中世の熊野詣では、京都から出発して淀川沿いの水路を辿り、現在の大阪府内から陸路の参詣道が始まっていた。野を越え山を越え、はるか熊野本宮までの各所には「王子」と呼ばれる拝所が点在していて、「熊野九十九王子」と称された。
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近年、熊野古道の調査が重ねられるようになり、今はもうほとんど消えてしまった大阪府内の古道も、その痕跡は辿ることができるようになった。京都からの水路の終着点にあたる八軒屋船着場も、現在の天満橋付近の店先に石碑だけは見ることが出来、近くに案内板も設置されている。
熊野古道はこのあたりにあったらしい窪津王子から始まることになっているが、川を挟んだ対岸には大阪天満宮が控えている。
天満宮の参道は川までまっすぐ伸びており、川を挟んではいるが、ほぼ同じ軸で熊野古道が始まっている。
参詣の人々が、すぐ近所にある地域を代表する大きな神社を素通りするとは考えにくいので、実質は「天神さん」が出発点ではないのかと思うのだが、そのあたり、私はまだ調べ切れていない。
あるいは祭神が「あの」菅公であることが、何らかの遠慮につながっているのではないかと妄想したくなってくるが、特に資料的な根拠があるわけではないのでここまでにしておく。
府内の熊野古道や王子は、そのほとんどが痕跡しか残っていないのだが、いくつかは往時を偲べるスポットがあり、そのうちのいくつかは陰陽師・安倍晴明ゆかりの地に重なっている。
天王寺から南下した阿倍野区や、大阪南部の和泉国に点在する陰陽道のイメージを抜けると、修験の色濃い和泉山脈、さらに古層の神仏の世界が残る和歌山県へと熊野古道は続いていく。