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2024年04月14日

出立の春4

 浄土真宗では『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の『浄土三部経』が重視されている。
 仏説のお経で読むのはほぼこの三部に限られ、一般には宗派を問われない『般若心経』も、真宗では読まれない。
 中でも日常的に読むのは比較的短い『阿弥陀経』だけで、『無量寿経』『観無量寿経』は、葬儀や法事の際に抜粋して読まれる。
 熱心な門徒というわけではない私は、『無量寿経』『観無量寿経』は、勤行ではたぶん数回くらいしか読んだことがない。

 三部経は文庫で読み易い現代語訳が各種出ており、「内容をちゃんと読みたい、知りたい」という場合はそれにあたるのが良い。
 私が経典の類を文庫で探して読み漁っていた90年代当時は、岩波文庫ぐらいしか出ていなかったと記憶している。
 日本の仏典は史上長らく漢訳本から読み下すことを基本にしてきたが、サンスクリット原典まで遡って完全に現代語訳にする流れは、この岩波文庫版から始まったものだろう。
 私も若い頃、非常に興味深く読んだ。

浄土三部経 上: 無量寿経 (岩波文庫 青 306-1) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正
浄土三部経 上: 無量寿経 (岩波文庫 青 306-1) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正

浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経 (岩波文庫 青 306-2) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正
浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経 (岩波文庫 青 306-2) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正

 あれから三十年経って探してみると、文庫で読めるものも充実してきたようだ。三部経は角川ソフィア文庫で、無量寿経の詳しい解説はちくま学芸文庫で出ている。

全文現代語訳 浄土三部経 (角川ソフィア文庫) - 大角 修
全文現代語訳 浄土三部経 (角川ソフィア文庫) - 大角 修

無量寿経 (ちくま学芸文庫 ア 9-8) - 阿満 利麿
無量寿経 (ちくま学芸文庫 ア 9-8) - 阿満 利麿

 西本願寺からも文庫版が出ていて、字が大きくて助かる(笑)

浄土三部経 (文庫版) ―原文・現代語訳・佐々木惠精解説 - 浄土真宗本願寺派総合研究所 教学伝道研究室<聖典編纂担当>
浄土三部経 (文庫版) ―原文・現代語訳・佐々木惠精解説 - 浄土真宗本願寺派総合研究所 教学伝道研究室<聖典編纂担当>

 お経も手にとってみると意外と面白く読めるのだが、なにぶん古代インドの世界観なので、とっつきがたいと感じることもあるかもしれない。
 もう少し手に取りやすく、現代日本の感覚のフィルターを通したものとしては、西村公朝師の文庫本がある。
 主に浄土三部経の内容を平易に絵解きした『極楽の観光案内』(新潮文庫)、仏教全般の宇宙観やビジュアルを絵解きした『ほとけの姿』(ちくま学芸文庫)などなど。

極楽の観光案内 (新潮文庫 に 14-2) - 西村 公朝
極楽の観光案内 (新潮文庫 に 14-2) - 西村 公朝

ほとけの姿 (ちくま学芸文庫) - 西村 公朝
ほとけの姿 (ちくま学芸文庫) - 西村 公朝

 ただ、この年になってみると、「内容を知る」のはもちろん大切だけれども、一周まわって従来の読経形式には「知る」以外の豊かな情報量があることもわかる。

 読経はライブなのだ。
posted by 九郎 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2024年03月31日

出立の春3

 亡くなるまでの半年、振り返ってみると父自身は「準備」を進めているような気配もあった。
 見舞いに行くと、私がなんとか読める『正信偈』『領解文』『阿弥陀経』以外にも、「日常勤行聖典」(下掲画像右)の中からいくつか読んでおくよう指示があり、『白骨章』を指示された時は、さすがに私でもその意図に気づいた。
 その他に指示された『讃仏偈』『重誓偈』は、その時は気づかなかったが、浄土三部経のうちの『無量寿経』からの引用だった。
 どちらの偈文も、阿弥陀如来に成仏するはるか以前の法蔵菩薩が、師である世自在王仏に対して詠んだものだ。
 法事を私に任せるにあたり、「無量寿経そのものを読むのは荷が重かろう」と、配慮してくれたのかもしれない。
 そう言えば父は、一人の勤行ではよく『重誓偈』を唱えていた。
 法蔵菩薩が世自在王仏に「四十八誓願」を立てた後、重ねて誓いの心を詠ったものだ。
 私は父が唱えるのを隣室などで聞いているだけだったが、なんとなく耳に残っているので、比較的読めそうだ。

