【6月の予定】
5月中は「おりがみ兜特需」とでも呼べそうなくらい、たくさんの皆さんに検索で訪問していただきました。
カテゴリ熊野も、あちこち寄り道しながら、徐々に南下しております。さて6月はどこまでいけますか……
【ロゴ画像変更】
6月に入り、近所のアジサイがいい感じで開花してきています。
ガクアジサイを観ると、いつも蓮華蔵という言葉を思い出します。
今回はガクアジサイと蓮華蔵のイメージで。
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2008年06月01日
2008年06月02日
2008年、今年のアジサイ
近所に季節の花が色々と咲く歩道がある。
今の時期にはアジサイが各種咲いているので、通るのが楽しみだ。
一口にアジサイと言っても、本当に色んな種類がある。
大きく分けると、同じ大きさの花が丸く集合している通常のタイプと、粒々の小さな花の周囲に時計の文字盤のように花が取り囲んでいるガクアジサイの類になるだろう。
ここ数年、私は曼荼羅みたいに見えるガクアジサイにハマッている。
ブログをはじめてからも、毎年アジサイの記事はアップしている。
2006年、2007年
去年は、アジサイを観る時期について発見があった。
盛りになる以前の、蕾がふくらんで開花直前直後の時期のアジサイの美しさに気付いた。
蝋細工、または石鹸細工のような、羽化したてで半透明のセミのような、この世のものとは思えない精緻な感じが素晴らしい。
アジサイの色彩は刻々と変化していくのだが、変化がそのまま一つの花に見て取れるのがたまらない。
開化して間もない花は、まだこの世の物理法則に晒されていない分、遺伝子の指令が純粋に形態に表れているのだろう。
(クリックすると画像が大きくなります)
今年はアジサイ鑑賞の天候について気付いたことがある。
良く晴れて光の強い日は、アジサイの微妙な色彩の変化に気付きにくいということだ。
曇り、または雨の日の光の弱い環境でこそ、アジサイの淡い色彩を楽しむことが出来る。
(クリックすると画像が大きくなります)
アジサイは梅雨の花。
考えてみれば当たり前のことに戻ってくる(笑)
今の時期にはアジサイが各種咲いているので、通るのが楽しみだ。
一口にアジサイと言っても、本当に色んな種類がある。
大きく分けると、同じ大きさの花が丸く集合している通常のタイプと、粒々の小さな花の周囲に時計の文字盤のように花が取り囲んでいるガクアジサイの類になるだろう。
ここ数年、私は曼荼羅みたいに見えるガクアジサイにハマッている。
ブログをはじめてからも、毎年アジサイの記事はアップしている。
2006年、2007年
去年は、アジサイを観る時期について発見があった。
盛りになる以前の、蕾がふくらんで開花直前直後の時期のアジサイの美しさに気付いた。
蝋細工、または石鹸細工のような、羽化したてで半透明のセミのような、この世のものとは思えない精緻な感じが素晴らしい。
アジサイの色彩は刻々と変化していくのだが、変化がそのまま一つの花に見て取れるのがたまらない。
開化して間もない花は、まだこの世の物理法則に晒されていない分、遺伝子の指令が純粋に形態に表れているのだろう。
(クリックすると画像が大きくなります)
今年はアジサイ鑑賞の天候について気付いたことがある。
良く晴れて光の強い日は、アジサイの微妙な色彩の変化に気付きにくいということだ。
曇り、または雨の日の光の弱い環境でこそ、アジサイの淡い色彩を楽しむことが出来る。
(クリックすると画像が大きくなります)
アジサイは梅雨の花。
考えてみれば当たり前のことに戻ってくる(笑)
2008年06月08日
西村公朝展
西村公朝さんのことについては、これまでにも何度かふれて来た。
私は西村公朝さんの著書の大ファンで、一度講演会でお姿を拝見したことがあるだけなのだが、勝手に仏像・仏画の師と仰いでいる。
最近、師の作品を集めた展示があると知り、観に行ってきた。
それほど大規模な展示ではなかったけれど、若い頃の習作から晩年の代表作「釈迦十大弟子」まで、さらには木彫や書画、仏像修復に関するメモなどの貴重な作品に、かなり近い距離で接することが出来た。
師の生前親交のあったという長渕剛さんからも、そっと観葉植物が寄せられており、展覧会としては全体に小規模ながら、親しみの持てる良い雰囲気だった。
師の作品には様々な作風があるが、私が一番好きなのは荒彫り+淡彩の作品群だ。仏像修復の第一人者として数々の国宝級を手がけ、仏師としても第一人者である師だが、とくに晩年のご自身の作品は、荒削りで可愛らしい作品が多い。木材それぞれの個性を大切にしながら、その場その場の即興性を取り入れ、生き生きとした仏様を刻みだすスタイルは、円空・木喰に比肩しうるのではないだろうか。
当世第一の技術を持った師が、あえてあのスタイルを採っていることに、とてつもない凄みを感じる。
創作において先行作品に学び、技術を磨き、手間をかけることはもちろん大切な前提だ。しかし、これは絵描きのはしくれとしての自戒なのだが、一生懸命研究し、練習し、手間をかけて、それで満足しては駄目なのだ。
大切なのは、そこにある作品が生きているかどうかを、構えずに見定めていくこと。自分が作品に注いだ労力などは、最後はさらりと捨て去らなければならない。
まあ、「言うは易し」なのだが、西村公朝さんのような人にそれを実践して見せられてしまうと、あらためて背筋がしゃんと伸びてくる。
●「西村公朝と仏の世界―生まれてよかった」(別冊太陽)
私が好きな西村公朝さんの「荒彫り+淡彩」の作品を見るならこの一冊。
●「仏の道に救いはあるか―迷僧公朝のひとりごと」西村公朝(新潮社)
今回の展示にあわせて遺稿から編まれたという一冊。
一読して、いつもの師の文体とは微妙に異なると感じる。
他の著書より「スピードが速い」と言おうか。これまでのゆったり細やかな話の進め方ではなく、感じたことを感じたままにポンポンと畳み掛ける文体だ。
本のタイトル「仏の道に救いはあるか」というのも、ずいぶん刺激的だし、内容的にもやや「意を尽くしていないのではないか」「飛躍しているのではないか」と思う表現が散見される。
もしかしたら「遺稿」というのは、出版を前提としない個人的な手記のようなものだったのかもしれない。ここから更に表現を練り上げると、いつもの師の著書の雰囲気になるのかもしれない。
とは言え、この本は非常に面白い。
荒削りな印象が、西村公朝という稀代の仏師の普段の息遣いを感じさせてくれる。研ぎ澄ませた感性をそのままぶつけられるような感覚は、「歎異抄」にも通じる気がする。
折に触れ読み替えして、一つ一つの言葉を味わってみたい一冊だ。
私は西村公朝さんの著書の大ファンで、一度講演会でお姿を拝見したことがあるだけなのだが、勝手に仏像・仏画の師と仰いでいる。
最近、師の作品を集めた展示があると知り、観に行ってきた。
それほど大規模な展示ではなかったけれど、若い頃の習作から晩年の代表作「釈迦十大弟子」まで、さらには木彫や書画、仏像修復に関するメモなどの貴重な作品に、かなり近い距離で接することが出来た。
師の生前親交のあったという長渕剛さんからも、そっと観葉植物が寄せられており、展覧会としては全体に小規模ながら、親しみの持てる良い雰囲気だった。
師の作品には様々な作風があるが、私が一番好きなのは荒彫り+淡彩の作品群だ。仏像修復の第一人者として数々の国宝級を手がけ、仏師としても第一人者である師だが、とくに晩年のご自身の作品は、荒削りで可愛らしい作品が多い。木材それぞれの個性を大切にしながら、その場その場の即興性を取り入れ、生き生きとした仏様を刻みだすスタイルは、円空・木喰に比肩しうるのではないだろうか。
当世第一の技術を持った師が、あえてあのスタイルを採っていることに、とてつもない凄みを感じる。
創作において先行作品に学び、技術を磨き、手間をかけることはもちろん大切な前提だ。しかし、これは絵描きのはしくれとしての自戒なのだが、一生懸命研究し、練習し、手間をかけて、それで満足しては駄目なのだ。
