【12月の予定】
もう12月が来てしまいました。時間の流れが物凄く速い。。。
11月に引き続き、既存カテゴリの補充などやっていきたいと思っています。
【ロゴ画像変更】
12月と言うことで、クリスマスネタを一つ。
「サンタは良いとして、なぜ大黒様が?」
そんな疑問をお持ちの皆さんは、サンタクロースをご一読!
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2007年12月01日
2007年12月07日
降魔成道
明日12月8日は「成道会(じょうどうえ)」で、お釈迦様が悟りを開いたとされている日にあたる。
約二千五百年前、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く直前、成道を妨害しようとする魔の軍勢を降伏したという伝説がある。その魔軍を差し向けたのが、須弥山の遥か上空に住する第六天魔王だ。
(第六天魔王、第六天参照)
仏教説話集「今昔物語」天竺部では、以下のような物語が紹介されている。
お釈迦様が菩提樹の下に座したとき、もうすぐ彼が悟りに至ることを予感した天地の神々は一斉に賛嘆の声を上げ、その声は天空の第六天宮殿を振動させた。第六天魔王は自分以上の境地に楽しむ者の出現を阻止しようと決意した。
まず三人の娘を派遣し、お釈迦様の欲望につけこもうとしたが、通用しなかった。次には自ら赴いて、第六天の王の地位を持ちかけたが、通用しなかった。最後に魔の軍勢を率いて襲い掛かったが、これも通用しなかった。
魔を退けたお釈迦様は、この後成道を果たした。
(画像をクリックすると少し大きくなります)
今回この降魔成道の絵を描くにあたって「今昔物語」をあらためて読み返してみたのだが、天竺部の冒頭にお釈迦様の物語が物凄く詳細に描写されていて、非常に面白かった。
よく読むと第六天魔王がお釈迦様の出生シーンから既に登場していたり、神々の王・帝釈天や、第六天より更に上空に住する梵天が重要な役割で登場したり、カテゴリ須弥山の世界観が生き生きと活写されているのがわかった。
今昔物語は日本が舞台の「本朝部」がよく読まれるが、天竺部はお釈迦様の伝記として本当に面白く、よくできている。
当ブログではいずれ絵伝「お釈迦様物語」を描いてみたいと思っていたのだが、今昔物語をベースにするのも一つの手だなと感じた。
約二千五百年前、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開く直前、成道を妨害しようとする魔の軍勢を降伏したという伝説がある。その魔軍を差し向けたのが、須弥山の遥か上空に住する第六天魔王だ。
(第六天魔王、第六天参照)
仏教説話集「今昔物語」天竺部では、以下のような物語が紹介されている。
お釈迦様が菩提樹の下に座したとき、もうすぐ彼が悟りに至ることを予感した天地の神々は一斉に賛嘆の声を上げ、その声は天空の第六天宮殿を振動させた。第六天魔王は自分以上の境地に楽しむ者の出現を阻止しようと決意した。
まず三人の娘を派遣し、お釈迦様の欲望につけこもうとしたが、通用しなかった。次には自ら赴いて、第六天の王の地位を持ちかけたが、通用しなかった。最後に魔の軍勢を率いて襲い掛かったが、これも通用しなかった。
魔を退けたお釈迦様は、この後成道を果たした。
(画像をクリックすると少し大きくなります)
今回この降魔成道の絵を描くにあたって「今昔物語」をあらためて読み返してみたのだが、天竺部の冒頭にお釈迦様の物語が物凄く詳細に描写されていて、非常に面白かった。
よく読むと第六天魔王がお釈迦様の出生シーンから既に登場していたり、神々の王・帝釈天や、第六天より更に上空に住する梵天が重要な役割で登場したり、カテゴリ須弥山の世界観が生き生きと活写されているのがわかった。
今昔物語は日本が舞台の「本朝部」がよく読まれるが、天竺部はお釈迦様の伝記として本当に面白く、よくできている。
当ブログではいずれ絵伝「お釈迦様物語」を描いてみたいと思っていたのだが、今昔物語をベースにするのも一つの手だなと感じた。
2007年12月14日
2007年12月16日
斎場御嶽
トンネルを抜ける「胎内潜り」と言えば、やはり沖縄の斎場御嶽を思い出す。
斎場御嶽は「せーふぁうたき」と読む。
近年世界遺産に登録され、観光地としても有名になった。
元は琉球王朝祭祀の聖地で、長らく男子禁制が守られ、誰もが近づける場所ではなかった。
沖縄の中心地である那覇・首里の真東、知念半島にある聖地で、こんもりと盛り上がった森の中、静かにこの御嶽は鎮座している。
入り口からいくつかの拝所を経て、緑濃く湿度の高い森を螺旋状に回りこんで行くと、巨大な岩塊がのしかかって来そうな寄満(ゆいんち)に到着する。
鍾乳石のように垂れ下がった岩からは、天からの神水が滴り落ちる。
その更に奥、三角形の岩の裂け目を潜ると、「三庫理(さんぐーい)」と呼ばれる小さな空間がある。
元々は三方を岩壁に囲まれた「壷」のような空間で、天を仰ぐ拝所だったと考えられている。
しかし現在は東側の岩壁が崩れ、木々の間にぽっかりと開いた「窓」から東方の神の島・久高島を遥拝する構図になっている。
聖なる軸が天地をつなぐ垂直方向から、太陽の昇る方角を望む水平方向に転換された可能性があるのだ。
時代の移り変わり、信仰の在り方の変化と同期するように、自然現象によって聖地の構図が変化する。これは果たして偶然なのだろうか。
以前ここを訪れた時、デジカメの動画機能で撮った短い映像を紹介しておこう。
動画を見る
斎場御嶽は「せーふぁうたき」と読む。
近年世界遺産に登録され、観光地としても有名になった。
元は琉球王朝祭祀の聖地で、長らく男子禁制が守られ、誰もが近づける場所ではなかった。
沖縄の中心地である那覇・首里の真東、知念半島にある聖地で、こんもりと盛り上がった森の中、静かにこの御嶽は鎮座している。
入り口からいくつかの拝所を経て、緑濃く湿度の高い森を螺旋状に回りこんで行くと、巨大な岩塊がのしかかって来そうな寄満(ゆいんち)に到着する。
鍾乳石のように垂れ下がった岩からは、天からの神水が滴り落ちる。
その更に奥、三角形の岩の裂け目を潜ると、「三庫理(さんぐーい)」と呼ばれる小さな空間がある。
元々は三方を岩壁に囲まれた「壷」のような空間で、天を仰ぐ拝所だったと考えられている。
しかし現在は東側の岩壁が崩れ、木々の間にぽっかりと開いた「窓」から東方の神の島・久高島を遥拝する構図になっている。
聖なる軸が天地をつなぐ垂直方向から、太陽の昇る方角を望む水平方向に転換された可能性があるのだ。
時代の移り変わり、信仰の在り方の変化と同期するように、自然現象によって聖地の構図が変化する。これは果たして偶然なのだろうか。
以前ここを訪れた時、デジカメの動画機能で撮った短い映像を紹介しておこう。
動画を見る
2007年12月19日
2007年12月23日
縁あって熊野
学生時代のある夏、ふとしたきっかけで十津川村を訪れた。
十津川村は奈良県南部をたった一村で占める「日本で一番大きな村」だ。温泉地として知られるこの村の真ん中を流れるのが十津川で、この流れは下流になると熊野川と名を変え、熊野灘へと注いでいく。
川の両岸は山また山の連続で、国道168号沿いにポツポツと集落が点在するが、まずは秘境と言って差し支えない。
私がはじめて訪れた当時は、まだ熊野の山々は世界遺産に指定されておらず、観光地としてもそれほど知られた場所ではなかった。中世「蟻の熊野詣」の賑わいは時の流れとともに消え果てて、ひなびた静かな温泉地の風情しかなかった。「自然と信仰の癒しの場」としての場熊野が脚光を浴びはじめるのは、それから数年後のことだった。
この村に鎮座する「熊野の奥の院」と呼ばれる神社を訪れたことが、縁の始まりだった。以後私は毎年のように夏には「熊野詣」を繰り返すようになり、山中をさまようようになった。

熊野については語りたいことが多すぎて、なかなかこのブログでは書き出せないでいた。万全を期そうとすると、どうしても身構えは固くなり、筆は重くなる。
このままではいつまでたっても語りだせそうにないので、ともかくカテゴリ「熊野」をスタートさせてしまうことにした。

熊野詣に出掛ける前は、いつも畏れの心が起こる。
果たして今度も無事に歩き通せるものかどうか。
地形図上の密な等高線の重なりと、延々と続く細い破線は、道行の困難を予感させるに十分だ。
それでも一歩踏み出してみれば、なんとかなってしまうのもまた熊野なのだ。
断続的に、一歩ずつ、このカテゴリを進めて行きたいと思う。
十津川村は奈良県南部をたった一村で占める「日本で一番大きな村」だ。温泉地として知られるこの村の真ん中を流れるのが十津川で、この流れは下流になると熊野川と名を変え、熊野灘へと注いでいく。
川の両岸は山また山の連続で、国道168号沿いにポツポツと集落が点在するが、まずは秘境と言って差し支えない。
私がはじめて訪れた当時は、まだ熊野の山々は世界遺産に指定されておらず、観光地としてもそれほど知られた場所ではなかった。中世「蟻の熊野詣」の賑わいは時の流れとともに消え果てて、ひなびた静かな温泉地の風情しかなかった。「自然と信仰の癒しの場」としての場熊野が脚光を浴びはじめるのは、それから数年後のことだった。
この村に鎮座する「熊野の奥の院」と呼ばれる神社を訪れたことが、縁の始まりだった。以後私は毎年のように夏には「熊野詣」を繰り返すようになり、山中をさまようようになった。

熊野については語りたいことが多すぎて、なかなかこのブログでは書き出せないでいた。万全を期そうとすると、どうしても身構えは固くなり、筆は重くなる。
このままではいつまでたっても語りだせそうにないので、ともかくカテゴリ「熊野」をスタートさせてしまうことにした。

熊野詣に出掛ける前は、いつも畏れの心が起こる。
果たして今度も無事に歩き通せるものかどうか。
地形図上の密な等高線の重なりと、延々と続く細い破線は、道行の困難を予感させるに十分だ。
それでも一歩踏み出してみれば、なんとかなってしまうのもまた熊野なのだ。
断続的に、一歩ずつ、このカテゴリを進めて行きたいと思う。

2007年12月28日
熊野への道
中世に隆盛した熊野詣から遥かに時は流れた近年、再び「熊野」と呼ばれるエリアが度々メディアに取り上げられるようになった。
とくに定義されることもなく「熊野」と一言で表現されることが多いが、その範囲は必ずしも明確ではない。通常「熊野」は和歌山県、奈良県、三重県の南部、つまり紀伊半島南部の「南紀」と呼ばれるエリアとほぼ重なると考えて差し支えない。
しかしそれで「熊野」の全てをカバーできているかと言うと、必ずしもそうは言えない。
大体の感じをつかんでもらうために、絵図を一つアップしておこう。
(↑画像をクリックすると大きくなります)
絵図の中に何本かの道筋が表記してある。いずれも古来から熊野参詣のために歩き継がれてきた道だが、現在一般に「熊野古道」と呼ばれるのは以下の三つ。
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とくに定義されることもなく「熊野」と一言で表現されることが多いが、その範囲は必ずしも明確ではない。通常「熊野」は和歌山県、奈良県、三重県の南部、つまり紀伊半島南部の「南紀」と呼ばれるエリアとほぼ重なると考えて差し支えない。
しかしそれで「熊野」の全てをカバーできているかと言うと、必ずしもそうは言えない。
大体の感じをつかんでもらうために、絵図を一つアップしておこう。
(↑画像をクリックすると大きくなります)
絵図の中に何本かの道筋が表記してある。いずれも古来から熊野参詣のために歩き継がれてきた道だが、現在一般に「熊野古道」と呼ばれるのは以下の三つ。
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2007年12月29日
2007年12月30日
ブログ開設2周年

時がたつのは早いもので、このブログを開設してから今日で2周年となりました。
とりとめのない神様仏様の与太話、どなたとも知らない皆さんのご愛読に力づけられて、ここまで続けてこられました。
昨年に引き続き、一日30〜60人ほどに覗いてもらっているようです。
最初の一年間で撒いた種を、さらにマニアックに育てたようなこの一年、今年は「音遊び」を本格化させたり、軽く動画に手を出してみたり、色々遊ばせていただきました。
まだまだカタりたいお話は尽きません。
今後とも、ご愛読をよろしくお願いいたしますm(_ _)m
2007年12月31日
なまはげ

秋田県の大晦日
「泣ぐこはいねがー」と叫びながら
目をむき牙むき髪振り見出し
出刃包丁を振り上げて家々を練り歩く
大きな顔の来訪者
子供を存分に泣かせ
家人になだめられて
災い引き受け去っていく
免疫を司る厄の神
それでは皆様、よいお年を。