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2024年10月11日

ただ教養を積み、悪い芽を摘む

 夕方、子供らと本の音読タイムをとっていた時期があった。
 それにむけて何か良い本がないかと、時間を見つけては書店でさまよい、あれこれ手にとった。
 書店での本探しは、結果として買う本が見つからなくとも「クリエイト」で、結局獲物無しでも「良い時間過ごしたな」と思えたものだ。

 サン・テグジュペリ『星の王子さま』を読んだこともあった。
 2020年代に入り、コロナ禍とともに世界中でファシズムが話題にのぼり始めたちょうどその頃、例の「バオバブ」のくだりを読んだ。
 放置するとたちまち巨大化して小さな星を破壊する悪い植物の種。
 決して楽しい作業ではないが、悪い芽を日々丹念に摘み続けることの大切さ。

 読みながら、慄然とせざるを得ない気がした。

 自国中心や人種差別、優生思想は、その「わかりやすさ」故に、容易く人の心を扇動し、腐らせ、社会を破壊する。
 では「悪い芽を摘む」ことに相当するのが何かと言えば、子どもたちや若者に「教養」を伝え続けることしかないだろう。
 基本的な日本語の読解を身に付け、人権を知り、歴史修正や似非科学、優生思想に引っかからないで欲しいということで、子どもらだけでなく、私もぼちぼち読書を続けている。

 倦まずたゆまず教養を積み続け、悪い芽を摘み続けるのだ。




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●『人類の長い旅―ビッグ・バンからあなたまで』キム・マーシャル 著、藤田千枝 訳(さ・え・ら書房)
 本書は83年刊なので内容的には古い面もあるが、翻訳の日本語が素晴らしく、シンプルなタッチの挿絵が親しみやすい。
 小中学生にも読める「進化」「宇宙史」「生命史」テーマの本としてはいまだに価値が高く、図書館に所蔵されていることも多いはずだ。
 ビッグ・バンから各種原子が生成し、宇宙が展開し、銀河の中のほんの一点の太陽系、その中の極小パーツ地球、そしてそのほんの表面部分での生命進化が、平易にドラマチックに語られる。
 章が進んで人類史の範囲に入ると、解説は加速的に詳細になる。
 今読むと、人種差別や優生思想に繋がらないよう、細心の注意が払ってあるのがよくわかる。
 とくに「進化」というテーマを扱う場合、それを科学的に間違った認識で悪用すると、容易く差別や選民になってしまうのだ。
 著者、訳者の確かな良識が感じられる。





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●『ともに学ぶ 人間の歴史』(学び舎)
 中学社会歴史的分野で、有名進学校も使用する文部科学省検定済教科書として、一時話題になった。
 受験向けに高度な内容まで詰め込んであるのかと思いきや、内容はむしろ厳選してあり、記述は簡潔。
 科目に合わせて編集してあるが、「世界史の中の極東アジア列島」という構図が理解できるよう、内外を往還しながら平易に語ってある。
 巻頭近くに載っている時代区分図から北海道と沖縄が別立てになっており、「日本=大和」「日本は単一民族」という見方をサクッと相対化してあるのがもう既に素晴らしい。
 国内では早い段階から「民衆史」の解説があり、「少数の有名人物が切り開く歴史」という、ありがちな誤解に陥らないよう配慮してあるように感じる。
 そして私たちの世代の学校教育では流されがちだった「近代化以降」に全体のページ数の半分程度が割かれており、現代に歴史を学ぶ意味はまさにここにあることが明確になっている。
 大人が読んでも知的好奇心を刺激される通史である。





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●『10歳から読める・わかる いちばんやさしい日本国憲法』
 日本国憲法は読んでみるとさほど難解ではなく、分量も多くない。
 憲法は社会を構成する基本中の基本なので、社会科学習の際にまず最初にあたっておくと、すっきり一本筋が通り、理解しやすくなる。
 私自身は小六の頃、写真や脚注がたくさん入った『日本国憲法』を読み、内容をノートに絵解きしたりしていた記憶がある。
 うちの子どもら(当時小中学生)と読むためにあれこれ検討した結果、原文と対照して平易に図解してあるこちらの一冊にした。
 前書きから「憲法は国家権力を縛るもの」という大前提が示されており、筋が良い。
 解説では明治憲法との比較がよく出てくるのだが、子どもらは先に『はだしのゲン』を読み込んでいるので、「基本的人権が守られない戦前の世の中」のイメージがしやすい模様。
 改めて思うが、公教育で扱うべきは「道徳」ではなく「基本的人権」であり、『日本国憲法』は近代人権思想の一つの精華なのだ。
posted by 九郎 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 教養文庫 | 更新情報をチェックする

2024年10月02日

カテゴリ「教養文庫」

 子どもらの成長とともに、自分の頃とは学校で教わる内容がけっこう変わっていることに気付く。
 長男が高校に入って「歴史総合」という科目を知ったのだが、世界各国が交錯し始める近代化の過程を横に繋ぐ内容で、けっこう良いと思った。
 私が小中高の頃、「歴史」と言えば小中ではほぼ「日本史」しか習わず、それも江戸時代までが精々で、近現代は少し触れる程度でしかなかった。
 高校に入ってからようやく「世界史」を習ったが、各地域の古代から近世くらいまでをバラバラになぞる感じで、ちょっとピンと来なかった。
 最近の高校の社会科では、まず「歴史総合」で現代につながる各国の近代化を概観し、それを下敷きに地理や歴史、公民的な内容を更に掘り下げていく流れになっているらしい。
 大変わかりやすく合理的で、社会科だけでなく現代文の文明批評や、もちろん芸術科、そして理科に対する理解も深まるだろう。
 とても良い構成で、「今の高校生はうらやましい!」と思った。

 個人的にここ数年、あらためて美術史を学び直していたタイミングの中、子どもの「歴史総合」の教材をチラ見して、俄然世界史にも興味が広がってきた。
 学生時代以降、自分の興味のテーマを一点集中で掘り下げるスタイルが基本になっていたが、「浅く広く」の楽しさもわかってきた。
 良い機会なので視野を広げてみたいと思い、まずは「何から読んだら良いか」から物色し始めてみた。

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●『世界史読書案内』津野田興一(岩波ジュニア新書)
 岩波ジュニア新書は入門書の宝庫です。
 とりあえず『世界史読書案内』からお勧め。
 読みやすい歴史関連書レビューと世界史概観の両立。

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●『ぱん歴 創刊準備0号』栗林佐知 鱶御前 くりりん・もんろー(けいこう舎)
「いっぱん人の いっぱん人による いっぱん人のための歴史お勉強本レビュー誌」 略して「ぱん歴」創刊準備0号。
 前掲『世界史読書案内 』津野田興一(岩波ジュニア新書)で紹介されている本を、実際に全部読んでみた方々が、さらにレビューを書いた一冊。
 元になった本とは別角度から紹介されているので、こちらで興味をひかれた本も多数あり。
 共感したので私も独自に読書、お勉強を続けます。

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●『現代評論キーワード講義』小池陽慈(三省堂)
 分類としては学習参考書になるのだろうか?
 アニミズムから始まり、世界史と思想の流れをなぞりつつ頻出キーワードを解説し、それぞれの参考図書も紹介されている。
 学生時代にこの本を読みたかった……
 特に素晴らしいのは、近代の人権に対する考え方をゆるぎなく抑えてある点だ。
 半端な知識のコレクションで優生思想やファシズムに陥ってしまわないよう細心の注意が払われているらしく、著者の確かな教養と良心が感じられる。


 この三冊を主なブックガイドに、このカテゴリ「教養文庫」では幅広く世界史や思想史を概観できる本をレビューしていきたい。
 ぼちぼちお付き合いを。
posted by 九郎 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 教養文庫 | 更新情報をチェックする

2024年08月04日

カテゴリ『阿弥陀』参考図書

 カテゴリ:阿弥陀に関連する手持ちの参考図書の紹介。

 浄土真宗では『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経」が重視されている。
 仏説のお経で読むのはほぼこの三部に限られ、一般には宗派を問われない『般若心経』も、真宗では読まれない。
 中でも日常的に読むのは比較的短い『阿弥陀経』だけで、『無量寿経』『観無量寿経』は、葬儀や法事の際に抜粋して読まれる。
 熱心な門徒というわけではない私は、『無量寿経』『観無量寿経』について、法事ではたぶん数回くらいしか読んだことがない。

 三部経は文庫で読み易い現代語訳が各種出ており、「内容をちゃんと読みたい、知りたい」という場合はそれにあたるのが良い。
 私が経典の類を文庫で探して読み漁っていた90年代当時は、岩波文庫ぐらいしか出ていなかったと記憶している。
 日本の仏典は史上長らく漢訳本から読み下すことを基本にしてきたが、サンスクリット原典まで遡って完全に現代語訳にする流れは、この岩波文庫版から始まったものだろう。
 私も若い頃、非常に興味深く読んだスタンダード中のスタンダードである。

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●『浄土三部経』上下巻(岩波文庫)
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 あれから三十年経ってあらためて探してみると、文庫の類は他にも充実してきたようだ。
 今回よく開いて読んだのは、西本願寺から出ている文庫版。
 家の宗派の「公式見解」でまとめてあることと、解説が豊富なこと、比較的価格が安く、何よりも字が大きいのが助かる(笑)

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●『浄土三部経』(本願寺出版社)
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 三部経は他に角川ソフィア文庫で、無量寿経の詳しい解説はちくま学芸文庫で出ている。

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●『浄土三部経』大角修(角川ソフィア文庫)
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●『無量寿経』阿満利麿(ちくま学芸文庫)
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 お経も手にとってみると意外と面白く読めるのだが、なにぶん古代インドの世界観なので、とっつきがたいと感じることもあるかもしれない。
 もう少し手に取りやすく、現代日本の感覚のフィルターを通したものとしては、西村公朝師の文庫本がある。

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●『極楽の観光案内』(新潮文庫)
 主に浄土三部経の内容を平易に絵解き。
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●『ほとけの姿』(ちくま学芸文庫)
 仏教全般の宇宙観やビジュアルを絵解きしたなどなど。
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 三部経、阿弥陀信仰全般、起源まで概説してある以下の本も良い。

●『浄土経典』中村元(東京書籍)
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 これらの本を読みながら、ぼちぼち絵解きしていきます。
posted by 九郎 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿弥陀 | 更新情報をチェックする

2024年08月03日

カテゴリ『阿弥陀』

 春先に浄土真宗僧侶だった父が旅立った。

 出立の春

 葬送、四十九日までの七日ごとの法要、そして百箇日が過ぎるまでの間、経本の類をあらためて開くことの多い日々だった。
 真宗の信仰対象の阿弥陀如来については、当ブログ『縁日草子』開設当初からいずれ取り組まなければならないと思ってはいたのだが、大切なテーマだけに中々手を出せなかった。
 この度の父のことと、この先何があるか分かったものではない自分の「残り時間」を考えた時、とにかくスタートだけは切っておこうと強く感じた。

 まずはブログ内の阿弥陀関連カテゴリ、記事の整理から。

 記事:ビル越しの阿弥陀
 カテゴリ:蓮如
 カテゴリ:石山合戦
 カテゴリ:原風景
 カテゴリ:須弥山

 日本の中世以降の阿弥陀信仰については、折々触れてはきた。
 今回のカテゴリ:阿弥陀では、古代インドで成立した原典である浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)の内容について、直接扱っていきたい。

 三部経の中でも『無量寿経』は阿弥陀如来のキャラクター設定が詳述されており、真宗の教義で重視されている。
 長い御経なので日常勤行されることはないが、葬儀や法事の際には抜粋がお勤めされる。
 普段使いの「日常勤行聖典」に収録されているのは『無量寿経』の中に含まれる『讃仏偈』『重誓偈』という偈文の箇所だ。
 そういえば亡父は、法蔵菩薩が世自在王仏に「四十八誓願」を立てた後、重ねて誓いの心を詠った『重誓偈』の方をよく読んでいた。

 このたび『無量寿経』の現代語訳を少し読み返してみたが、かなり面白く感じた。
 二十代の頃、岩波文庫の訳を通読した時は、とにかく概略を知るので精一杯だった。
 あれから三十年、あちこち大きく何周も周回して、感じ方も変わっているのだろう。
 とくに阿弥陀如来の前身の法蔵菩薩が、六欲天や色究竟天などの王(しばしば魔王的な性質を持つ)を経験した上で成仏したと読める点、ゾクゾクする。

 第六天
 色究竟天

 無量寿経や他の仏典に描かれるような、如来が膨大な数の仏国土を弟子の眼前に出現させて見せたり、膨大な情報量を一気に流し込んだりする描写は、デジタル技術が普及した今だと、一般人でも「わかる」感覚で読めると思う。
 昔は抽象化の訓練を積んだ一部僧侶にしか理解できなかった概念が、技術の発達で一般人にもリアリティを感じられる状況を作ってしまったのだ。

 カテゴリ:阿弥陀、こんな感じでぼちぼち行きます。

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posted by 九郎 at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 阿弥陀 | 更新情報をチェックする

2024年07月31日

新訳『思い出のマーニー』

 たまたま子供らとジブリアニメの話題になって、妹の方が『思い出のマーニー』が一番好きだという。

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●アニメ『思い出のマーニー』

 後で聞いたら原作まで読んだとのこと。
 私はアニメ版をテレビ放映しているときになんとなく観た程度なのだが、がぜん興味が出て原作も読んでみる気になった。
 原作の日本語訳にはいくつかの版がある。
 今回はアニメの公開に合わせて出た新訳を入手してみた。

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●『思い出のマーニー』ジョーン・G・ロビンソン著
 越前敏弥/ないとうふみこ訳(角川文庫)

 読みやすそうなことと、これもたまたまさいきん訳者の別の本を、子供と読んでいたタイミングの良さもあった。

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●『いっしょに翻訳してみない?』越前敏弥(河出書房新社)

 原作者は1910年イギリス生まれで、元々は絵描き志望、1939年頃から児童文学作品の執筆をはじめ、自作のイラストも手掛けていたという。
 本作(原題:When Marnie Was There)は1967年刊行、すぐに人気作になり、1980年には岩波少年文庫から日本語訳が出た。

 何の予備知識もないままに原作を読み始めてみて、アニメの方は舞台を日本に変換し、センスよくダイジェストしてあるのだなと、あらためて認識した。
 そもそもイギリスの児童文学作品で、舞台も登場人物も全部かの国であることすら知らなかった。
 原作の方は、少々心に問題を抱えたアンナと、謎の少女マーニーが、時間を置きながら密会を重ねる構成なので、本来はインターバルを置きつつ読める「字の本」がベストな媒体ではあろう。
 アニメの方は「日本の年少者が100分程度で鑑賞」という枠を商業的にもクリアするために、舞台を日本に、大半の登場人物を日本人にする等、かなりアクロバットな改変が加えられている。
 それでも製作陣の意図としては、与えられた条件の中で、原作に極力忠実であろうという配慮が伝わってくる。
 原作を読んでほしくて仕方がない強い気持ちが伝わってくる感じがするのだ。
 舞台は自然豊かで異国情緒もある北海道に置き換えられており、登場人物の国籍の異同はジブリアニメの絵柄で印象が薄められている。
 このあたりの感覚は、同じジブリアニメでも「如何に元ネタからから独自の飛躍をとげられるか」に全振りした宮崎駿監督作品とは、方向性が違って見えて興味深い。
 方向性は違うのだが、昨年公開の宮崎駿『君たちはどう生きるか』では、『マーニー』と同様、思春期の入り口の心の旅路と現実への帰還を、男の子側から描いているという共通点もある。


 アニメ版では媒体の特性上、主人公の置かれた環境や心情は、絵として間接的に描かれるしかないが、原作の方ではたっぷり文字情報として描かれている。
 アニメでだいたいの筋立てを知っていても、すぐに引き込まれるだろう。
 会えたり会えなかったりするアンナとマーニーの日々が、現実感の揺らぐ不穏を匂わせつつ、切なく過ぎていく。
 私は少女二人の設定とは何の共通点もない五十代男性読者だが、共感しつつ読みこんでしまう。
 かつて私も孤独な子供であり、数少ない友達との心通う楽しい思い出を後生大事に反芻しており、繰り返し思い出すうちに逆に現実感が薄らいで来たりした。
 軽微であるけれども、そうした似たような「症状」があったことが、共感を生んでいるのだろう。
 やがて嵐の夜にマーニーが去る。
 私はアニメで一通りの展開は知っているが、もし知らなかったとしても、マーニーがもう現れないのがはっきりわかりそうなほど、作中の空気がガラッと変わる。
 発熱が夢うつつの境界を焼き尽くし、アンナを現実世界に引っ張り戻したのだ。

 原作後半は、「謎解き」にあたる断片的なマーニーの日記を巡る物語である。
 マーニーの人生は悲しみに満ちていたけれども、それも含めてアンナがすべて納得し、引き受けるきっかけを得る過程が描かれる。

 読んで本当に良かったと思える一冊になった。
posted by 九郎 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 児童文学 | 更新情報をチェックする