シヴァとパールヴァティーには、ガネーシャとスカンダという息子達がいる。神話にはいくつかバージョンがあるが、代表的な形を紹介してみよう。
【ガネーシャ】
パールヴァティーは、夫シヴァの留守中に自分の垢を集めて男の子の人形を作った。その人形に命を吹き込んで息子とし、入浴中の警護を申し付けた。
そこへシヴァが帰ってきたのだが、お互いを知らない初対面の二人は「入れろ、入れない」の押し問答になった。二人は激しく戦い、シヴァは苦戦しつつも男の子の首をはねた。入浴を終えたパールヴァティーは、息子の死を知って悲しみ、怒り狂った。
シヴァは償いのためにガネーシャを生き返らせることにした。部下を北に派遣し、最初に出会った生き物の首を持ってくるように命じた。部下は象と出会い、ガネーシャは象頭になった。
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2006年04月17日
2006年04月18日
カテゴリ「大黒」今後の見通し
今後、以下のような流れで進めたいと思っています。
1、大黒のルーツになったインドの神々を紹介
(今、ここまで終わった)
2、インドの神々の仏教への読み替え
3、日本における奇々怪々な大黒の再構成
実際書いてみると多少変わるかもしれません。
ちょっと忙しくなるので一週間ほど小休止します。
何かとばたばたする年度始め、皆さんも頑張り過ぎないように、適当に手を抜きつつペースをつかんで行きましょう・・・
それではまた一週間後に!
1、大黒のルーツになったインドの神々を紹介
(今、ここまで終わった)
2、インドの神々の仏教への読み替え
3、日本における奇々怪々な大黒の再構成
実際書いてみると多少変わるかもしれません。
ちょっと忙しくなるので一週間ほど小休止します。
何かとばたばたする年度始め、皆さんも頑張り過ぎないように、適当に手を抜きつつペースをつかんで行きましょう・・・
それではまた一週間後に!
2006年04月24日
仏教への読み替え1 須弥山宇宙
約2500年前、釈尊によって開かれた仏教は、時を経て古代インドの神々の体系や思想を吸収し、精緻な宇宙観を作り上げた。
上の絵図はその宇宙観をまとめたもので、表記の便宜上、縦横・大きさの比率はいじってあるが、位置関係や階層構造の参考にしていただきたい。
何も無い虚空の中に、気体である「風輪(ふうりん)」が浮び、その上に液体である「水輪(すいりん)」、固体である「金輪(こんりん)」の層が有り、世界はその上に展開されている。水輪と金輪の間が「金輪際」で、「こんりんざい」の語源である。
世界の周囲を囲む「鉄囲山(てっちせん)」の輪の中に海があり、世界の中心には「須弥山(しゅみせん)」がそびえている。須弥山の周囲は七重の山脈「七金山」に囲まれており、山脈の合間にはそれぞれ海がある。須弥山と七金山、鉄囲山で合計九山、その間の海が八海あるので、この世界を「九山八海(くせんはっかい)」と表現する。
一番外側の海には東西南北に四つの大陸がある。我々が住むのは須弥山の南にある「閻浮提(えんぶだい)」で、台形をしているのはインド大陸のイメージだと思われる。
人間の住む金輪表層の地下深くには地獄の世界が広がっており、須弥山の中腹辺りまでは阿修羅や竜王が住んでいる。それより上が神々の住む天界になっており、太陽と月である日天・月天は、須弥山の中腹あたりの軌道を巡っている。
地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅・人・天の六つの世界「六道」の輪廻転生は、このような世界観の中で展開される。
続けて、天界の構造を見ていってみよう。
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上の絵図はその宇宙観をまとめたもので、表記の便宜上、縦横・大きさの比率はいじってあるが、位置関係や階層構造の参考にしていただきたい。
何も無い虚空の中に、気体である「風輪(ふうりん)」が浮び、その上に液体である「水輪(すいりん)」、固体である「金輪(こんりん)」の層が有り、世界はその上に展開されている。水輪と金輪の間が「金輪際」で、「こんりんざい」の語源である。
世界の周囲を囲む「鉄囲山(てっちせん)」の輪の中に海があり、世界の中心には「須弥山(しゅみせん)」がそびえている。須弥山の周囲は七重の山脈「七金山」に囲まれており、山脈の合間にはそれぞれ海がある。須弥山と七金山、鉄囲山で合計九山、その間の海が八海あるので、この世界を「九山八海(くせんはっかい)」と表現する。
一番外側の海には東西南北に四つの大陸がある。我々が住むのは須弥山の南にある「閻浮提(えんぶだい)」で、台形をしているのはインド大陸のイメージだと思われる。
人間の住む金輪表層の地下深くには地獄の世界が広がっており、須弥山の中腹辺りまでは阿修羅や竜王が住んでいる。それより上が神々の住む天界になっており、太陽と月である日天・月天は、須弥山の中腹あたりの軌道を巡っている。
地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅・人・天の六つの世界「六道」の輪廻転生は、このような世界観の中で展開される。
続けて、天界の構造を見ていってみよう。
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2006年04月28日
ミツバツツジ
なんとか4月中にカテゴリ「大黒」を終われないかと足掻いてきたが、どうも無理らしいと諦めがついた。「一月に一テーマ」と言うのは、そもそも何の義務も無い、自分の中だけの強迫観念だったから、余計な荷物を降ろして楽になった。
気がついてみれば桜の季節も過ぎ去り、そろそろツツジが始まっている。
実は私は植栽帯などのツツジの色彩が「濃く」感じて苦手だった。(私は自分自身の絵柄は濃いけれども、日常的にはあっさり好みだったりするのだ)
数年前のこの時期に山を歩いているとき、薄紫の小ぶりな花、楚々とした枝振りのツツジがあるのを知った。
それがミツバツツジだった。
ミツバツツジの良さがわかってみると、街中の派手なツツジも楽しめるようになった。
そろそろ山に行きたくなる季節だ。
2006年04月29日
神様仏様を描くと言うこと
基本的には、神や霊に姿は無い。
私には霊能の類も無いので、見えないものを見ることは出来ない。たまに「夢のお告げ」で特殊な風景やキャラクターを見ることはあるけれども、夢に見たことはそのまま絵に描いたり言葉に置き換えることは難しい。
面白い夢を見れば「夢日記」として記録に残すこともあるが、本来絵や言葉に残せないものを無理矢理描いているもどかしさがある。
見えない霊を絵にすることの大先達・水木しげる御大が、膨大な資料を集めて調べ尽くしたあと、それらを自在に引用・再構成することで絵作りをしていることは、よく知られている。
民衆の間に広く受け入れられた図像を引用する、長い時代をかけて積み上げられた文化的な約束事を下敷きにすることで、説得力が生まれるのだ。
先達に倣い、私も資料は出来る限り集め、調べる。図像資料を蒐集するのはもちろん、古典や研究書をあれこれとひもといてみる。調べれば調べるほど、資料間の矛盾は広がるし、どのように描いていいか分からなくなることもある。
考えてみれば、様々な資料の間に矛盾があるのは当たり前のことだ。時代や土地柄によってばらばらに練り上げられた、個々の図像だけが実体であって、神仏の姿に「正解」「真の実体」など無いからだ。
それでも集めた資料を元に、模写してみたり姿の意味を研究してみたりすると、その神仏が「何故そのように描かれたか」が、おぼろげながらわかってくることがある。
「何故そのように描かれたか」の「描かれたか」という人為の部分と、そういう人為の元に描かれた図像を、人が見たときに感じる神仏の雰囲気の間の関係に、なんとも言い難いフシギが立ち上ってくる。
posted by 九郎 at 11:20| 神仏絵図覚書
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