【10月の予定】
9月中に新カテゴリ「須弥山」をスタートさせたものの、準備に時間がかかってあまり記事に出来ませんでした。10月中にはひとしきり投稿できるよう、鋭意努めて行きたいと思います。
【ロゴ画像変更】
もう仲秋の名月は終ってしまいましたが、10月は月が美しい時期です。月の神話をテーマに、一つflashを作成してみました。
うちの近所ではようやくヒガンバナの茎が伸びてきて、ここ数日中に見頃になりそうです。
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2007年10月01日
2007年10月07日
2007年10月11日
当麻寺
当麻寺へは、近鉄南大阪線の当麻寺駅で下車、20分ほど歩くと到着することができる。
駅のすぐ近くには中将姫伝説にちなんだ「中将餅」のお店がある。小ぶりのヨモギ餅にたっぷり漉し餡ののったものが二つと、お茶のセットで300円。参拝の帰りに一休みするのにちょうど良い。
近鉄南大阪線の二上山駅を下車、遊歩道を南に辿って行くと、葛城の里の田園風景を楽しみつつ、当麻寺に参拝することができる。秋のお彼岸の時期なら、こちらのコースの方がお勧めだ。二上山駅のすぐ近くの踏み切り斜面が、全体に朱に染まる程のヒガンバナの群生地が見られるし、田んぼを通る遊歩道でもそこここで見事な群生を楽しめる。
今回、私はこのコースを散歩した。
途中の「道の駅」では、豆腐製品を中心とした物産店もあった。
どれも美味そうだったが、こんにゃくを割り箸に差して煮込んだものが100円で売っていて、我慢できずに一本購入。
座って舌鼓を打っていると、隣に幼い兄弟が腰掛けた。
お兄ちゃんが手にした煮込みこんにゃくをフーフーして、弟に一口かじらせてあげている。残念ながら幼すぎる弟はこんにゃくは噛み切れず、小さな歯型がついただけだったが、味は十分楽しめたことだろう。
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2007年10月13日
折口信夫「死者の書」
当麻寺から帰ってきて、折口信夫「死者の書」の文庫本を押入れの奥から引っ張り出し、読んでみた。
私が持っているのは古い中公文庫を古書店で入手したもので、「死者の書」と「山越しの阿弥陀像の画因」が収録されている版。現行の文庫版とは構成が違うようだ。
ずっと昔入手して以来、読みたい読みたいと思いながら、今まで手を出せずにいたが、先週当麻寺から帰ってきてから手にとってみると、すーっと自然に読み通すことが出来た。二上山麓の空気が作品の持つ雰囲気と同期して、やや難解な作品の通読を助けてくれた。
死者のヨミガエリから語り起こされる物語は、冥く、濃密だ。
二上山に沈む夕日
非業の皇子の墓場
修験者の招魂
憑かれた姫
山越しの阿弥陀
当麻曼荼羅
ばらばらに紡がれた伝説の糸の一本一本が、ある日姫が山の端に見た幻想を軸に、一つの刺繍に織り上げられる。織り上げられた作品は、著者によって読み替えられた独創ではある。しかし二上山麓の空気を実際に感じてみると、どうしてもこの物語こそが伝説の真相で在ったと思えてならなくなってくる。
「した した した。」
作品冒頭に描かれる地下水の滴りとともに、死者の思いがむっくりと起き上がってくる。二上山の雄岳と雌岳の狭間に、よみがえった死者が重なって映る。
かつてこんなことがあり、今もそれは続いていると、思えてならなくなってくる。
今後も折にふれて読み返したくなるであろう、大切な作品になった。
折口信夫「死者の書」は、ネットの青空文庫で読むこともできるので、紹介しておこう。
「死者の書」
「山越しの阿弥陀像の画因」
紙の本がよく似合う作品ではあるけれど。
私が持っているのは古い中公文庫を古書店で入手したもので、「死者の書」と「山越しの阿弥陀像の画因」が収録されている版。現行の文庫版とは構成が違うようだ。
ずっと昔入手して以来、読みたい読みたいと思いながら、今まで手を出せずにいたが、先週当麻寺から帰ってきてから手にとってみると、すーっと自然に読み通すことが出来た。二上山麓の空気が作品の持つ雰囲気と同期して、やや難解な作品の通読を助けてくれた。
死者のヨミガエリから語り起こされる物語は、冥く、濃密だ。
二上山に沈む夕日
非業の皇子の墓場
修験者の招魂
憑かれた姫
山越しの阿弥陀
当麻曼荼羅
ばらばらに紡がれた伝説の糸の一本一本が、ある日姫が山の端に見た幻想を軸に、一つの刺繍に織り上げられる。織り上げられた作品は、著者によって読み替えられた独創ではある。しかし二上山麓の空気を実際に感じてみると、どうしてもこの物語こそが伝説の真相で在ったと思えてならなくなってくる。
「した した した。」
作品冒頭に描かれる地下水の滴りとともに、死者の思いがむっくりと起き上がってくる。二上山の雄岳と雌岳の狭間に、よみがえった死者が重なって映る。
かつてこんなことがあり、今もそれは続いていると、思えてならなくなってくる。
今後も折にふれて読み返したくなるであろう、大切な作品になった。
折口信夫「死者の書」は、ネットの青空文庫で読むこともできるので、紹介しておこう。
「死者の書」
「山越しの阿弥陀像の画因」
紙の本がよく似合う作品ではあるけれど。
2007年10月14日
風輪上の世界
虚空に浮かぶ巨大な気体の円盤「風輪」の上には、液体の「水輪」固体の「金輪」の層が重なっている。
風輪と、水輪から上の世界は大きさのスケールが違い過ぎ、水輪以上の世界を認識しようとすれば、風輪は限りなく続く平面に見えるだろう。
水輪より上の世界について、比率をなるべく正確に図示すると、以下のようになる。
水輪と金輪は底面積の同じ円柱で、高さはそれぞれ80万由旬と32万由旬だ。(1由旬は約7km)ちなみに最下層の風輪の高さは160万由旬とされている。
水輪と金輪の境目が「金輪際(こんりんざい)」で、現在日常的に使われる「金輪際」という言葉の語源になっている。
金輪の中心部にあるのが須弥山で、上空には須弥山山頂と同じ面積の天界が何層か浮揚している。
図中の金輪から上、他化自在天(第六天)までが、六道輪廻の世界だ。だから「解脱」とは、この範囲から「外」に出るということになる。他化自在天のさらに上空には、悟りの世界が何層にも続いていくのだが、同スケールで図示できるのは、ちょうど六道輪廻の範囲内になっている。
以前アップした須弥山のイメージ図もあわせて参照すると、感じがつかみ易いかもしれない。
風輪と、水輪から上の世界は大きさのスケールが違い過ぎ、水輪以上の世界を認識しようとすれば、風輪は限りなく続く平面に見えるだろう。
水輪より上の世界について、比率をなるべく正確に図示すると、以下のようになる。
水輪と金輪は底面積の同じ円柱で、高さはそれぞれ80万由旬と32万由旬だ。(1由旬は約7km)ちなみに最下層の風輪の高さは160万由旬とされている。
水輪と金輪の境目が「金輪際(こんりんざい)」で、現在日常的に使われる「金輪際」という言葉の語源になっている。
金輪の中心部にあるのが須弥山で、上空には須弥山山頂と同じ面積の天界が何層か浮揚している。
図中の金輪から上、他化自在天(第六天)までが、六道輪廻の世界だ。だから「解脱」とは、この範囲から「外」に出るということになる。他化自在天のさらに上空には、悟りの世界が何層にも続いていくのだが、同スケールで図示できるのは、ちょうど六道輪廻の範囲内になっている。
以前アップした須弥山のイメージ図もあわせて参照すると、感じがつかみ易いかもしれない。
2007年10月15日
九山八海
虚空に浮かぶ風輪上に、水輪の層が載る。
水輪の上層には、ミルクに膜が浮かぶように金輪が載っている。
そして金輪は、お盆にいくつかの石を配置し、水を張ったように、九つの山と八つの海の世界が展開されている。
金輪中央にそびえる立方体のアウトラインをもつ高山が須弥山。
須弥山を七重の柵のように囲む山が七金山。
金輪をぐるりと囲む縁が鉄囲山(てっちせん)。
この合計九つの山の合間には、八つの海がある。
須弥山及び七金山内の七つの海は淡水で、鉄囲山が囲む一番外周の海は、いわゆる海水である。
