【3月の予定】
年度末。
神仏絵師のハシクレにも、浮世の勤めがあれこれと。
息抜き、寄り道、はさみながら、カテゴリ薬師を少しずつ進めていく予定です。
【ロゴ画像変更】
そろそろ梅が見頃を迎えようとしています。
冬の寒い日々が続いてきましたが、ほっと一息つける季節ですね。
2009年03月01日
2009年03月02日
おりがみ雛人形2009
明日は3月3日の雛祭。
今年もおりがみ雛人形をアップしておきましょう。
(クリックすると画像が大きくなります)
今年はあまり手を加える時間がありませんでしたので、ぼんぼりを作って添えてみました。
今後も末永く増設していきたいと考えているのですが、今回は方向性でちょっと迷いました。あくまで「おりがみ」にこだわるか、おりがみに限定せずミニチュア雛人形を志向するか……
色々考えた結果、この作品に関しては、なるべく「おりがみ」で表現していくことに決めました。
ぼんぼりは伝承おりがみの「紙風船」を基本に微調整し、立てるための支柱もおりがみです。
雛人形本体は、以下の本に載っていた折方を応用したものです。
●「創作おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
おりがみ雛人形に関する記事は、以下にまとめてあります。
おりがみ雛人形まとめ
今年もおりがみ雛人形をアップしておきましょう。
(クリックすると画像が大きくなります)
今年はあまり手を加える時間がありませんでしたので、ぼんぼりを作って添えてみました。
今後も末永く増設していきたいと考えているのですが、今回は方向性でちょっと迷いました。あくまで「おりがみ」にこだわるか、おりがみに限定せずミニチュア雛人形を志向するか……
色々考えた結果、この作品に関しては、なるべく「おりがみ」で表現していくことに決めました。
ぼんぼりは伝承おりがみの「紙風船」を基本に微調整し、立てるための支柱もおりがみです。
雛人形本体は、以下の本に載っていた折方を応用したものです。
●「創作おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
おりがみ雛人形に関する記事は、以下にまとめてあります。
おりがみ雛人形まとめ
2009年03月08日
2009年03月20日
岡本太郎1
はじめて岡本太郎の絵画作品の実物を目にしたのは、中学生の頃だったと思う。もちろん、それまでにも「岡本太郎」という稀有の芸術家が存在することは知っていた。
数年前のジェットコースター事故が原因で閉鎖されてしまったが、子供の頃にエキスポランドに遊びに行けば、否が応でも「太陽の塔」の威容が目に飛び込んできたし、TVコマーシャルでは岡本太郎本人が「芸術は、爆発だ!」とか「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」とか叫んで、鮮烈な印象を放っていた。
また、岡本太郎デザインの鯉のぼりというのもあって、これまたTVコマーシャルで鮮やかな原色のデザインが強烈だったし、今はなき近鉄バッファローズのマークも岡本太郎デザインでカッコよかった。
私の世代の多くは、自然に「芸術家=岡本太郎」とイメージするようになり、芸術と言うのは「ちょっと変わった面白いおじさん」が産み出すものなのだと、感覚的に捉えていたのではないだろうか。
中学生になり、多少の絵画技術をかじるようになると、タレントじみた岡本太郎の活動が軽く見えたり、太陽の塔のようなシンプルなデザインがつまらなく思えたりしてきた。思春期に入ったばかり、技術を学び始めたばかりの初心者が陥りがちな馬鹿さ加減なのだが、当の本人は自信満々だから自分の愚かさには気付けるはずもない(苦笑)
馬鹿真っ盛りのその頃、近場の美術館で展覧会があった。正確なタイトルは覚えていないが、日本の近現代の絵画を広く集めた展示だったと思う。何点か岡本太郎の絵画作品があり、今でもはっきりと記憶に残っている。
