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2006年02月03日

鬼は外、福は内

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   童謡「まめまき」
  おにはそと ふくはうち
  ぱらっぱらっぱらっぱらっ
  まめのおと
  おにはこっそり にげていく
  おにはそと ふくはうち
  ぱらっぱらっぱらっぱらっ
  まめのおと
  はやくおはいり ふくのかみ

 2月3日は節分。節分には豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱える。
 誰でも子供の頃から知っている年中行事。地方によって多少の違いはあるけれども、基本構造は共通している。
 一部の地方では、「福は内、鬼も内」と唱える場所もある。
 鬼って何者なんだろう? なぜ豆を怖がるのだろう?

 合理的説明も出来なくはない。
 節分は季節の変り目、気温が不安定な時期。体調に気をつけないと病気になりやすい。
 昔、病気は「悪霊、鬼の仕業」だと考えられていた。大豆は栄養価が高く、病気の予防に役立つ。だから「豆には鬼を追い払う力がある」と受け止められた……

 ではなぜそうした追い払うべき鬼たちを「鬼も内」と迎え入れたりする地方があるのだろう? 結局、鬼って何者なのか?

 と、このような話題について、これからカテゴリ「節分」で、あれこれカタッていきたいと思います。ちょっと長丁場になることが予想されるので、絵は描いたり描かなかったり、途中に別の話題を挟んだり、無理のないペースで進めていきます。
 これまで同様、気長にお付き合いください……
posted by 九郎 at 20:33| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月04日

蘇民将来

 「蘇民将来(そみんしょうらい)」という護符がある。魔除け、特に悪疫除けに霊験があるとされる。
 日本中に幅広く分布し、形態は種々伝えられる。代表的なのは図の二種。

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 六角柱の木の棒や、木札に注連縄、茅の輪などの素材に、「蘇民」「将来」「子孫」という言葉が書いてある。日本のものだが、どこか大陸風のテイストも感じられる。
 護符を発行する神社には、もちろん由来も伝わっている。こちらも各種バリエーションはあるけれども、神話の基本構造は共通している。現存する中で最も古い形は、「備後国風土記逸文」の中に残されている。
 何時とは知れぬ遠い昔、何処とも知れぬ遠い国での物語……
posted by 九郎 at 22:10| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

風土記逸文より

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 備後国風土記に伝えられる所では、昔、北海におられた武塔神(むとうのかみ)、南海の神のむすめをよばひに出て行かれたところ、日が暮れた。
 そのあたりには「将来」という二兄弟が住んでいた。兄の蘇民将来はひどく貧しく、弟の将来は裕福で百の屋敷や倉があった。武塔神が一夜の宿を求めると、弟は惜しんで貸さず、兄の将来はこころよく迎えた。貧しいなりに粟柄を敷き詰めて座を設け、粟飯等をもって神に捧げた。

 その後、年を経て、武塔神は八柱の御子を率いて、この地に還ってこう言った。
「私は将来のために返礼をしたい。あなたの子孫はこの家に在るか」
 蘇民将来は答えた。
「娘と妻があります」
 武塔神が「ではその者たちに茅の輪を腰の上につけさせよ」と言ったので、その通りにした。
 するとその夜、神と八柱の御子達は蘇民と二人の女子を残し、その地の者をことごとく滅ぼしてしまった。
「吾はスサノオの神である。後世に疫病あらば、汝蘇民将来の子孫は茅の輪を腰の上につけよ。さすれば免れるであろう」
 このような言葉を残し、神は去った。
posted by 九郎 at 10:43| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

「蘇民将来」雑記

 日本全国に同工異曲の物語は分布するが、風土記逸文の「蘇民将来」が、現存する最も古い形であると言われている。
 その他のバージョンでは蘇民将来の兄弟の名が「巨旦将来(こたんしょうらい)」と明記されていたり、兄・弟の関係が逆転していたりするが、「貧しい蘇民が助かり、裕福な巨旦が滅びる」という構図は変わらない。
 武塔神が「牛頭天王」になっていることもあるが、同じくスサノオゆかりの神名ではある。あるいは記紀神話で高天原を追われたスサノオが、流浪の旅を続ける途中のエピソードであったのか。
 巨旦の滅びた原因も、武塔神とその子等に直接滅ぼされたものであったり、その際、蘇民の協力が有ったり無かったり、または神が直接手を下さず、天変地異や疫病が原因で滅びたバージョンもある。
 この物語の意味するところはなかなか頭では理解しがたい。ごく単純に「マレビトを歓待すれば果報が得られる」という、いかにも昔話的な構造にも見えるが、客を追い払った巨旦の末路はあまりに悲惨で血生臭い。
 正体不明の漂泊神が訪れた時、責任ある立場の者は、これを安易に受け入れるべきであろうか? 巨旦の態度は多くの一族の命を預かる頭目として、道徳的に非難されるべきものであろうか? それはむしろ当然の態度ではないか…
 神話はそもそも「カムガタリ」であって、本来分析すべきものではない。ただイメージを受け取って楽しむ以外は、ある意味不純になる。

 しかし頭でっかちな現代人としては、不純を承知であえて合理的解釈もしてみたくなる。これはもしかして「病原体と免疫」を表現した物語なのではないか?
 潔癖に病神を退けた者は、その時は病気にならなくても、時間が経ちより強力になった病原体には一気に滅ぼされてしまう。一方、病原体を最初の段階で受け入れて、だましだまし体を通過させた者は、その病原体に対する免疫を得て、蔓延から逃れることが出来る。
 例えば沖縄には「美ら瘡(ちゅらかさ)」という言葉がある。天然痘を意味する言葉なのだが、恐ろしい病を美しい名前で呼んで丁重に迎え入れ、穏やかに送り出すという伝統があるそうだ。この「蘇民将来」の物語も、そのような伝統と同種のものと考えられるのではないか。

 私なり解釈を一つの与太話として開陳してみたが、神話はやはり様々な想像を広げる素材として、結論は出さずに曖昧にしておくのが良い。ガチガチに固めずに置けば、年月を経て様々な尾鰭がつき、話が大きくなり、思わぬ花を咲かせることもある。

 次に「蘇民将来」物語の最終的な発展形態である「牛頭天王縁起」を紹介してみよう。
posted by 九郎 at 00:02| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月07日

金烏玉兎

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 一冊の書物がある。名は「金烏玉兎(きんうぎょくと)」と言う。
 これは通称であり、正式名称はもっと長いが、この正式名称に来歴が表現されているので読み解くと、
「天竺→唐→日本の三国相伝、陰陽・天地・日月にまつわる秘密の全てを網羅した安倍晴明撰の書」
 と言うほどの意味になる。
 由来によると、宇宙の秘密を余さず書き記したこの書は、日本の安倍晴明に伝わるまでに波乱万丈の物語があり、その霊験が語られているが、もちろんフィクション。
 有態に言えば「偽書」の一種なのだが、では中身が全くの無価値かというとそうではない。
 インドで生まれた仏教思想や宇宙観が中国の陰陽五行思想と習合し、日本流にアレンジされて結実した書物なので、「三国相伝」という表現も全くの嘘では無い。
 大陰陽師・安倍晴明の流れを汲む人物が編述したのは確かであると考えられ、特に中国神話や陰陽五行思想は日本人好みの「物語」として、コンパクトにまとめられている。
 こういうアレンジをやらせると、日本人は本当に巧みだ。つくづく日本は「物語」の国なのだと思う。

 この「金烏玉兎」の第一巻が「方位」にまつわる巻であり、序が「牛頭天王縁起」になっている。先に紹介した「備後国風土記逸文 蘇民将来」を素材に、物語の舞台は天竺マガダ国から竜宮城へ、そして鬼王の治める夜叉国へと壮大に展開される。

 それでは「牛頭天王縁起」の内容に足を踏み入れてみよう。
posted by 九郎 at 23:21| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月09日

また風邪気味

 さほどひどくはないが、また風邪気味。
 疫病の神様のことをしつこく書いているうちに、召喚してしまったか(笑)
 蘇民将来神話の神々よ、気合を入れてカッコ良く描いてますから、何卒お手柔らかに・・・
posted by 九郎 at 23:26| 日記 | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

牛頭天王縁起1

 「金烏玉兎」の第一巻序が、風土記などに伝えられる蘇民将来神話を発展させた「牛頭天王縁起」になっている。以下にその概略を紹介してみよう。

【牛頭天王(ごずてんのう)】
 天界で神々の王・帝釈天に仕え、宇宙の三界を自在に活動する「天刑星(てんぎょうしょう)」という神があった。天刑星は天竺マガダ国の、王舎城という仏縁ある場所の大王として転生した。
 この大王の名を商貴帝(しょうきてい)と言う。優れた政治を行い、領民に愛され、周囲に名をとどろかせたが、一つ問題があった。大王は異形の者だったのである。
 頭には尖った二本の角が生え、黄牛のような形相で、見た目はまるで人々を害する夜叉さながらであった。よって「牛頭天王」と名乗った。
 善政を称え敬う領民達は、牛頭天王がその容貌のために后がなく、子孫にこの素晴らしい治世が伝えられないことを嘆いていた。そんなある日、天界の帝釈天からの使者が到着した。
 使者の伝えるところでは、このマガダ国からはるか南にある竜宮に、牛頭天王の后に相応しい姫がいると言う。その名は頗梨采女(はりさいじょ)。輝く紫磨黄金の肌、仏菩薩のような高貴の相、彼女こそが牛頭天王の后になるべき女性であると……

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【図像について】
 今回描いた牛頭天王の姿は、現存する各図像を参考に組み立ててみた。牛頭天王の図像には各種のバリエーションがある。三面のもの、四臂のもの、密教の明王に似た姿のもの、日本の神代風のものetc……
 しかし各図像の多くは、頭上に牛頭を頂いている点で共通しており、今回はそれを軸にデザインしてみた。
 どれか特定の図像を元にはしていないので、資料的な価値は無いと思われます(笑)
posted by 九郎 at 21:20| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月12日

牛頭天王縁起2

【巨旦大王】
 使者の知らせに喜んだ牛頭天王は、三日間かけて心身の穢れを祓い、眷属とともに馬車で南海、八万里の彼方の竜宮へと出発した。三万里ほど進んだ一行は休息のために一夜の宿を求めた。
 そこは夜叉国。鬼の王、巨旦大王(こたんだいおう)の支配する魑魅魍魎の国だった。巨旦大王は牛頭天王を激しく罵倒し、追い返してしまう。 疲労困憊した一行は、さらに千里進んだところで巨旦大王の奴隷の女と出会う。女は牛頭天王に「蘇民将来という老翁の元を訪れるように」と伝えた。この貧しいが慈悲深い老翁は、天王一行を快く迎えた。不思議なことにそのあばら家に大勢の眷属は残らず入ることができ、瓢の中のわずかな粟は残らず一行にいきわたった。こうして牛頭天王はようやく休息することができた。
 天王は喜んで老翁に千金を与え、竜女を求める旅の目的を語った。まだまだ長い旅の行く末を案じた老翁は、一瞬にして数万里を走る宝船を天王に貸し与えた。天王は喜び勇んで出発し、たちまち竜宮城に到着した。

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【図像について】
 後に詳しく述べるが、巨旦大王は牛頭天王に滅ぼされ、最強の祟り神「艮の金神(うしとらのこんじん)」となる。
 今回の「巨旦大王」の図は、高御位神宮所蔵「鬼門大金神」図を参照した。「金神」の図像としては関連書籍等でよく紹介されているもので、異様な迫力のある図像だ。構図もそのままに踏襲しているので「見たことがある」と感じた人もいると思う。
 私は神仏の絵を描くために様々な資料にあたっているうち、この元図像にも出典が存在することに最近気付いた。密教の資料である「仁王経法本尊像」を採録した図版の中に、「鬼門大金神」とほとんど同じ姿の仏尊を発見したのだ。
 神仏の姿は伝統的な図像を引用し、受け継いで行くことでその呪力をも継承する。私もそうした神仏絵師達の末席に連なってみたいと思っている。

【追記】
 この図像について新たに気付いたことを、以下の記事にメモ。
 「東寺密教図像の世界」展
posted by 九郎 at 21:39| 節分 | 更新情報をチェックする

2006年02月13日

今後の予定

 次回更新用の絵を描くのにもうしばらくかかりそうなので、カテゴリ「節分」の中間まとめをしておきます。
 現在、全体の分量の半分ぐらいまで進んでおります。この後、
  ・「牛頭天王縁起」続き
  ・金神信仰の変遷
 をカタり、最後に鬼追いや豆まきなどの節分習俗に立ち戻って、再検証してみたいと思っています。(書いてるうちに多少流れは変わるかもしれません)

 それではまた、数日後。
 
posted by 九郎 at 22:28| 日記 | 更新情報をチェックする

2006年02月18日

安否確認

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 最近、こちらのseesaaBLOGサービスが不安定になってますね。
 以前から動作が重かったりしていたんですが・・・
 様子見で更新も滞っていますが、準備は進めていますので、もうしばらくお待ちください。
 間つなぎに書など一つ。
posted by 九郎 at 20:32| 日記 | 更新情報をチェックする