この様を総称して「九山八海(くせんはっかい)」と呼ぶ。
鉄囲山と七金山の間の海水には、東西南北にそれぞれ洲がある。南に位置する「南瞻部洲(なんせんぶしゅう)」が、我々人間の住む世界だ。
太陽と月は、須弥山の中腹程の高さの軌道上を周回している。
衆生が輪廻する六道は、主にこの九山八海の世界で繰り返される。
六道の内、地獄は南瞻部洲の地下に存在し、畜生・餓鬼・人間は四つの洲上、阿修羅は海中に住する。
太陽と月を喰う悪魔で紹介したラーフは、一説には東西南北の海を支配する四大阿修羅王の一つとされる。「北野天神縁起絵巻」では、日月を手にした姿で天の神々と激しい戦争を繰り広げている。
天の神々は、中央の須弥山及びその上空の世界に住んでいる。
水輪の上層には、ミルクに膜が浮かぶように金輪が載っている。
そして金輪は、お盆にいくつかの石を配置し、水を張ったように、九つの山と八つの海の世界が展開されている。
金輪中央にそびえる立方体のアウトラインをもつ高山が須弥山。
須弥山を七重の柵のように囲む山が七金山。
金輪をぐるりと囲む縁が鉄囲山(てっちせん)。
この合計九つの山の合間には、八つの海がある。
須弥山及び七金山内の七つの海は淡水で、鉄囲山が囲む一番外周の海は、いわゆる海水である。
この様を総称して「九山八海(くせんはっかい)」と呼ぶ。
鉄囲山と七金山の間の海水には、東西南北にそれぞれ洲がある。南に位置する「南瞻部洲(なんせんぶしゅう)」が、我々人間の住む世界だ。
太陽と月は、須弥山の中腹程の高さの軌道上を周回している。
衆生が輪廻する六道は、主にこの九山八海の世界で繰り返される。
六道の内、地獄は南瞻部洲の地下に存在し、畜生・餓鬼・人間は四つの洲上、阿修羅は海中に住する。
太陽と月を喰う悪魔で紹介したラーフは、一説には東西南北の海を支配する四大阿修羅王の一つとされる。「北野天神縁起絵巻」では、日月を手にした姿で天の神々と激しい戦争を繰り広げている。
天の神々は、中央の須弥山及びその上空の世界に住んでいる。
2007年10月16日
四大洲
鉄囲山と七金山の間の海には、東西南北にそれぞれ洲があり、四大洲と呼ばれる。
東には半月形の「勝身洲(しょうしんしゅう)」
西には円形の「牛貨洲(ごかしゅう)」
南には正三角形に近い台形の「贍部洲(せんぶしゅう)」、またの名「閻浮提(えんぶだい)」
北には正方形の「倶盧洲(くるしゅう)」がある。
このうち南の贍部洲が我々の住む世界だ。
四大洲は金輪上に正確な比率で描写すると、小さくて視認できなくなる。今回は模式平面図で紹介してみよう。
この模式平面図はそのまま曼荼羅の構成にも発展する。
曼荼羅は上空の天界から須弥山を鳥瞰する構造になっており、曼荼羅図内の円形と方形の組み合わせは金輪上の九山八海と重なるイメージを持っている。
東には半月形の「勝身洲(しょうしんしゅう)」
西には円形の「牛貨洲(ごかしゅう)」
南には正三角形に近い台形の「贍部洲(せんぶしゅう)」、またの名「閻浮提(えんぶだい)」
北には正方形の「倶盧洲(くるしゅう)」がある。
このうち南の贍部洲が我々の住む世界だ。
四大洲は金輪上に正確な比率で描写すると、小さくて視認できなくなる。今回は模式平面図で紹介してみよう。
この模式平面図はそのまま曼荼羅の構成にも発展する。
曼荼羅は上空の天界から須弥山を鳥瞰する構造になっており、曼荼羅図内の円形と方形の組み合わせは金輪上の九山八海と重なるイメージを持っている。
2007年10月17日
南贍部洲
直径約120万由旬の金輪、その金輪の内側を占める巨大な須弥山及び七金山のスケールと比べると、2000由旬前後の大きさの四大洲は非常に小さい。海の広さと比較すれば「大陸」と言うより「絶海の孤島」に見える。
我々人間が住む南贍部洲は、一辺が2000由旬のほぼ正三角形と設定されている。1由旬は約7kmだから、南贍部洲の一辺は約14000kmで、この大きさはインド亜大陸を実測した数値と近い線を行っている。須弥山宇宙観は数値だけ取ってみると、地球のスケールを上回る規模を持っていることがわかる。
インドの大地を北に進むと、まず「九黒山」が聳えている。その山を越えると「雪山(ヒマラヤ)」に到達する。ヒマラヤの奥地には「無熱悩池」があり、東西南北から四つの大河が流れ出している。
無熱悩池は一辺50由旬の正方形で、竜王が住んでいる。金輪上空の軌道を周回している太陽と月は、この無熱悩池と大体同じ程度の大きさとされている。
無熱悩池の更に奥地、南贍部洲の最北には「香酔山」があり、常に妙なる香りと歌舞音曲が漂っているとされる。
山の向こうにはまた山。香酔山の向こうには、海を隔てて七金山と須弥山が続いている。
南贍部洲の正三角形(あるいは台形)には、インドから中国を経て日本に伝承されると、それぞれの国の位置も組み込まれるようになった。日本に伝わる絵図では、台形の右肩に「唐土」や「高麗」(朝鮮半島)が表記された物もある。
インド亜大陸をイメージさせる正三角形は、仏教の広がりとともにユーラシア大陸にまで拡大されて行ったようだ。
今、試みにGoogle Earthでユーラシア大陸を眺めてみると、わりあい正三角形に近い概容を持っているのがわかる。
偶然にしても面白い。
我々人間が住む南贍部洲は、一辺が2000由旬のほぼ正三角形と設定されている。1由旬は約7kmだから、南贍部洲の一辺は約14000kmで、この大きさはインド亜大陸を実測した数値と近い線を行っている。須弥山宇宙観は数値だけ取ってみると、地球のスケールを上回る規模を持っていることがわかる。
インドの大地を北に進むと、まず「九黒山」が聳えている。その山を越えると「雪山(ヒマラヤ)」に到達する。ヒマラヤの奥地には「無熱悩池」があり、東西南北から四つの大河が流れ出している。
無熱悩池は一辺50由旬の正方形で、竜王が住んでいる。金輪上空の軌道を周回している太陽と月は、この無熱悩池と大体同じ程度の大きさとされている。
無熱悩池の更に奥地、南贍部洲の最北には「香酔山」があり、常に妙なる香りと歌舞音曲が漂っているとされる。
山の向こうにはまた山。香酔山の向こうには、海を隔てて七金山と須弥山が続いている。
南贍部洲の正三角形(あるいは台形)には、インドから中国を経て日本に伝承されると、それぞれの国の位置も組み込まれるようになった。日本に伝わる絵図では、台形の右肩に「唐土」や「高麗」(朝鮮半島)が表記された物もある。
インド亜大陸をイメージさせる正三角形は、仏教の広がりとともにユーラシア大陸にまで拡大されて行ったようだ。
今、試みにGoogle Earthでユーラシア大陸を眺めてみると、わりあい正三角形に近い概容を持っているのがわかる。
偶然にしても面白い。
2007年10月18日
七金山
我々の住む南贍部洲から海を隔てた遥か北方に、金輪上の世界の中心部を占める巨大な山々がある。
須弥山を中央に、七重の正方形の柵のように取り囲んだ山々を「七金山」と呼ぶ。
(クリックすると画像が大きくなります)
七金山は外側の低い方から順に、以下のような名称を持つ。
尼民達羅山(にみんだつら)
象耳山(ぞうじ)
馬耳山(ばじ)
善見山(ぜんけん)
檐木山(えんぼく)
持軸山(じじく)
持双山(じそう)
外側から順に標高は倍々に高くなり、最も内側の持双山では4万由旬になる。この標高は、日天・月天の周回する軌道の高さと同程度と考えられる。
須弥山は更にその倍の8万由旬(約56万km)に達する。
須弥山を中央に、七重の正方形の柵のように取り囲んだ山々を「七金山」と呼ぶ。
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七金山は外側の低い方から順に、以下のような名称を持つ。
尼民達羅山(にみんだつら)
象耳山(ぞうじ)
馬耳山(ばじ)
善見山(ぜんけん)
檐木山(えんぼく)
持軸山(じじく)
持双山(じそう)
外側から順に標高は倍々に高くなり、最も内側の持双山では4万由旬になる。この標高は、日天・月天の周回する軌道の高さと同程度と考えられる。
須弥山は更にその倍の8万由旬(約56万km)に達する。