2006年01月29日

石敢當

 沖縄には石垣がたくさんある。鉄筋コンクリートのビルが林立する都市部ではさすがに少ないが、建物の低い住宅地ではまだまだ残っている。毎年台風が何度も通り過ぎる沖縄では、石垣は家屋を保護する役割があった。琉球石灰岩を一見無造作に積んだような、見るからに頑丈そうな石垣は、沖縄の風景の特徴の一つだ。
 石造りの路地をぶらついていると、壁の所々に不思議な文字が刻んである。

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 「なんだこれ?」と注意してみると、いくらでも見つかる。普通は文字を刻んだ石板だが、プラスチック製など、他の素材のものもある。
 これは石敢當(イシガントゥ)という魔除けの御守りだ。T字路やY字路の突端など、道筋や視線が直接ぶつかる所には、たいてい設置してある。

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 なんでも「魔物は直進する性質がある」からだそうで、気の流れに沿って家屋に直進してくる目に見えない「魔」の力を、無力化する役割があるらしい。おびただしい数の石敢當を観察していると、この御守りがいかに根付いているかがよくわかる。
 とはいえ、沖縄の人はみんなこうした考えを持っているのかというと、もちろんそんなことは無い。迷信嫌いの沖縄人も多いし、古くからの習慣として続けているだけの人が大半だろう。
 しかし私の考えでは、石敢當は何の根拠もない単なる迷信とは言えないと思う。
 敢えて合理的に解釈してみることも出来そうだ。
 石敢當の設置してある場所を観察してみると、いかにも接触事故などが起りそうな所が多い。そうした場所に御守りを付け、常に注意を払う習慣が人々に根付いているならば、未然に防いで来た事故もたくさんあったのではないだろうか。
 また、交差点の突端やY字路の先端部分に住居がある場合、住人は常に視線にさらされ、上記のような事故の危険性もプラスして、余分なストレスを日常生活に課されることになる。
 通行人の視線を「石敢當」に集約し、護符としての機能もあるとなれば、住人のストレスはかなり軽減され得るのではないだろうか。
 以上のような推論を、現地の皆さんと話し合ったこともある。

 私は各土地に根ざした習慣にはそれなりの敬意を払いたい。でも通りがかったY字路のビルの一階に、写真のような名前の居酒屋を見つけると、ネタなのか真面目にやってるのか微妙な感じで、ちょっと対応に困ったりする(笑)

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 ガイジンとしては驚くべきことに、石敢當はキャラクターグッズやお土産品にもなっている。国際通りでは、店先に御守りとして小型のものが並んでいるし、「石敢當Tシャツ」もある。おなじく沖縄の代表的な魔除けキャラであるシーサーと合体して、石敢當シーサーなるものも売っていたりする…
posted by 九郎 at 22:13| 沖縄 | 更新情報をチェックする

ガジュマル

 内地の人間には異国情緒たっぷりに映るけれども、ガジュマルは沖縄ではありふれた樹木だ。公園や学校にも普通にあるし、民家の庭先や森の中、神域、墓地など、ようするにどこにでも生えている。
 住宅地の屋根の間からこんもりした緑が見えるとき、それを目印にほんの少し空き地の藪を(ハブに注意しつつ)分け入ってみると、そこには異世界が広がっている。

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 この見事なガジュマルはとくに有名な巨木というわけでは無い。ここで紹介している他のガジュマルもそうだが、沖縄では「その辺にある樹」だ。しかしガイジンの私は、別の感じ方をしてしまう。
 思いがけずガジュマルの大木に出くわした時の静かな驚きをどのように表現したらよいだろうか?
 例えば東南アジアの森の中で、いきなり象に出くわしたら同じように感じるかもしれない。
 例えばエレベーターのドアが開いて、中にいきなりジャイアント馬場が立っていたら、同じように感じるかもしれない。
 なんだかよくわからない表現になってしまうが、そんな感じだ。
 樹木というより「巨大生物」という表現がよく似合う。

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 異様な姿を特徴付けるものに「気根」がある。ガジュマルは四方八方野放図に枝を伸ばすだけでなく、その枝から茶色の毛の房のような気根を下ろす。だらりと垂れ下がった気根は、地面に到達すると年月をかけて太く成長し、それ自体が幹の一部となる。幹からかなり離れて成長した気根のせいで、アーチ状になった樹もよくある。普通、樹は下から上に成長し、私たちはそうした樹の姿を見慣れている。ガジュマルは逆に上から下へ垂れ下がる形状が混入している。異様に見える原因の一つだろう。
 ゆっくりゆっくり、一歩また一歩と、外の世界に歩き出すように、ガジュマルは成長していく。そのように育つので、立地や日照条件により、一本一本の姿は全く違うものになって行く。それは個性と呼ぶほかない。沖縄ではこの樹にキジムナーという妖怪が住むと言われている。赤い髪の子供の姿をした精霊の伝説も、現地でガジュマルに対面してみると、単なる迷信と笑えなくなる。

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 沖縄の亜熱帯の気候は、ガジュマルをはじめ多くの植物をぐんぐん育てる。石垣などの人間の建造物とも合体し、奇々怪々でどこかユーモラスな風景を作っていく…
posted by 九郎 at 18:51| 沖縄 | 更新情報をチェックする

公園の片隅

 那覇都心部の表通りから少し入ると、人通りは急に少なくなる。
 所々に公園があって、本土とは違う南国風の大木が何本も生えている。公園の単なる植樹にしては、思わずゾクッとするほど凄みのある樹木がそこここに生えている。本土なら神社の神木クラスのオーラをもった樹木が、ここでは普通に並んでいる。
 少し黄味がかった白色の低い石垣が、植物や水場を包み込んでいる。樹木に近付くために石垣の中に入ってみると、足元にさりげなく小さな看板が立てられている。

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 何らかのモニュメントも祠の類も何も無い、単に樹木が生えているだけの空間。その石垣で囲まれたささやかな区画の看板から、色々とニュアンスが読み取れる。
 まず、これは「拝み」を禁止する看板ではないこと。
 それなりの頻度で「拝み」が行われているらしいこと。
 連絡先は公的機関になっていること。
 私は、ようやくそこが沖縄の人々の祈りの場「御嶽(うたき)」の一つではないかと気付く。もしかしたら元々御嶽だった場所が、近年になって公園整備されただけなのかもしれない。周りの樹木を「神木クラス」と感じたのも当然のこと、実際神木だったのだろう。
 御嶽は元々、周囲の自然以外は「なんにもない祈りの場」だったのだけれど、時代が下った現代では、祠や香炉を備えた所も多い。公園整備でそうした具体的な宗教色は出しにくかったのだろうか、かえって「なんにもない」元の形に戻っている。

 深山幽谷の中の特別な場所ではなく、都市部のどこにでもある普通の公園で、このような風景に出会う。沖縄では当たり前のことなのかもしれないが、ガイジンである私には、たまらなく不思議なことなのだ。
 看板から視線を上げると、その凄みのある樹木「ガジュマル」が、奇怪な姿で生い茂っている…

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posted by 九郎 at 14:01| 沖縄 | 更新情報をチェックする