【10月の予定】
ちょっとバタバタしてます。
予定を書いてもそのまま実行できそうに無いので、流れのままに。。。
【ロゴ画像変更】
そろそろ秋祭りの季節。
縁日のお面屋さんのイメージで。
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2008年10月01日
2008年10月15日
衣替え
ここ三日ほど、見事な満月が続いている。
今年の中秋の名月は、もう一月前に終ってしまったが、その頃はまだまだ暑くて夏の空気が残っていた。空高い細かな雲の模様を照らし出す今回の満月の方が「中秋」の感じが出ている。
夜道を歩けば道行きは涼しく、虫の音もそこかしこから聞こえてくるが、こちらでは昼間はまだまだ暖かい。子供の頃から薄着で通してきた私は、だいたい10月中はTシャツで過ごす。
世間では10月に入ると「衣替え」とかで、急に上着を羽織る人が増えるのわけだが、昔から意味が分からなかった。10月には「まだ暑いじゃん」と思うし、5月には「もう暑いじゃん」と思っていた。体感温度は人それぞれ、暑さ寒さは地方によっても全然違うのだから、一律に決める意味が今もって分からない。
大人になってそれなりに季節感には注意を払うようになったが、服装だけ見れば「季節感がない奴だ」と思われているだろう。なにしろ一年のうち7ヶ月近くはTシャツ一枚なのだ(苦笑) 電車に乗ったり街中を歩いていて一人も「Tシャツ1枚族」がいなくなる頃が、私の衣替えの時期だ。
Tシャツを自作してたまにフリマで売ったりする関係上、試作品や在庫管理のためにいつでも余剰Tシャツがあるという個人事情もあるのだけれど。
2008年10月16日
図像覚書1 稲荷縁日
これからしばらく手持ちの図像の中からよく使用するものや、既存のカテゴリに収まらないものについて紹介していきます。
【稲荷縁日】
当ブログのロゴ画像等で何度か使用してきたデザイン。
「お稲荷さん」の愛称と、朱の鳥居や狛犬代わりの狐の石像で親しまれる稲荷信仰をテーマにした一枚。
稲荷と言えばすぐに狐を連想し、狐信仰のように受け止められることもあるが、本来は「稲荷=飯成り(いいなり)」で、穀物などの食に関する神様であるらしい。狐はその眷属で、本体ではない。狐の石像は2体一対で、よく見るとそれぞれ如意宝珠と巻物を咥えた姿のものが多い。
連続する朱の鳥居と、牙をむき目がつり上がった狐の像を見ると、どこか心が落ち着かないような、不思議な気分になる。縁日の夜店の雰囲気ともどこか通じるあの感覚だ。
【稲荷縁日】
当ブログのロゴ画像等で何度か使用してきたデザイン。
「お稲荷さん」の愛称と、朱の鳥居や狛犬代わりの狐の石像で親しまれる稲荷信仰をテーマにした一枚。
稲荷と言えばすぐに狐を連想し、狐信仰のように受け止められることもあるが、本来は「稲荷=飯成り(いいなり)」で、穀物などの食に関する神様であるらしい。狐はその眷属で、本体ではない。狐の石像は2体一対で、よく見るとそれぞれ如意宝珠と巻物を咥えた姿のものが多い。
連続する朱の鳥居と、牙をむき目がつり上がった狐の像を見ると、どこか心が落ち着かないような、不思議な気分になる。縁日の夜店の雰囲気ともどこか通じるあの感覚だ。
2008年10月17日
図像覚書2 中台八葉院
【曼荼羅】
胎蔵曼荼羅の中心部分、中台八葉院。今回の図像はそれぞれの仏尊を梵字で表現した種子曼荼羅(しゅじまんだら)のスタイルを下敷きにしている。
中心が大日如来を表現する阿字で、その上から時計回りに宝幢(ほうとう)如来、普賢菩薩、開敷華王(かいふけおう)如来、文殊菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩、天鼓雷音(てんくらいおん)如来、弥勒菩薩を表す梵字が、八枚の蓮弁に乗った形になっている。
胎蔵曼荼羅は中期密教を代表する曼荼羅で、大日如来を中心に大乗仏教で親しまれた様々な仏尊やインドの神々を網羅した宇宙観を表現している。いわばインドで起こった神仏習合図像だ。
中期密教は胎蔵曼荼羅で宇宙サイズにまで大風呂敷を広げた後、新しい秩序を金剛界曼荼羅で打ち立てて、現在のチベット仏教に続く後期密教へと進化していく。
平安時代に中国を経て日本にもたらされたのは中期密教までで、進化の最終段階の後期密教は現在チベット周辺に伝えられている。
金剛界曼荼羅以降になると、通常の大乗仏教とは違う仏尊名が増えてくる。日本では大乗仏教が民衆に親しまれているので、見知った仏様が多い胎蔵曼荼羅の人気が高いようだ。
2008年10月18日
2008年10月19日
図像覚書4 十種神宝
【十種神宝(とくさのかむだから)】
神道に伝わる謎の図像の一つ。天皇家の「三種の神器」とは違い、記紀神話に記述が存在しないものの、その力は死者をも甦らせることが出来るとされる秘宝。
その割には神社の護符などで版画印刷されていたりするので、名前と何種類かの図像はわりと流布している。上掲図像もそうした木版護符の配置を下敷きにしている。
文字と絵の中間のようなデザインが面白い。
中央の剣が「八握剣(やつかつるぎ)」、その下が「品物比礼(くさぐさのもののひれ)」、右上から「沖津鏡(おきつかがみ)」「「生玉(いくたま)」「死返玉(まかるがえしのたま)」「蛇比礼(おろちのひれ)」、左上から「辺津鏡(へつかがみ)」「足玉(たるたま)」「道返玉(ちがえしのたま)」「蜂比礼(はちのひれ)」と名がついており、つまるところは三種の神器と同じ「剣・玉・鏡」に、バリエーションをもたせたものであると言う説もある。
この十種神宝をもって「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり」と魂振りをすれば、死んだ者も甦るとされている。「ひと、ふた……」の唱え言葉は「天の数歌(あまのかずうた)」とも呼ばれ、病気治しの祈願の際に唱えている神道の流派もある。
2008年10月20日
図像覚書5 五秘密曼荼羅
【五秘密曼荼羅】
日本では真言密教でよく読まれる「理趣経」の曼荼羅図像。
中央の金剛薩た(こんごうさった)の周囲を、煩悩を表すと伝えられる四人の女尊が取り巻いて、一つの月輪の中に描かれている。
チベット密教に代表される後期密教の曼荼羅では男尊と女尊が抱擁した姿で描かれる例は多いが、日本密教では数少ない例の一つ。
金剛薩た(最後の文字はつちへんに垂)は「理想化された密教修行者」としての一面があり、この辺は「理想化された大乗仏教修行者」である菩薩の設定と似ている。
欲望を切り捨てるのではなく、ダイヤモンドのように堅固な心で悟りに向かうエネルギーに変換する密教修行者の姿。
理趣経で興味深いのは、そのお経が説かれた場面設定だ。
大乗仏教の教典では、それぞれのお経が説かれた場面はインドの聖地に設定されることが多いが、理趣経ではよりによって魔王の棲む第六天で説かれたと設定されている。
一説には、魔王調伏のためにその場面設定がなされたとされているのだ。
上掲図像は、流布された五秘密曼荼羅を参照しながら、独自に描き起こしたものなので、通常の図像とは違う部分もあるのでご注意。
2008年10月23日
ハロウィン'08
今年もハロウィンの季節になった。昨年この行事の記事の中で、私は以下のように書いた。
子供たちが妖怪や魔女に扮して「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!)」と家々を巡る風景や、かぼちゃを繰り抜いた飾りは、異国由来だけれどもどこか懐かしい感じもする。
日本のお盆や地蔵盆その他のお祭と、構成要素に似たところがあるので、受け入れやすい土壌はあると思う。
ハロウィンはヨーロッパ由来の秋祭りで、10月31日に行われる。
死者の霊などの様々な精霊たちが徘徊する日で、カボチャをオバケの顔のように繰り抜いたランタンに灯を点け、魔除けにする。
昨年も書いたように日本の風習とよく似た構成要素が多い。
死者の霊が返って来る点や、野菜を使った飾り物を作る点ではお盆に似ているし、仮面を被った疫病神役を接待してやり過ごす点ではナマハゲに似ている。家々を巡る子供達をもてなす点では地蔵盆にも似ている。
魔除けの飾り物が魔物と同じ姿になる所は、鬼瓦などとも似ている。
不気味さ、異形、非日常の存在を、はじめから排除してしまわずに、一旦生活の場に招きいれる。日常生活にちゃんと戻れる一線は守りながらお祭の一時を過ごし、祭が終わればきちんと「異人さん」にはお帰りいただく。日本の祭と同じ構造だ。
既に大黒様によく似たサンタクロースは、日本でも欠かせない風物になっているが、これだけ日本のお祭と共通するハロウィンがじわじわ浸透しつつあることは、むしろ自然なことのようにも思えてくる。
【関連記事】
ハロウィン
なまはげ
バグ
サンタクロース
2008年10月24日
図像覚書6 釈迦如来
【釈迦如来】
言わずと知れた仏教の開祖、お釈迦様。
全ては約二千五百年前の、この実在の人物から始まった。
とは言え、仏の教えは宇宙の在り方を説いたもので、歴史上の人物であるお釈迦様が説く以前から宇宙は存在した。
お釈迦様の残した行いや言葉を手がかりに、逆算するようにしてお釈迦様以前から存在する仏菩薩が「生まれ」て、壮大な仏教の物語体系が編まれて行った。
そんな物語に惹かれ、このようなブログを飽きもせずに続けている私は、やはり仏教徒のうちに入るのだろうなとは思う。
2008年10月26日
図像覚書7 苦行
【釈迦苦行図】
子供の頃、奇怪な図版を目にして言葉を失ったことがある。
いつ頃のことなのか記憶が定かではないが、おそらく仏像彫刻が好きだった祖父の本棚から手に取り、開いた本に載っていた図版だろう。
骸骨のように痩せこけた人物が座禅を組むように座り、目を落ち窪ませ、やや身体を傾けながら瞑想している像の写真図版。
他のどの仏像とも違う異様な像だったが、頭部の後に後光を表す丸い円盤が付けられているので、座っている人物が「仏様」であることは分かった。
後にそれが有名な「釈迦苦行像」であることを知った。
インドの小国の王子であったお釈迦様は、出家し、菩提樹の下で悟りを開く前に、苦行を積んだ時期があったという。誰よりも激しい行を積んだお釈迦様だったが、結局苦行では悟れず、禅定により悟りを開くことになる。
あらゆる欲望が満たされる王子の生活と、あらゆる欲望を否定し尽くそうとする苦行生活の両極端を体験したお釈迦様は、その二つの道は「欲望にとらわれている」と言う意味では同じことであると考えたという。
釈迦苦行像は、見るものに「これが本当におまえの求めるものか?」と強く問いかけている特殊な仏像だと思う。
※上掲図は「釈迦苦行像」を元に、独自に描いたもの。