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2008年07月31日

中陰和讃8 七七日

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(続き)

七七日まもる弥陀如来
仏前供養のその徳で
屋の棟はなれて極楽へ
導きたもうありがたや
造りし煩悩消滅し
南無阿弥陀仏阿弥陀仏

(「中陰和讃」終)


 浄土系中陰和讃、七七日の部分で、この箇所はかなり独自性が強い。
 まず、七七日は十王説では太山王の審判、十三仏信仰では薬師如来の守護になるので、和讃の内容と食い違う。真言系の中陰和讃ではこの部分は「七七日守るは薬師仏〜」で始まり、通説をそのまま採用している。
 通常、十三仏信仰での阿弥陀如来(十王説では最終の五道転輪王)は死後三ヵ年目の守護にあたる。それをわざわざ前倒しして七番目まで持ってきたのは、満中陰の7×7=49日に極楽往生する構図を作るために、守護仏の配置に整合性を持たせたのだろう。私が「真言系の和讃が先にあって、それがどこかの時点で浄土系に読み替えられた」と考える根拠がここにある。
 
 三行目の「屋の棟はなれて極楽へ」という部分は意味が分かりにくいが、真言系中陰和讃の該当部分では「忍土のわが家をはなれて〜」となっているので、「死者が『家』との繋がりから離れて極楽浄土へ往生する」という意味にとって差し支えないだろう。
 この段でも遺された家族による追善供養の徳が強調されつつも、最終的には「家」との繋がりから離れることを説いている。
 この七七日にはこれまでの関門のような難所のイメージは描かれていないが、もしかしたらこの「家との繋がりから離れる」ということ自体が、極楽往生のための最後にして最大の難関なのかもしれない。

 真言系の和讃でも最終的に極楽浄土へ引導されるのは同じだが、死者の手を引いて導いてくれるのは「お大師様の姿をした仏」であると設定されている。

 こうして死者は49日の期間を経て、中陰(あるいは中有)という状態を通過していくのだ。
posted by 九郎 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする