2008年12月01日
2008年12月の予定
本日午後六時ごろ外を歩いていると、細い月の上に明るい星が二つ輝いて、笑っている顔のような状態になっていました。すっかり寒くなった分、夜空がよく見えるようになって来ましたね。
【12月の予定】
11月中は忙しすぎてブログの更新もままなりませんでしたが、今月はなんとか元のペースに戻せると思います。
気長にお付き合いください!
【ロゴ画像変更】
そろそろ紅葉も過ぎかけ。本格的な冬の到来ですね。
ロゴflashを見る
2008年12月07日
図像覚書11 般若菩薩
もう十年以上前になるだろうか、私が自分なりに仏画を描き始めた最初期の作品を一枚紹介。
当時はPCがまだまだ高価で、性能もさほどではなく、個人がデジタルで画像処理をするには敷居の高い時代だった。この一枚ももちろんアナログで、B4パネルにアクリル絵具で描いている。制作時期としては猩猩と同時期だったと記憶している。
実物を今見るとあちこちバランスが悪いのが目立つ。まあ、今でも私の描く仏画は、仏画としてはアンバランスなのだが。今回アップするにあたって、下手なりに一生懸命描いている元の作品の雰囲気を壊さない程度に、少しだけ手直ししてみた。
【般若菩薩】
胎蔵曼荼羅の中心部、中台八葉院の真下に位置する持明院に、左右に忿怒相の明王四体を従えて描かれる。優美な菩薩形だが、衣の肩の部分には甲冑が見えており、三眼六臂の姿は力強さも備えている。
胎蔵曼荼羅を前にする者は、この菩薩の姿を理想としてイメージするよう設定されているようだ。
当時はPCがまだまだ高価で、性能もさほどではなく、個人がデジタルで画像処理をするには敷居の高い時代だった。この一枚ももちろんアナログで、B4パネルにアクリル絵具で描いている。制作時期としては猩猩と同時期だったと記憶している。
実物を今見るとあちこちバランスが悪いのが目立つ。まあ、今でも私の描く仏画は、仏画としてはアンバランスなのだが。今回アップするにあたって、下手なりに一生懸命描いている元の作品の雰囲気を壊さない程度に、少しだけ手直ししてみた。
【般若菩薩】
胎蔵曼荼羅の中心部、中台八葉院の真下に位置する持明院に、左右に忿怒相の明王四体を従えて描かれる。優美な菩薩形だが、衣の肩の部分には甲冑が見えており、三眼六臂の姿は力強さも備えている。
胎蔵曼荼羅を前にする者は、この菩薩の姿を理想としてイメージするよう設定されているようだ。
2008年12月08日
色究竟天
12月8日は釈尊成道会。史実はともかくとして物語の主人公としてのお釈迦様が悟りを開いた日とされている。
菩提樹の根元に座した菩薩が徐々に深い禅定に入り、身はその場にありながら、同時に須弥山はるか上空の欲界最高所を抜け、色界、無色界の境地に達した末に、色界の最高所「色究竟天(しきくぎょうてん)」において成道を果たしたと伝えられている。
欲に支配された第六天以下の欲界を超えた色界は、仏道を修めた禅定者が入る世界。この更に「外」には無色界が広がっているのだが、お釈迦様は何故かより高度な無色界ではなく、色界の最高所を選んで成道し、後には涅槃に入ったとされている。
このあたりになると、私の乏しい理解力を大きく超えてしまっているが、今後も少しずつ少しずつ、お釈迦様の物語を味わってみたい。
2008年12月12日
接近
今日の午後五時頃外を歩いていると、なにやら異様にはっきり綺麗な夕刻の満月が見えました。帰ってから調べてみると、今夜はここ十年ほどで最も満月が大きく見える日だそうで、納得。
子供の頃から月を眺めるのが好きで、当ブログでもこれまでに度々お月様に関する記事を書いてきました。お月様を眺めることと、神仏に関する雑談・与太話をすることは、私の中では直通しています。
今夜この記事をご覧になった人は、ためしに窓の外を眺めてみませんか?
実際の季節よりもひときわ寒風吹きすさぶこの世相、せめてお休み前には浮世離れした何の得にもならないひとときを。
2008年12月20日
深夜の航路
誰もが知っているさる著名ブログで「月の舟」のことが記事になっていた。夜空に浮かぶ半月や三日月の、水に浮かんだ舟のように見える状態を「月の舟」と呼ぶそうで、一昨夜はちょうど美しい舟が現われているというお知らせ。
昨日はこちらseesaaブログサービスが緊急メンテナンスだった。アップしたい記事を準備してPCに向かったものの、深夜になっても接続できなくて「さて、どうするか」と考えていたときに、件の「月の舟」の記事を目にした。記事に書かれた「月の舟」からちょうど24時間近く経っている。さっそく外へ出かけてみた。
少し昇ってしまっていたが、十分に「夜空に浮かぶ舟」と呼べる状態を眺めることができた。
今夜ももしかしたら、深夜の航路を眺めることができるかもしれない。
2008年12月21日
冬の色彩
冬至が来て、もうすっかり冬。
外を歩くと所々に秋の名残もあるが、気温はきりっと低い。
冬とは言え、意識的に眺めてみると様々な色彩に気付く。
夏の前とはまた違うアジサイの表情。
意外と「枯れた」色合いばかりではない。
実りの色彩もそこここに。
食べられなくても、とりあえず実っているのを見ると気分がいい。
公園ではドングリの集会があちこちで開催されている。
私の好きな宮澤賢治「どんぐりと山猫」を思い出す。
外を歩くと所々に秋の名残もあるが、気温はきりっと低い。
冬とは言え、意識的に眺めてみると様々な色彩に気付く。
夏の前とはまた違うアジサイの表情。
意外と「枯れた」色合いばかりではない。
実りの色彩もそこここに。
食べられなくても、とりあえず実っているのを見ると気分がいい。
公園ではドングリの集会があちこちで開催されている。
私の好きな宮澤賢治「どんぐりと山猫」を思い出す。
2008年12月24日
六福神
今夜はクリスマス・イブ。
縁日草子っぽくお祝いをするために、仏画風サンタ像を一枚アップ。
当ブログでは2年前の記事で、サンタクロースと大黒天の類似について雑談し、一年前には両者をテーマにロゴ画像flashを制作してみた。
比較的新参の「福神」としてのサンタさんだが、今ではもうすっかり日本に定着していて、七福神の神々に十分匹敵するレベルになっていると思う。
ところで、私の好きな諸星大二郎の漫画に「六福神」という作品がある。
●「六福神―妖怪ハンター」諸星大二郎(集英社)
著者の代表作、妖怪ハンターシリーズ連作短編集。表題作「六福神」の設定が非常に面白い。
とある地方の伝承によると、七福神の神々のうち、で、「七」の吉数に合わせるために分割された神格であり、実態は「六福神」である。
異様な六福神を乗せた奇怪な宝船は、もう一体の福神を迎えて「真の七福神」となるために、今もさまよっているという……
この「福禄寿と寿老人は実は同体」という伝承の設定が、著者の創作かどうかは定かではないけれども、福禄寿と寿老人は個性派ぞろい七福神の中ではキャラが被っており、確かに寿老人の影が薄い気はする。
作中では「七番目の福神」の候補として吉祥天や猩々、福助などが挙げられている。
当ブログとしては、「七番目の福神」にはサンタクロースを推したいところだ。(仙台四郎も捨てがたいが……)
将来サンタさんが七福神に仲間入りした暁には、上掲のような図像になるかもしれない(笑)
縁日草子っぽくお祝いをするために、仏画風サンタ像を一枚アップ。
当ブログでは2年前の記事で、サンタクロースと大黒天の類似について雑談し、一年前には両者をテーマにロゴ画像flashを制作してみた。
比較的新参の「福神」としてのサンタさんだが、今ではもうすっかり日本に定着していて、七福神の神々に十分匹敵するレベルになっていると思う。
ところで、私の好きな諸星大二郎の漫画に「六福神」という作品がある。
●「六福神―妖怪ハンター」諸星大二郎(集英社)
著者の代表作、妖怪ハンターシリーズ連作短編集。表題作「六福神」の設定が非常に面白い。
とある地方の伝承によると、七福神の神々のうち、で、「七」の吉数に合わせるために分割された神格であり、実態は「六福神」である。
異様な六福神を乗せた奇怪な宝船は、もう一体の福神を迎えて「真の七福神」となるために、今もさまよっているという……
この「福禄寿と寿老人は実は同体」という伝承の設定が、著者の創作かどうかは定かではないけれども、福禄寿と寿老人は個性派ぞろい七福神の中ではキャラが被っており、確かに寿老人の影が薄い気はする。
作中では「七番目の福神」の候補として吉祥天や猩々、福助などが挙げられている。
当ブログとしては、「七番目の福神」にはサンタクロースを推したいところだ。(仙台四郎も捨てがたいが……)
将来サンタさんが七福神に仲間入りした暁には、上掲のような図像になるかもしれない(笑)
2008年12月29日
どんぐりと山猫
秋を過ぎ、公園の木の下を歩いていると、ふと足元一面に転がるどんぐりに気付くことがある。
どんぐりがたくさんあるのを見ると、なぜか楽しくなってくる。拾ってどうなるわけでもないのに、手のひらやポケットがいっぱいになるまで、ひとしきり拾い集めてみたくなったりする。
子供の頃の頃の記憶がよみがえってくる。
たしか祖父母の家の近所にあった観音様のお堂にも、たくさんのどんぐりが転がっていて、拾ったり、並べたり、転がしたりして、飽きずに遊んだ覚えがある。
どんぐりの季節には木々の葉は色づき、空は秋晴れで、木立を歩くと落ち葉を踏む音がにぎやかで、心は自然に浮き立ってきた。
宮澤賢治「どんぐりと山猫」を読むと、そんなにぎやかな秋の山の情景が、華やかに楽しく目の前に広がってくる。
青空文庫「どんぐりと山猫」
冒頭部分、主人公のもとに山猫から届いた手紙の文面で、読者は即座に作品世界に巻き込まれてしまう。
落ち葉の中に見え隠れするどんぐりは、どれもつややかに光って見えて、いっぱい拾うと何か得をしたような気分になって、無駄と知りつつついつい家に持って帰ってみたくなったものだ。
持ち帰って部屋の中で見てみると、あんなに光って見えたどんぐりたちも、魔法が解けたように土で汚れてくすんで見えてしまうのだけれども。
作品の終わりの以下の描写は、そんなどんぐり拾いの思い出とよく重なって、読んでいると思わず笑みが浮かんでくるのだ。
どんぐりがたくさんあるのを見ると、なぜか楽しくなってくる。拾ってどうなるわけでもないのに、手のひらやポケットがいっぱいになるまで、ひとしきり拾い集めてみたくなったりする。
子供の頃の頃の記憶がよみがえってくる。
たしか祖父母の家の近所にあった観音様のお堂にも、たくさんのどんぐりが転がっていて、拾ったり、並べたり、転がしたりして、飽きずに遊んだ覚えがある。
どんぐりの季節には木々の葉は色づき、空は秋晴れで、木立を歩くと落ち葉を踏む音がにぎやかで、心は自然に浮き立ってきた。
宮澤賢治「どんぐりと山猫」を読むと、そんなにぎやかな秋の山の情景が、華やかに楽しく目の前に広がってくる。
青空文庫「どんぐりと山猫」
冒頭部分、主人公のもとに山猫から届いた手紙の文面で、読者は即座に作品世界に巻き込まれてしまう。
かねた一郎さま 九月十九日この奇妙な手紙に誘われて森の中へと入り込んだ一郎が、どんぐりたちの「めんどなさいばん」に参加して、代官役の山猫に協力するお話。
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
山ねこ 拝
落ち葉の中に見え隠れするどんぐりは、どれもつややかに光って見えて、いっぱい拾うと何か得をしたような気分になって、無駄と知りつつついつい家に持って帰ってみたくなったものだ。
持ち帰って部屋の中で見てみると、あんなに光って見えたどんぐりたちも、魔法が解けたように土で汚れてくすんで見えてしまうのだけれども。
作品の終わりの以下の描写は、そんなどんぐり拾いの思い出とよく重なって、読んでいると思わず笑みが浮かんでくるのだ。
馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかおつきで、遠くをみていました。
馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変っていました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。
2008年12月30日
カテゴリ「宮澤賢治」
宮澤賢治の作品には昔から折にふれて読んできた。
童話作家の代表としての評価が定まった感がある宮澤賢治だが、正直言って、作品自体はそれほどわかり易いものではない。
今の子供に宮澤賢治の本を与えても、そのまま読むに任せて独力で読破できる子は少ないのではないだろうか。
物語としての筋立てがはっきりしたものばかりではなく、幻想的なイメージをそのまま書き記したような作品が多い。
そのことは賢治自身も自覚していたようで、存命中に刊行された唯一の童話集「注文の多い料理店」の序文にも、そのように明記してある。
青空文庫「注文の多い料理店」序
また賢治は自身の詩について「心象スケッチ」という言葉を使っている。この言葉遣いからも、賢治は作品としての首尾一貫や創りの結構よりも、見たり感じたりしたイメージをそのままに書き記すことに力点を置いていたことがうかがえそうだ。
このカテゴリでは、謎の多い宮澤賢治の作品について、謎は謎のままに、私の感覚がいくらか賢治と同期したと思える点について、その心象をスケッチしていきたいと思う。
【宮澤賢治の作品について】
賢治の作品については著作権が失効しており、その多くが青空文庫で公開されている。また、入手しやすい文庫本も数多い。
中でもお勧めは以下の版。
●「注文の多い料理店」宮沢賢治 (角川文庫クラシックス)
賢治作品を収録した文庫本は数あるが、この一冊は賢治本人による唯一の自選童話集を、なるべく元の本に近い形で再現されている。当時の挿絵をそのまま使用しているのが素晴らしく、解説も充実している。
宮澤賢治の作品にふれようとする時、最初の一冊として一番お勧めしたい版だ。
童話作家の代表としての評価が定まった感がある宮澤賢治だが、正直言って、作品自体はそれほどわかり易いものではない。
今の子供に宮澤賢治の本を与えても、そのまま読むに任せて独力で読破できる子は少ないのではないだろうか。
物語としての筋立てがはっきりしたものばかりではなく、幻想的なイメージをそのまま書き記したような作品が多い。
そのことは賢治自身も自覚していたようで、存命中に刊行された唯一の童話集「注文の多い料理店」の序文にも、そのように明記してある。
青空文庫「注文の多い料理店」序
(前略)
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
(後略)
また賢治は自身の詩について「心象スケッチ」という言葉を使っている。この言葉遣いからも、賢治は作品としての首尾一貫や創りの結構よりも、見たり感じたりしたイメージをそのままに書き記すことに力点を置いていたことがうかがえそうだ。
このカテゴリでは、謎の多い宮澤賢治の作品について、謎は謎のままに、私の感覚がいくらか賢治と同期したと思える点について、その心象をスケッチしていきたいと思う。
【宮澤賢治の作品について】
賢治の作品については著作権が失効しており、その多くが青空文庫で公開されている。また、入手しやすい文庫本も数多い。
中でもお勧めは以下の版。
●「注文の多い料理店」宮沢賢治 (角川文庫クラシックス)
賢治作品を収録した文庫本は数あるが、この一冊は賢治本人による唯一の自選童話集を、なるべく元の本に近い形で再現されている。当時の挿絵をそのまま使用しているのが素晴らしく、解説も充実している。
宮澤賢治の作品にふれようとする時、最初の一冊として一番お勧めしたい版だ。