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2006年05月20日

HALKO

 ここ数年、縁あってHALKO(桑名晴子)さんのライブに足を運んできた。
 とある小さな海岸の屋外ステージや、演奏者にほとんど手が届くほどのライブ会場で、年に何度か彼女の歌声を聞いてきた。
 ライブのはじまりは、そっと弦を爪弾き、囁きから徐々に発声へ。やがて空気がビリビリ震えるような、豊かな「声の物質化現象」へと。
 自分の声が空間にどう響き、聴き手にどう響いているか、彼女はその場の全てを我が物として巻き込むことが出来る。
 歌をうたう、音を奏でるという事が、ごく自然に体に組み込まれたような、構えのない自由自在の音遊びを体現している人だ。歌い手としての長いキャリアが確かに彼女に生きている。

 先頃、彼女の新しいCD「One」が発売された。
 ライブ活動はますます旺盛だ。

 今回のCDは、ここ数年の彼女のライブ活動の雰囲気をよく伝える一枚に仕上がっている。よく知られた「桑名晴子」名義の、以前の楽曲とは印象が違うかもしれない。

 「神仏与太話」を標榜する当ブログ「縁日草子」的には、三曲目の「イヨマンテ ウポポ」を取り上げておきたい。タイトル通り、アイヌの神に祈る儀式をテーマにした曲で、ライブでもよくうたわれている。

 ホイヤアア・・・
 ホイヤホ・・・オホホイ・・・オホホイヤ・・・

 焚き火の横の語り部のような、何かを思い出すような、何かを呼び出すような静かな出だし。
 徐々に激しさを増す発声、鼓動のようなリズム。

 アラサアホ ホイヤ・・・
 イヤハホ ホイヤ・・・
 ホイヤアホ・・・
 ホイヤアホ・・・

 やがて言霊が宿ったように、大和言葉も飛び出してくる。
 ふと、宣る言の葉。
 フトノリトゴト。

 こういう音、声には、どうしようもなく魂を揺さぶられ、馬鹿みたいに感動してしまうものだ。とくにライブで一緒になって声を出していると。
posted by 九郎 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

「東寺密教図像の世界」展

 数日前、京都の東寺(教王護国寺)宝物館で開催中の、「東寺密教図像の世界」展に行ってきた。(五月二十五日まで開催)
 東寺は高野山とともに真言密教を代表するお寺。「密教テーマパーク」とも言うべき仏像や建築物の数々が楽しめる上、宝物館では過去にも様々な興味深い展示が催されてきた。今回は貴重な密教白描図像が生で見られる展示で、独学の神仏絵描きには数少ないチャンスだ。
 出来る限り入場者数の少なそうな時間帯を選んで足を運ぶ。私が足を運んだのは雨天の朝一、狙い通りわずか数人の入場者だった。ガラス越しとは言え、素晴らしい資料の数々を、思うがままの独り占めで観察、心行くまで堪能する。展示点数こそ少なかったが、いずれ劣らぬ超一級の名品ばかり。
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posted by 九郎 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

田んぼ

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 そろそろ田植えの季節になった。
 子供の頃、家の周りには田んぼがたくさんあった。だから春夏秋冬、田んぼの風景とともに育ったと言って良い。
 田植え前にはレンゲが咲き、カラスノエンドウが繁茂する。レンゲの花びらだけをそっと抜き取って、メシベを口に含むとほんのり甘い香りが広がる。
 田植え後しばらくするとカブトエビを捕まえ、名前も知らない不思議な半透明のエビを捕まえた。畦道ではテントウムシ、バッタ。それからイトトンボ。最近全く見かけないが、あの精密で美しいムシは、今でもどこかにいるのだろうか。
 田んぼの動植物は、どこか世界のミニチュアみたいな雰囲気で、眺めていてぜんぜん飽きなかった。

 田んぼを眺めて育ったせいか、私の季節感は田んぼが規準になっている。
 現在住んでいるのは都市部だが、何箇所か水田地帯も残っている。別に農作業とは何の関わりも無いのだが「行き着け」の田んぼがあって、勝手に眺めては和んでいる。
 最近「行き着け」に出かけてみると、まだ田おこしすらしておらず、代わりにレンゲが咲き乱れていた。どうやら今年も休耕のようだ。ここ二年ほど休耕が続いている。
 それはそれで季節の草花を楽しめるのでいいのだけれど、やっぱり水田も眺めたいので、他の何箇所かをチェックしておこう。
posted by 九郎 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

神仏絵図と著作権

 ここ数日、さる著名画家の盗作疑惑の報道が相次いでいる。
 ニュースで当の画家の作品と、元になったとされる海外画家の作品の比較が数例ほど行われていた。
 絵描きのはしくれの目から見ても、このケースは「真っ黒」だ。おまけに報道によれば、盗作疑惑画家は海外画家のアトリエに訪れ、熱心に作品の写真を撮り、疑惑発覚後は海外画家に「訴えないでほしい」と申し込んだとか。
 疑惑画家がNHKに寄せたコメントでは、ピカソを引き合いにだして自己弁護をしていた。正直、恥ずかしい真似はいい加減にしてもらいたい。

 はしくれではあるが、私もネットで自作絵を公開している絵描きの一人。この際だから神仏絵図と著作権について考えてみよう。

 神仏絵、特に仏画では「写仏」と言って、お手本をそのまま写すことが一般的だ。お手本を「見て写す」どころか、お手本を下敷きにして「トレース」する。
 「写仏」でなくとも、出来る限り決まりごとに忠実に描くことがセオリーとされている。(だから私の神仏絵は、我流&邪道に分類されるだろう)
 仏様の容貌、衣服、持物にはそれぞれ意味がある。それは遥か昔から受け継がれてきたものなので、セオリーに則った仏像・仏画には意匠的な著作権の考え方は馴染みにくい。

 とは言え、現代の仏画絵師にも当然ながら著作権はある。作品を勝手に他人が使用したりすることは許されないし、作品にオリジナルな要素があれば、それは画家の権利として主張され得るだろう。

 現在の私の認識では、

・伝統的な神仏の姿や設定、古典的作品は、自由に引用することが出来る。
 (トレース可)
・現代の画家の作品は、そのオリジナルな要素はパクってはならない。
 (トレース不可)

 こんなところか。
 この問題については、今後も勉強して行きたいと思っている。
posted by 九郎 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする