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2006年01月01日

縁日の風景2

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 やっぱり夜店は神社仏閣の縁日にかぎる。
 プロのテキ屋さんが仕切ってる店が一番だ。暖簾や店の作り、啖呵の切り方が縁日の雰囲気を作るのに欠かせないし、タコヤキやタイヤキをはじめ、専門の調理器具で、ある程度修行を積まないと出来ない食べ物が楽しい。
 絵具を塗ったみたいな毒々しい色の、甘ったるいだけの駄菓子もたまらない。子供の健康に気を使うお母さんが、眉をしかめながら「今日だけよ」と譲ってあげる所が素晴らしい。
 ゲームや玩具や籤引きは、無意味な代物であるほどイイ。縁日のあの照明の中で、あんなに輝いて見えた賞品が、境内を一歩出たとたんに色褪せて、小遣い銭をつぎ込んだことを激しく後悔したのが懐かしい。「カラーひよこ」なんてものもあったっけ・・・
 ちょっと怖い感じのお店のお兄ちゃんに、小銭を渡して会話するスリルが本当に楽しい。

 最近の「市民まつり」などの夜店は、普通の公園や商店街で、素人さんがおでんやカレーなどの普段の食べ物を出してる場合がある。
 それはそれで様々な事情があるのだろうけど、今後もテキ屋さんにはずっと残ってもらいたいし、毒のある猥雑な縁日の風景は、末永く残って欲しいものだ。
posted by 九郎 at 22:38| 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

新年の御挨拶

新年明けましておめでとうございます。
今年はできれば週に1,2回のペースで更新していきたいと思っています。
当面はコメントやトラックバックはオフにしていますが、
ペースがつかめたら受け付けさせて頂きますので、気長に見守ってやってください・・・
posted by 九郎 at 22:43| 日記 | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

縁日の風景3

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 アヤシイのは何も夜店の商品ばかりではない。縁日の中心にある神社仏閣の縁起物語が、これまたアヤシイ。おいおい紹介していくことになるが、日本の神社仏閣由来記の大半が虚実入り混じり、真偽不詳・神仏混交の見本市。神仏の活動舞台は中国や印度、地獄・極楽・霊界を跳び回るファンタジーワールド。そもそも日本神話の御本家の記紀そのものが、ルーツになった各部族の神話の複雑怪奇な合成体なのだ。
 古い神話の素材は、各時代でコラージュされて新しい物語を生み出していく。
 モノガタリを求める人間の無意識の要請に答えつつ・・・
posted by 九郎 at 01:14| 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

縁日の風景4

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 このBlog「縁日草子」では、神仏にまつわる様々なモノガタリを、縁日の夜店さながらに猥雑に陳列して行きたい。基本は雑談・与太話。中には眉に唾をつけたくなるようなアヤシイ話題や人物を紹介することもある。あくまで「縁日の夜店」であって、「健康食品売り場」では決して無い。御利用は自己責任で夜露死苦。
 ただ、私の中の最低限の良心として、出典・参考文献の類はなるべく明記しておく。各神仏・各宗教についての正確な知識はそちらにあたって頂きたい。

 神様仏様をネタにした極私的な妄想を、絵と文章で綴る神仏萌え日記。
 「縁日草子」
 はじまり、はじまり。
posted by 九郎 at 00:15| 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

長い前置きの終わり

カテゴリ「縁日の風景」で、このBlogをどんな雰囲気でやって行きたいかまとめてみました。
はじめての訪問者さんは、そちらを参照してください。
posted by 九郎 at 01:11| 日記 | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

