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2008年07月30日

中陰和讃7 六七日

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(「中陰和讃」続き)

六七日まもる弥勒菩薩
六道の辻に踏み迷い
自力の心を振り捨てて
他力の一つで超えるなり

(七七日に続く)


 浄土系中陰和讃、六七日の部分である。
 六七日は十王説では変成王の審判、十三仏信仰では弥勒菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
 ここは真言系のものと比べて内容に大きな相違がある。真言系では後二行が「朝夕唱うる光明真言の 声を聞きつつ一人で越えるなり」となっている。「光明真言」は大日如来に救いを求める唱え言葉のことだ。
 比較して浄土系の方は極めて鎌倉浄土教的な味わいで、「自力」を否定し「他力」を強調する内容になっている。通常「他力」とは阿弥陀如来の力を指す。
 中陰和讃では「天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄」の六道の分かれ目が、六七日にあると設定されているようだ。弥勒菩薩の見守る中、他力によって六道の迷いの世界を超えていけると説いている。
 この部分、さらりと歌われているが、「六道の辻に迷わず、超える」ということは、地獄・餓鬼・畜生・修羅だけでなく天界や人間界に生まれ変わる道をも振り捨てることを意味する。
 前段の五七日、三途の川において、諸々の執着を「なみだ」とともに流し去り、ここでは六道輪廻の道も「迷い」として振り捨てなければならないらしい。
posted by 九郎 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする

2008年07月31日

中陰和讃8 七七日

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(続き)

七七日まもる弥陀如来
仏前供養のその徳で
屋の棟はなれて極楽へ
導きたもうありがたや
造りし煩悩消滅し
南無阿弥陀仏阿弥陀仏

(「中陰和讃」終)


 浄土系中陰和讃、七七日の部分で、この箇所はかなり独自性が強い。
 まず、七七日は十王説では太山王の審判、十三仏信仰では薬師如来の守護になるので、和讃の内容と食い違う。真言系の中陰和讃ではこの部分は「七七日守るは薬師仏〜」で始まり、通説をそのまま採用している。
 通常、十三仏信仰での阿弥陀如来(十王説では最終の五道転輪王)は死後三ヵ年目の守護にあたる。それをわざわざ前倒しして七番目まで持ってきたのは、満中陰の7×7=49日に極楽往生する構図を作るために、守護仏の配置に整合性を持たせたのだろう。私が「真言系の和讃が先にあって、それがどこかの時点で浄土系に読み替えられた」と考える根拠がここにある。
 
 三行目の「屋の棟はなれて極楽へ」という部分は意味が分かりにくいが、真言系中陰和讃の該当部分では「忍土のわが家をはなれて〜」となっているので、「死者が『家』との繋がりから離れて極楽浄土へ往生する」という意味にとって差し支えないだろう。
 この段でも遺された家族による追善供養の徳が強調されつつも、最終的には「家」との繋がりから離れることを説いている。
 この七七日にはこれまでの関門のような難所のイメージは描かれていないが、もしかしたらこの「家との繋がりから離れる」ということ自体が、極楽往生のための最後にして最大の難関なのかもしれない。

 真言系の和讃でも最終的に極楽浄土へ引導されるのは同じだが、死者の手を引いて導いてくれるのは「お大師様の姿をした仏」であると設定されている。

 こうして死者は49日の期間を経て、中陰(あるいは中有)という状態を通過していくのだ。
posted by 九郎 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする