【ロゴ画像変更】
今回は「孔雀明王」をネタに。
そう言えば懐かしマンガの「孔雀王」も復活しましたね。
前回のお稲荷様のロゴ画像は、しばらくは古めのページや、カテゴリ「縁日の風景」等で拾えます。
【五月の予定】
とりあえずカテゴリ「大黒」を続けます。
大黒様にまつわるあれこれは、調べれば調べるほど情報が無限増殖。とめどなく話が広がってしまいます。
この「縁日草子」ではあくまで雑談・与太話に徹し、あまり真面目に正確にならぬよう、肝に銘じてカタって行きたいと思います(笑)
いましばらくお付き合いを。
2006年05月01日
2006年05月10日
ムジナ
GWに、新緑の色に誘われて、山に散歩に行ってきた。
里に程近い林道をぶらぶら歩いていると、十メートルほど先の側溝近くを何か丸い毛玉のようなものが、もこもこ動いている。
何かと思って足を止めると、向こうも止まってこちらに視線を投げかけてきた。
白っぽい褐色の毛皮に、黒い足が生えていて、顔には黒い縦線二本、鼻先は細く尖っている。
遠目にも「狸とは違うな」と判った。
こちらがさらに一歩踏み出すと、向こうは慌てて側溝に潜り込む。
私が近づいた時には、もう丸いお尻は見えなくなっていた。
溝を覗き込むと、見えなくなってから数秒も経っていないのに、既に影も形も無かった。
しばらく歩いてから「ああ、あれがムジナというものか」と思い至った。
里に程近い林道をぶらぶら歩いていると、十メートルほど先の側溝近くを何か丸い毛玉のようなものが、もこもこ動いている。
何かと思って足を止めると、向こうも止まってこちらに視線を投げかけてきた。
白っぽい褐色の毛皮に、黒い足が生えていて、顔には黒い縦線二本、鼻先は細く尖っている。
遠目にも「狸とは違うな」と判った。
こちらがさらに一歩踏み出すと、向こうは慌てて側溝に潜り込む。
私が近づいた時には、もう丸いお尻は見えなくなっていた。
溝を覗き込むと、見えなくなってから数秒も経っていないのに、既に影も形も無かった。
しばらく歩いてから「ああ、あれがムジナというものか」と思い至った。
2006年05月11日
カテゴリ「大黒」苦戦中
描く前に思っていたより、ずっと時間がかかってしまう絵がある。
カテゴリ「大黒」の次回更新分の絵に苦戦中だ。自分でも何故こんなに時間がかかるのかよくわからないのだが、PC画面にペンタブで一筆入れては考え込み、資料を眺めまた一筆と、拾い集めるように描き続けている。
このブログで更新の間が開くのは、だいたいそういう絵を手がけている時だ。
時間がかかったからいい絵になるとも限らず、意外と地味な絵になってしまったりするのが難しいところなのだが、さてどうなりますか(笑)
間つなぎに前から積み残していた参考文献紹介を始めようと、Amazonアソシエイト・プログラムに申し込みを出した。待つこと数日、承認メールが来たので、ぼちぼち書籍紹介などもして行きたいと思う。
カテゴリ「大黒」の次回更新分の絵に苦戦中だ。自分でも何故こんなに時間がかかるのかよくわからないのだが、PC画面にペンタブで一筆入れては考え込み、資料を眺めまた一筆と、拾い集めるように描き続けている。
このブログで更新の間が開くのは、だいたいそういう絵を手がけている時だ。
時間がかかったからいい絵になるとも限らず、意外と地味な絵になってしまったりするのが難しいところなのだが、さてどうなりますか(笑)
間つなぎに前から積み残していた参考文献紹介を始めようと、Amazonアソシエイト・プログラムに申し込みを出した。待つこと数日、承認メールが来たので、ぼちぼち書籍紹介などもして行きたいと思う。
神仏絵図常用資料1
私は特定の宗教団体に所属していない。信仰を持っている友人は何人かいるし、なにがしかの行事に参加することもあるが、基本は無所属・独学を通している。
絵についても同様で、仏画についての専門に学んだことはなく、自分で資料を探して好き勝手に描いている。ただ、先人の残した図像には貴重な知恵がたくさん詰まっているので、出来る限り調べた上で、好き勝手に描く。
そんな私が普段から一番参考にしているのが、この一冊。
●「曼荼羅図典」染川英輔 著
仏画や曼荼羅は、鑑賞する分には実物やカラー図版がいいのだが、いざ自分で描こうとしてみると、白描画(輪郭線を毛筆で描いたもの)が、どうしても必要になってくる。神仏に限らず動植物についても、絵の資料には写真よりも線画の方がありがたい局面が多々ある。カラー図版は、ものの雰囲気を掴むには良いのだが、細部を理解するには白描画が一番なのだ。
この「曼荼羅図典」には、金剛・胎蔵両部曼荼羅の膨大な仏尊の全てが精密な白描画で紹介されており、文章による解説部分も素晴らしく詳細だ。
両部曼荼羅には主な仏尊がほとんど網羅されているので、事実上の仏教百科事典であるとも言える。やや高価な書籍だが、図書館にもよく入っているし、断片的な資料を一つ一つ拾い集めていくよりも、包括的で内容の確かなものを一冊持っていると非常に便利だ。
私もいつの日にか両部曼荼羅を自分なりに描いてみたいと思っているので、実際に描き上げ、その上貴重な資料の全てを公開してくださった大先達には心の底から敬意を表し、ここに紹介するのである。
絵についても同様で、仏画についての専門に学んだことはなく、自分で資料を探して好き勝手に描いている。ただ、先人の残した図像には貴重な知恵がたくさん詰まっているので、出来る限り調べた上で、好き勝手に描く。
そんな私が普段から一番参考にしているのが、この一冊。
●「曼荼羅図典」染川英輔 著
仏画や曼荼羅は、鑑賞する分には実物やカラー図版がいいのだが、いざ自分で描こうとしてみると、白描画(輪郭線を毛筆で描いたもの)が、どうしても必要になってくる。神仏に限らず動植物についても、絵の資料には写真よりも線画の方がありがたい局面が多々ある。カラー図版は、ものの雰囲気を掴むには良いのだが、細部を理解するには白描画が一番なのだ。
この「曼荼羅図典」には、金剛・胎蔵両部曼荼羅の膨大な仏尊の全てが精密な白描画で紹介されており、文章による解説部分も素晴らしく詳細だ。
両部曼荼羅には主な仏尊がほとんど網羅されているので、事実上の仏教百科事典であるとも言える。やや高価な書籍だが、図書館にもよく入っているし、断片的な資料を一つ一つ拾い集めていくよりも、包括的で内容の確かなものを一冊持っていると非常に便利だ。
私もいつの日にか両部曼荼羅を自分なりに描いてみたいと思っているので、実際に描き上げ、その上貴重な資料の全てを公開してくださった大先達には心の底から敬意を表し、ここに紹介するのである。
2006年05月12日
神仏絵図常用資料2
前回の記事で、絵を描く者にとっての「白描画」の重要性を述べた。
続けて白描画の参考資料を紹介してみよう。
●「図解・別尊曼荼羅―密教図像を読む」小峰弥彦, 高橋尚夫 著
曼荼羅といえば、一般には真言密教の金剛・胎蔵両界曼荼羅が有名で、前回の「曼荼羅図典」もその二大曼荼羅を描くための資料だ。
曼荼羅には他にも「用途別」に様々な種類があって、この「図解・別尊曼荼羅」には日本に伝えられてきた両界以外の曼荼羅が収録されている。図版は鮮明な白描画で、描かれたそれぞれの仏尊名も明記、元になった経典の記述も豊富に引用されており、出典も明確。
痒いところに手が届くような編集は、絵描きにとって本当にありがたい。
この本が発行されて書店に並んだ時、到底売れそうもないマニアックな内容にも関わらず、比較的安い定価がついていることに驚愕し、即買いしたことを覚えている。すぐに書店の本棚から消えてしまうかと思いきや、意外に生き延び、今も並び続けている。
絵描きばかりでなく、鑑賞者や研究者にとっても貴重な資料になっているのだろう。
続けて白描画の参考資料を紹介してみよう。
●「図解・別尊曼荼羅―密教図像を読む」小峰弥彦, 高橋尚夫 著
曼荼羅といえば、一般には真言密教の金剛・胎蔵両界曼荼羅が有名で、前回の「曼荼羅図典」もその二大曼荼羅を描くための資料だ。
曼荼羅には他にも「用途別」に様々な種類があって、この「図解・別尊曼荼羅」には日本に伝えられてきた両界以外の曼荼羅が収録されている。図版は鮮明な白描画で、描かれたそれぞれの仏尊名も明記、元になった経典の記述も豊富に引用されており、出典も明確。
痒いところに手が届くような編集は、絵描きにとって本当にありがたい。
この本が発行されて書店に並んだ時、到底売れそうもないマニアックな内容にも関わらず、比較的安い定価がついていることに驚愕し、即買いしたことを覚えている。すぐに書店の本棚から消えてしまうかと思いきや、意外に生き延び、今も並び続けている。
絵描きばかりでなく、鑑賞者や研究者にとっても貴重な資料になっているのだろう。
2006年05月13日
神仏絵図常用資料3
●「図説仏像集成―図像抄による」大法輪編集部
白描画の資料としては前々回の「曼荼羅図典」が最強なのだが、なにぶん大型本で価格も高く、誰にでも手が出せるというものではない。そこで一般に知られた仏尊のみをまとめてあるのがこの一冊。
実は前出の「曼荼羅図典」には、一般には親しまれているものの、経典に準じていない神仏の姿形は収録されていなかったりする。あくまで大曼荼羅を描くための資料なので仕方がない面もあるが、意外に有名な図像が抜けていたりするのだ。
この「図説仏像集成」はその穴を補完するのに大変便利し、曼荼羅に踏み込まず、単独の仏画を志すならば、まずはこの一冊だけで十分事足りる。文字による解説も詳細で、出典も明記してある。仏尊の姿形にはそれぞれ意味があるので、きっちりそれを解説してあるのはありがたい。
●「仏像さしえ集―複写・転載自由自在」国書刊行会
こちらは仏尊・神々・祖師・仏具等の、伝統的に使用されてきた図像のみをただひたすら集積した一冊。文字による解説は一切ないものの、名前は明記してあるので他の資料にあたれば問題無い。
図像はやや鮮明さに欠けるものの、とにかく収録されている種類が豊富で、眺めているだけで様々な発見をしたり、インスピレーションが湧いてきたりする。他の資料に載っていないマイナーな神仏の図像が収録されているので、使える一冊だ。続きを読む
神仏絵図常用資料4
神仏絵図常用資料1〜3では、主に仏教における「キャラクター」である仏尊の白描画資料について紹介してきた。
今回は仏教の「背景」にあたる宇宙観についての参考資料を紹介。
●「須弥山と極楽―仏教の宇宙観」定方 晟(講談社現代新書)
仏教の宇宙観は、現代科学の宇宙観とは全く違っている。当ブログの「仏教への読み替え1 須弥山宇宙」でも軽く紹介したけれども、一見荒唐無稽な宇宙の捉え方だ。しかし、こうした宇宙観は「実証」は基にしていないけれども、考案された当時の最新の知識や論理の積み重ねから組み立てられたものであって、人間の精神の構造と読み替えれば、今なお価値を保っていると思う。
この本では、須弥山・地獄・極楽など、仏教の宇宙観についてそれぞれの構造・位置・大きさを、数々の図版とともにわかりやすく解説してある。
価格が安く、入手もきわめて容易なのでお勧めの一冊。
今回は仏教の「背景」にあたる宇宙観についての参考資料を紹介。
●「須弥山と極楽―仏教の宇宙観」定方 晟(講談社現代新書)
仏教の宇宙観は、現代科学の宇宙観とは全く違っている。当ブログの「仏教への読み替え1 須弥山宇宙」でも軽く紹介したけれども、一見荒唐無稽な宇宙の捉え方だ。しかし、こうした宇宙観は「実証」は基にしていないけれども、考案された当時の最新の知識や論理の積み重ねから組み立てられたものであって、人間の精神の構造と読み替えれば、今なお価値を保っていると思う。
この本では、須弥山・地獄・極楽など、仏教の宇宙観についてそれぞれの構造・位置・大きさを、数々の図版とともにわかりやすく解説してある。
価格が安く、入手もきわめて容易なのでお勧めの一冊。
2006年05月14日
中春こまわり君
カテゴリ「大黒」次回更新分の絵を描き続ける日々。毎日少しずつ少しずつ、そろそろゴールが見えて来たか?
続きを出せない間を利用し、ブログの内容の幅を広げる。
気がついてみれば早五ヶ月目、いい感じで雑多な縁日の風景が出来上がりつつある気がする。
話は全く変わるが、前号の「ビッグコミック」から連続三回の短期連載で、山上たつひこ「中春こまわり君」が掲載されている。現在第二回目。
タイトルから一目瞭然だが、70年代の名作ギャグマンガ「がきデカ」の復活だ。(二年前にも一度復活しているそうなのだが、その作品は見逃してしまった)
こまわり君は40才、会社勤めの営業マンで、妻子とともにごく普通に暮らしている模様。西城君は同僚の営業マンで、桃ちゃんと結婚している。
今回のこまわり君は、抑制のかかった不思議な包容力を持っている。40才のこまわり君は、小学生時代のこまわり君がたまに変身していた「バーコード頭のすけべおやじ」ではなく、オールバックの髪型に、身なりもきちんとした勤め人の風情だ。(プロポーションはあのままだけど)
感情的にも安定し、たまに往年の狂気のギャグを見せてくれるが、それはもはや古典芸能の域で、懐かしい風景を見るように安心できるが、70年代の熱狂はもう無い。祭りはとっくに終わっているのだから、それは当たり前のことだ。
続きを読む
続きを出せない間を利用し、ブログの内容の幅を広げる。
気がついてみれば早五ヶ月目、いい感じで雑多な縁日の風景が出来上がりつつある気がする。
話は全く変わるが、前号の「ビッグコミック」から連続三回の短期連載で、山上たつひこ「中春こまわり君」が掲載されている。現在第二回目。
タイトルから一目瞭然だが、70年代の名作ギャグマンガ「がきデカ」の復活だ。(二年前にも一度復活しているそうなのだが、その作品は見逃してしまった)
こまわり君は40才、会社勤めの営業マンで、妻子とともにごく普通に暮らしている模様。西城君は同僚の営業マンで、桃ちゃんと結婚している。
今回のこまわり君は、抑制のかかった不思議な包容力を持っている。40才のこまわり君は、小学生時代のこまわり君がたまに変身していた「バーコード頭のすけべおやじ」ではなく、オールバックの髪型に、身なりもきちんとした勤め人の風情だ。(プロポーションはあのままだけど)
感情的にも安定し、たまに往年の狂気のギャグを見せてくれるが、それはもはや古典芸能の域で、懐かしい風景を見るように安心できるが、70年代の熱狂はもう無い。祭りはとっくに終わっているのだから、それは当たり前のことだ。
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2006年05月15日
2006年05月19日
仏教への読み替え3 大聖歓喜天
インド神話におけるシヴァの息子・ガネーシャは、仏教に読み替えられて「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」となった。単に「歓喜天」とも表記し、日本では一般に「聖天(しょうてん)さま」として親しまれている。ガネーシャの象頭人身の姿、基本的な性格はそのまま踏襲されているが、やや受け止め方に違いもある。
仏教の歓喜天は、強力な現世利益を約束する引き換えに、真剣な修法によらなければ災いをなす恐ろしさを秘めた神でもある。これは他の天部にも共通する性格であるが、中でも歓喜天はその要素が強いとされている。要注意。
現代インドのガネーシャは、温和で知略に富んだ神、現世利益、商売繁盛の神として、幅広く信仰されている。しかし、そもそもは魔物の王をルーツに持つ神であり、仏教の歓喜天はやや先祖返りした印象を受ける。これには仏教の歓喜天を信仰している中国人や日本人と、ガネーシャを信仰するインド人の感性の違いも関係しているかもしれない。象頭人身の姿は、象に親しみのあるインドと、長く親しみの無かった中国・日本では「異形性」の受け止め方に違いが出たのではないか。
歓喜天には次のような神話も残されている。
むかし、魔物の王がいた。慈悲の心からその悪業を止めようとした十一面観音は、婦女の姿に化身して王の前に現れた。王は婦女に情愛の念を起こしたが、一旦は拒否された。婦女は王に「仏の教えを受けた私に触れたいと願うなら、未来永劫仏教を守護し、修行者を守護し、悪業を積まないことを誓ってください」と告げた。王は約束し、婦女は喜んで王を抱いた。
この神話を表現した双身歓喜天像も、多く作られている。
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仏教の歓喜天は、強力な現世利益を約束する引き換えに、真剣な修法によらなければ災いをなす恐ろしさを秘めた神でもある。これは他の天部にも共通する性格であるが、中でも歓喜天はその要素が強いとされている。要注意。
現代インドのガネーシャは、温和で知略に富んだ神、現世利益、商売繁盛の神として、幅広く信仰されている。しかし、そもそもは魔物の王をルーツに持つ神であり、仏教の歓喜天はやや先祖返りした印象を受ける。これには仏教の歓喜天を信仰している中国人や日本人と、ガネーシャを信仰するインド人の感性の違いも関係しているかもしれない。象頭人身の姿は、象に親しみのあるインドと、長く親しみの無かった中国・日本では「異形性」の受け止め方に違いが出たのではないか。
歓喜天には次のような神話も残されている。
むかし、魔物の王がいた。慈悲の心からその悪業を止めようとした十一面観音は、婦女の姿に化身して王の前に現れた。王は婦女に情愛の念を起こしたが、一旦は拒否された。婦女は王に「仏の教えを受けた私に触れたいと願うなら、未来永劫仏教を守護し、修行者を守護し、悪業を積まないことを誓ってください」と告げた。王は約束し、婦女は喜んで王を抱いた。
この神話を表現した双身歓喜天像も、多く作られている。
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