大切なのは、そこにある作品が生きているかどうかを、構えずに見定めていくこと。自分が作品に注いだ労力などは、最後はさらりと捨て去らなければならない。
まあ、「言うは易し」なのだが、西村公朝さんのような人にそれを実践して見せられてしまうと、あらためて背筋がしゃんと伸びてくる。
●「西村公朝と仏の世界―生まれてよかった」(別冊太陽)
私が好きな西村公朝さんの「荒彫り+淡彩」の作品を見るならこの一冊。
●「仏の道に救いはあるか―迷僧公朝のひとりごと」西村公朝(新潮社)
今回の展示にあわせて遺稿から編まれたという一冊。
一読して、いつもの師の文体とは微妙に異なると感じる。
他の著書より「スピードが速い」と言おうか。これまでのゆったり細やかな話の進め方ではなく、感じたことを感じたままにポンポンと畳み掛ける文体だ。
本のタイトル「仏の道に救いはあるか」というのも、ずいぶん刺激的だし、内容的にもやや「意を尽くしていないのではないか」「飛躍しているのではないか」と思う表現が散見される。
もしかしたら「遺稿」というのは、出版を前提としない個人的な手記のようなものだったのかもしれない。ここから更に表現を練り上げると、いつもの師の著書の雰囲気になるのかもしれない。
とは言え、この本は非常に面白い。
荒削りな印象が、西村公朝という稀代の仏師の普段の息遣いを感じさせてくれる。研ぎ澄ませた感性をそのままぶつけられるような感覚は、「歎異抄」にも通じる気がする。
折に触れ読み替えして、一つ一つの言葉を味わってみたい一冊だ。
2008年06月12日
南無地球菩薩
西村公朝著「仏の道に救いはあるか―迷僧公朝のひとりごと」に、以下のような一節がある。
お地蔵さまが「地球」であるという発想に、胸を突かれた。
お釈迦様が涅槃に入り、弥勒菩薩が下生する56億7千万年後までの無仏時代に衆生を救済するのがお地蔵さま。
様々なお地蔵さまにまつわるエピソードに接してみると「救済」というよりは「同じレベルに降りてきて苦しみに付き合ってくださる」と言う方が適切かもしれない。
地球も、その上に生きる衆生と、太陽系の寿命が尽きるまで、ただただ付き合ってくれるだろう。
続きを読む
たとえば、諸々の仏たちの中で、地蔵菩薩は、弥勒の時代がくるまで頑張って人々の救済に当たるといっておられる。
そして今も現に、現世で人々を救い、地獄では閻魔に変身して亡者を救っておられる。
この地蔵菩薩を先にいった三身の説で考えると、地蔵菩薩とは報身であり、その法身は土ということである。
つまり土は、この地球の本来の本質であり、この丸い形そのもののことである。
だから私たちが、地球に住いしているということは、土の上にいるということであり、お地蔵さんの身体の上で住いしているということである。
また私たちは、土からできたもの、米、いもなどを食べて生かせてもらっている。
つまりお地蔵さんの身体から産み出されたものを食べて生きている。
またお地蔵さんから生まれた樹木を切り取り、組み合わせて住居とし、お地蔵さんから掘り出した鉄やコンクリートでビルを建てている。
このように私たちは、お地蔵さんの身をけずり取って生活しているのである。
そのお地蔵さんが、弥勒の時代になるまで頑張るといっておられることは、この地球の本質の形は続いていくということであろうか。(第2章「仏たちの苦行」より引用)
お地蔵さまが「地球」であるという発想に、胸を突かれた。
お釈迦様が涅槃に入り、弥勒菩薩が下生する56億7千万年後までの無仏時代に衆生を救済するのがお地蔵さま。
様々なお地蔵さまにまつわるエピソードに接してみると「救済」というよりは「同じレベルに降りてきて苦しみに付き合ってくださる」と言う方が適切かもしれない。
地球も、その上に生きる衆生と、太陽系の寿命が尽きるまで、ただただ付き合ってくれるだろう。
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2008年06月20日
ドラマ「パズル」最終回
2008年06月22日
「道のり」こそ熊野
去る6月18日、和歌山県田辺市の、とある石像の頭部が切断されていたのが発見されたことが、大きく報道された。
これまでにも日本各地でお地蔵さま等の頭部が切断された事件はあったけれども、今回のニュースがとくに衝撃を与えたのは、件の石像が世界遺産・熊野古道のシンボル的存在として有名な「牛馬童子」だったことだ。
幅広い熊野古道のルートの中でも、整備が進み、アクセスし易いことで人気なのが、紀伊田辺と熊野本宮をつなぐ中辺路(なかへち)ルートで、牛馬童子像はちょうどその真ん中あたりにあった。
ピタッとくっついた牛と馬に、おかっぱ頭の童子がちょこんとまたがる愛らしい石像の写真が、熊野古道の各種ガイドブックにもよく掲載されていたので、目にしたことがある人も多いだろう。
人々に親しまれてきた、姿も愛らしい石像の首を叩き折って持ち去るという行為については、多くを語る意欲が湧かない。
お地蔵さまの首が折られたニュースの時も思うのだが、そのようなことが出来る人間は、その時点で心の中の大切な部分の多くを失っているだろう。因は必ず果を招く。
少し考えてみたいのは、観光整備と信仰の聖地の関係だ。
熊野詣が最盛期を迎えたのは中世のこと。当時の熊野は「辺境の地」で、誰もが簡単に行けるような場所ではなく、それは近現代になってもほとんど変わることはなかった。
熊野が比較的アクセスし易くなったのは、本当に近年になってからだ。中でも中辺路ルートは全行程に車道が並行しているので、誰もがお手軽に「熊野」を体験できる。
そのこと自体は素晴らしいのだが、「アクセスし易い観光名所」は、その場所に思い入れの薄い、聖地へ敬意を払えない多くの人間も呼び込んでしまうことになる。
歴史上の熊野は、地理的に京の都から遠く離れているだけでなく、今日で言う「バリアフリー」から何億光年もかけ離れた場所にあった。
それでも老いも若きも、健康な人々も病に苦しむ人々も、ただ黙々と気の遠くなるような道のりを歩み続けて到達する場所だった。
説教節「小栗判官」で、変わり果てた姿の餓鬼阿弥が、人々の助けを借りて土車を進め、ようやくたどりついた本宮湯の峯で生まれ変わる様こそ、理屈を超えた熊野の世界だ。
そこにはどうしても長い長い「道のり」が必要になってくる。
これまでにも日本各地でお地蔵さま等の頭部が切断された事件はあったけれども、今回のニュースがとくに衝撃を与えたのは、件の石像が世界遺産・熊野古道のシンボル的存在として有名な「牛馬童子」だったことだ。
幅広い熊野古道のルートの中でも、整備が進み、アクセスし易いことで人気なのが、紀伊田辺と熊野本宮をつなぐ中辺路(なかへち)ルートで、牛馬童子像はちょうどその真ん中あたりにあった。
ピタッとくっついた牛と馬に、おかっぱ頭の童子がちょこんとまたがる愛らしい石像の写真が、熊野古道の各種ガイドブックにもよく掲載されていたので、目にしたことがある人も多いだろう。
人々に親しまれてきた、姿も愛らしい石像の首を叩き折って持ち去るという行為については、多くを語る意欲が湧かない。
お地蔵さまの首が折られたニュースの時も思うのだが、そのようなことが出来る人間は、その時点で心の中の大切な部分の多くを失っているだろう。因は必ず果を招く。
少し考えてみたいのは、観光整備と信仰の聖地の関係だ。
熊野詣が最盛期を迎えたのは中世のこと。当時の熊野は「辺境の地」で、誰もが簡単に行けるような場所ではなく、それは近現代になってもほとんど変わることはなかった。
熊野が比較的アクセスし易くなったのは、本当に近年になってからだ。中でも中辺路ルートは全行程に車道が並行しているので、誰もがお手軽に「熊野」を体験できる。
そのこと自体は素晴らしいのだが、「アクセスし易い観光名所」は、その場所に思い入れの薄い、聖地へ敬意を払えない多くの人間も呼び込んでしまうことになる。
歴史上の熊野は、地理的に京の都から遠く離れているだけでなく、今日で言う「バリアフリー」から何億光年もかけ離れた場所にあった。
それでも老いも若きも、健康な人々も病に苦しむ人々も、ただ黙々と気の遠くなるような道のりを歩み続けて到達する場所だった。
説教節「小栗判官」で、変わり果てた姿の餓鬼阿弥が、人々の助けを借りて土車を進め、ようやくたどりついた本宮湯の峯で生まれ変わる様こそ、理屈を超えた熊野の世界だ。
そこにはどうしても長い長い「道のり」が必要になってくる。
2008年06月29日
三千世界
仏教の考え方に「三千大千世界」という言葉がある。略して「三千世界」と呼ばれることが多い。
これまでカテゴリ須弥山で紹介してきたのが、仏教の須弥山宇宙観で言うところの「一世界」の単位だ。
このような須弥山宇宙が千個集まったのが「小千世界」
小千世界が千個集まったのが「中千世界」
中千世界が千個集まったのが「大千世界」
つまり「三千世界」は「三千の世界」ではなく千の三乗を意味しているので、「十億の世界」ということになる。
華厳経などに表現された蓮華蔵の考え方も、こうした宇宙観もとにしている。
東大寺の大仏様は「盧舎那仏」と言う華厳経の仏様なのだが、そのひざもとの蓮弁には蓮華蔵世界の図像が刻まれている。
最下段にはいくつもの須弥山世界が並んでおり、その上空にはよく見ると三層に分かれた天界が見える。
更に上空には盧舎那仏が夢見るように座っている。
これが三千世界の有様。
これまでカテゴリ須弥山で紹介してきたのが、仏教の須弥山宇宙観で言うところの「一世界」の単位だ。
このような須弥山宇宙が千個集まったのが「小千世界」
小千世界が千個集まったのが「中千世界」
中千世界が千個集まったのが「大千世界」
つまり「三千世界」は「三千の世界」ではなく千の三乗を意味しているので、「十億の世界」ということになる。
華厳経などに表現された蓮華蔵の考え方も、こうした宇宙観もとにしている。
東大寺の大仏様は「盧舎那仏」と言う華厳経の仏様なのだが、そのひざもとの蓮弁には蓮華蔵世界の図像が刻まれている。
最下段にはいくつもの須弥山世界が並んでおり、その上空にはよく見ると三層に分かれた天界が見える。
更に上空には盧舎那仏が夢見るように座っている。
これが三千世界の有様。
2008年06月30日
神と仏のモノガタリ
最近読んだ本の中から一冊紹介。
●「神仏習合の本」(学研Books Esoterica 45)
この学研のブックス・エソテリカのシリーズは、資料として便利なこともあってよく購入してきた。様々な宗教について豊富なカラー図版とともに概説してくれるシリーズで、アウトラインを掴むには最適。
仏教や神道など、メジャーな分野なら参考文献は見つけやすいが、中々手頃な資料が見つけにくい「古神道」や「神仙道」などの分野もフォローしてくれているのも良い。
ただ、あくまで概説本なので、正直このシリーズを読んだだけでは結局「何もわからない」のだけれども、あるテーマを勉強しようとしたときに「何を読めばよいのか、何を調べればよいのか」という取っ掛かりを与えてくれるので、独学派にはありがたいのだ。
この「神仏習合の本」の舞台は日本の中世。外来宗教である仏教と、日本古来の天神地祇が、様々な形で擦り合わせが行われた思考実験が紹介されている。そもそも発祥の違う宗教を習合する手法として様々なこじつけや語呂合わせ等が駆使され、見るも異様な新しい神話が無数に産み出されていくことになる。
こうした神々の合体は中世特有のものではなく、日本の古代に「記紀神話」が整備された時にも起こったことだろうし、近世の新宗教でも起こったことだし、今現在も起こりつつあることだろう。
もっと言えば、仏教の生まれたインドでも、大乗仏教や密教が発展していく過程ではインドでの神仏習合が起こっただろうし、仏教がアジア各国に伝播する中で、それぞれの土地での神仏習合が起こったことだろう。
いつの時代、どこの国でも神と仏は合体しまくっているわけなのだが、そんな中でも中世日本の神仏習合を特徴付けるのは、人間の無意識の暗い領域がそのまま溢れ出してきたかのような、異様な神仏図像の数々だろう。インド後期密教図像の迫力にも比肩し得るパワーが、日本中世の神仏図像にはある。
この「神仏習合の本」には、他ではちょっと見られないような特異な図像の数々が、多数のカラー図版で収録されている。これだけの図版をバラバラで入手しようとしたら、一体どれだけの費用と労力がかかるかわからず、私の様な怪しいモノ好きの神仏絵師には、それだけでもう十分「買い」なのだ。
当ブログの主だったコンテンツにカテゴリ大黒があるが、この本が取り扱っているのはその分野ともかなり重なっている。「二年前にこの本が出ていたら、どれだけ楽だったか……」と悔しい思いもあるが、逆にこうしてまとまった形で本が出てしまっていれば、わざわざ勉強してブログに記事を書くモチベーションは生まれなかったかもしれず、そうなると大黒様に関する私独自の思い入れも生まれなかったかもしれない。
他にもちょっと面白そうな神仏話が満載なので、しばらくはこの本を道しるべに、また図書館で古い文書を渉猟することになりそうだ。
●「神仏習合の本」(学研Books Esoterica 45)
この学研のブックス・エソテリカのシリーズは、資料として便利なこともあってよく購入してきた。様々な宗教について豊富なカラー図版とともに概説してくれるシリーズで、アウトラインを掴むには最適。
仏教や神道など、メジャーな分野なら参考文献は見つけやすいが、中々手頃な資料が見つけにくい「古神道」や「神仙道」などの分野もフォローしてくれているのも良い。
ただ、あくまで概説本なので、正直このシリーズを読んだだけでは結局「何もわからない」のだけれども、あるテーマを勉強しようとしたときに「何を読めばよいのか、何を調べればよいのか」という取っ掛かりを与えてくれるので、独学派にはありがたいのだ。
この「神仏習合の本」の舞台は日本の中世。外来宗教である仏教と、日本古来の天神地祇が、様々な形で擦り合わせが行われた思考実験が紹介されている。そもそも発祥の違う宗教を習合する手法として様々なこじつけや語呂合わせ等が駆使され、見るも異様な新しい神話が無数に産み出されていくことになる。
こうした神々の合体は中世特有のものではなく、日本の古代に「記紀神話」が整備された時にも起こったことだろうし、近世の新宗教でも起こったことだし、今現在も起こりつつあることだろう。
もっと言えば、仏教の生まれたインドでも、大乗仏教や密教が発展していく過程ではインドでの神仏習合が起こっただろうし、仏教がアジア各国に伝播する中で、それぞれの土地での神仏習合が起こったことだろう。
いつの時代、どこの国でも神と仏は合体しまくっているわけなのだが、そんな中でも中世日本の神仏習合を特徴付けるのは、人間の無意識の暗い領域がそのまま溢れ出してきたかのような、異様な神仏図像の数々だろう。インド後期密教図像の迫力にも比肩し得るパワーが、日本中世の神仏図像にはある。
この「神仏習合の本」には、他ではちょっと見られないような特異な図像の数々が、多数のカラー図版で収録されている。これだけの図版をバラバラで入手しようとしたら、一体どれだけの費用と労力がかかるかわからず、私の様な怪しいモノ好きの神仏絵師には、それだけでもう十分「買い」なのだ。
当ブログの主だったコンテンツにカテゴリ大黒があるが、この本が取り扱っているのはその分野ともかなり重なっている。「二年前にこの本が出ていたら、どれだけ楽だったか……」と悔しい思いもあるが、逆にこうしてまとまった形で本が出てしまっていれば、わざわざ勉強してブログに記事を書くモチベーションは生まれなかったかもしれず、そうなると大黒様に関する私独自の思い入れも生まれなかったかもしれない。
他にもちょっと面白そうな神仏話が満載なので、しばらくはこの本を道しるべに、また図書館で古い文書を渉猟することになりそうだ。