2007年02月24日
金烏玉兎の由来
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伝説の秘書「金烏玉兎」、正確な書名を「さんごくそうでん おんみょうかんかつ ほきないでん きんうぎょくとしゅう」と読む。(一部表示されない漢字があるので、画像内を参照)
書名をまとめると「天竺→唐→日本の三国相伝、陰陽・天地・日月にまつわる秘密の全てを網羅した安倍晴明撰の書」と言うほどの意味になる。
この書物の由来としては、以下のような概略の物語が伝えられている。
昔、天竺で釈尊が説いた天地の成り立ち・暦に関する経を文殊菩薩が結集した。
菩薩は聖霊山において、その教えを唐の国から来た伯道上人という仙人に伝授した。仙人はその書物を唐に持ち帰り、やがてそれは皇帝の管理下に置かれることになった。
その書物「金烏玉兎」の名は日本にも届き、日本招来のための使者として安倍仲麻呂が入唐。しかし志半ばにして異国の地に倒れる。次に派遣された吉備真備は仲麻呂の霊に助けられつつ、見事秘伝の書を日本に持ち帰り、厳重に祀って保管した。
時は流れ、吉備真備の手によって、唐で倒れた仲麻呂の血を引く不思議な童子に「金烏玉兎」は伝えられた。父から安倍家の血を、母から霊狐の力を受け継いだこの童子こそ、後の安倍晴明であった。
成長した晴明は唐に渡り、直接伯道上人の口伝を受けて「金烏玉兎」の正当な所有者となった。
その後、宿敵・芦屋道満との激しい争奪戦、晴明の死と再生を経、「金烏玉兎」は晴明自身の手によって、現在の形に書き改められた。
真偽はともかく、このような由来をもつ書物として「金烏玉兎」は伝えられてきたのである。