私が幼い頃にはまだ曾祖母、ひいおばあちゃんが存命で、祖父宅から斜面を下った家(これもフクザツな造り)の、奥の方の一室で96才まで寝起きしていた。私が生まれた時には「わたしが抱いたら長生きするで」と言ったそうだ。幼児の私がフクザツな家を探検し、たまたま奥の部屋に入っていくと、ひいおばあちゃんはニィと笑いながら駄菓子をくれたりしたのを覚えている。
やがてひいおばあちゃんの容態が悪くなった。私は小さかったので現場には連れて行かれなかったが、孫達(つまり私の叔父叔母)は様子を見てきては悲しげに話し合っていた。
「おばあちゃん顔が黄色ぉなって…」
「言葉もファファ何を言うとるかわからんように…」
傍らで会話を聞いている私の頭の中では、好き勝手な空想が繰り広げられている。想像の中、ひいおばあちゃんの顔の「黄色」は「金色」に置き換えられ、白い布団の中に金色のひいおばあちゃんが横たわり、だんだん言葉も通じなくなる情景が浮んでくる。大人達の言う「仏様になる」という言葉は、そういう意味なのかと一人で勝手に納得していた。
当時、私達幼児は仏壇のことを「まんまんちゃん」と呼んでいたのだが、「まんまんちゃん」の金箔や、仏像・仏画の金色から連想したのかもしれない。
そして私の記憶は唐突に葬儀のシーンに切り替わる…