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2006年12月01日

12月の予定などなど

【ロゴ画像変更】
 近所の「行きつけ」の田んぼのうちの一箇所が、ここ数年、休耕が続いています。水田の風景は眺められないけれども、季節の草花を味わうことが出来るのですが、今は一面にコスモスが咲いています。
 白、ピンク、ムラサキの組み合わせが美しかったので、ロゴ画像を一枚描いてみました。

【12月の予定】
 いよいよこの年末で、当ブログも開設一周年を迎えます。師走は色々と忙しくなるので、新カテゴリ等はお預け。これまでの補充記事を、ぼちぼちあげて行きたいと思っています。
posted by 九郎 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

成道会

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 本日、12月8日は釈尊成道会(しゃくそんじょうどうえ)。
 約二千五百年前、お釈迦様がインドのブッダガヤーの菩提樹の下で、悟りを開いたと伝えられる日。
 お釈迦様にまつわる様々な物語の原点。
posted by 九郎 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

カテゴリ「原風景」続き

 このブログを立ち上げたのが約一年前。
 その最初期に手がけたカテゴリが「原風景」で、私の記憶の底にある、一種奇妙な風景を綴ってきました。
 ながらく手付かずになっていたのですが、これからしばらく続きを書いてみたいと思います。
 右サイドバーのカテゴリ「原風景」から開くと、以前の記事から続けて読むことができます。
posted by 九郎 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

奇妙な記憶1

 ふと幼い頃を思い出す。
 脳裏に蘇る情景の中には、かなり奇妙な代物も存在する。
長らく記憶の表層に上ってこなかったのに、一度思い出してみると「あれは本当にあったことなのか?」と、気になって仕方がなくなってくる。
 そんないくつかの記憶がある。

 幼児の頃、幼稚園への通園風景だ。
 地区の児童を何人か、引率の大人が二人ほどついて、園に送り届けている。
 幼児集団の引率は難しい。一人一人が我侭な王子様、お姫様で、まだ群れの秩序が身に付いていない。「みんなと一緒に歩く」ということがけっこう難しかったりするので、しばしば阿鼻叫喚の修羅場になる。
 そこで、秘密兵器が登場する。
 縄跳びの縄をいくつも編んで、持ち手の部分をたくさん出して作った引率器具だ。
 持ち手の部分に幼児を一人ずつつかまらせて、ちょうど「電車ごっこ」のような雰囲気で引っ張って行くわけだ。うまく子供たちをおだてながら、楽しい雰囲気で騙し騙し園に送り届ける。

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 思い出してみると、なんとも珍妙な風景だ。どこまで本当にあったことなのかは、私自身にも定かではない。
 しかし、川沿いの土手を、ロープで繋がりながらみんなと並んで行進した風景は、夢のように淡く記憶の底に残っている。
 土手から見下ろす稲刈りを終えた田んぼには、ビニールシートが風にパタパタなびいている、そんな細部の情景まで含めて…

 それからはるかに時は流れて、私は自分の記憶の中の「電車ごっこ」の通園とよく似た形式の通園風景を、TV画面の中に発見して「アッ!」と叫ぶことになった。
 それは1997年、ある事件が元で緊張感に包まれた、神戸の街の通園風景の1コマだった。
 奇妙な記憶と不気味な事件の、偶然の一致。
posted by 九郎 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

奇妙な記憶2

 幼い頃の奇妙な記憶には、どこか怪異なトーンが混入している。
 前回紹介した「電車ごっこ」の通園風景の中、記憶に刻まれた、忘れられない怖い思い出がある。

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 二、三人の大人に引率された幼児の集団が、川沿いの土手から降りて集落にさしかかる。幼稚園の近くなので、他の通園グループも集まってきている。
 園児の弟か妹だろうか、小さな子供を抱いた母親が行列を見送っている。抱かれた子供は「おやつのカール」をしゃぶりながら(まだ噛めない)、お兄さんお姉さんたちの通園風景を熱心に眺めている。
 幼児の私を含む「電車ごっこ」の列が、その母子横を通りすぎようとした時、突然悲鳴が上がった。
「ヒキツケ! ヒキツケや! 誰か梅酒持ってきて!」
 異様な光景だった。
 それまで「おやつのカール」をしゃぶっていた小さな子供が、母親の腕の中で痙攣している。母親は必死の形相で叫んでいる。
 どうやら子供が「ヒキツケ」を起こしたので、気付けに梅酒を持ってきてくれと叫んでいるらしい。そのような民間療法があったのだろうか?
 幼児の私は恐怖に凍りつき、その光景は記憶の底に焼き付けられる。
 私の中で「おやつのカール」と「梅酒」は、「ヒキツケ」の不吉なイメージと結びついた。その後、小学校の高学年ぐらいになるまで、私は「おやつのカール」を食べることをひそかに恐れていた。カールおじさんの登場するほのぼのとしたあのテレビCMも、どこか不気味な思いで眺めていた。
 梅酒についてもあまりよい印象はなく、大人になってからも自分から進んで飲む気は起きなかった。しかし、どうやら自分の忌避衝動の源泉が幼時の思い込みにあるらしいことを自覚してからは、特に嫌うこともなくなった。
 一つ、大人になったかもしれない(笑)
posted by 九郎 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

奇妙な記憶3

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 幼児の頃の私は、昼間は主に母方の祖父母の家で過ごしていた。
 母方の祖父は大工で、趣味で木彫をよくやっており、祖父母宅の玄関スペースには膨大な作品群が常設展示してあった。仏像や天狗、竜などポピュラーな題材も多かったが、それ以外の独自の作品もあった。
 まだまだ自然豊かな地域だったので、祖父はよく外に出かけては、気に入った木材などを拾ってきて、それに細工を施したりしていた。切り出してきた怪しい形状の珍木や木の瘤の類が、祖父の手によって更に得体の知れない妖怪に変身していった。
 幼児だった私は、そんな制作現場を眺めるのが好きで、祖父の操るノミが様々な形を削りだしていく様子を、ずっと飽きずに観察していた。
 私にとっての祖父は、山に入っては色々な面白いものを持ち帰り、それを自在に操って怪しい妖怪達に改造できる「凄い人」だった。
 そして私は、いつか自分も同じことをするのだと心に決めていた。
posted by 九郎 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年12月17日

奇妙な記憶4

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 祖父母宅は、古墳のような小山と、小川の流れに挟まれた小さな村にあった。小山の麓には道が三本、横に平行に通っており、各所で何本か、縦につながっていた。
 一番上段の水平移動道の片端、山に向かって右手に祖父母宅があり、反対側の左端には「観音さん」の御堂があった。その御堂から石段をおりると公園があり、山手に登ると村の墓場があった。
 小山の麓を流れている小川には欄干のない小さな橋が架かっていて、それを渡ってしばらく田んぼ道を歩くとバス道があった。それを更に超えるとまた川沿いの土手があって、通園に使っていたのはその土手の上の道だった。
そうしたごく狭い範囲が、幼い頃の私の世界だった。
 小さな世界ではあったけれども、祖父母宅周辺は十分に田舎で、幼児の遊びのネタが尽きることは無かった。
posted by 九郎 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年12月19日

メンテナンスのお知らせ

 本日午前二時より、メンテナンスに入るそうです。
 ↓以下、参照してください。
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http://info.seesaa.net/article/28487095.html

■ 作業期間
2006年12月19日(火) 午前02:00 - 2006年12月20日(水) 午前02:00

■ メンテナンス完了後の注意
メンテナンス完了後もブラウザの種類によっては画像などのファイルの表示がキャッシュとして保存され、正常に表示されない場合がございます。その場合、ブラウザのキャッシュをクリアした後に再度アクセスしてください。

Microsoft IEをお使いの方は、以下の手順でキャッシュの削除を行ってください。
1.ブラウザの起動後、上部ツールバーにある[ツール]をクリックして、内部にある[インターネットオプション]を表示
2.新規ウィンドウにて[インターネットオプション]が開くので、[全般]内にある[ファイルの削除]を選択
3.終了後[OK]ボタンを押下
以上の操作でブラウザのキャッシュは削除されます。
posted by 九郎 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

和紙

 おりがみや切り絵にはよく和紙を使う。
 洋紙に無い和紙の特徴としては、強靭さと、独特の肌触りがある。不規則に絡みあった繊維質が、この二つの特徴を生んでいる。

 このブログでは以前、和紙で折ったおりがみ作品をいくつか紹介したが、切り絵「極楽往生源大夫」にも、和紙を使用している。カテゴリ「今昔物語」でアップした画像はサイズが小さかったので、和紙の肌触りまでは伝わりにくかったと思うので、ためしに(部分的に)実物大に近いサイズで表示できるようにしてみよう。

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 切り絵の場合は、本来このように、紙の重なり具合まで見える大きさで見るのがお勧めなのだが、ネット上ではなかなか難しい。
 
 最近カテゴリ「原風景」でアップした絵も、和紙による貼り絵で制作した。私が幼い頃を過ごした祖父母宅周辺を描いたものだ。

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 この貼り絵は縦60cm×横90cmの比較的大きなサイズで、デジカメ撮影後、補整した。そうとう縮小した画像だが、それでも紙の厚みは各所に見えている。このあたりが和紙という素材そのものの持つ力だ。
 この作品も部分的に拡大してみよう。

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 私は最近作のほとんどをCGで制作しているが、元々はアナログ志向が強い。画材店やホームセンターに行ったときには、色々な素材を手にとっては、あれこれ使い道を考えている。
posted by 九郎 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2006年12月23日

弘法と筆の微妙なカンケイ

 「弘法筆を選ばず」という、有名なことわざがある。
 書の名人であった弘法大師空海のようなお方は、どのような筆を使っても素晴らしい字を書くことが出来る。よって、技術に優れた人は道具の良し悪しに関わらず、腕を示すことが出来るという意になる。

 このことわざが正しいことは経験的にわかる。私はこれまで何人もの絵画・造型の達人のお仕事を現場で拝見したことがある。達人の皆さんは、手遊びにその辺の素材を使って、巧みに腕前を披露されていた。
 しかし、ここで少し注意を払いたいのは、そうした達人の皆さんは「筆」つまり道具に、一方ならぬこだわりをお持ちだったということだ。

 例えばある作家が、手書き原稿からワープロに乗り換えると微妙に文体が変わり、文体が変わると作品の空気も変わってくるということは、よくある。最近なら、ある漫画家が手描き原稿からCGを導入して、画風だけでなく作風自体が変わったという事例もけっこうある。

 作品は道具・手法の特性にも影響を受けつつ成立する。だから「弘法筆を選ばず」は一面の真実ではあるけれども、「筆」はやっぱり重要なのだ。
 ちなみに弘法大師の書と伝えられる作品には、様々な作風が存在するようだ。



●岡本光平の文字を楽しむ書(岡本光平, 夢枕獏, 戸田菜穂)

 この本はNHKの「趣味悠々」シリーズのテキストだが、様々な書の技法の例として、弘法大師の作品が取り上げられている。
 この番組を見て、私は「弘法筆を選ばず」という言葉の受け止め方が、それまでとガラッと変わってしまった。
 なんとなく、この言葉から「空海はどんな筆を使っても一定の書を書いていた」というイメージを持っていたのだが、実際は「どんな筆であってもその持ち味を生かして自在に操り、バラエティに富んだ書を生み出した」ということなのではないか?
 書は全くの素人なので詳しくはわからないけれども、そんな印象を受けた。
posted by 九郎 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする