【ロゴ画像変更】
季節もので七夕テーマの画像です。
七夕伝説のいくつかのバージョンでは、織女と牽牛を隔てる天の川に、カササギ達が自ら連なって橋を架けるエピソードがあるそうです。
前回の「お不動様」が暑苦しかった(笑)ので、今回は涼しさを心がけてみました。
【七月の予定】
なんとか六月中にカテゴリ「大黒」をカタリ終わりたかったのですが、間に合いませんでした。予定記事数はあと二つ。現在残りの絵も鋭意執筆中なので、近々発表できると思います。
七月前半は少し忙しくなるので、新カテゴリはしばらくお預け。大黒の残りや参考図書紹介や折々の日記など、ゆったりペースで進めて行きます。
今後ともお付き合いをよろしくお願いしますm(_ _)m
2006年07月01日
2006年07月02日
インド神話参考図書
インド神話は物語、図像ともに本当に面白い。
仏教図像を描く時にも参考になることが多い。仏尊の服装を理解するにはやはりインドの図像が分かり易いし、密教図像はインドの雰囲気を濃厚に残している。特に天部の神々の発祥を知るには、インド神話は避けて通れない。
と言うことで、この二冊。
●「インド神話―マハーバーラタの神々」上村勝彦著(ちくま学芸文庫)
ネットは便利なもので、ちょっと知りたいと思ったことを検索すれば、数限りない情報がヒットする。知りたいことのアウトラインを知るには何の苦労も要らない時代になった。
しかしネットの情報は玉石混交。ソースが明らかでない不確かなものも多い。「神仏与太話」を公言する当ブログなどは、不確かな情報の最たるものだ(笑)
より確かな情報を得るためには、やはり書籍をひもとくのが一番。ある程度評価の定まった信頼感のある本には目を通しておきたい。
インド神話というテーマなら、この「インド神話―マハーバーラタの神々」が参考になった。各神話の出典が明記してあり、白黒だが写真も豊富。文章も平易で、私のような素人にも大変分かりやすく、面白い。文庫本なので価格も安く、入手も容易。
まったくいいことずくめの素晴らしい一冊。
●「インド神話入門」長谷川明著 (とんぼの本)
インド神話と言えば、多くの人はインド雑貨店等で売られている派手な色彩のポストカードを思い浮かべるのではないだろうか?
私はあのポストカードの雰囲気が大好きで、表現手法としても影響を受けている。伝統的な図像の約束事を踏まえつつ、写実やイラスト的表現をミックスして俗っぽさも敢えて辞さず。日本の泥絵の具で書いた看板絵にも通じるあのテイスト。(実は私は昔、アルバイトで映画館の看板描きをやっていたのだが、その話はまた後日…)
この本には、誰もが思い浮かべるインド雑貨の神話絵がカラーで多数収録されており、主要な神々の図像的特徴を確認することが出来る。
また、序にあたる「大衆宗教画の成立」では、現代インド雑貨の「あの絵柄」の源流となった一人のインド人画家が紹介されている。写実と立体表現を宗教画に導入し、印刷技術によって大衆に安価な神像を広めた創始者にあたる画家の物語で、非常に面白い。「あの絵柄」は、この一人の画家の切り開いた地平に、映画ポスターの通俗性をミックスした結果出来上がったものだと言う。
当ブログ「縁日草子」で発表する自作絵は、だいたいポストカード大を意識して表示させている。実はそれは、愛すべきインドの大衆宗教画へのオマージュの意味もあったりするのだ。
仏教図像を描く時にも参考になることが多い。仏尊の服装を理解するにはやはりインドの図像が分かり易いし、密教図像はインドの雰囲気を濃厚に残している。特に天部の神々の発祥を知るには、インド神話は避けて通れない。
と言うことで、この二冊。
●「インド神話―マハーバーラタの神々」上村勝彦著(ちくま学芸文庫)
ネットは便利なもので、ちょっと知りたいと思ったことを検索すれば、数限りない情報がヒットする。知りたいことのアウトラインを知るには何の苦労も要らない時代になった。
しかしネットの情報は玉石混交。ソースが明らかでない不確かなものも多い。「神仏与太話」を公言する当ブログなどは、不確かな情報の最たるものだ(笑)
より確かな情報を得るためには、やはり書籍をひもとくのが一番。ある程度評価の定まった信頼感のある本には目を通しておきたい。
インド神話というテーマなら、この「インド神話―マハーバーラタの神々」が参考になった。各神話の出典が明記してあり、白黒だが写真も豊富。文章も平易で、私のような素人にも大変分かりやすく、面白い。文庫本なので価格も安く、入手も容易。
まったくいいことずくめの素晴らしい一冊。
●「インド神話入門」長谷川明著 (とんぼの本)
インド神話と言えば、多くの人はインド雑貨店等で売られている派手な色彩のポストカードを思い浮かべるのではないだろうか?
私はあのポストカードの雰囲気が大好きで、表現手法としても影響を受けている。伝統的な図像の約束事を踏まえつつ、写実やイラスト的表現をミックスして俗っぽさも敢えて辞さず。日本の泥絵の具で書いた看板絵にも通じるあのテイスト。(実は私は昔、アルバイトで映画館の看板描きをやっていたのだが、その話はまた後日…)
この本には、誰もが思い浮かべるインド雑貨の神話絵がカラーで多数収録されており、主要な神々の図像的特徴を確認することが出来る。
また、序にあたる「大衆宗教画の成立」では、現代インド雑貨の「あの絵柄」の源流となった一人のインド人画家が紹介されている。写実と立体表現を宗教画に導入し、印刷技術によって大衆に安価な神像を広めた創始者にあたる画家の物語で、非常に面白い。「あの絵柄」は、この一人の画家の切り開いた地平に、映画ポスターの通俗性をミックスした結果出来上がったものだと言う。
当ブログ「縁日草子」で発表する自作絵は、だいたいポストカード大を意識して表示させている。実はそれは、愛すべきインドの大衆宗教画へのオマージュの意味もあったりするのだ。
2006年07月03日
泥田
田植えの季節から一ヶ月あまりが過ぎた。
うちの近所の水田のいくつかをチェック。田んぼの風景を眺めるための今年の「行き着け」も決まった。苗はしっかりと根を下ろし、水田の生き物達も何処からともなく湧いて来て、賑やかになってきた。
私が子供の頃から好きだった水田の生き物は、下図の二種。
下は言わずと知れたカブトエビ。「生きた化石」のカブトガニとよく似た姿で、カブトエビ自身も数億年の昔から同じような姿で生き抜いてきたという。活発に動き回る生物だが小魚ほど俊敏ではなく、畦道から手を伸ばせばすぐに捕れるので、子供の頃よく捕まえて遊んだ。
透明のプラスチックケースに入れて眺めると、カブトの下の足が波打つように動いて、元気良く水の中を泳ぎ回るので、見ていて飽きない。
上はホウネンエビと言う種類で、半透明の姿、飛び出た二つの目、緑色の足がリズミカルに波打ち、天地逆様に泳ぐ姿がなんとも不思議で、なんだか宇宙の生き物のような感じがしていた。
プラスチックケースに何匹かのカブトエビやホウネンエビ、タニシなどをいれ、田んぼの泥を少しだけもらって沈めて、水草などを入れてみると、ケースの中は小さな世界のようになったのを覚えている。
小学生当時の私は子供向けの古生物図鑑にハマっていて、その図鑑の最初の方のページの、太古の海の見開き絵みたいな情景が、自分の手元のプラスチックケースに再現されていることが、たまらなく面白かった。
そう言えば子供の頃、ケースの中のタニシの動きを眺めていて、驚いた記憶がある。
タニシは水底だけでなく、透明の壁をじわじわと登ったりして、水面にどんどん近づいていく。水面に到達したらどうするのかとどきどきしながら見ていると、なんとそのタニシは、水面を突ききらずに水面の「裏」を、逆様になって浮ぶように歩き始めたのだ!
単に逆になって浮んでいるのでは無い証拠に、「足」の裏の歩いているときに出る「波模様」がちゃんと動いてじわじわ前進しており、そのままほぼ直進してケースの反対側の壁にちゃんと到達したのだ!
近所の田んぼでも、子供達が手を伸ばして何かを捕まえている風景をよく目にする。きっとあの子達も大人になってから、その風景を懐かしく思い出したりするのだろう…
うちの近所の水田のいくつかをチェック。田んぼの風景を眺めるための今年の「行き着け」も決まった。苗はしっかりと根を下ろし、水田の生き物達も何処からともなく湧いて来て、賑やかになってきた。
私が子供の頃から好きだった水田の生き物は、下図の二種。
下は言わずと知れたカブトエビ。「生きた化石」のカブトガニとよく似た姿で、カブトエビ自身も数億年の昔から同じような姿で生き抜いてきたという。活発に動き回る生物だが小魚ほど俊敏ではなく、畦道から手を伸ばせばすぐに捕れるので、子供の頃よく捕まえて遊んだ。
透明のプラスチックケースに入れて眺めると、カブトの下の足が波打つように動いて、元気良く水の中を泳ぎ回るので、見ていて飽きない。
上はホウネンエビと言う種類で、半透明の姿、飛び出た二つの目、緑色の足がリズミカルに波打ち、天地逆様に泳ぐ姿がなんとも不思議で、なんだか宇宙の生き物のような感じがしていた。
プラスチックケースに何匹かのカブトエビやホウネンエビ、タニシなどをいれ、田んぼの泥を少しだけもらって沈めて、水草などを入れてみると、ケースの中は小さな世界のようになったのを覚えている。
小学生当時の私は子供向けの古生物図鑑にハマっていて、その図鑑の最初の方のページの、太古の海の見開き絵みたいな情景が、自分の手元のプラスチックケースに再現されていることが、たまらなく面白かった。
そう言えば子供の頃、ケースの中のタニシの動きを眺めていて、驚いた記憶がある。
タニシは水底だけでなく、透明の壁をじわじわと登ったりして、水面にどんどん近づいていく。水面に到達したらどうするのかとどきどきしながら見ていると、なんとそのタニシは、水面を突ききらずに水面の「裏」を、逆様になって浮ぶように歩き始めたのだ!
単に逆になって浮んでいるのでは無い証拠に、「足」の裏の歩いているときに出る「波模様」がちゃんと動いてじわじわ前進しており、そのままほぼ直進してケースの反対側の壁にちゃんと到達したのだ!
近所の田んぼでも、子供達が手を伸ばして何かを捕まえている風景をよく目にする。きっとあの子達も大人になってから、その風景を懐かしく思い出したりするのだろう…
2006年07月07日
岡本太郎「明日の神話」TV公開
本日ただいま、岡本太郎の幻の大作「明日の神話」が、TVで公開されるようだ。
岡本太郎については個人的に思い入れもあり、色々語りたいこともあるのだが、取り急ぎ文字にしてアップしておく。
もしちょうど今、この記事を見かけた人は、TVのスイッチを入れることをお勧めします・・・
岡本太郎については個人的に思い入れもあり、色々語りたいこともあるのだが、取り急ぎ文字にしてアップしておく。
もしちょうど今、この記事を見かけた人は、TVのスイッチを入れることをお勧めします・・・
紙(カミ)
7月7日。台風が沖縄に接近し、全国的に雨模様。
七夕ではあるが、星を眺める雰囲気ではない。
もっとも、私の住む都市部の夜空は、天の川を眺めるには明るすぎるのだが。
ふと思い立って、子供の頃に七夕飾りで作った「天の川」をもう一度やってみたくなった。
【作り方】
@折紙(薄い紙なら何でも良い。コピー用紙は厚い)を用意する。
Aいわゆる「屏風折り」にする。
B鋏で左右から互い違いに切り込みを入れる。
切り込みは深いほど良く、間隔は狭いほど良い。
C丁寧に広げ、縦に伸ばして完成。
伸ばす時の気持ち良さ、網目模様のリズム感が、子供の頃はじめて作った時の感激をよみがえらせてくれる。
作ってみると「これ、同じ仕組みで色々出来んかな?」と思いついた。
【作り方】
@折紙を四分の一の四角、さらにその半分の三角形に折る。
A左右から互い違いに切り込みを入れる。
B〜C丁寧に広げてみる。
作る前にはどんな形になるのか見当もつかなかったが、完成してみると、クラゲのような、御幣のような、不思議な立体が出来上がった。
紙を折る
紙を切る
紙を組む
日本には紙を使った造形がたくさん伝えられている。
どれも基本原理は簡単で、技術的には誰にでも習得できるものだ。
紙の造形は本当に面白く、私も色々ハマって楽しんできた。
カテゴリ「紙(カミ)」では、そういうアレコレや参考図書を紹介して行きたい。
七夕の夜に、思いつきで新カテゴリを。
七夕ではあるが、星を眺める雰囲気ではない。
もっとも、私の住む都市部の夜空は、天の川を眺めるには明るすぎるのだが。
ふと思い立って、子供の頃に七夕飾りで作った「天の川」をもう一度やってみたくなった。
【作り方】
@折紙(薄い紙なら何でも良い。コピー用紙は厚い)を用意する。
Aいわゆる「屏風折り」にする。
B鋏で左右から互い違いに切り込みを入れる。
切り込みは深いほど良く、間隔は狭いほど良い。
C丁寧に広げ、縦に伸ばして完成。
伸ばす時の気持ち良さ、網目模様のリズム感が、子供の頃はじめて作った時の感激をよみがえらせてくれる。
作ってみると「これ、同じ仕組みで色々出来んかな?」と思いついた。
【作り方】
@折紙を四分の一の四角、さらにその半分の三角形に折る。
A左右から互い違いに切り込みを入れる。
B〜C丁寧に広げてみる。
作る前にはどんな形になるのか見当もつかなかったが、完成してみると、クラゲのような、御幣のような、不思議な立体が出来上がった。
紙を折る
紙を切る
紙を組む
日本には紙を使った造形がたくさん伝えられている。
どれも基本原理は簡単で、技術的には誰にでも習得できるものだ。
紙の造形は本当に面白く、私も色々ハマって楽しんできた。
カテゴリ「紙(カミ)」では、そういうアレコレや参考図書を紹介して行きたい。
七夕の夜に、思いつきで新カテゴリを。
2006年07月08日
太陽の塔
昨夜の岡本太郎テーマのTV番組は、なかなか気合の入ったつくりで面白かった。幻の大作「明日の神話」は現物を見てみたいなあ・・・
番組を見てから大阪万博公園の現地で、太郎のもう一つの代表作「太陽の塔」を撮影したことがあると思い出した。手持ちの写真の中から何枚か紹介してみよう。
まず、一般の「太陽の塔」のイメージと言えば、正面からの遠景だろう。写真や、お土産の小型模型でお馴染みの姿だ。
もちろんこの姿だけでも物凄いインパクトがある。しかし私が思うに「太陽の塔」の真価は、現地に行って作品の足元から見上げた時にある。
眺める位置や角度によって、立体の面の重なり具合は刻々と変化し、何処から見てもカッコいい。
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番組を見てから大阪万博公園の現地で、太郎のもう一つの代表作「太陽の塔」を撮影したことがあると思い出した。手持ちの写真の中から何枚か紹介してみよう。
まず、一般の「太陽の塔」のイメージと言えば、正面からの遠景だろう。写真や、お土産の小型模型でお馴染みの姿だ。
もちろんこの姿だけでも物凄いインパクトがある。しかし私が思うに「太陽の塔」の真価は、現地に行って作品の足元から見上げた時にある。
眺める位置や角度によって、立体の面の重なり具合は刻々と変化し、何処から見てもカッコいい。
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2006年07月11日
カテゴリ「沖縄」参考図書
沖縄を語る上で、以下に紹介する岡本太郎の本は、どうしてもはずせない。
●「沖縄文化論―忘れられた日本」
沖縄論の古典とも言うべき必読書。中公文庫に収録されており、価格も安く入手も容易。初版の刊行は1961年であり、内容の大半は復帰前の沖縄の生々しい現地レポートだ。
名フレーズ「芸術は爆発だ!」をはじめとする、一時期のTVパフォーマンスの影響か、岡本太郎は「おかしなゲイジュツ家」の代表のようなイメージがある。しかし一度でも著作を読んでみれば、そのイメージは一変する。
岡本太郎のモノを観る視点は、限りなく知的で醒めており、表現は的確だ。生粋の日本人でありながら、日本を突き放しつつ、誰もが忘れ去ってしまった日本の古層に横たわる美を抉り出す。
縄文土器の美を世界中で最初に見出したのは岡本太郎であったし、沖縄についても戦後最初の紹介者にあたるのではないだろうか。沖縄に対する視点、分析は、とても60年代初頭に書かれたとは思えぬほどに新しい。
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●「沖縄文化論―忘れられた日本」
沖縄論の古典とも言うべき必読書。中公文庫に収録されており、価格も安く入手も容易。初版の刊行は1961年であり、内容の大半は復帰前の沖縄の生々しい現地レポートだ。
名フレーズ「芸術は爆発だ!」をはじめとする、一時期のTVパフォーマンスの影響か、岡本太郎は「おかしなゲイジュツ家」の代表のようなイメージがある。しかし一度でも著作を読んでみれば、そのイメージは一変する。
岡本太郎のモノを観る視点は、限りなく知的で醒めており、表現は的確だ。生粋の日本人でありながら、日本を突き放しつつ、誰もが忘れ去ってしまった日本の古層に横たわる美を抉り出す。
縄文土器の美を世界中で最初に見出したのは岡本太郎であったし、沖縄についても戦後最初の紹介者にあたるのではないだろうか。沖縄に対する視点、分析は、とても60年代初頭に書かれたとは思えぬほどに新しい。
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2006年07月13日
カテゴリ「沖縄」参考図書2
繰り返し書くが、当ブログは「神仏与太話」だ。虚実混交した神様仏様のあれこれを、思いつくままに絵と文章でカタルことを目的とする。だから基本的にはシリアスな政治ネタは扱うことは無いのだが、「基地の島」沖縄の現実は、沖縄に好意を寄せるものとして少しずつでも勉強したいと思っている。
今回は何かとお騒がせの語り手、小林よしのりの一冊を紹介したい。
●新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論
全400ページ。
小林よしのりという個性的な語り手に賛否はあれども、渾身の一冊であることは誰もが認めることだろう。連載をこなしながら資料をあたり、現地沖縄に何度も足を運び、人と会い、縁ある土地を訪れる。はじめはリゾート気分だった沖縄に、売れっ子漫画家が「お仕事」の範囲を超えてのめりこみ、感情移入して行く様。それはそのまま作品の中に反映され、異様な迫力の「語り」が展開されている。
基地の問題を軸に、沖縄の現状や歴史・人物・信仰にいたるまで、縦横無尽に語り尽くしている。とくにコザ騒動や瀬長亀次郎については相当なページ数を割いており、読み応えがある。踏みつけられっぱなしの民衆が、ほんの一時だけでも巨大な力を持った相手に勝利するエピソードは、やっぱり理屈抜きで感動する。
本土人でありながら沖縄に首を突っ込み、多く語ってきた小林よしのりが、ふと不安を覚えてユタの女性に会いに行くラストシーンは興味深かった。ユタの女性によると、最近、霊感の強い女性が都市部に生まれるようになってきたと言う。裏づけが取れるなら面白い話だ。
今回は何かとお騒がせの語り手、小林よしのりの一冊を紹介したい。
●新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論
全400ページ。
小林よしのりという個性的な語り手に賛否はあれども、渾身の一冊であることは誰もが認めることだろう。連載をこなしながら資料をあたり、現地沖縄に何度も足を運び、人と会い、縁ある土地を訪れる。はじめはリゾート気分だった沖縄に、売れっ子漫画家が「お仕事」の範囲を超えてのめりこみ、感情移入して行く様。それはそのまま作品の中に反映され、異様な迫力の「語り」が展開されている。
基地の問題を軸に、沖縄の現状や歴史・人物・信仰にいたるまで、縦横無尽に語り尽くしている。とくにコザ騒動や瀬長亀次郎については相当なページ数を割いており、読み応えがある。踏みつけられっぱなしの民衆が、ほんの一時だけでも巨大な力を持った相手に勝利するエピソードは、やっぱり理屈抜きで感動する。
本土人でありながら沖縄に首を突っ込み、多く語ってきた小林よしのりが、ふと不安を覚えてユタの女性に会いに行くラストシーンは興味深かった。ユタの女性によると、最近、霊感の強い女性が都市部に生まれるようになってきたと言う。裏づけが取れるなら面白い話だ。
2006年07月14日
カテゴリ「沖縄」参考図書3
これまで岡本太郎、小林よしのりと、本土人から見た沖縄論を紹介してきたが、今度は沖縄人自身による沖縄論を二冊紹介してみよう。
●「沖縄 時間がゆったり流れる島」宮里千里(光文社新書)
とても楽しい本だ。
本土人が思う沖縄の「不思議」を巧みにすくい上げ、沖縄愛に溢れるユーモラスな語り口で一つ一つ解き明かしていく。
・沖縄の新聞には何故「死亡広告」が満載なのか?
・沖縄には何故「並ぶ文化」が存在しないのか?
・沖縄の結婚披露宴は台風直撃の方が出席率が高い?
などなど。
何度も笑いながら読み進めるうちに、本土人である私の方まで愛すべき沖縄の皆さんに「身内意識」のようなものを抱いてしまう一冊だ。
笑いばかりでなく、感動的な部分もある。
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●「沖縄 時間がゆったり流れる島」宮里千里(光文社新書)
とても楽しい本だ。
本土人が思う沖縄の「不思議」を巧みにすくい上げ、沖縄愛に溢れるユーモラスな語り口で一つ一つ解き明かしていく。
・沖縄の新聞には何故「死亡広告」が満載なのか?
・沖縄には何故「並ぶ文化」が存在しないのか?
・沖縄の結婚披露宴は台風直撃の方が出席率が高い?
などなど。
何度も笑いながら読み進めるうちに、本土人である私の方まで愛すべき沖縄の皆さんに「身内意識」のようなものを抱いてしまう一冊だ。
笑いばかりでなく、感動的な部分もある。
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2006年07月15日
カテゴリ「沖縄」参考図書4
岡本太郎「明日の神話」公開に触れたことをきっかけに、ここまで数回にわたってカテゴリ「沖縄」参考図書を紹介してきた。挙げ出すとあれもこれもときりがなくなるので、このあたりで一段落にしたい。
本土人による沖縄論、沖縄人自身による沖縄論に続いて、沖縄に飛び込み、移住して音楽活動を行った、とあるミュージシャンがテーマの本を紹介しよう。
●「竜宮歳事記 どんとの愛した沖縄」小嶋さちほ (角川文庫)
「どんと」というミュージシャンをご存知だろうか?
80年代から90年代前半にかけて、ローザ・ルクセンブルグとボ・ガンボスの続けて二つのバンドでボーカルをつとめて活躍し、95年からは沖縄に移住してソロ活動、2000年に急逝した個性的なアーティストだ。
この本はどんとのパートナーで、自身もZELDAのリーダー&べーシストであった小嶋さちほが、どんとの没後一年あまりで発行した本の文庫化で、巻末には新たに町田康との対談も収録されている。
よく「沖縄は竜宮城だよ」と語ったというどんとが、より純化された歌の世界を求めて沖縄に移住し、沖縄の様々な場所、文化、数々のミュージシャン達と交流していく時期が、間接的にではあるけれども記録されている。
沖縄音楽といえば、とかく三線の民謡だけがクローズアップされがちだが、この本には民謡だけでは無い、沖縄大衆芸能の眩暈のするような世界が紹介されている。
音の坩堝のような島に飛び込んだ本土人、どんとと小嶋さちほが何を見、何を感じたのか、そこには男女の感覚の違いもあったようだ。
巻末の対談では小嶋さちほのこんな言葉がある。
一読、「やはりそういうこともあるか」と思った。
夢を描いて現場に立てば、真摯であればあるほどそういう感覚が生じることもあるだろう。
もちろん苦しさばかりではなかっただろう。
どんとの吸収したオキナワは、彼のソロ「沖縄三部作」の中に見事に結実し、今も多くの人に歌い継がれている。
【追記】
2010年、カテゴリどんと新設。
どんとについてより詳しい記事はそちらへ。
本土人による沖縄論、沖縄人自身による沖縄論に続いて、沖縄に飛び込み、移住して音楽活動を行った、とあるミュージシャンがテーマの本を紹介しよう。
●「竜宮歳事記 どんとの愛した沖縄」小嶋さちほ (角川文庫)
「どんと」というミュージシャンをご存知だろうか?
80年代から90年代前半にかけて、ローザ・ルクセンブルグとボ・ガンボスの続けて二つのバンドでボーカルをつとめて活躍し、95年からは沖縄に移住してソロ活動、2000年に急逝した個性的なアーティストだ。
この本はどんとのパートナーで、自身もZELDAのリーダー&べーシストであった小嶋さちほが、どんとの没後一年あまりで発行した本の文庫化で、巻末には新たに町田康との対談も収録されている。
よく「沖縄は竜宮城だよ」と語ったというどんとが、より純化された歌の世界を求めて沖縄に移住し、沖縄の様々な場所、文化、数々のミュージシャン達と交流していく時期が、間接的にではあるけれども記録されている。
沖縄音楽といえば、とかく三線の民謡だけがクローズアップされがちだが、この本には民謡だけでは無い、沖縄大衆芸能の眩暈のするような世界が紹介されている。
音の坩堝のような島に飛び込んだ本土人、どんとと小嶋さちほが何を見、何を感じたのか、そこには男女の感覚の違いもあったようだ。
巻末の対談では小嶋さちほのこんな言葉がある。
そういう意味でいうと、楽しく暮らしてはいましたが、沖縄での生活はすべてが、どんとにとって楽なところではなかったと思います。まぁ、こちらに移住してきた人が二年目ぐらいでだれもがぶつかる壁でもあるのですが、沖縄の生活にどんどん入っていくと、やはり、そこから先は、近づけない血縁の世界とかになって……。いろいろな壁があるようです。どんとは一時期、「ものすごく孤独を感じる、外国の敵地の中に一人でいるようだ」と言っていました。「これはオスだけが感じる感覚だ」とも。私は女だし、すっかり同化しちゃってて「なにが?」って感じだったけど。
一読、「やはりそういうこともあるか」と思った。
夢を描いて現場に立てば、真摯であればあるほどそういう感覚が生じることもあるだろう。
もちろん苦しさばかりではなかっただろう。
どんとの吸収したオキナワは、彼のソロ「沖縄三部作」の中に見事に結実し、今も多くの人に歌い継がれている。
【追記】
2010年、カテゴリどんと新設。
どんとについてより詳しい記事はそちらへ。