【ロゴ画像変更】
何回か写真のロゴ画像が続いたので、久々に絵で。やっぱり絵描きは絵を描いてなんぼ。
徐々に秋らしい風景が深まってきています。
去年の今頃には、紅葉美しい鞍馬山の魔王尊参拝に行ってきました。あの頃はまだブログも開設していなかったことを思うと、この一年はかなり濃密な時間を過ごせた気がします。
今年もどこかへ紅葉狩りに行きたいですね。
【11月の予定】
いくつか準備の記事を投稿した後、カテゴリ「今昔物語」を本格的にスタートさせる予定です。乞うご期待!
2006年11月01日
2006年11月02日
地の力
春に芽吹いた木の葉が夏までに大きく育ち、華やかな秋の紅葉を経て地面に還る。
堆積した落葉は腐葉土になって、次の春から始まる成長の素になる。
腐葉土はゆりかごになって、土中に様々な生物を養う。
養われたミミズや幼虫たちは「地の力」の蓄積に貢献する。
南無地蔵菩薩
2006年11月03日
カテゴリ「友ヶ島」参考図書
●「アマとオウ―弧状列島をつらぬく日本的霊性」菅田正昭著(たちばな出版)
直接、友ヶ島を扱った本ではないけれども、「島」という言葉から発した響きが豊かに広がっていく一冊をご紹介。
著者の菅田正昭氏は古神道関連の本を数多く書いており、実際に離島で生活した経験を持つ「島文化研究家」としても知られる。
以下に、この本を読んで受け取った極私的イメージを残しておく。
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2006年11月04日
切り絵
絵を描くこと、ものを作ること、全般に好きだ。
絵を描く時も、手法は色々と試してみる。
「切り絵」という手法も、面白いのでたまに使う。
「切り絵」の仕組みはきわめてシンプルだ。
紙を刀で切り穴を開ける、ただこれだけだ。
穴を開けずに残った部分が線となり、ベタとなる。
線やベタの部分は全て「つながって」おり、独特の画風が出来上がる。
筆ではなく刃物を使うので、きわめてシャープな表現が可能だ。
黒い紙を使い、色を入れる部分に穴を開けていくのが一般的だが、白やその他の色の紙を切っていく場合もある。
御幣など、民俗儀礼では白い紙を切って飾りに使うので、むしろこちらの方が起源なのかもしれない。
「紙を切り、穴を開ける」という仕組みは、ステンシル版画の技法とも共通しているので、応用範囲は広い。切り絵で作った図案を、ステンシルにしてTシャツプリントなどに使うことも出来る。
今回アップする画像は、道教思想などに伝わる「四神」(玄武・青龍・朱雀・白虎)の図像を、切り絵むきにアレンジし、実際に切り抜いてみたもの。
黒い部分が全部「つながって」いることと、エッジの鋭さに注目です。
絵を描く時も、手法は色々と試してみる。
「切り絵」という手法も、面白いのでたまに使う。
「切り絵」の仕組みはきわめてシンプルだ。
紙を刀で切り穴を開ける、ただこれだけだ。
穴を開けずに残った部分が線となり、ベタとなる。
線やベタの部分は全て「つながって」おり、独特の画風が出来上がる。
筆ではなく刃物を使うので、きわめてシャープな表現が可能だ。
黒い紙を使い、色を入れる部分に穴を開けていくのが一般的だが、白やその他の色の紙を切っていく場合もある。
御幣など、民俗儀礼では白い紙を切って飾りに使うので、むしろこちらの方が起源なのかもしれない。
「紙を切り、穴を開ける」という仕組みは、ステンシル版画の技法とも共通しているので、応用範囲は広い。切り絵で作った図案を、ステンシルにしてTシャツプリントなどに使うことも出来る。
今回アップする画像は、道教思想などに伝わる「四神」(玄武・青龍・朱雀・白虎)の図像を、切り絵むきにアレンジし、実際に切り抜いてみたもの。
黒い部分が全部「つながって」いることと、エッジの鋭さに注目です。
2006年11月05日
切り絵とCG
私はこのようにブログを運営し、CG作品を発表したりしているけれども、生来のアナログ人間だ。PCをいじり始めたのが三年前で、それ以前は骨董品のようなワープロを使用し続けていた。
PCを始めてからも、なかなか絵を描くことには使わなかった。私は保守的な所があって、旧来のやり方を守りたがる傾向がある。犬が餌の中の嫌いなものをきれいにより分けて食べるような、ああいう頑固さがある。
「わざわざ慣れないCGに手を出さんでも、手描きでなんでもできるわい!」
という、アホなこだわりがあったのだ。
そんな私がCGに手を出し始めたのが二年前のこと。きっかけは「切り絵」だった。切り絵作品の主線を切り出した後、どのように色を入れるか考えていたときに、ふと「PCを使ってみるか」と思い立ったのだ。
Windowsマシンには「ペイント」というグラフィックソフトが付属していて、簡単な画像処理が出来るらしいことは知っていた。ためしに切り絵作品をスキャンし、「ペイント」を起動してみた。
「ペイント 使い方」と言うキーワードで検索してみると、丁寧に解説してあるサイトがいくつも見つかり、参考になった。
実際、着色にPCを利用してみて、私はその便利さに目を見張った。
失敗を気にすることなく何パターンも配色を試すことができ、しかもその処理のスピード感といったら・・・
「切り絵」と言う手法がCGになじみやすいことも幸いした。
中間色を使わないある意味デジタルな手法なので、「図」と「地」の関係がはっきりしており、グラフィックソフトと相性が良かった。
こうして私は「ペイント」を皮切りに、CGの世界に足を踏み入れることになった。「ペイント」は様々なグラフィックソフトの入門として最適で、私はこの二年間、様々なグラフィックソフトを試すようになり、すっかりCGが気に入って今に至るのである。
前回アップした「四神」の中から、「青龍」を題材に「ペイント」の使用例を示してみよう。
続きを読む
PCを始めてからも、なかなか絵を描くことには使わなかった。私は保守的な所があって、旧来のやり方を守りたがる傾向がある。犬が餌の中の嫌いなものをきれいにより分けて食べるような、ああいう頑固さがある。
「わざわざ慣れないCGに手を出さんでも、手描きでなんでもできるわい!」
という、アホなこだわりがあったのだ。
そんな私がCGに手を出し始めたのが二年前のこと。きっかけは「切り絵」だった。切り絵作品の主線を切り出した後、どのように色を入れるか考えていたときに、ふと「PCを使ってみるか」と思い立ったのだ。
Windowsマシンには「ペイント」というグラフィックソフトが付属していて、簡単な画像処理が出来るらしいことは知っていた。ためしに切り絵作品をスキャンし、「ペイント」を起動してみた。
「ペイント 使い方」と言うキーワードで検索してみると、丁寧に解説してあるサイトがいくつも見つかり、参考になった。
実際、着色にPCを利用してみて、私はその便利さに目を見張った。
失敗を気にすることなく何パターンも配色を試すことができ、しかもその処理のスピード感といったら・・・
「切り絵」と言う手法がCGになじみやすいことも幸いした。
中間色を使わないある意味デジタルな手法なので、「図」と「地」の関係がはっきりしており、グラフィックソフトと相性が良かった。
こうして私は「ペイント」を皮切りに、CGの世界に足を踏み入れることになった。「ペイント」は様々なグラフィックソフトの入門として最適で、私はこの二年間、様々なグラフィックソフトを試すようになり、すっかりCGが気に入って今に至るのである。
前回アップした「四神」の中から、「青龍」を題材に「ペイント」の使用例を示してみよう。
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2006年11月06日
切り絵師 宮田雅之
どんなジャンルにも言えることだが、その世界の「申し子」としか表現できないような、凄腕を持った第一人者と言うものは存在する。このカテゴリ「紙(カミ)」で取り上げた河合豊彰氏はまさに「おり紙の申し子」だし、切り絵のジャンルで言えば今回紹介する宮田雅之氏がそうだ。
●「宮田雅之の切り絵八犬伝」(平凡社別冊太陽)
宮田雅之氏の没後、追悼記念として発行された一冊。
氏の刀さばきが刻み込む妖艶な描線が「八犬伝」の世界と奇跡的にマッチして、ページを開けば凄まじいばかりの「怪しの世界」が繰り広げられる。
大胆な構図は動画を見るごとく、
規則的に刻まれた直線は建築物を見るごとく、
極限まで究めた省略は抽象絵画を思わせ、
流麗な曲線は無音の音楽を響かせる。
絵描きの端くれとして氏の作品を鑑賞すると、無駄な線を極力省く精神力に、つくづく頭が下がってしまう。
自分の腕を誇りたいのは絵描きの本能のようなもの。紙を切りつつ己の技をも断つような静かな気迫、なかなか真似できるものではない。
●「宮田雅之の切り絵八犬伝」(平凡社別冊太陽)
宮田雅之氏の没後、追悼記念として発行された一冊。
氏の刀さばきが刻み込む妖艶な描線が「八犬伝」の世界と奇跡的にマッチして、ページを開けば凄まじいばかりの「怪しの世界」が繰り広げられる。
大胆な構図は動画を見るごとく、
規則的に刻まれた直線は建築物を見るごとく、
極限まで究めた省略は抽象絵画を思わせ、
流麗な曲線は無音の音楽を響かせる。
絵描きの端くれとして氏の作品を鑑賞すると、無駄な線を極力省く精神力に、つくづく頭が下がってしまう。
自分の腕を誇りたいのは絵描きの本能のようなもの。紙を切りつつ己の技をも断つような静かな気迫、なかなか真似できるものではない。
2006年11月08日
カテゴリ「中世物語」
このカテゴリでは「今昔物語」などの中世物語を題材に、絵と文章で不思議話をカタります。
【「今昔物語」参考図書】
原典の一つ、「今昔物語」は、入手の容易な多くの版があります。私が実際に目を通したのはその中のごく一部ですが、読み易かったものを紹介しておきましょう。
●「ビギナーズ・クラシックス 今昔物語集」(角川文庫)
文庫サイズで手軽に「今昔物語」に親しむことが出来る一冊。原文とあらすじ、現代語訳、解説の組み合わせやテンポが絶妙で、思わず原文を声に出して読んでみたくなる。実際に声に出してみると原文は意外に音読しやすくて、「今は昔〜」で始まる響きはしばし中世の空気に酔わせてくれる。平安時代に関する図表も豊富で、非常に重宝。
この角川文庫の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズは、どれをとってみても入門書として素晴らしい。
●「今昔物語集 1〜」(講談社学術文庫)
原典である「今昔物語」は、天竺・震旦・本朝(インド・中国・日本)の三部で構成されている。一般によく紹介されるのは日本を題材にした「本朝部」なのだが、このシリーズでは天竺部を中心に楽しむことが出来る。
原文・現代語訳・解説も完備で、非常に読み易い。
●「今昔物語集」(角川文庫)
日本を舞台にした「本朝部」は、角川文庫版が求めやすい。世俗部上下巻、仏法部上下巻の計4冊にコンパクトにまとまっている。
現代語訳はついていないが、元々「今昔物語」の文章はさほど難解ではなく、一話ごとの分量も少ない。音読しつつ用語解説を読めば、慣れてくると大意を掴むのに困難ということはない。
(この記事は以前アップしたものを補足・訂正の上、再掲したものです)
【「今昔物語」参考図書】
原典の一つ、「今昔物語」は、入手の容易な多くの版があります。私が実際に目を通したのはその中のごく一部ですが、読み易かったものを紹介しておきましょう。
●「ビギナーズ・クラシックス 今昔物語集」(角川文庫)
文庫サイズで手軽に「今昔物語」に親しむことが出来る一冊。原文とあらすじ、現代語訳、解説の組み合わせやテンポが絶妙で、思わず原文を声に出して読んでみたくなる。実際に声に出してみると原文は意外に音読しやすくて、「今は昔〜」で始まる響きはしばし中世の空気に酔わせてくれる。平安時代に関する図表も豊富で、非常に重宝。
この角川文庫の「ビギナーズ・クラシックス」シリーズは、どれをとってみても入門書として素晴らしい。
●「今昔物語集 1〜」(講談社学術文庫)
原典である「今昔物語」は、天竺・震旦・本朝(インド・中国・日本)の三部で構成されている。一般によく紹介されるのは日本を題材にした「本朝部」なのだが、このシリーズでは天竺部を中心に楽しむことが出来る。
原文・現代語訳・解説も完備で、非常に読み易い。
●「今昔物語集」(角川文庫)
日本を舞台にした「本朝部」は、角川文庫版が求めやすい。世俗部上下巻、仏法部上下巻の計4冊にコンパクトにまとまっている。
現代語訳はついていないが、元々「今昔物語」の文章はさほど難解ではなく、一話ごとの分量も少ない。音読しつつ用語解説を読めば、慣れてくると大意を掴むのに困難ということはない。
(この記事は以前アップしたものを補足・訂正の上、再掲したものです)
2006年11月09日
極楽往生源大夫
【前口上】
あれは確か中学生の頃、授業で使った古文の教材に、奇怪な物語が掲載されていた。
一人の極悪人が突如として発心し、「阿弥陀仏よや、おいおい」と呼ばわりながら、西へ西へとただひたすらに歩き続ける物語。
何故か心に引っかかり、折に触れて何度も何度も反芻するうちに、私の中でその物語は微妙に変形され、読み替えられていった。
絵描きの習性として、物語のイメージは頭の中で徐々に像を結び、出口を求めて衝動は高まってくる。
ある日、ふと「この物語には切り絵が似合うのではないか?」と気付いた。私は一気に8枚の「切り絵風スケッチ」を描き上げ、その後、内容を増幅して実際の切り絵連作に仕上げた。
モチーフになったのは「今昔物語 本朝仏法部巻第十九」収録の、「讃岐国多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語」という物語だが、出来上がった切り絵ストーリーは、この原典とは話の筋や趣旨が違ったものになった。
私の頭の中で、長年かけて変形が行われた結果である。
今昔物語を元ネタにした、現代語訳とは違う、私・九郎の好き勝手な与太話として、これからカタッてみたいと思う。
次回更新より『極楽往生源大夫』はじまり、はじまり・・・
あれは確か中学生の頃、授業で使った古文の教材に、奇怪な物語が掲載されていた。
一人の極悪人が突如として発心し、「阿弥陀仏よや、おいおい」と呼ばわりながら、西へ西へとただひたすらに歩き続ける物語。
何故か心に引っかかり、折に触れて何度も何度も反芻するうちに、私の中でその物語は微妙に変形され、読み替えられていった。
絵描きの習性として、物語のイメージは頭の中で徐々に像を結び、出口を求めて衝動は高まってくる。
ある日、ふと「この物語には切り絵が似合うのではないか?」と気付いた。私は一気に8枚の「切り絵風スケッチ」を描き上げ、その後、内容を増幅して実際の切り絵連作に仕上げた。
モチーフになったのは「今昔物語 本朝仏法部巻第十九」収録の、「讃岐国多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語」という物語だが、出来上がった切り絵ストーリーは、この原典とは話の筋や趣旨が違ったものになった。
私の頭の中で、長年かけて変形が行われた結果である。
今昔物語を元ネタにした、現代語訳とは違う、私・九郎の好き勝手な与太話として、これからカタッてみたいと思う。
次回更新より『極楽往生源大夫』はじまり、はじまり・・・
2006年11月10日
極楽往生源大夫2
今は昔、讃岐の国(現在の香川県)多度の郡に源大夫という男がいた。この男、きわめて凶暴で、殺生を生業としていた。山野に鳥獣を狩り、河海に魚を捕り、人の首をはね、手足をへし折らない日は無かった。
とくに仏法を嫌っており、僧などはそばにも寄せ付けなかった。このような有様の極悪人だったので、人々は皆恐れて近づかなくなった。
ある日のこと、源大夫は郎党どもの勧めるままに狩りに出かけた。さほど狩りが好きなわけではなかったが、じっとしていると心が苛立って落ち着かず、誰彼構わずぶちのめしたい衝動に駆られた。
郎党どもがそれを恐れて外に連れ出しているのはわかっていたが、どうでも良かった。衝動に任せて殺生をしているときだけは、苛立ちを忘れることができた。
どれだけの生き物を狩り、どれだけの人を傷つけ、首を撥ねてきたか、もはや数え切れなかった。昔はもっと一人切るごとに感じるものがあった気がする。罪業の重みであろうと快楽であろうと、もっと濃厚な手応えを感じていたはずだ。
今はもう、何人切ろうが何も感じない。うるさい蚊を捻り潰すのと大差はない。ただ自分の中の苛立ちをやり過ごすためにだけ、殺生を重ねていた。
(続く)
2006年11月11日
極楽往生源大夫3
その日も源大夫一行は山で多くの鹿を捕った。帰る途中、御堂の前を通りかかった。人々が集まっているのを見て、源大夫は傍らの者に問うた。
「あれは何をするところか?」
「御堂と申し、仏法を広める所にございます」
一人が口ごもりつつ答えた。主人が仏法を毛嫌いしていることは、もちろん知っている。
「ほう。噂には聞いておったが、この目で見るのは初めてだ。面白い。どのようなことをほざくのか、試しに聞いて行ってやろう」
源大夫はそう言って馬から降りた。郎党どもは「なんの気紛れか」と訝ったが、着いて行くしかなかった。
一行が御堂に入ると、一瞬にして場が静まりかえった。源大夫の凶相、殺伐とした荒い物腰は、その悪名を知らぬ者にもすぐに伝わった。恐怖のあまり、そっとその場を去る者までいる。一行が進むにつれて、風になびく草のように人々は道をあける。
源大夫は高座の前に立ちふさがった。
「貴様が仏弟子とか申す者か。さぞや有難き説法が出来るのであろうな。ならばなんぞ我が心になるほどと思えることを申してみよ。もし出来ずば、不都合なことになるぞ」
腰の刀をいじくりながら、じろりと僧を睨みつける。
講師の僧は音に聞こえた極悪人の登場に、内心震え上がった。
これはとても手に負える相手ではない。何を説こうが引きずりおろされ、下手をすれば命も危ないだろう……
それとなく周囲を見回すが、他のどの僧も固まったまま目を背けている。
もはやこれまでかと半ば観念したとき、一人の僧が一歩前へ進み出てきた。
「講師直々のご説法に先立ち、私がこの者のお相手申し上げたく存じます」
(続く)