【3月の予定】
2月中、その時々に気付いたことを書き込んでいたら、いい感じの流れが出てきたので、3月も同様に進めていきます。
【ロゴ画像変更】
3月と言えば「桃の節句」
去年はおりがみ雛人形をアップしました。
ここ2ヶ月ほどの間に、「おりがみ」「雛人形」などの検索ワードで当ブログに辿り着いた人がけっこういらっしゃるようですが、機会があれば皆さんの作品も拝見したいですね(笑)
雛祭りに関する物語を、中世淡嶋願人という記事にまとめたことがあります。
今回のロゴflashは、それをテーマに作ってみました。
ロゴflashを見る
2008年03月01日
2008年03月02日
おりがみ雛人形2008
明日は3月3日の雛祭。
今年もおりがみ雛人形をアップしておきましょう。
(クリックすると画像が大きくなります)
去年のものから微妙に手を加えてあります。
よかったら比較してみてください。
雛人形の足元がスカスカしていたので袴を作り、屏風も立ててみました。
次回(があれば)更に増築していきましょう。
この雛人形は、以下の本に載っていた折方を応用したものです。
●「創作おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
おりがみ雛人形に関する記事は、以下にまとめてあります。
おりがみ雛人形まとめ
今年もおりがみ雛人形をアップしておきましょう。
(クリックすると画像が大きくなります)
去年のものから微妙に手を加えてあります。
よかったら比較してみてください。
雛人形の足元がスカスカしていたので袴を作り、屏風も立ててみました。
次回(があれば)更に増築していきましょう。
この雛人形は、以下の本に載っていた折方を応用したものです。
●「創作おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
おりがみ雛人形に関する記事は、以下にまとめてあります。
おりがみ雛人形まとめ
2008年03月03日
雛流し
紀淡海峡の中央に浮かぶ無人島・友ヶ島の、紀伊半島側の対岸・加太に、「雛流し」で知られる淡嶋神社がある。
祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)・大己貴命(おほなむじのみこと)・神功皇后/息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)で、その由来物語は、以下の記事にまとめたことがある。
友ヶ島年代記2 アワシマ
友ヶ島年代記3 神功皇后
友ヶ島年代記6 中世淡嶋願人
南海加太駅から西へ進むと紀淡海峡を望む海岸線に出る。海からの漂着物を迎え入れるように朱の大鳥居があり、淡嶋神社の参道がはじまる。新鮮な海産物のお店も出ている。
続きを読む
祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)・大己貴命(おほなむじのみこと)・神功皇后/息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)で、その由来物語は、以下の記事にまとめたことがある。
友ヶ島年代記2 アワシマ
友ヶ島年代記3 神功皇后
友ヶ島年代記6 中世淡嶋願人
南海加太駅から西へ進むと紀淡海峡を望む海岸線に出る。海からの漂着物を迎え入れるように朱の大鳥居があり、淡嶋神社の参道がはじまる。新鮮な海産物のお店も出ている。
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2008年03月10日
春の来訪者
去年より一週間ほど遅れ気味で、ベランダ盆栽の白梅が見頃になりました。今年も無事咲いてくれてひと安心。
近所の田んぼには、菜の花が咲き乱れていました。
やっと春が来た感じです。
暖かくなってきたのは助かるのですが、だいたいこの時期から私の「花粉センサー」が反応し始めます。
天気予報の花粉情報は私には必要ありません。朝起きた瞬間から、その日の花粉飛散量はほぼ感じ取れており、天気予報の花粉情報はそれを確認する役にしか立ちません。
桜の頃になれば、花粉飛散量は「花粉悲惨量」に変わるでしょう(苦笑)
一般に花粉症はスギ花粉が原因とされていますが、私の場合はスギ花粉だけではなくて、色々原因は複合されていると感じます。黄砂が出たり、空気の悪い場所に行くと症状が強く出ます。
主原因のスギ花粉にしても、ここまで飛散量が増えたのは、森の多様な樹木を切り倒し、植林の杉で埋め尽くしてバランスを崩したせいだといわれています。
節分で色々考えてきたテーマが、春先の来訪者である花粉症にもつながってくるようです。
人によって花粉症対策は様々だと思いますが、私の場合はビタミンC摂取がよく効きます。低価格、副作用無しなのでお勧めです。
近所の田んぼには、菜の花が咲き乱れていました。
やっと春が来た感じです。
暖かくなってきたのは助かるのですが、だいたいこの時期から私の「花粉センサー」が反応し始めます。
天気予報の花粉情報は私には必要ありません。朝起きた瞬間から、その日の花粉飛散量はほぼ感じ取れており、天気予報の花粉情報はそれを確認する役にしか立ちません。
桜の頃になれば、花粉飛散量は「花粉悲惨量」に変わるでしょう(苦笑)
一般に花粉症はスギ花粉が原因とされていますが、私の場合はスギ花粉だけではなくて、色々原因は複合されていると感じます。黄砂が出たり、空気の悪い場所に行くと症状が強く出ます。
主原因のスギ花粉にしても、ここまで飛散量が増えたのは、森の多様な樹木を切り倒し、植林の杉で埋め尽くしてバランスを崩したせいだといわれています。
アレルギー
免疫
多様性
節分で色々考えてきたテーマが、春先の来訪者である花粉症にもつながってくるようです。
人によって花粉症対策は様々だと思いますが、私の場合はビタミンC摂取がよく効きます。低価格、副作用無しなのでお勧めです。
2008年03月25日
熊野の核
一般に「熊野古道」と呼ばれる参詣道は、熊野三山(本宮、新宮、那智)に向かう道だが、中でも熊野本宮はどのルートを辿っても到達する中心的な位置にある。
明治時代に今の位置に移動するまでは、熊野川のほとりに鎮座していた。現在その旧社地は「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれており、鬱蒼とした木立の中に小さな祠が祀られているのみだ。
そこは「何も無いことの力」の漲る静かな静かな聖地で、熊野好きの私が中でも大好きな場所だ。
上掲の絵図にまとめてあるが、この地は風水の理想形にもかなり近いと感じられる。
本宮が遷座されるきっかけとなったのが明治22年の「明治大水害」で、この自然災害により、旧本宮大社は社殿ごと濁流に流されてしまった。
水害の原因は明治に入ってからの度を越した木材伐採であると言われている。「木の国・熊野」に相応しい壮大な潔斎が自然現象として現出し、森のバランスを崩した人間に対する御気付けがあったのだろう。
毎年この季節に訪れる花粉症も、人間の都合優先で多様な森を杉一色に塗り替えてしまったことへの、御気付けなのかもしれない。
2008年03月29日
熊野への入り口
中世の熊野詣では、京都から出発して淀川沿いの水路を辿り、現在の大阪府内から陸路の参詣道が始まっていた。野を越え山を越え、はるか熊野本宮までの各所には「王子」と呼ばれる拝所が点在していて、「熊野九十九王子」と称された。
(↑クリックすると画像が大きくなります)
近年、熊野古道の調査が重ねられるようになり、今はもうほとんど消えてしまった大阪府内の古道も、その痕跡は辿ることができるようになった。京都からの水路の終着点にあたる八軒屋船着場も、現在の天満橋付近の店先に石碑だけは見ることが出来、近くに案内板も設置されている。
熊野古道はこのあたりにあったらしい窪津王子から始まることになっているが、川を挟んだ対岸には大阪天満宮が控えている。
天満宮の参道は川までまっすぐ伸びており、川を挟んではいるが、ほぼ同じ軸で熊野古道が始まっている。
参詣の人々が、すぐ近所にある地域を代表する大きな神社を素通りするとは考えにくいので、実質は「天神さん」が出発点ではないのかと思うのだが、そのあたり、私はまだ調べ切れていない。
あるいは祭神が「あの」菅公であることが、何らかの遠慮につながっているのではないかと妄想したくなってくるが、特に資料的な根拠があるわけではないのでここまでにしておく。
府内の熊野古道や王子は、そのほとんどが痕跡しか残っていないのだが、いくつかは往時を偲べるスポットがあり、そのうちのいくつかは陰陽師・安倍晴明ゆかりの地に重なっている。
天王寺から南下した阿倍野区や、大阪南部の和泉国に点在する陰陽道のイメージを抜けると、修験の色濃い和泉山脈、さらに古層の神仏の世界が残る和歌山県へと熊野古道は続いていく。
(↑クリックすると画像が大きくなります)
近年、熊野古道の調査が重ねられるようになり、今はもうほとんど消えてしまった大阪府内の古道も、その痕跡は辿ることができるようになった。京都からの水路の終着点にあたる八軒屋船着場も、現在の天満橋付近の店先に石碑だけは見ることが出来、近くに案内板も設置されている。
熊野古道はこのあたりにあったらしい窪津王子から始まることになっているが、川を挟んだ対岸には大阪天満宮が控えている。
天満宮の参道は川までまっすぐ伸びており、川を挟んではいるが、ほぼ同じ軸で熊野古道が始まっている。
参詣の人々が、すぐ近所にある地域を代表する大きな神社を素通りするとは考えにくいので、実質は「天神さん」が出発点ではないのかと思うのだが、そのあたり、私はまだ調べ切れていない。
あるいは祭神が「あの」菅公であることが、何らかの遠慮につながっているのではないかと妄想したくなってくるが、特に資料的な根拠があるわけではないのでここまでにしておく。
府内の熊野古道や王子は、そのほとんどが痕跡しか残っていないのだが、いくつかは往時を偲べるスポットがあり、そのうちのいくつかは陰陽師・安倍晴明ゆかりの地に重なっている。
天王寺から南下した阿倍野区や、大阪南部の和泉国に点在する陰陽道のイメージを抜けると、修験の色濃い和泉山脈、さらに古層の神仏の世界が残る和歌山県へと熊野古道は続いていく。
2008年03月30日
晴明伝説「信太妻」1
「信太妻」
今から千年以上前のこと、和泉の国阿倍野に、貧しいが知勇に優れた若者が住んでいた。
ある日、若者が信仰していた信太の森の明神に御参りしていると、一匹の雌狐が傷つき追い立てられていた。
哀れに思った若者はその雌狐を助けてやった。
それからしばらくして、若者のもとへ美しい娘が訪ねてきた。すぐに二人は恋に落ち、夫婦になった。
やがて二人の間には男の子が産まれ、親子三人は幸せに暮らしていた。
ある日子守りに疲れた妻は、ついついうたた寝をしてしまった。するとどうしたことか、妻の姿はたちまち一匹の雌狐に変わってしまった。
彼女は昔、若者が命を助けた「葛の葉」という名の狐だったのだ。
正体を知られてしまった葛の葉は、そのまま一首の歌を残して去ってしまった。
恋しくばたずね来てみよ和泉なる
信太の森のうらみ葛の葉
若者と葛の葉の息子はその後立派に成長し、異常な力を持つ大陰陽師になった。
すなわち安倍晴明その人である。
以上が一般に「信太妻」と呼ばれる晴明伝説の概容である。
大阪府内にはいわゆる熊野古道沿いに、この伝説に関連する場所がある。阿倍野区の晴明神社と、和泉市の葛の葉稲荷神社だ。
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