私個人としては歴代の中で一番好きかもしれない。
 設定全長の数値とは関係なく、歴代の中で最も「巨大感」のあるゴジラだったのではないか。
 フルCGでありながらも着ぐるみを基本にした立ち姿が見事だ。
 この巨大な破壊エネルギーを溜め込んだ「静」の立ち姿があるからこそ、エネルギーを解放したときのあの凄まじいカタルシスが生まれるのだ。

 久々に模型で造ってみたくなるデザインだ。
 手頃なサイズのフィギュアがあったら、心行くまでドライブラシで塗ってみたいなあ……

 映画「シン・ゴジラ」
 この夏、縁日草子イチオシである!
posted by 九郎 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2016年08月07日

暑い夏に凍えぬために

 とてつもなく暑いのである。
 そして、とてつもなく寒いのである。

 連日酷暑が続いている。
 夏真っ盛りなのだから、それは仕方がない。
 夏は暑いものだし、無理のないよう暑さを楽しみ、凌ぐのが正しい。

 しかし、寒いのである。
 エアコンを効かせ過ぎの屋内のことだ。
 公共施設はさすがにエアコン控えめが多いが、交通機関や商業施設はとんでもなく冷やしている所が結構ある。
 止まらずに通過するだけなら問題ないのだが、喫茶店や映画館、バスや電車などである程度の時間動かずに過ごすと、体が芯から冷えきってしまうことがある。
 外気との落差がまた酷く、体にこたえる。
 
 だから最近、外出時には登山用のストールが手放せなくなっている。


●モンベル シャミース ストール

 この製品は、今年のGWに衝動買いした。
 下界はかなり暑かったので薄着で軽く登山したとき、思いがけず山の上は寒くて困った。
 山頂近くの売店でこのストールが売られており、登山用品としては手軽な値段だったので購入した。
  72×162cmなので羽織るとかなりの範囲をカバーでき、サイズのわりに畳むと軽量コンパクトで、普段使いの小型リュックに入れてもさほど邪魔にならない。
 現物はストールというよりも小型のブランケットという感じだ。
 アウトドアでは常備品になるだろうし、防災にも十分使える。
 夏になってからは、きつすぎる冷房対策に引っ張り出してきて、重宝している。

 暑い夏こそ冷房で体を冷やさないように一工夫!