インド神話におけるシヴァの息子・ガネーシャは、仏教に読み替えられて「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」となった。単に「歓喜天」とも表記し、日本では一般に「聖天(しょうてん)さま」として親しまれている。ガネーシャの象頭人身の姿、基本的な性格はそのまま踏襲されているが、やや受け止め方に違いもある。
仏教の歓喜天は、強力な現世利益を約束する引き換えに、真剣な修法によらなければ災いをなす恐ろしさを秘めた神でもある。これは他の天部にも共通する性格であるが、中でも歓喜天はその要素が強いとされている。要注意。
現代インドのガネーシャは、温和で知略に富んだ神、現世利益、商売繁盛の神として、幅広く信仰されている。しかし、そもそもは魔物の王をルーツに持つ神であり、仏教の歓喜天はやや先祖返りした印象を受ける。これには仏教の歓喜天を信仰している中国人や日本人と、ガネーシャを信仰するインド人の感性の違いも関係しているかもしれない。象頭人身の姿は、象に親しみのあるインドと、長く親しみの無かった中国・日本では「異形性」の受け止め方に違いが出たのではないか。
歓喜天には次のような神話も残されている。
むかし、魔物の王がいた。慈悲の心からその悪業を止めようとした十一面観音は、婦女の姿に化身して王の前に現れた。王は婦女に情愛の念を起こしたが、一旦は拒否された。婦女は王に「仏の教えを受けた私に触れたいと願うなら、未来永劫仏教を守護し、修行者を守護し、悪業を積まないことを誓ってください」と告げた。王は約束し、婦女は喜んで王を抱いた。
この神話を表現した双身歓喜天像も、多く作られている。
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