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2006年09月01日

9月の予定などなど

【ロゴ画像変更】
 9月は「漂着神」ゆかりの、ある無人島をテーマにカタって行く予定です。以前「漂着神」としてアップした画像を加工して、ロゴ画像にしてみました。

【岡本太郎「明日の神話」についてのニュース】
 東京で公開していた岡本太郎幻の大作「明日の神話」ですが、もう一つの代表作「太陽の塔」を擁する大阪府吹田市が、誘致に名乗りを上げたようですね。
 そもそも一対のテーマを持った作品だけに、対になって公開されるならば、相応しい場所のような気がします。ともかく今後の推移を見守りましょう。
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2006年09月02日

カテゴリ「友ヶ島」

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 大阪湾の南、淡路島と紀伊半島の間を流れる紀淡海峡の真ん中に、その無人島は浮かんでいる。ちょうど135°の子午線上にあり、日本標準時を示す明石の真南にもあたる。
 島の名は「友ヶ島(ともがしま)」
 上掲地図は分りやすく表記するために友ヶ島をかなり大きめに表現してあるが、実際は日本全図で見ると「・」にしか見えないような小さな小さな島だ。
 友ヶ島は、沖ノ島・地ノ島と、沖ノ島に付随する虎島・神島の四島の総称だ。太平洋から大阪湾に入る要所であり、紀州加太から淡路島に渡る中継地点、近現代には旧日本軍の基地の島でもあった。また、修験道の葛城二十八宿のスタート地点にあたり、数々の神話に彩られた神の島でもあった。
 このカテゴリ「友ヶ島」では、この島の神話的風景を、絵とカタリ、現地レポートも交えて紹介していきたいと思う。

 しばらくのお付き合いを。
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2006年09月04日

友ヶ島年代記1 オノゴロ島

 宇宙の始まりの天の神々は、イザナギ・イザナミの男女二柱の神に「この漂える国を修理固成せよ」と詔りて、天の沼矛(アメノヌボコ)という神聖な矛を授けた。
 イザナギ・イザナミは天の浮橋に立ち、天の沼矛を差し下ろし、潮コヲロコヲロとかき鳴らして引き上げた。すると矛の先から滴り落ちる塩が積み重なって島となった。
 これが淤能碁呂(オノゴロ)島である。
 イザナギ・イザナミはオノゴロ島に降り立って、国生みを始める。最初に生まれた蛭子(ヒルコ)と次に生まれた淡嶋(アワシマ)は不完全な子だったのでそのまま流された。
 二神が再度国を生みなおすと、淡路島をはじめ、日本の国土となる大八州(オオヤシマ)が次々と生み出された…

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 オノゴロ島がどこにあるのか、諸説わかれる。
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2006年09月08日

友ヶ島年代記2 アワシマ

 イザナギ・イザナミの生んだ第二子、子のうちにいれられず流されたアワシマのその後はよくわからない。
 友ヶ島諸島のうちの「神島」は、古くは「淡嶋(アワシマ)」と呼ばれていたと伝えられる。友ヶ島を代表する沖ノ島の北側に、プッと吐き出されたように浮かぶ小さな小さな島が神島。沖ノ島をオノゴロ島に見立てると、「神島=淡嶋」はちょうど国生み神話の風景と重なるようにも見える。

 神島には古くから大己貴命(オオナムジノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が祀る祠があったと言う。オオナムジは大国主の別名、スクナヒコナは大国主に協力して国造りを行った神だ。
 スクナヒコナは「日本書紀」によると、高皇産霊(タカミムスビ)神の子で「いたずらをしていて指の股からこぼれ落ちた」と伝えられる。非常に小さな神であり、ガガイモの実の舟に乗って漂着した所で大国主と出会い、以後心を一つにして国を治めた。
 最後は再び旅立って常世の国に至ったという。
 スクナヒコナもまた漂着神の一柱のようだ。

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 スクナヒコナは「淡島明神」としても祀られることがある。
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2006年09月09日

友ヶ島年代記3 神功皇后

 神話時代から長い年月が流れ、ようやく歴史年代に入りかけた頃のこと、古代日本に一人の強烈なヒロインが現れた。第十四代・仲哀天皇の皇后、神功(ジングウ)皇后である。
 強力な巫女であった神功皇后は、神懸りを繰り返してアマテラスをはじめとする神意を伝えた。自ら軍を率いて「三韓征伐」を企て、実際に侵攻したとも伝えられる。行軍中に産気付くと、腹に石を巻きつけて無理矢理出産を遅らせ、筑紫国に戻ってから子を産んだ。このときの子が後の応神天皇である。

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2006年09月11日

友ヶ島年代記4 役行者小角

 やがて神話の時代は去り、歴史年代に入る。
 8世紀の葛城・大峰を舞台に、古代の怪しの世界を代表する、一人のスーパースターが登場する。役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)その人である。
 神仙道と密教の秘術を体得し、山野を駆け、水上を走り、空を舞い、鬼神を調伏し、日本全国の霊山にその名をとどめる超人・役小角。
 ここ、友ヶ島にも役行者伝説が残っている。

 昔、沖ノ島南西部の蛇ヶ池に一匹の大蛇が棲みつき、夜な夜な底知れぬ穴から這い出しては島中はおろか、加太や淡路島に出没、娘子や牛馬をさらって食らったり、船を壊したり、数々の悪事を重ねていた。
 困り果てた人々は、名高い役行者に大蛇封じを嘆願した。哀れに思った役行者は快く引き受け、単身友ヶ島に渡った。
 行者は最初に神島に上陸し、スクナヒコナの神に祈った。すると池の中から一振りの神剣を授かった。以後、この池は「剣池」と呼ばれることになる。

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2006年09月15日

十津川村盆踊り

 今、NHKで「十津川村盆踊り」の番組をやってますね。
 お手すきの人はTVのスイッチをいれることをお勧めします。

 私は何年か前にこの番組で取り上げられている盆踊りを見たことがあります。熊野に「修行」に行っていて、偶然見る機会があったのですが、小宇宙のような山村、今は使われていない小さな小さな学校校庭の会場、両手に扇を持ち、「廻らない」不思議な踊りなど、夢のような素晴らしい体験でした。
posted by 九郎 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

友ヶ島年代記5 深蛇大王

 役行者と大蛇の闘いが始まる。しかし強力な霊験に加え、神剣を得た行者には、さすがの大蛇も敵わない。観念して己の悪行を悔い、改心を誓った。
 行者は罰として牙と爪を剥ぎ取った。
 大蛇はこの地に留まって法を守護することを望んだ。行者は大蛇に「深蛇大王(しんじゃだいおう)」と名を贈り、島中央部の湿地帯に封印した。
 深蛇大王の鎮まった湿地帯を、以後「深蛇池」と呼ぶようになった。

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2006年09月17日

友ヶ島年代記6 中世淡嶋願人

 時代は下って中世、「淡嶋願人(あわしまがんにん)」と呼ばれる遊行乞食が唱える俗伝には、以下のような別種の由来が伝えられている。

 アマテラスの六番目の姫君であるアワシマは、十六の春に住吉明神の后となった。しかし婦人病に罹ったために、堺の七度浜から種々の宝物とともに「うつほ舟」にのせられ、流された。
 三月三日に神島に漂着したアワシマは、その寂しさを紛らすために、島で人形を作って一人遊んだ。「雛遊び」の由来である。
 アワシマは病を除く願いをこめて人形を流し、婦人病に苦しむ女性を救う誓いを立てたという。

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2006年09月18日

友ヶ島年代記7 近現代の友ヶ島

 さらに時が流れた江戸時代、さすがの役行者の封印も千年を経て効力を弱めたのか、深蛇池に再び大蛇が現れたという伝説が残っている。
 狩りのために沖ノ島を訪れた紀州の「南竜公」が、池のほとりで宴会をしていたところ、物音に目を覚ました大蛇が襲い掛かってきた。大蛇は南竜公の投げた太刀によって再び封印されたという。
 古くはスサノオのヤマタノオロチ退治から、大蛇退治の伝説には「剣」がよく出てくる。

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 江戸時代以降は、さすがに新しい伝説は生まれなくなった。
 以下に史実としての友ヶ島を紹介する。
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