【3月の予定】
2月中に冒頭部分しか投稿できなかったカテゴリ「金烏玉兎」の続きを中心に投稿していきます。
けっこう準備に時間がかかりそうなので、単発ネタもはさみながら進行します。
【ロゴ画像変更】
以前アップしたお地蔵様の絵を材料に遊んでみました。
もうすぐ春、なのですが、ここ一週間で花粉症の症状が強く出始めています……flashを見る
2007年03月01日
2007年03月02日
おりがみ雛人形
明日3月3日は雛祭。2月19日の記事で予告していた通り、おりがみで雛人形を作ってみました。
(↑画像をクリックすると大きくなります)
絞り染めの手漉き和紙で本体を作り、同じく手漉き和紙で頭部や小道具・台座を作ってあります。和紙には樹脂(つや消しニス)を含ませ、強度と形の安定性の補助としました。
台座の一辺が7cmで、クリックした状態の画像が、だいたい実物大になるかと思います。
当方の居住環境の制約から、今回は小さめサイズの制作となりました(笑)
大きさがわかり易いように、筆ペンとの比較写真もアップしてみましょう。
後ろから見ると、一応立体的になっているのがお伝えできるでしょう。
雛人形の折り方は、様々な本で様々な種類が紹介されていますが、今回は私の尊敬するおりがみ師、河合豊彰さんの本を参考にしました。
●「創作おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
この本の「内裏雛」を元に折っています。前回試し折りしたものが、比較的本に忠実な状態です。
今回は途中から私の好みで改変してあるので、出来上がりの印象はかなり違ったものになりました。同じ折り方でも、折る者の個性によって出来上がりが違ってくるのが、おりがみの面白いところです。
男雛女雛の並べ方は、前回と反対になっています。
調べてみたところ、前回の並べ方は関東風、今回の並べ方が関西風になっているようです。
なんとか明日の雛祭に間に合ってほっと一息。
「今年は」こんなところで……
おりがみ雛人形に関する記事は、以下にまとめてあります。
おりがみ雛人形まとめ
(↑画像をクリックすると大きくなります)
絞り染めの手漉き和紙で本体を作り、同じく手漉き和紙で頭部や小道具・台座を作ってあります。和紙には樹脂(つや消しニス)を含ませ、強度と形の安定性の補助としました。
台座の一辺が7cmで、クリックした状態の画像が、だいたい実物大になるかと思います。
当方の居住環境の制約から、今回は小さめサイズの制作となりました(笑)
大きさがわかり易いように、筆ペンとの比較写真もアップしてみましょう。
後ろから見ると、一応立体的になっているのがお伝えできるでしょう。
雛人形の折り方は、様々な本で様々な種類が紹介されていますが、今回は私の尊敬するおりがみ師、河合豊彰さんの本を参考にしました。
●「創作おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
この本の「内裏雛」を元に折っています。前回試し折りしたものが、比較的本に忠実な状態です。
今回は途中から私の好みで改変してあるので、出来上がりの印象はかなり違ったものになりました。同じ折り方でも、折る者の個性によって出来上がりが違ってくるのが、おりがみの面白いところです。
男雛女雛の並べ方は、前回と反対になっています。
調べてみたところ、前回の並べ方は関東風、今回の並べ方が関西風になっているようです。
なんとか明日の雛祭に間に合ってほっと一息。
「今年は」こんなところで……
おりがみ雛人形に関する記事は、以下にまとめてあります。
おりがみ雛人形まとめ
2007年03月08日
2007年03月16日
モクレン
神仏与太話・神仏萌え日記などという浮世離れしたブログを運営する私にも(当然ながら)浮世の勤めはある。なんだかんだと煩わしい季節だが、ようやく一段落した気分になれた。
やや軽い足取りで歩いていると、モクレンの花が目に飛び込んできた。
ぽっかりぽっかり開いた、たくさんの白い花。
今まで気にしたことの無い花だったが、今年の私はようやくモクレンを楽しめるようになったようだ。
こういう風に、私の感覚が至らずに楽しめていない花が、まだまだたくさんあるのだろうな。
2007年03月17日
音遊び「薬師如来和讃」
日本には多くの仏教和讃がある。阿弥陀如来や地蔵菩薩などの仏菩薩や高僧を称えた和語の唄だ。
難解な漢文の御経のエッセンスを、親しみやすい言葉に置き換え、哀調を帯びたメロディにのせた和讃は、広く庶民に親しまれてきた。
病を癒す仏、薬師如来にも和讃が伝えられている。
ほんのさわりだけ、音遊びを作ってみた。
【薬師如来和讃】(1分/mp3ファイル/2MB)ヘッドフォン推奨
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
「無題2」のflashアニメとともに。
難解な漢文の御経のエッセンスを、親しみやすい言葉に置き換え、哀調を帯びたメロディにのせた和讃は、広く庶民に親しまれてきた。
病を癒す仏、薬師如来にも和讃が伝えられている。
「薬師如来和讃」
帰命頂礼薬師尊 三界衆生の父母よ
一度名号きく人は 万病除ひて楽を得る
我等がために普くも 十二の大願立てたまふ
日光菩薩は付き添ひて 無明の暗を照らさるる
月光菩薩は涼しくも 苦熱の煩悩掃はるる
子丑寅卯の十二神 年月日時に守らるる
七千夜叉の面々も 刹那も休息在しまさず
あら有り難や瑠璃の壺 甘露を湧して淋るる
此の信念のかたければ 我が身も瑠璃光如来なり
七ぶつやくし無上尊 現当二世を助けたまへ
ほんのさわりだけ、音遊びを作ってみた。
【薬師如来和讃】(1分/mp3ファイル/2MB)ヘッドフォン推奨
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
「無題2」のflashアニメとともに。
2007年03月18日
地の力2
暖冬から一転、寒さが息を吹き返している。
通常の在り方ではないけれども、この寒さが貴重なのだ。桜の開花にも一定の「寒さの刺激」を受けた後の気温上昇が必要だという。
秋には葉を落とされ、冬は寒さに閉じ込められることで地の力は蓄積されて、春の芽吹きを呼ぶ。
道端にはチラチラと、イヌノフグリが咲き始めている。
私は小さい時、この小さな水色の花が好きだった。
名前はあまりよくない花だが(苦笑)
今でも三月ごろイヌノフグリを見つけると、幼い頃の気分がよみがえってくる。
2007年03月21日
ハナガフル
今日は春分の日、春のお彼岸の中日だ。
お彼岸が来るたびに、ある海辺の情景を思い出す。
和歌山県和歌浦にある雑賀崎という場所に「ハナガフル」という不思議な現象があるという。
春と秋のお彼岸の頃、日没時に高台に登ると、沈む太陽から様々な色の光の玉が降ってくることがあるのだそうだ。伝説の類ではなく、地元ではたまに目撃されている自然現象らしい。
秋のお彼岸の時期に、現地に足を運んでみたことがある。
和歌浦の静かな観光エリアを抜け、雑賀崎へ。
入り組んだ小さな湾には漁港があり、高台に登る斜面には民家がひしめくように密集している。
うっかりすると他所様の居間に入り込んでしまいそうな路地の連続、くれぐれも地元の人に失礼の無いように、そっと通りすぎる。
海に臨む斜面の静かな静かな集落、聞き耳を立てているわけではないけれども、おばあちゃんたちの世間話が聞こえてくる。
「今日はハナガフルで、はよう登って見てきたらええ
赤やら紫やらの光がぐーるぐーるまわってな
飛んで来よるんやで
はよう登って見てきたらええわ……」
少々耳が遠い者同士の会話は自然とボリュームが上がり、何度も同じ言葉が繰り返される。近所中に「ハナフリ」の告知が響いている……
案の定と言うか、結局そのときは「ハナフリ」の現象を見ることが出来なかったのだが、真西の水平線に沈むお彼岸の素晴らしい夕日は見た。
実は私は、斜面の集落でおばあちゃんたちの世間話を聞けた時点で、ほとんど満足してしまっていたのだけれども。
和歌浦については、他にも様々にカタリたいことがある。
追々このカテゴリ「和歌浦」で紹介して行きたいと思う。
2007年03月29日
金烏玉兎にまつわる物語
金烏玉兎にまつわる物語には、書物としての「金烏玉兎」そのものに描かれている物語と、「金烏玉兎」の持つ力を表現するための周辺物語がある。
本編である「金烏玉兎」が非常に専門的であったためか、注釈書や由来書の方が広く一般に流布された。そのような書物の中で、元々はバラバラに成立していた安倍晴明伝説が集約されて、波乱万丈の物語が熟成されていった。
晴明の宿命のライバルとしては芦屋道満が有名だ。箱の中身を当てる術比べで、先に正解である「大柑子十六個」を道満に言い当てられた晴明は、直ちに術をもって「鼠十六匹」に変身させ、勝負を制する。
時代が下り熟成された物語の中では、道満は晴明の「魂の兄弟」として登場する。
(以下は、史実ではない物語の世界の出来事)
晴明の前世である阿倍仲麻呂は「金烏玉兎」を得るために唐に渡り、志半ばで倒れるのだが、渡唐前に兄に安倍家の後事を頼んでいた。ところが兄は裏切って安倍家乗っ取りを企むが、結局失敗に終わり、安倍家自体も没落していく。
生まれ変わった晴明は、様々な試練を超えて大陰陽師として成長していくが、同じく転生した兄も芦屋道満として術を磨いていた。
前世の因縁に引きずられるように両者は再び対峙する。道満は晴明の手元にある「金烏玉兎」を我が物にしようと画策し、やがて二人はお互いの存在をかけて術を比べる。
勝負は晴明に軍配が上がり、宿命を悟った道満は晴明の弟子となり、世の平和のために尽くすようになる……
宿命のライバルは実は「魂の兄弟」であり、対決後は和合してともに世のために尽くすというのは、非常に完成された物語の定型だ。今でも多くの作品世界がこのパターンを踏襲している。
本編である「金烏玉兎」が非常に専門的であったためか、注釈書や由来書の方が広く一般に流布された。そのような書物の中で、元々はバラバラに成立していた安倍晴明伝説が集約されて、波乱万丈の物語が熟成されていった。
晴明の宿命のライバルとしては芦屋道満が有名だ。箱の中身を当てる術比べで、先に正解である「大柑子十六個」を道満に言い当てられた晴明は、直ちに術をもって「鼠十六匹」に変身させ、勝負を制する。
時代が下り熟成された物語の中では、道満は晴明の「魂の兄弟」として登場する。
(以下は、史実ではない物語の世界の出来事)
晴明の前世である阿倍仲麻呂は「金烏玉兎」を得るために唐に渡り、志半ばで倒れるのだが、渡唐前に兄に安倍家の後事を頼んでいた。ところが兄は裏切って安倍家乗っ取りを企むが、結局失敗に終わり、安倍家自体も没落していく。
生まれ変わった晴明は、様々な試練を超えて大陰陽師として成長していくが、同じく転生した兄も芦屋道満として術を磨いていた。
前世の因縁に引きずられるように両者は再び対峙する。道満は晴明の手元にある「金烏玉兎」を我が物にしようと画策し、やがて二人はお互いの存在をかけて術を比べる。
勝負は晴明に軍配が上がり、宿命を悟った道満は晴明の弟子となり、世の平和のために尽くすようになる……
宿命のライバルは実は「魂の兄弟」であり、対決後は和合してともに世のために尽くすというのは、非常に完成された物語の定型だ。今でも多くの作品世界がこのパターンを踏襲している。
2007年03月30日
金烏玉兎にまつわる物語2
金烏玉兎にまつわる物語の中での安倍晴明は、やがて神話的な存在へと昇華して行き、時代を超えて活躍するようになる。
実在の安倍晴明が活躍した時代の百数十年後のこと、宮中を惑わす一人の妖女が現われた。絶世の美女、玉藻前(たまものまえ)である。
彼女を寵愛する天皇が重い病に犯されたため、その原因の特定に晴明が呼び寄せられ、占いが行われた。結果、玉藻前は中国でいくつもの国を滅ぼしてきた魔性の妖狐、金毛九尾であることが判明した。
各国の王の心を捉え、蕩かせ、腐らせて、国を滅ぼす大妖怪である。
正体の露見した玉藻前は直ちに狐の姿になって逃走したが、ついに那須野の原で討ち取られた。流れ出た血は凝って石となり、毒気を吐き出す殺生石となったという。
この「殺生石」の物語にはいくつかのバージョンがあるが、金烏玉兎の由来書の一つによれば、金毛九尾を調伏したのは安倍晴明であるという設定になっている。
晴明と言えば、霊狐・葛の葉を母に持つ。ここでは狐の霊力を受け継いだ主人公が、同じく狐である妖怪を退治する構造になっている。
主人公が調伏されるべき適役の性質を併せ持った「あいのこ」であるという設定は、現在でも多くの作品世界で踏襲されている定型である。
実在の安倍晴明が活躍した時代の百数十年後のこと、宮中を惑わす一人の妖女が現われた。絶世の美女、玉藻前(たまものまえ)である。
彼女を寵愛する天皇が重い病に犯されたため、その原因の特定に晴明が呼び寄せられ、占いが行われた。結果、玉藻前は中国でいくつもの国を滅ぼしてきた魔性の妖狐、金毛九尾であることが判明した。
各国の王の心を捉え、蕩かせ、腐らせて、国を滅ぼす大妖怪である。
正体の露見した玉藻前は直ちに狐の姿になって逃走したが、ついに那須野の原で討ち取られた。流れ出た血は凝って石となり、毒気を吐き出す殺生石となったという。
この「殺生石」の物語にはいくつかのバージョンがあるが、金烏玉兎の由来書の一つによれば、金毛九尾を調伏したのは安倍晴明であるという設定になっている。
晴明と言えば、霊狐・葛の葉を母に持つ。ここでは狐の霊力を受け継いだ主人公が、同じく狐である妖怪を退治する構造になっている。
主人公が調伏されるべき適役の性質を併せ持った「あいのこ」であるという設定は、現在でも多くの作品世界で踏襲されている定型である。
2007年03月31日
本の中の本
子供の頃から、図書館が好きだった。
とくに革張りの背表紙の並んだ、人気の少ない百科事典や専門書の一角には身震いするほど興味を惹かれた。宇宙の真相が全てその一角に詰まっているような気がして、(そんな必要は全く無いのだが)周りに人が居ないことを確かめてから、中の一冊をそっと抜き出してみたりした。神話伝説の研究書など、子供の読解力をはるかに超えた本を、背伸びしながらひそかに拾い読んだりしていた。
また、私は子供の頃から漢文のお経を読む機会が多かったのだが(カテゴリ「原風景」参照)その時も「こうしてずっと読み続けていると、いつか漢文の意味がわかるようになって、物凄い秘密が明らかになるのではないか」と想像し、ちょっと怖くなったりしていた。実際、小学校高学年くらいになると、漢字のイメージからなんとなくお経の意味がわかり始めていた。
こういうお経や聖書などの分厚い本の中には、この宇宙の真相が余すところなく記述された、決定版の一冊があるのではないか?
子供の頃の私は、心のどこかでそんな「本の中の本」の夢を追っていたのかもしれない。
時は流れて私は大人になり、昔ほど無邪気ではなくなったので、「決定版の一冊」なるものがこの世に存在しないことは知っている。しかし、それでも「本の中の本」に対する憧れは残っている。
こうした憧れが、私などよりもっと過剰に発現すれば、三蔵法師のように命をかけて経典を求める旅に出たり、出口王仁三郎のように膨大な教典をたった一人で口述してしまったりするのだろう。
私自身はそこまでの過剰さはなく、今のところは一般人として入手・閲覧できる範囲の書物に目を通し、絵に描くぐらいで済んではいる。
このカテゴリでも紹介してきた由来物語によれば、「金烏玉兎」はまさに「本の中の本」としてイメージされていることがわかる。私も断片的にこの書名を目にしたことがあったのだが、あまりに神秘的な紹介の仕方をされていたので、てっきり架空の書物だと思い込んでいた。
ところが驚くべきことに、この「金烏玉兎」は現存しており、しかも現代語訳された安価なものが書店で売られている。
続きを読む
とくに革張りの背表紙の並んだ、人気の少ない百科事典や専門書の一角には身震いするほど興味を惹かれた。宇宙の真相が全てその一角に詰まっているような気がして、(そんな必要は全く無いのだが)周りに人が居ないことを確かめてから、中の一冊をそっと抜き出してみたりした。神話伝説の研究書など、子供の読解力をはるかに超えた本を、背伸びしながらひそかに拾い読んだりしていた。
また、私は子供の頃から漢文のお経を読む機会が多かったのだが(カテゴリ「原風景」参照)その時も「こうしてずっと読み続けていると、いつか漢文の意味がわかるようになって、物凄い秘密が明らかになるのではないか」と想像し、ちょっと怖くなったりしていた。実際、小学校高学年くらいになると、漢字のイメージからなんとなくお経の意味がわかり始めていた。
こういうお経や聖書などの分厚い本の中には、この宇宙の真相が余すところなく記述された、決定版の一冊があるのではないか?
子供の頃の私は、心のどこかでそんな「本の中の本」の夢を追っていたのかもしれない。
時は流れて私は大人になり、昔ほど無邪気ではなくなったので、「決定版の一冊」なるものがこの世に存在しないことは知っている。しかし、それでも「本の中の本」に対する憧れは残っている。
こうした憧れが、私などよりもっと過剰に発現すれば、三蔵法師のように命をかけて経典を求める旅に出たり、出口王仁三郎のように膨大な教典をたった一人で口述してしまったりするのだろう。
私自身はそこまでの過剰さはなく、今のところは一般人として入手・閲覧できる範囲の書物に目を通し、絵に描くぐらいで済んではいる。
このカテゴリでも紹介してきた由来物語によれば、「金烏玉兎」はまさに「本の中の本」としてイメージされていることがわかる。私も断片的にこの書名を目にしたことがあったのだが、あまりに神秘的な紹介の仕方をされていたので、てっきり架空の書物だと思い込んでいた。
ところが驚くべきことに、この「金烏玉兎」は現存しており、しかも現代語訳された安価なものが書店で売られている。
続きを読む