馬鹿全開の中学生の私にすら、その作品の特異性は一瞬で理解できた。作品の持つ空気が、その場の並み居る画家の作品とまったく違っており、とくに「森の掟」にはただただ圧倒された。その展覧会には他にも優れた作品がたくさんあったはずなのだが、現在の記憶の中には岡本太郎の作品しか残っていない。私の中で岡本太郎と言う名前が「TVにでている爆発おじさん」から「凄まじい筆力を持った画家」に変わった瞬間だった。しかし当時の私には、岡本作品の圧倒的な力にまともにぶつかるだけの余力がなく、以後は「敬して遠ざける」という付き合い方になってしまった。
それから時は流れて1996年。
阪神大震災やオウム真理教事件の動乱の翌年、岡本太郎の訃報が流れた。訃報とともに岡本太郎の再評価が始まり、作品集が刊行され、多くの著書が復刊された。
私は2000年前後からそうした書籍を手に取りはじめ、中学生の頃の衝撃が生々しく甦ってきて、一気にハマった。手当たり次第に本をかき集め、貪るように読み続けた。TVの印象とは違った、研ぎ澄まされた知性に驚き、万博公園であらためて見上げた太陽の塔の空間構成の妙に嘆息した。
作品も著作もまったく古びておらず、むしろますます新しくなっているような気がした。岡本太郎の真骨頂はその視線の「若さ」にあると感じた。醒めた眼差しで宇宙を眺め、淀みを見透かし、決して惰性に流されない明朗さ……
最近また、岡本太郎の本を読み返している。
●「今日の芸術」岡本太郎(光文社文庫)
1954年に初版が刊行され、芸術を志す者に広く読み継がれてきた一冊。表題「今日の芸術」は、1950年代における「今日」を意味しておらず、芸術がその時代それぞれの「今日的課題」であるための条件を、きわめて平易な文章で語りつくしている。出版社の意向で「中学生でも理解できるように」徹底的に言葉を噛み砕いているため、読んでいてテンションの高い講演会を聴いている様な、流暢な香具師の口上に聞き惚れているようなライブ感がある。
こうした刺激的なコピーで読む者は首根っこを捕まえられ、理路整然と説得され、勢いに巻き込まれて一気に通読させられ、いつの間にか意識は転換させられてしまう。
個人的には「芸術」と「芸事」の相違の解説の部分が、この本の白眉だと感じた。たゆまぬ修練によって身につけた技能が、実は芸術の本質からはずれた価値であるかもしれない。そのことは恐ろしくもあり、勇気づけられもする指摘だ。
●「青春ピカソ」岡本太郎(新潮文庫)
岡本太郎が「今日心から尊敬する唯一の芸術家」と評し、だからこそ超えるべき対象として想定したピカソについての一冊。ピカソの作品や経歴についての詳細な解説であると同時に、真正面から取り組むことで積極的に創り上げた岡本太郎独自の芸術論の書でもある。
最後の章でピカソと実際に会うくだりは、湿度が低くさらっと明朗な交流の様子がうかがえる。ピカソのぶっきらぼうな言葉の断片と、太郎の受け答えは、特筆するようなことは何もないのだが、何度も読み返したくなる。
●「岡本太郎に乾杯」岡本敏子(新潮文庫)
太郎の活動を支え続けた岡本敏子が、太郎の死後、秘書としての視線から遺した記録。昨今の太郎再評価の機運は、敏子の尽力の賜物といって良いが、その敏子も今はもういない。
表紙に使われている写真が良い。白い背景の中、ふと振り返って、少し微笑んでからどこかへ駆け出していく姿は、戦後の日本を駆け抜けた岡本太郎そのものに見える。
数年前のジェットコースター事故が原因で閉鎖されてしまったが、子供の頃にエキスポランドに遊びに行けば、否が応でも「太陽の塔」の威容が目に飛び込んできたし、TVコマーシャルでは岡本太郎本人が「芸術は、爆発だ!」とか「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」とか叫んで、鮮烈な印象を放っていた。
また、岡本太郎デザインの鯉のぼりというのもあって、これまたTVコマーシャルで鮮やかな原色のデザインが強烈だったし、今はなき近鉄バッファローズのマークも岡本太郎デザインでカッコよかった。
私の世代の多くは、自然に「芸術家=岡本太郎」とイメージするようになり、芸術と言うのは「ちょっと変わった面白いおじさん」が産み出すものなのだと、感覚的に捉えていたのではないだろうか。
中学生になり、多少の絵画技術をかじるようになると、タレントじみた岡本太郎の活動が軽く見えたり、太陽の塔のようなシンプルなデザインがつまらなく思えたりしてきた。思春期に入ったばかり、技術を学び始めたばかりの初心者が陥りがちな馬鹿さ加減なのだが、当の本人は自信満々だから自分の愚かさには気付けるはずもない(苦笑)
馬鹿真っ盛りのその頃、近場の美術館で展覧会があった。正確なタイトルは覚えていないが、日本の近現代の絵画を広く集めた展示だったと思う。何点か岡本太郎の絵画作品があり、今でもはっきりと記憶に残っている。
「森の掟」
馬鹿全開の中学生の私にすら、その作品の特異性は一瞬で理解できた。作品の持つ空気が、その場の並み居る画家の作品とまったく違っており、とくに「森の掟」にはただただ圧倒された。その展覧会には他にも優れた作品がたくさんあったはずなのだが、現在の記憶の中には岡本太郎の作品しか残っていない。私の中で岡本太郎と言う名前が「TVにでている爆発おじさん」から「凄まじい筆力を持った画家」に変わった瞬間だった。しかし当時の私には、岡本作品の圧倒的な力にまともにぶつかるだけの余力がなく、以後は「敬して遠ざける」という付き合い方になってしまった。
それから時は流れて1996年。
阪神大震災やオウム真理教事件の動乱の翌年、岡本太郎の訃報が流れた。訃報とともに岡本太郎の再評価が始まり、作品集が刊行され、多くの著書が復刊された。
私は2000年前後からそうした書籍を手に取りはじめ、中学生の頃の衝撃が生々しく甦ってきて、一気にハマった。手当たり次第に本をかき集め、貪るように読み続けた。TVの印象とは違った、研ぎ澄まされた知性に驚き、万博公園であらためて見上げた太陽の塔の空間構成の妙に嘆息した。
作品も著作もまったく古びておらず、むしろますます新しくなっているような気がした。岡本太郎の真骨頂はその視線の「若さ」にあると感じた。醒めた眼差しで宇宙を眺め、淀みを見透かし、決して惰性に流されない明朗さ……
最近また、岡本太郎の本を読み返している。
●「今日の芸術」岡本太郎(光文社文庫)
1954年に初版が刊行され、芸術を志す者に広く読み継がれてきた一冊。表題「今日の芸術」は、1950年代における「今日」を意味しておらず、芸術がその時代それぞれの「今日的課題」であるための条件を、きわめて平易な文章で語りつくしている。出版社の意向で「中学生でも理解できるように」徹底的に言葉を噛み砕いているため、読んでいてテンションの高い講演会を聴いている様な、流暢な香具師の口上に聞き惚れているようなライブ感がある。
「今日の芸術は、
うまくあってはならない、
きれいであってはならない、
ここちよくあってはならない」
こうした刺激的なコピーで読む者は首根っこを捕まえられ、理路整然と説得され、勢いに巻き込まれて一気に通読させられ、いつの間にか意識は転換させられてしまう。
個人的には「芸術」と「芸事」の相違の解説の部分が、この本の白眉だと感じた。たゆまぬ修練によって身につけた技能が、実は芸術の本質からはずれた価値であるかもしれない。そのことは恐ろしくもあり、勇気づけられもする指摘だ。
●「青春ピカソ」岡本太郎(新潮文庫)
岡本太郎が「今日心から尊敬する唯一の芸術家」と評し、だからこそ超えるべき対象として想定したピカソについての一冊。ピカソの作品や経歴についての詳細な解説であると同時に、真正面から取り組むことで積極的に創り上げた岡本太郎独自の芸術論の書でもある。
最後の章でピカソと実際に会うくだりは、湿度が低くさらっと明朗な交流の様子がうかがえる。ピカソのぶっきらぼうな言葉の断片と、太郎の受け答えは、特筆するようなことは何もないのだが、何度も読み返したくなる。
●「岡本太郎に乾杯」岡本敏子(新潮文庫)
太郎の活動を支え続けた岡本敏子が、太郎の死後、秘書としての視線から遺した記録。昨今の太郎再評価の機運は、敏子の尽力の賜物といって良いが、その敏子も今はもういない。
表紙に使われている写真が良い。白い背景の中、ふと振り返って、少し微笑んでからどこかへ駆け出していく姿は、戦後の日本を駆け抜けた岡本太郎そのものに見える。
2009年03月23日
岡本太郎2
岡本太郎は絵を売らない画家だった。
一般に、芸術家というのは「作品を制作し、それ売って生計を立てている」というイメージがあるかもしれない。しかし実際には、作品を売るだけで喰っているだけが芸術家というわけでもない。生徒を抱えてレッスンすることで生計を立てたり、兼業で制作したり、その在り方は様々だ。
岡本太郎の場合は、作品を個人的に欲しがる人はいくらでもいたのだが、独自の考え方でほとんど他人に売ることはなかった。個人、法人を問わず、誰かに作品を私有させ、散逸させてしまうと、再び集めることが非常に困難になる。展覧会一つ開くにしても膨大な時間と手間をかけて借りて回らなければならなくなるし、買い手によっては作品をひたすら死蔵して一般の目に触れさせないようにしたりする。
太郎にとって芸術とは、作品と鑑賞者のギリギリの交流の中で成立するものであって、蔵の中に後生大事に抱え込まれた作品になど、何の価値もなかった。だからごく小数の例外を除いて、ほとんど作品は売らなかった。そのおかげで太郎作品を多数収蔵した美術館が、比較的スムーズに立ち上げられた。
岡本一平・かの子という著名な芸術家夫婦の間に生まれた太郎には、戦前にパリ遊学を敢行するなど裕福な育ちのイメージがある。しかし戦争によって財産はかなり失われていたし、父母も早世し、年の離れた兄弟を養う必要もあったため、経済的には苦労がたえなかったようだ。
それではどのように岡本太郎は生計を立てていたのか?
絵画作品を個人に売らなかった代わりに、様々な著述活動をし、公的なスペースのモニュメント等は積極的に制作した。「太陽の塔」はその代表だが、他にも旧東京都庁舎やJR岡山駅の壁画、お寺の梵鐘などが有名だ。
もっと身近な例では、近鉄バファローズのマークや鯉のぼりのデザインがある。
ブログ用に本物のマークを見ながらざっとスケッチしてみたが、物凄く洗練されたデザインで、まさに岡本太郎の絵柄だ。他の日本の球団のマークとは次元がまったく違っていると感じる。私は別に近鉄ファンではなかったけれども、球団合併でこのマークが使用されなくなってしまったのは非常に惜しい。
野球つながりで余談をまじえると、甲子園の「アルプススタンド」は、太郎が名付けたというエピソードもあったりするらしい。
こちらは太郎デザインの鯉のぼり。鮮やかな原色のデザインが5月の青空によく映える。写真はお手軽なミニサイズだが、大きなものも結構求めやすい価格で今も販売されているようだ。
このように、限られた人だけが作品に触れられる美術館展示より、誰にでも親しめる形での作品発表にこだわった岡本太郎なのだが、中でも極めつけは、太郎の最高傑作とも噂される「明日の神話」で、現在は東京渋谷駅で直に見ることができる。
日本からはるか地球の裏側・メキシコにおいて、「太陽の塔」とほぼ同時期に制作された全幅30メートルの超大作でありながら、設置予定地のホテル計画の頓挫により、一般の目に触れることなく約40年間行方不明になっていた「明日の神話」。
太郎没後、岡本敏子の執念により発見され、日本に輸送、敏子の死、修復から公開に至る過程は、一つの感動的なドラマになっている。
私はまだ実見していないのだが、なんとか機会を作って体感してみたいと思っている。
一般に、芸術家というのは「作品を制作し、それ売って生計を立てている」というイメージがあるかもしれない。しかし実際には、作品を売るだけで喰っているだけが芸術家というわけでもない。生徒を抱えてレッスンすることで生計を立てたり、兼業で制作したり、その在り方は様々だ。
岡本太郎の場合は、作品を個人的に欲しがる人はいくらでもいたのだが、独自の考え方でほとんど他人に売ることはなかった。個人、法人を問わず、誰かに作品を私有させ、散逸させてしまうと、再び集めることが非常に困難になる。展覧会一つ開くにしても膨大な時間と手間をかけて借りて回らなければならなくなるし、買い手によっては作品をひたすら死蔵して一般の目に触れさせないようにしたりする。
太郎にとって芸術とは、作品と鑑賞者のギリギリの交流の中で成立するものであって、蔵の中に後生大事に抱え込まれた作品になど、何の価値もなかった。だからごく小数の例外を除いて、ほとんど作品は売らなかった。そのおかげで太郎作品を多数収蔵した美術館が、比較的スムーズに立ち上げられた。
岡本一平・かの子という著名な芸術家夫婦の間に生まれた太郎には、戦前にパリ遊学を敢行するなど裕福な育ちのイメージがある。しかし戦争によって財産はかなり失われていたし、父母も早世し、年の離れた兄弟を養う必要もあったため、経済的には苦労がたえなかったようだ。
それではどのように岡本太郎は生計を立てていたのか?
絵画作品を個人に売らなかった代わりに、様々な著述活動をし、公的なスペースのモニュメント等は積極的に制作した。「太陽の塔」はその代表だが、他にも旧東京都庁舎やJR岡山駅の壁画、お寺の梵鐘などが有名だ。
もっと身近な例では、近鉄バファローズのマークや鯉のぼりのデザインがある。
ブログ用に本物のマークを見ながらざっとスケッチしてみたが、物凄く洗練されたデザインで、まさに岡本太郎の絵柄だ。他の日本の球団のマークとは次元がまったく違っていると感じる。私は別に近鉄ファンではなかったけれども、球団合併でこのマークが使用されなくなってしまったのは非常に惜しい。
野球つながりで余談をまじえると、甲子園の「アルプススタンド」は、太郎が名付けたというエピソードもあったりするらしい。
こちらは太郎デザインの鯉のぼり。鮮やかな原色のデザインが5月の青空によく映える。写真はお手軽なミニサイズだが、大きなものも結構求めやすい価格で今も販売されているようだ。
このように、限られた人だけが作品に触れられる美術館展示より、誰にでも親しめる形での作品発表にこだわった岡本太郎なのだが、中でも極めつけは、太郎の最高傑作とも噂される「明日の神話」で、現在は東京渋谷駅で直に見ることができる。
●「明日の神話 岡本太郎の魂」
日本からはるか地球の裏側・メキシコにおいて、「太陽の塔」とほぼ同時期に制作された全幅30メートルの超大作でありながら、設置予定地のホテル計画の頓挫により、一般の目に触れることなく約40年間行方不明になっていた「明日の神話」。
太郎没後、岡本敏子の執念により発見され、日本に輸送、敏子の死、修復から公開に至る過程は、一つの感動的なドラマになっている。
私はまだ実見していないのだが、なんとか機会を作って体感してみたいと思っている。
2009年03月24日
業務連絡:求む障害報告!
岡本太郎の記事を書いていて太陽の塔の記事を久々に開いてチェックしていると、一番最初の画像をクリックして別窓で開いたときに、画像が壊れていることに気付きました。
他にもいくつか壊れているファイルがあるようです。
当ブログ「縁日草子」も、記事数がそろそろ500に迫ろうかとしており、チェックがなかなか行き届かなくなってきています。
古い記事を見ていて不具合を発見された方は、お手数ですがこの記事のコメント欄に記事名と投稿日時をお知らせいただけると非常に助かります。
どうかよろしく!
他にもいくつか壊れているファイルがあるようです。
当ブログ「縁日草子」も、記事数がそろそろ500に迫ろうかとしており、チェックがなかなか行き届かなくなってきています。
古い記事を見ていて不具合を発見された方は、お手数ですがこの記事のコメント欄に記事名と投稿日時をお知らせいただけると非常に助かります。
どうかよろしく!