記憶の底

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 古い記憶を探ってみる。
 幼い頃の思い込みや記憶違い、あるいは何らかの理由で改変された記憶があるかもしれないが、なんとなく今の自分の元になったのではないかと思える原風景がある。
 父方の祖父は浄土真宗の僧侶だった。祖父母宅は寺ではなかったが、法事のおりの集会所を兼ねていて「おみど」(漢字で書くと「御御堂」か?)と呼ばれる広い座敷があった。むしろ「おみど」が主で、居住スペースが従であったかもしれない。
 通りに面した表門を入ると正面に「おみど」の入り口がある。障子を開けて入ると、畳敷きの広い座敷があり、奥には一段上がって仏具が並べられた祭壇があった。ちょうど劇場の舞台と客席の構成に似ていた。「舞台ソデ」にあたる板敷きを抜けると、そこが「楽屋」である居住スペースになっていた。
 子供の頃、盆暮れに祖父母宅に里帰りした時は、私達家族はこの「おみど」に寝泊りし、朝夕には「おつとめ」として勤行が行われた。祭壇にはいくつもの燭台やお灯明を模した豆電球があって、勤行の際にはそれらが点灯された。
 真っ暗闇だった祭壇スペースが、蝋燭や豆球のオレンジ色の弱い光に照らし出される。金色の仏壇仏具がキラキラと輝いて、様々な形態がぼうっと浮び上がる。私はその中の燭台の一種が気になって仕方がなかった。耳の尖った亀の上に鶴が乗っていて、その鶴が蝋燭の台を咥えている燭台。他の仏具も子供にとっては不可解な形の物ばかりだったが、この燭台のことはとくに印象に残っている。
 蝋燭の灯りは、通常の天井からの蛍光灯の照明とは全く異なる。物を横又は下から照らし、ゆらゆら揺れる弱い光。物の影は暗く長く、しかも生き物のように揺れ動く。
 非日常の照明。
 仏具の金色は怪しく輝き、もうすぐ始まる勤行の声を待っている・・・
posted by 九郎 at 21:54| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

記憶の底2

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 お灯明の準備が整い、一同が集まると勤行が始まる。
 大人たちは勤行用の冊子を開き、子供たちはオールひらがなの折本を開く。真宗開祖の親鸞作の讃歌「正信念仏偈」を唱和する。哀調を帯びたメロディがついている。民族音楽として聴くと、アジア的な音階が心地よい。
 続いてこちらも親鸞作の「念仏和讃」を唱和する。こちらは一応日本語なので、子供心にもなんとなく意味がとれる所がある。本文の横には節回しを表現した棒線がついていて、はじめての人でも唱和している内に唱え方がマスター出来るようになっている。
 念仏「南無阿弥陀仏」の部分は、「なむあみだぶつ」ではなく「な〜もあ〜みだぁあんぶ〜」という感じになる。何度も繰り返して発声するのも民俗音楽的。
 子供の頃は積極的に喜んで参加していた訳ではなかったが、縁者一同で声を合わせて唱和するのはそれはそれで楽しかった。

 (画像は「浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典」より部分的に筆写し、画像処理したもの)

【関連投稿】口伝と録音
posted by 九郎 at 22:49| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

スタイルシート変更

文字が小さかったので少し大きくしてみました。
posted by 九郎 at 22:26| 日記 | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

記憶の底3

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 例えばイヌ科の動物は、ボスに率いられ群をなして走ることに本能的な喜びを感じるという。イヌゾリはそうした性質を巧みに利用して、人や荷物を運搬している。イヌゾリの犬達は無理に働かされているのではなく、むしろ群としての任務を楽しんでいる。
 イヌと同じく、人間にもそういう所があるのかもしれない。同族で声を合わせて唄うことには、なんとも言えない楽しさがあった。
 念仏和讃のゆったりと哀調を帯びたメロディは、子供だった私の魂の底に刻まれた。今でもふとした瞬間に、幼い頃から徐々に作り上げられた和讃のイメージが蘇ってくる。暗い闇夜の海を、のたうつ波に揉まれながら小さな舟が漂っているイメージ・・・
 このイメージがどこから出てきたのか、記憶は定かでは無い。親鸞は表現として「海」の喩えをよく使っているのでそこから来たのかもしれないし、「補陀洛渡海船」のことをどこかで聞きかじったせいかもしれない。あるいは単純に、メロディが「波」っぽかったというだけかもしれない。

 私が浄土真宗の勤行に親しみを感じるのには、「子供の頃から唱えてきたから」という以上の理由はないだろう。それが「御題目」であれ「君が代」であれ、「インターナショナル」であったとしても、同じように幼い頃耳にしていれば親しみを感じただろう。
 自分の記憶の底に根ざした懐かしいメロディを大切にしつつも、割と機械的な刷り込みで感情が生まれてくる人間の習性の部分も忘れずにいたい。無所属で自分なりに色々な神仏のことを調べてみて、そう思う。

【関連記事】音遊び「念仏和讃」
posted by 九郎 at 00:42| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月13日

スタイルシート再調整

再び文字の大きさ、行間を調整。

.text{
font-size: 15px;
color: #725B38;
padding:15px 10px 5px 10px;
line-height:130%;}

この辺がワタシ的には一番見やすいか。

けっこう好きなように調整出来るんですね。
こうなるとロゴ画像とか、スタイルシートそのものとか、色々いじりたくなってくるけど、まずは絵と本文優先。ブログ初心者は何事も一歩ずつ一歩ずつ。
posted by 九郎 at 18:35| 日記 | 更新情報をチェックする