
池田理代子により原作マンガが描かれたのが1972〜73年、TVアニメ版の放映が1979〜80年で、どちらも名作として記憶されている。
2022年、マンガ版連載開始50周年で劇場アニメ制作の報に触れたオールドファンは、期待と不安を感じたことだろう。
・名作すぎる原作マンガと旧TVアニメをどう背負うか?
・半世紀を経たリメイクで、アップデートは必要として、どうアレンジされるのか?
・そもそも二時間の尺で大河ドラマの何をどう描くのか?
当然このあたりは気になってくる。
結論から先に言うと「ぜひ観るべし!」だった。
事前に情報入れずに観たが、少なくとも私の観た回は他の観客の皆さんの反応も上々だった。
絵的には原作マンガの再現を基調とし、旧TVアニメへのリスペクトをちりばめつつも、2020年代対応、日本発世界対応もクリアし、与えられた課題を高いレベルでクリアした、プロの仕事だと感じた。
鑑賞後にレビュー漁ってみると、初見の若い人は楽しめ、オールドファンは賛否両論な感じだろうか。
大河ドラマを二時間に収めるには「超ダイジェスト」にならざるを得ない。
今回は活躍するキャラを絞ってあるので、錯綜する宮廷ドラマを期待すると裏切られるかもしれないが、後半の「フランス革命」の要素は短い尺の中でしっかりもりこまれている。
賛否両論の「ミュージカル仕立て」は、私はとても良いと感じた。
劇中歌がどれも素晴らしく、MV風に高密度でイメージを詰め込むアレンジは、短い尺で必要な要素を語るのにとても上手いやり方だと思う。
たとえるならば「ベルばらワールド体感ライブ! オスカル編」という作り方だったのだろう。
二時間でコンパクトにまとめるにはこれしかないというアレンジだ。
オールドファンの危惧は「ベルばらの凄さはこんなもんじゃないんですよ!」という、ある意味「身内意識」のようなものだと思う。
しかしネット配信世代の若い人たちは、興味をもったら旧作をすぐ観るもので、年よりがあれこれよけいなおせっかいや差し出口をするまでもない時代なのだ。
何よりも少子高齢化と分断、圧政の進行する今現在、「民衆蜂起」「革命」がまともに描かれたことの意味は大きい。
劇場版を観た若い人の中から、原作マンガや旧アニメ、そしてフランス革命そのものへと興味を広げていく層が、必ず出てくることだろう。
そして今回の劇場アニメ、超ダイジェストであるがゆえ、鑑賞後に原作マンガを読み始めても、ネタバレがさほどネタバレとして機能しないと思う(笑)
劇場アニメ公開のタイミングでYouTube配信されていた旧TVアニメ版も、久々に何話か観返してみた。
私の成育歴で言うと、小学生の頃にまずTVアニメ版から入り、学生時代に原作漫画をさかのぼって読んだと記憶している。
TVアニメは、『エースをねらえ!』とか『あしたのジョー』とかと同じ流れの中の作品として観ていた。
出ア統という不世出のアニメ監督の個人名を認識したのはずっと後のことである。
今観ると、原作マンガからかなりアレンジされている意図がわかる気がする。
70年代末はまだ「少女マンガ」という枠が、今よりずっと強かったので、より広く視聴してもらうための「一般化」だったのだろう。
面白さはまったく変わらないが、今の時点では原作よりかえって「時代」を感じた。
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●『ベルサイユのばら』全五巻 池田理代子(集英社文庫)
続いて原作マンガも読み返してみた。
私のような五十代のおっさんでも絵の古さがあるとわかるものだが、半世紀前の絵で全然気にならず、むしろ「凄い」と感じる。
執筆された70年代初頭の情勢で言えば、少年漫画に「リアル描写」が持ち込まれ始めた時期にあたりそうだ。
少女漫画の定番アイテム「女王」や「宮廷」に、リアル描写を持ち込んで成立したのが『ベルばら』で、そのリアルの延長線上に「革命」や「処刑」が描かれたという解釈も可能だろう。
基本構造は「マリー・アントワネット物語を男装の麗人を通して語る」という体裁で、男と女、王室や貴族と平民いずれの世界とも交錯できるオスカルの濃密なドラマを追うことで、フランス革命に至る時代背景が自然に頭に入ってくる。
ちなみに学校や塾の先生界隈では「中高生がフランス革命を学ぶならまず『ベルばら』から」という定評があったりする。
もちろんフィクションなのだが、史実が十分に反映されており、読書を始めるのに必要なモチベーションが強烈に生まれるのだ。
私も劇場アニメの余韻に浸りつつ、フランス革命について改めて読書したい意欲が湧いてきた。
手持ちは二冊。
そろそろ開いてみるタイミングが来たようだ。

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●『フランス革命 歴史における劇薬』遅塚忠躬(岩波ジュニア新書)
錯綜する革命の様相を、著名人や各階級の抱える利害関係や、当時抱いていたであろう情念の面から次々に解いていく筆致が見事。
マンガ『ベルばら』と続けて読むと、ちょうど内容が相互補完になっている。
ふと気になって奥付をみると『フランス革命』の刊行は1997年で、マンガ執筆より四半世紀後だ。
こういう平易な解説本が無い状態で、25歳の池田理代子は『ベルばら』を描いたのかと、あらためて驚愕する。
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●『フランス革命小史』河野健二(岩波新書)
確か学生時代に授業のテキストになっていて、一通りは読んだはずなのだが、内容は全く覚えていなかったのでとても面白かった。
1959年刊。
戦後民主主義で育った世代が思春期に差し掛かる時期だ。
知的好奇心に目覚めた若者が、政治や思想に興味を持った時、手にとる本だったのだろう。
簡潔な記述が小気味よく、「小史」と言いながら理解の範囲が広がりそうだ。
次々に人名や事項名が登場して内容が濃く、さすがの青版である。
ロシアや中国の革命への評価にやや時代を感じるけれども、ジュニア新書『フランス革命』の次の一冊としてお勧め。
劇場アニメ『ベルばら』からスタートして読書を進めると、マリー・アントワネット像が徐々に補正され、相対化されてくる。
国を逃げ出そうとして失敗し、民心を失い、その後は革命潰しのために手段を択ばず暗躍する様を追うと、処刑に至ったのもやむなしという感じはする。
マンガ『ベルばら』は、主に王政から革命の発端に至るまでの物語。
フランス革命全体を通しての主役を一人選ぶなら、やはりロベスピエールになるだろうか。
結果的には冷徹な独裁者になりながら、それでも貧しい民衆側に立った「ブルジョア革命のその先」を垣間見せたところに肝がある。
ナポレオンは革命の幕引き役で、軍人としてもちろん優秀だったのだろうけれども、民衆の「革命疲れ」のタイミングにうまく居合わせ、資本主義と産業革命の段階に着地させたということなのだろう。
さらに時が流れた19世後半、パリは「芸術の都」として近代美術が花開き、必ずしも専門家ではない層から多くの芸術家と新しい表現が生まれた。
長い革命を経て、王室が独占していた美術品がルーブル美術館で展示され、自由平等の理念が根付いたことと無関係ではないはずだ。
革命初期、農民の武装蜂起の多くがデマによる恐怖から始まったという。
グランド・プール(la Grande Peur「大恐怖」)について知るほどに、今の日本が「暴動→独裁→戦争」コース寸前に思えてくる。
もしそうだとしても、数十年後の民主主義のため、教養を積まねばならない。
フランス革命の18世紀末とは違い、今は一般庶民にも読みやすい書物がたくさんあるのだ。