 あらためて法事について調べる必要から、実家で「仏事勤行聖典」(画像左)を回収した。
 普段使いの「日常勤行聖典」だと知りたい内容が足りず、「確かお葬式や法事の時に使う冊子が別にあったな」と、仏間を物色して見つけた。

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 参考に開いてみると、まず冊子冒頭、法事の始まりに唱えられる『三奉請』が目についた。

『三奉請(さんぶじょう)』
 奉請弥陀如来入道場(ぶじょう みだにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
 奉請釈迦如来入道場(ぶじょう しゃかにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
 奉請十方如来入道場(ぶじょう じっぽうにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)

 字面を目で追いながら、法事で聞いたことがあるメロディの雰囲気が頭の中で蘇ってきた。
 普段はあまり聞けない独特な(ちょっと雅楽ぽい)節で、子供の頃から気になっていたやつだ。
 あらためて調べてみると、阿弥陀如来、釈迦如来、その他多くの仏をお迎えする法事のOPらしい。
 そういうことだったのか。
 今はCDでも動画サイトでも音源は数多く、あらためて調べたり練習するのに助かる。

 このように、ぼちぼち内容と意義の理解を進めていきたいと思う。
posted by 九郎 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2024年03月30日

出立の春2

 うちは浄土真宗の「西」で、日常のお勤めでは『正信偈』とそれに続く念仏和讃、領解文、お経では『阿弥陀経』を唱えることが多かった。
 一番よく読む『正信偈』は、仏説のお経ではなく、歴史の授業でも習う親鸞の主著『教行信証』中の漢詩で、信心のエッセンスがまとめられている。
 読み方としては「草譜」「行譜」の二種があり、日常的にはシンプルな「草譜」、法事などでやや丁寧に唱える場合は後半がメロディアスな「行譜」を唱える。
 続く念仏和讃は念仏の繰り返しと親鸞作の和讃の組み合わせで、こちらも独特のメロディがある。
 唱え方には微妙な地域差や個人差があり、うちの唱え方もCD音源等とは少し違う。
 録音再生技術の発達した今ですらけっこう「地域差、個人差」があるのだから、昔はもっとバラエティが豊かだった可能性はある。
 うちの読み方は私限りになるかもしれないが、唱えられるうちは唱える。

 もう一つよく唱えているのが、蓮如の作と伝えられる『領解文(りょうげもん)』だ。
 以下に引用してみる。

「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけそうらえとたのみまうしてそうろう。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定とぞんじ、このうえの称名は、ご恩報謝とぞんじ、よろこびもうしそうろう。この御ことわり聴聞もうしわけそうろうこと、ご開山聖人ご出世のご恩、次第相承の善知識のあさからざるご勧化のご恩と、ありがたくぞんじそうろう。このうえはさだめおかせらるる御おきて、一期をかぎり、まもりもうすべくそうろう。」

 今回調べてみると、領解文の読み方にもかなり幅があるようだ。
 シンプルなお経のように一本調子で読んでいる音源もあるし、朗読や独白のように読んでいるケースもある。
 うちでは文体が共通している御文章に近い感じで読まれていた。

 2023年には西本願寺から『新しい領解文』というものが発表され、議論になった。
 残念ながら父の意見を聞ける状態ではないまま亡くなり、また僧侶でない私がどうこう言える性質のものでも無いので、うちでは従来のまま唱えている。


 仏説のお経の中では、日常勤行でよく読むのが『阿弥陀経』だ。
 短めなので、熱心な門徒の皆さんには『正信偈』とともに暗唱している人も多い。
 私は導師に唱和してとりあえず読める程度だ。
 せっかちな性格だった父は読むのがかなり速く、ついていくのが精一杯だったことなど、今は懐かしい。
「こんな速く読むのは父ぐらいだろう」と思っていたら、大阪の北御堂に参拝した時、若いお坊さんがもっと速く読んでいて驚愕したことがある。

 お経と言えば「聞いてもわけのわからないもの」の代名詞みたいになっているが、『阿弥陀経』に関して言えば、唱えていると少々内容がわかった気になれる。
 漢字の字面のイメージを追っていると、釈尊が祇園精舎で舎利弗を代表とする綺羅星の如き弟子たちに、阿弥陀の浄土の絢爛たる様を詳細に語って聞かせているのが、おおよそは伝わってくるのだ。
 僧侶が読むとリズム感があり、その感覚は補強される。

 釈尊が語りかける舎利弗は「智慧第一」のシャーリプトラで、十大弟子の中でも天才肌の一番弟子と目され、他のお経でも聞き手としてよく登場する。
 ただ、このお経は釈尊が舎利弗に一方的に語って聞かせる形で、問答形式ではない。
 内容的にもただただ阿弥陀浄土のイメージの洪水を浴びせる感じで、せっかくの天才肌が聞き手でも、口をはさむ余地はない。
 わざわざ「自力」に極めて優れた弟子に、それが全く通用しない説法をぶつけていることには、釈尊の何らかの意図があるのかもしれない。
 お経の終盤で釈尊は「シャーリプトラよ、どう思うか?」と問いかけているが、弟子の返答はない。

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posted by 九郎 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2024年03月29日

出立の春1

 先月、父が亡くなった。
 うちは父方が祖父の代から真宗僧侶で、寺ではなかったが地域の門徒の公民館的な「教会」とか「道場」と呼ばれる寺院風の家屋の管理をする「衆徒」だった。
 祖父の死後は父が得度し、法務を継いだ。
 父の代にはその教会もなくなり、同じ地域の寺院の衆徒として、公務員と兼業で法務をやっていた。
 このあたりの事情については、何度か記事にしてきた。

 私の得度についてはさほど強くは勧められず、結局継がなかったのだが、仏教に対する興味はそれなりに持っていて、たとえばこのようなブログを続けている。
 父はまた、若い頃から反権力で、社会的弱者側に立つ人でもあった。
 そうした反骨精神とともに、継げるものは継いでいきたい。
 家の宗派のことは、慌てることはなく、なんなら一生かけてゆっくり考えればいい。
 別に考えなくてもいいが、家の宗派について考えることは、自分について考えることにつながると思っている。

 せっかちで合理を好む父の遺志により、葬儀には旧知の所属寺院住職を呼び、参列は近親中心の簡素なものになった。
 父方祖父母の時のように多人数を集めて三部経その他を全部やる葬儀も、私は実は嫌いではない。
 普段会わない縁者と会い、普段読まないお経の節回しを体験できる良い機会だったと思う。
 ただ、少子高齢化のこの御時世、もうそれをやるには人手と負担が過大に成りすぎた面は否めない。
 うちは父方母方一同、形式ばらない庶民的な雰囲気で、内心の哀しみはともかく、葬儀や法事でもことさら湿っぽくせず、たまの親族の集まりとして「歓談」するのが常だった。
 陽性で社交的だった父もずっとそのようにふるまっており、今回もみんな変わらずそうした。

 生前の父の意向で、葬儀以降の法事のお勤めは、基本私がやることになった。
 法事を家族でやるのは、昨今とくに珍しくはないらしい。
 僧侶ではないので本格的なことはできないが、「こいつにやらせておけば、興味を持って調べ、できることはやるだろう。この際勉強せよ」という意図のはずで、実際そうしている。
 父は当ブログの読者でもあった。
 あらためて調べたことなど、ぼちぼち覚書にしていきたいと思う。

 その後も身内の訃報が続き、日々『白骨の御文章』を口ずさむ春である。

【白骨章】
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず一生過すぎやすし。 いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。

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posted by 九郎 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2024年02月12日

五木寛之 北陸関連作品

 五木寛之は好きな作家の一人で、折に触れ読んできた。
 今回の能登半島の震災報道で挙がってくる地名を見るうちに、いくつか思い出した五木作品があった。
 未読のものもあったので、この機会に開いてみた。

●五木寛之『内灘夫人』

内灘夫人 (新潮文庫 い 15-1) - 五木 寛之
内灘夫人 (新潮文庫 い 15-1) - 五木 寛之

 1969年作。
 50年代後半からテレビやラジオの仕事等を経験し、60年代半ばから金沢での小説執筆、作家デビューなので、初期作の一つということになるだろう。
 私は主に90年代以降の五木作品読者なので、初期作はまだ読んでいないものがけっこうあり、この作品もその一つ。
 読もうと思い立って探してみたが、現在新本では入手困難のようだ。
 五木寛之クラスの作家でも、よく知られた作品が新本で手に入らない出版不況を感じつつ、図書館で探して借りた。

 60年代後半に盛り上がりを見せていた学生運動が時代背景なっており、世代であれば感情移入のポイントであろうけれども、私も含めたそれ以外の世代でも作品に入り込める要素はある。
 主人公霧子は三十過ぎ。
 戦後50年代の学生時代に、石川県の米軍試射場反対運動「内灘闘争」を経験している。
 全身全霊で運動に打ち込み、感情のピークを経験した結果、心身に大きな傷を負っている。
 ともに戦った伴侶とともに、現在は経済的には恵まれた生活をおくれているが、心の空洞を抱えながら都会の夜で衝動のままに放蕩し、何かを探すように彷徨っている。
 たまたま出会った現役で戦う全共闘世代とのかかわりの中で、霧子は運動にかける若者の夢や残酷さを追体験しつつ、過去の記憶に刻まれた金沢、内灘を巡る。
 そして傍観者であることを踏み越えていく……

 政治運動と限定しなくとも、二十歳前後で何かに打ち込み、挫折した経験のある者であれば、誰もが引き込まれるだろう。
 そこまででなくとも、三十代、四十代などの節目に、ふと「このままでいいのか?」という自問が生じる時期にある者には響く作品であるはずだ。
 三十歳を超えたあたりというのは、本人の心の中では「若い自分」というものが喪失したように感じられ、何もかも手遅れになってしまったように沈みがちなものだ。
 しかし五十歳を超えて振り返ってみれば、三十歳など大した節目でも何でもなく、そこからのスタートで全く問題ないとわかる。
 四十歳でも同じようなものだ。
 論語でよく知られる「三十にして立つ、四十にして惑わず」という表現は、自分が五十になってみるとよくわかる。
 ここから先も、「振り返ってみればそこからスタートで全然かまわない」ということが繰り返されるのではないかとも思う。
 内灘に還り、その土地でともかく体を動かして働くことで再起をはかる、今の私から見れば眩しいほどに若い三十過ぎの霧子を、心の底から祝福したい読後感が残った。

 そして作中の時代設定から半世紀以上。
 霧子はもちろんフィクションであるが、もし実在して存命であれば、現在九十歳前後だろうか。
 内灘の避難所の一画で、その場でできることを、しぶとく差配している女性の幻想が浮かんできたりもする。



 著者はデビュー前後の時期に金沢で生活していたことに加え、戦後すぐの「内灘闘争」についても実際に足を運んでその盛り上がりを体験したという。
 その運動の最中、「真宗王国」と呼ばれる北陸の庶民の連帯の力についても感じるところがあったのだろう。
 後年の著作では、現在の真宗の礎を築いた本願寺八世・蓮如をテーマにしたものが多くある。
 北陸に限定すれば、『日本人のこころ』シリーズのうちの『一向一揆共和国』、また『百寺巡礼』のうちの第二巻がそれにあたるだろう。

隠された日本 加賀・大和 一向一揆共和国 まほろばの闇 (ちくま文庫 い 79-7) - 五木 寛之
隠された日本 加賀・大和 一向一揆共和国 まほろばの闇 (ちくま文庫 い 79-7) - 五木 寛之

百寺巡礼 第二巻 北陸 (講談社文庫) - 五木 寛之
百寺巡礼 第二巻 北陸 (講談社文庫) - 五木 寛之

 日々のニュースで流れる地名の多くが、上掲二冊の中で、歴史とともに紹介されている。
 戦国時代前期の蓮如の活躍により、日本各地で一向一揆は燎原の火のごとく燃え盛り、中でも加賀は「百姓の持ちたる国」として百年近く自治が行われた。
 戦国末期の最終決戦である石山合戦でも、加賀を中心とする北陸門徒の力は、大坂の本山を強力にバックアップした。
 加えて北陸は日本海交易の玄関口であり、豊かな文化の花開く先進地域でもあったのだ。

 この度の能登半島の震災に際し、現地の一日も早い救済を祈念するとともに、かの地の歴史についてももっと学びたいと思った。
 手始めに三冊読んでみてスタートを切った2024年である。

posted by 九郎 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする