2018年09月23日

幼児向け絵本マンガ「さぼてんさん」

 投稿マヴォに、マンガ作品を掲載していただいています。

 さぼてんさん

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 今回は幼児向け絵本マンガ。
 幼児対象でお話作りや絵本作りの指導をする機会があり、その経験から一作出来たのでご紹介。
 実は以前、他のサイトで投稿していたのですが、サービス終了のため、あらためての投稿です。

 小さいお子さんにスマホ画面等でも閲覧可能だと思いますので、この機会にぜひ!
posted by 九郎 at 10:04| Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2018年09月12日

ガジュマルスケッチ

 夏休みの間、猛暑や度重なる台風に泣かされた今年、九月に入ってからも荒れ模様は続いている。

 まず、九月頭の台風21号。
 屋外は命の危険すら感じる凄まじい雨と風。
 激甚災害クラスの一日だったが、絵描きの立場で言えば、お休みでゆっくり絵をかけた一日でもあった。

 被災者は24時間100%被災者であるわけではない。
 日常意識を死守すべき「待ち時間」もまた重要。
 私の場合は絵だ。

 暴風除けに室内に入れた鉢植えガジュマルの一枝をスケッチ。

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 台風を何とか無事やり過ごした後の日曜も一日雨。
 他にできることもないので、再びガジュマルをスケッチ。
 ふと思いついて、採点用の朱藍えんぴつの藍色の方で。
 ガジュマルの葉はかなり濃いのでけっこう馴染む。

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 描いてから、緑の補色の朱色の方でも面白かったかもと思っていたら、翌日も大雨警報が続いた。
「いやほんま、こないに雨続き警報続きでは仕事になりまへんわ」
 などとつぶやきながら、しゃーないから赤鉛筆でガジュマルスケッチ。

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 前回の藍色の方がしっくり馴染んでますが、ガジュマルの「南国風味」「怪しさ」は、こちらの方が再現できてるかもしれない。

 いずれも、ガジュマルの枝葉の仕組みを理解するためのスケッチなので、描写自体はごくあっさりしている。
 手数を減らしてガジュマルらしさを出す練習である。

 こんな風にガジュマルスケッチを重ねているのは、沖縄をテーマにしたF50のアクリル画をじわじわ描き進めているからだ。
 直近の沖縄アクリル画ガジュマルの森は、約一年前に描き上げた。

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 この一枚で何かつかめた気がしたので、着想が霧消しないうちに描き進めている。
 サイズが大きい分、細部描写の必要に迫られて、泥縄式にスケッチを重ねているのだ(苦笑)
 まだ時間はかかりそうだが、なんとか完成まで持っていきたい。

posted by 九郎 at 22:11| Comment(0) | 沖縄 | 更新情報をチェックする

2018年09月08日

天変地異には大仏を?

 平成の終盤、頻発する自然災害に、SNS上では「もはや大仏建立しかないのでは?」という呟きをよく目にする。
 もちろん、100%本気ではないのだろうけれども、思考実験としては面白い。

 現代ニッポンに「大仏建立」はあり得るか?
 あり得るとしたら、それはどんな大仏か?
 具体的に、どの仏様を建立するか?

 当ブログでは以前、内田樹さんのブログで論じられていた「うめきた大仏構想」に触発され、ビル越しの阿弥陀のスケッチを描いたことがある。

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 もし石山本願寺の寺内町で栄えた大阪の地に大仏を建立するなら、やはり阿弥陀さまが似合うのではないかと感じ、「山越しの阿弥陀」来迎図を元ネタに試作したスケッチだ。

 ただ、阿弥陀さまだと現代ニッポンでは「宗派性」が出てしまうだろう。
 阿弥陀信仰自体は特定の宗派の専有物ではなかったはずだが、鎌倉時代以降はどうしても浄土系の宗派のイメージが強くなる。
 鎌倉仏教では、まだ「若い」のだ。

 スケールの大きさでは大日如来が良いかもしれない。
 宇宙大に広げられた大風呂敷の仏さまなら、設定上は「すべての仏菩薩」を包含しうる。

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 しかしこの仏さまも、空海の真言密教のイメージが強い。
 誰もが違和感なく参拝するには、平安の真言天台でもまだ「若い」のかもしれない。

 宗派横断で信仰されている仏菩薩と言えば、お地蔵さまと観音さまの名が浮かぶ。
 お地蔵さまは地球菩薩なので、天変地異への祈りの対象としてはよく合っているかもしれない。

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 ただお地蔵さまの場合、路傍の小さな石仏のイメージが強いので、「大仏」には似合わないともいえる。
 そして慈悲の化身の観音さまは、近代に入ってから(私の感覚としては巨大すぎる)大仏として、すでに造られすぎている印象がある。
 あるいは五十六億七千万年後の未来に希望を託す弥勒菩薩では、遠すぎるか?

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 やはりここは、東大寺の盧遮那仏の出番だろうか?

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 仏教の蓮華蔵の世界観は広大だ。
 そして華厳経の廬舎那仏は宗派性が薄いところもいい。

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 様々な前提をクリアーしつつ実際に大仏を建立すると仮定して、では一体だれが制作の指揮を執るのかという難問も残る。
 西村公朝師であれば、伝統と現代の感覚を両立しながら、誰もが納得する仕事をなさったかもしれないが、すでに存命ではない。

 いっそ「仏像」ではなく、現代芸術として作れる人はいないものか。
 たとえば岡本太郎の「太陽の塔」のように、賛否を包み込んで、なおすっくと立つ「大いなる像」を建立できる人は?

 ……ちょっと名前が浮かばない。


 現代における大仏建立、やはり一つの与太話として楽しむのが良さそうだ。
posted by 九郎 at 20:24| Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

新学期、少年よ「抜け忍」たれ!

 もう九月に入っているけれども、今年は曜日の関係で新学期は三日の月曜日からになっている地域が多いだろう。
 実質二日間、夏休みが延びたことになる。
 報道によると、例年新学期にあたる「九月一日」は、中高生の自殺件数が多くなる日として知られているという。
 様々な理由で登校に困難を感じている児童生徒が、夏休みの終りから新学期にかけて、多大なストレスにさらされるであろうことは、想像に難くない。
 Eテレなどではこの日を乗り切るために様々な番組を通して呼びかけを行っている。
 今年の場合は、「九月三日」が危機の日と言うことになるのだろう。

 それぞれの児童生徒のケースで原因や対策は一様ではなく、人の数だけとるべき方法はあると思う。
 ただ一つ言えるのは、「学校は命懸けで行くような所ではない」ということだ。
 残念ながら学校(というか日本社会全体)は、極めて理不尽な同調圧力の強い場所で、「規格外」の人間には普通に生きているだけで様々な困難が襲ってくる。
 私もそんな中の一人で、根本的には弱視児童だった幼児体験から、自分なりの処世術、「世の中の受け流し方」を身に付けざるを得なかった。
 誰にでも当てはまる方法ではないと思うが、「私の場合は」と但し書きをつけて紹介するなら、それは「抜け忍」として生きることだった。
 以前に一度、「抜け忍」をテーマにした様々なサブカル作品の例を挙げながら、それに重ねて自分の成育歴をふり返ってみたことがある。

 抜け忍サブカルチャー

 簡単に紹介すると、私は幼い頃から自分のことを「通りすがりの絵描き」と認識していたのだ。
 学校とか友人関係の中で、どこか一か所に重きを置くことはなく、あまり他人に何かを期待することもなかった。
 たまたま波長が合えばその場その場で楽しく過ごし、絵描きとして何か役に立つことがあれば喜んで協力するが、しんどくなればサラッと身を引く。
 そんな感じでずっと過ごしてきた。
 今風にいう「スクールカースト」にこちらから参入することはなく、アウトカーストで何の不自由も感じなかった。
 一人で本を読んだり絵を描いたりものを作ったりしていられれば不満がなかったので、友人関係は同じような傾向を持つごく少数がいればそれでOKだった。
 中学高校は、柄にもなく私立中高一貫の超スパルタ受験校に迷い込んでしまい、あらためて自分は「通りすがりの絵描き」以外の何者でもないことを自覚した。
 以後、勉強は留年規定に引っかからない必要最低限にとどめ、ひたすら自身の「技」を磨いて「抜け忍」としてサバイバルした。
 それは卒業後もずっと続いた。

 何か一つでも、自分のやりたいことがはっきりしているなら、そしてその技術習得の環境があるならば、心折れずになんとか生きて行くことはできる。
 まずは死なないことが大切だ。
 生きて、そして好きなことを続けていれば、何らかの形で望む結果を実現することは可能だ。

 簡単に「夢は必ずかなう」などとは言えない。
 人生は思うようにならないものだし、実際何かやってみると、「夢」自体も変化していく。
 それでも望みをつなぎ、技を磨き続けていれば、様々な現実と折り合いを付けながら、何らかの形で「夢」を形にすることはできる。
 今描きたいと思っている絵、作りたいと思っている作品の多くは、あきらめなければ実際に制作することができる。

 もし、中高生の頃の自分に声をかけてやることができるとすれば、そんなことを伝えたい。

 夢破れつつ、夢かなう。
 この世のまこと求める少年よ、「抜け忍」たれ!
posted by 九郎 at 00:11| Comment(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2018年09月01日

マンガ「まちあわせ」(夏目漱石「夢十夜」第一夜より翻案)

 久々にマンガ作品を投稿した。

 投稿マヴォ:「まちあわせ」烏帽子九郎

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 タイトルは「まちあわせ」、夏目漱石「夢十夜」の中から、第一夜の部分をマンガ化したもの。
 夏目漱石は没後100年をすぎており、著作権は既に失効。
 その作品の多くはネットでも無料公開されている。
 青空文庫「夢十夜」

 kindle無料本もある。


 私は幼いころから独自にの探求を続けてきたので、他人の夢についても興味があり、夢をテーマにした作品は色々渉猟してきた。
 中でも夏目漱石の「夢十夜」は大好きな作品で、これまで何度となく読み返してきた。
 とくに第一夜は個人的に「最も美しい小説」だと感じていて、長年その評価は変わっていない。
 
 この第一夜の部分を「絵解き」してみたいという気持ちは、たぶん高校生ぐらいの頃から持っていた。
 二十歳前後のタイミングでスケッチを重ねてみて、それ以降、何度か試行錯誤を繰り返していた。
 マンガのネーム形式でようやく描き上げたのが二年前。
 それから実際の原稿に仕上げる際のタッチに迷い、今年に入ってから再チャレンジしてようやく完成に至った。
 最初に志してから三十年、たった12ページの実制作に二年以上。
 アマチュアだけに可能な最終奥義「採算度外視」である(笑)

 もともと思い込みの強い人間が、妄想で三十年熟成させたものなので、偏ったアレンジであることは自覚している。
 法的に問題ないとは言え、愛読者の多い作品でもあるし、ご批判は甘受する。


 批判を覚悟の上で、どうしても描きたかった作品。

posted by 九郎 at 13:06| Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする