【4月の予定】
3月中にもう少し進めたかったカテゴリ「金烏玉兎」ですが、ようやく準備も整ってきたので、4月中に目処をつけるべく鋭意投稿して行く予定です。
【ロゴ画像変更】
そろそろ道端には春の花が咲きそろってきています。
寒さも去り、花粉も一段落。
散歩の楽しい季節になってきました。
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2007年04月01日
2007年04月03日
2007年04月06日
なにもちおすき
以前、カテゴリ「地蔵」参考図書で紹介した「地蔵さま入門」に、以下のような宮城県のわらべ歌が収録されている。
じんぞさん じんぞさん
たんなかの じんぞさん
なにもちおすき
あずきもちおすき
たんなかの じんぞさん
なにもちおすき
あずきもちおすき
お地蔵様はどの土地でも、子供の感情移入を受けやすい、同じ場所に立ってくれる仏様。
2007年04月07日
托胎霊夢(たくたいれいむ)
明日4月8日は「はなまつり」、お釈迦様生誕の日と伝えられる。
母親、摩耶夫人(まやぶにん)は懐妊にあたって、黄金の六本牙を持った白い象が、右脇から胎内に入る夢を見たという。
お釈迦様が兜率天(今は弥勒菩薩が修行している)から象に乗って母の胎内に下生してきたというお話もある。
月満ちて摩耶夫人はお釈迦様を生むが、七日目には亡くなってしまう。
神秘的な逸話に装飾されたお釈迦様の出生で、どこまでが史実かはわからないが、この「母の死」のくだりには、なぜか生々しさを感じる。
2007年04月12日
2007年04月13日
土と火
小学生の頃、図工の時間か何かで土器を作った。粘土をこね、ひも状にしてグルグル巻き上げて行き、器の形にして模様を刻み込んでいく。残念ながら、焼くのは業者さん任せだったが、出来上がってきた土器は明るいオレンジ色がとてもきれいだった。
たしか、学研の「科学と学習」の付録にも、縄文土器作りのセットがあったはずだ。こちらは土色の紙粘土をプラスチックの容器にかぶせるだけのもので、縄目模様をつけて楽しむのが主目的の教材だったと記憶している。
土器だけではなく、歴史で習う縄文時代の生活全般が面白くて仕方がなかった。弥生や古墳も中々だったが、なんと言っても縄文が一番だった。
実家の近所には竪穴式住居を再現した遺跡があって、よく遊びに行った。再現された住居に入って、ぼーっと座ってみたりした。
庭の土を少し掘ると粘土層が出たので、掘り返してレンガや器の形を作って遊んだ。当時はまだ庭先で可燃ゴミを燃やしていたので、その時ついでに作ったものを焼いたりした。
土を掘り、手でこねて形を作り、それを焼くと質が変わって完成する過程が、不思議で面白かった。
2007年04月14日
手で読む縄文
ふと手に取った本に一気に引き込まれ、夢中になって読みふけってしまうことがある。
例えば私はこんな感じ。
縄文土器について調べていた。
まず当然の手順として、書店の歴史コーナーに行き、該当する年代の書籍が並ぶ一画を渉猟する。それぞれに価値のある資料が並んでいる。
でもどこかしっくり来ない。私が求める参考資料のイメージと、どこかずれる。
そんな時には発想を転換する。
縄文土器といえども焼き物の一種。
そうか、陶芸コーナーを探してみるか。
そして手に取ったのが、この一冊。
●「いつでも、どこでも、縄文・室内陶芸」吉田明(双葉社)
この本は、徹底的に「縄文土器を実作する」という一点にこだわった一冊だ。著者の吉田明さんは、陶芸用の土や窯などの現代陶芸の利器をなるべく使用せず、縄文人と同じ条件で土器を制作するノウハウを追及している。
発掘された土器を史料として観察する学問的なアプローチと違い、実際に自分の手で作ってみることで見えてくる縄文の世界を、情熱的に語る。観察ではなく、手で土と火から読み取った縄文の世界。土器にだけにとどまらない、縄文の生活スタイル全般の世界。
その世界は表紙に記されたコピーに端的に表現されている。
「どんな土でもつくることができる」
「道具もいらない」
「ダレにでもつくれて、簡単に焼ける」
「どこでも焼けて、失敗しない」
「省エネルギーで、水に溶けない最低の温度で焼く」
「どんな大きなものでも焼ける」
コピーを読んだ瞬間には「ホントかよ?」と浮かんでいた疑問符が、中身を読んでみると実制作の記録によって丁寧に解消されていく。
縄文人は文明の利器を何一つ持っていなかったけれども、その制約条件こそが縄文土器の素晴らしい形状、デザインに必要な前提条件であったことが、理解できてくる。
読むと誰もが土器が焼き、縄文の世界を体験したくなる一冊!
例えば私はこんな感じ。
縄文土器について調べていた。
まず当然の手順として、書店の歴史コーナーに行き、該当する年代の書籍が並ぶ一画を渉猟する。それぞれに価値のある資料が並んでいる。
でもどこかしっくり来ない。私が求める参考資料のイメージと、どこかずれる。
そんな時には発想を転換する。
縄文土器といえども焼き物の一種。
そうか、陶芸コーナーを探してみるか。
そして手に取ったのが、この一冊。
●「いつでも、どこでも、縄文・室内陶芸」吉田明(双葉社)
この本は、徹底的に「縄文土器を実作する」という一点にこだわった一冊だ。著者の吉田明さんは、陶芸用の土や窯などの現代陶芸の利器をなるべく使用せず、縄文人と同じ条件で土器を制作するノウハウを追及している。
発掘された土器を史料として観察する学問的なアプローチと違い、実際に自分の手で作ってみることで見えてくる縄文の世界を、情熱的に語る。観察ではなく、手で土と火から読み取った縄文の世界。土器にだけにとどまらない、縄文の生活スタイル全般の世界。
その世界は表紙に記されたコピーに端的に表現されている。
「どんな土でもつくることができる」
「道具もいらない」
「ダレにでもつくれて、簡単に焼ける」
「どこでも焼けて、失敗しない」
「省エネルギーで、水に溶けない最低の温度で焼く」
「どんな大きなものでも焼ける」
コピーを読んだ瞬間には「ホントかよ?」と浮かんでいた疑問符が、中身を読んでみると実制作の記録によって丁寧に解消されていく。
縄文人は文明の利器を何一つ持っていなかったけれども、その制約条件こそが縄文土器の素晴らしい形状、デザインに必要な前提条件であったことが、理解できてくる。
読むと誰もが土器が焼き、縄文の世界を体験したくなる一冊!
2007年04月15日
2007年04月23日
2007年04月26日
道仏習合
中世陰陽師の百科全書的書物である「金烏玉兎 巻ノ二」には、日本の記紀神話とも仏教の須弥山宇宙観とも異なる、独自の創世神話が語られている。
中国各地由来の様々な神を陰陽五行説に当てはめて構成し、さらに仏教の宇宙観を接合してあり、「龍」に表象されるエネルギーが天地を縦横無尽に駆け巡り、神や自然や人間を生み出して行く、中々壮大な神話になっている。
基本は中国神話なので、道教の物の見方が中心だが、日本で構成されたものらしいので微妙に日本風の改変らしきものも見られる。陰陽五行の考え方を理解するに当たって、中世陰陽師は理論を「ものがたり」に変換しつつ受容していったのだろう。
海外の文化を、自分の好みのかたちに巧みにアレンジして我が物とするのは、今も昔も変わらぬ日本人の得意技だ。
陰陽師の使う占術の詳しい内容は「金烏玉兎」の現代語訳を参照してもらうとして、当ブログでは創世神話の部分を、絵と文章で紹介してみたいと思う。
掲載するイラストは「金烏玉兎」の文面に登場する神名を、中国神話の図像として現存するものと組み合わせつつ、私が独自にブレンドしたもので、我ながらやや強引な組み合わせもしており資料的な価値は薄いと思われる。
伝説の書物「金烏玉兎」をネタにした、一幕の紙芝居と言ったところになるだろう。
中国各地由来の様々な神を陰陽五行説に当てはめて構成し、さらに仏教の宇宙観を接合してあり、「龍」に表象されるエネルギーが天地を縦横無尽に駆け巡り、神や自然や人間を生み出して行く、中々壮大な神話になっている。
基本は中国神話なので、道教の物の見方が中心だが、日本で構成されたものらしいので微妙に日本風の改変らしきものも見られる。陰陽五行の考え方を理解するに当たって、中世陰陽師は理論を「ものがたり」に変換しつつ受容していったのだろう。
海外の文化を、自分の好みのかたちに巧みにアレンジして我が物とするのは、今も昔も変わらぬ日本人の得意技だ。
陰陽師の使う占術の詳しい内容は「金烏玉兎」の現代語訳を参照してもらうとして、当ブログでは創世神話の部分を、絵と文章で紹介してみたいと思う。
掲載するイラストは「金烏玉兎」の文面に登場する神名を、中国神話の図像として現存するものと組み合わせつつ、私が独自にブレンドしたもので、我ながらやや強引な組み合わせもしており資料的な価値は薄いと思われる。
伝説の書物「金烏玉兎」をネタにした、一幕の紙芝居と言ったところになるだろう。