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2009年04月01日

2009年4月の予定

【4月の予定】
 3月は予告していたカテゴリ「薬師」の更新ができませんでした。4月もどうなるかわかりませんが、時間を見つけて鋭意更新していきますので、気長にお付き合いください。

【ロゴ画像変更】
 もうすぐ「花まつり」ということで、お釈迦様が生まれた物語を元にflashを作ってみました。
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2009年04月03日

縄文の「発見」

 縄文が再評価されるようになって久しい。
 とくに近年、数々の考古学的発見が積み上げられ、日本の縄文時代は同時代の世界文化の中でも最先端をいく高度なものであったことが明らかになってきた。

 私が小学生の頃は、「縄文再評価」の過渡期にあったと思う。「縄文=原始的、弥生=進歩した文化」という古い図式はまだ残されたままだったが、縄文土器の造形美や竪穴住居の生活は、社会の授業でもかなり詳しく教わった。縄文土器を実際造って焼いてみたこともあったと思うし、当時とっていた「科学と学習」の付録でも縄文土器制作セットが入っており、存分に楽しんだ記憶がある。縄文文化に対し、私を含めた周囲の小学生はみんな親しみを感じていた。
 今現在の学校教育における縄文時代の扱いは、さらに進化していることだろう。しかし、そうした「縄文再評価」のさきがけが誰あろう、岡本太郎であったことは意外に知られていない。

 時は1950年代、まだ戦後間もない時代の中、兵役から帰還した岡本太郎は、作品も全て灰燼に帰した境遇の中、猛然と日本の美術界をかきまわす活動を展開し始めて数年後のことだった。太郎は東京国立博物館の片隅で、ひっそりと展示されている縄文土器を「発見」した。 
 日本の文化史を眺めるとき、縄文文化は特異に見える。
 弥生文化以降は一本の線としてつながりが感じられるが、縄文だけがかなり異質であることは、土器のあの造型を見れば誰もが感じることだろう。弥生土器のすっきり簡素なデザインは現代に続く日本的感性によく合致するが、縄文の装飾過多でどぎついデザインは、侘び寂びの世界とは正反対のように映る。
 岡本太郎が「発見」した当時の縄文土器は、日本文化史からほとんど除外されていた。弥生から連綿と続いて見える、簡素な美を基調とする日本的感性からかけ離れた、土俗的で異様な未開の遺物として扱われており、およそ美術的価値は認められていなかったという。
 瓦礫の中から日本美術界の澱みを破壊するために立ち上がった岡本太郎の眼と、いわゆる日本的感性とは対極にある縄文土器が出合ったのは単なる偶然ではなかっただろう。
 岡本太郎は自分自身の姿を投影するに相応しい対象を捜し求めており、古い地層から掘り起こされてきた太古の土器群に、それを「発見」したのだ。

 後に岡本太郎は知識に乏しいインタビュアーに「先生は縄文土器を発見なさったそうですが、どこで見つけたのですか?」と聞かれて「博物館の中だ!」と煙に巻いたと言う。
 また「最近縄文はどうですか?」と聞かれた折には、「最近ますます俺に似てきた!」と答えたとも伝えられる。

 冗談めかしたやり取りの中に、岡本太郎の透徹した知性と、そして孤独の影がにじんでいるような気がする。
 


●「日本の伝統」岡本太郎(知恵の森文庫)
 独自の視点から日本文化を創造的に評価しなおした一冊。とりわけ第二章の縄文土器についての考察が白眉。岡本太郎の目を通し、岡本太郎の感じ取った縄文が、以後の縄文観の原点になっていることがよくわかる。しかし、太郎が「四次元」「呪術」と表現した、単なる造型上の要素を超えた縄文土器の価値については、いまだ十分に考察がなされていないと感じる。
 まだまだ縄文は新しくあり続けることを予感させる論評だ。

●「神秘日本」岡本太郎(みすず書房)
 縄文土器の価値を独自に「発見」し、創造した岡本太郎が、日本各地に残る太古の呪術の痕跡を求めて旅する一冊。初出は60年代であるが、東北、熊野、曼荼羅、沖縄など、近年関心の高まる地域について鋭い感覚で預言者のように語っており、カテゴリ沖縄で紹介した「沖縄文化論」も収録されている。
 この本では、仏教美術についても言及している。何に対しても明快な岡本太郎だが、仏教美術に対してやや複雑な態度をとる。芸術家として純粋な造型美以外の部分で仏像を評価することには批判的だが、密教美術や曼荼羅の中に「何か」を見出そうとしている。

●「岡本太郎が撮った『日本』」岡本敏子編(毎日新聞社)
 岡本太郎の眼に映った「日本」は、太郎自身の撮った写真に、より端的に顕れている。縄文、東北、沖縄など、数々のコントラストの強烈な白黒写真によって切り取られた「日本」の断片は、太郎の感じる「神秘」であり「呪術」のありようを感覚的に理解させてくれる。
 岡本太郎の、きわめて明快な論理に貫かれた文章による論評を、感性の方面から補完する写真の数々が収録されており、記録写真の範疇を超えて岡本太郎の絵画作品に近い手触りがある。
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2009年04月08日

花の影

 4月8日は「はなまつり」、お釈迦様がこの世に出生したと伝えられる降誕会。
 今昔物語ではその瞬間を、以下のように描写する。

 (前略)夫人、樹の前に立ち給ひて、右の手を挙げて樹の枝を曳き取らむと為る時に、右の脇より太子生れ給ふ。大きに光を放ち給ふ。
 其の時に、緒の天人・魔・梵・沙門・瑪羅門等、悉く樹の下に充ち満てり。(以下略)
講談社学術文庫「今昔物語(一)」より引用


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 お釈迦様の出生の瞬間にあつまった多くのギャラリーの中に、「魔」が入っている。「魔」は魔王波旬、第六天魔王のこと。
 お釈迦様の生涯の中の重要な節目である、降誕・成道・涅槃のそれぞれの場面に、この魔王は同席している。
 少し気になったので、メモに残しておく。
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2009年04月10日

手で読む縄文紋様

 自分の手で実際に土をこね、土器を作り、紋様を刻んでみると、単に資料として眺めているだけでは気付かなかった、たくさんの事柄が理解できてくる。
 現代の陶芸より低温で焼き上げるため、強度をつけるには「厚み」が必要であること。
 しかし、粘土が肉厚になればなるほど、焼成時に内外の温度差から割れが生じやすくなってくる。その対策に、粘土に大量の砂を混ぜ、温度が伝わり易くしなければならない。そして砂を混ぜて粘りが弱くなった分を、ノリなどを更に混入して補わなければならない。
 縄文土器の紋様は、一見ひも状の粘土を貼り付けたようなものが多く見える。しかし、砂やノリを混ぜた粘土をひも状にすることはけっこう難しいし、「貼り付ける」という手法は空気が混入しやすいので、よほど気をつけないと割れや剥離の原因になってしまう。
 実際には「ひもを貼り付ける」より、「押し付ける」または「溝を刻み込む」手法の方が合理的であると理解できてくる。
 肉厚の土器の表面全体に深く溝を刻んでみると、何も刻まない状態より表面積がかなり広くなる。そうすれば乾燥が速くなるし、焼いたときの温度も全体に上がりやすくなる。
 「表面に丹念に紋様を刻み込む」という呪術を施すことにより、土器がうまく焼きあがる可能性がアップしてくることになるのだ。
 縄文の生活は、それ以降の時代より場所の移動頻度が高かった。
 土器を作るための土も、生活場所が変わるたびに質の違うものを使用しなければならなかっただろう。
 土がころころ変わるということは、実際に手にとってこねてみるまでどんな造型が可能か判断がつきにくいということだ。
 縄文土器のあのリズム感溢れる造型や紋様は、土をこねて感触を確かめながら、その場その場で即興演奏のように生み出されてきたのではないか?
 ふとそんな空想も浮かんでくる。
 それは縄文人の生活スタイルである、「出たとこ勝負の狩猟採集生活」にも相応しい制作風景だと思えてくるのだ。

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posted by 九郎 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月11日

中春??こまわり君 

 行きがかり上というか、神仏与太話を標榜する当ブログで、過去何回か往年の名作ギャグ漫画「がきデカ」の続編「中春こまわり君」について取り上げてきた。

中春こまわり君
中春こまわり君、再び
中春こまわり君、再会

 今発売中の週刊少年チャンピオンで、「中春」ではない、少年こまわり君が復活しているのでご紹介しておく。
 これは少年チャンピオンの創刊40周年企画で、往年の名作漫画を読みきりの形で一時復活させているもの。ドカベン等に続く第三弾だ。
 わずか8ページなのだが、西城君やジュンちゃん、モモちゃんも登場し、こまわり君の粘着質なキャラクターが全開になっていて、物凄く中身が濃い。絵的にも、小学生のこまわり君になんの違和感もない。
 たった一回の読みきり復活なので、この一週間のあいだに見逃すと、もう読めなくなってしまうかもしれない。興味のある人は要チェック!

 私的に、きわめて興味深いのは、西城君がさらりと漏らしたこの一言。

「あーあ、
 今年で四十三に
 なるのに
 子供の役は
 しんどいなあ」


 つまり今回の作品は、時間軸としては「中春」に続きでありながら、各キャラクターが完璧に往年の世界を演じきったメタフィクションであるということになる。
 少年こまわり君の物語は既に完結しており、こまわり君という人格は確かな存在感で四十代を迎えてしまっている。それは西城君をはじめ、他の登場人物も同様だ。
 今回、少年こまわり君の、短くとも生きた物語を紡ぐ為に、作者の中でこうした一ひねりが必要であったのかもしれない。

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 次号の「ビッグコミック」では、「中春」の方も復活するらしい。
 こちらも要チェック!
posted by 九郎 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

春の一週間

 今、TVで「レッドクリフ」を横目に見ながら記事を書いています。
 映画館では見ませんでしたので、今夜が初見。
 これだけ金をかけた超大作、超話題作なのに、びっくりするほどつまらなくて唖然としました。これ、映画館に観に行った人は怒ったんじゃないでしょうか。今パートUを公開してるはずですけど、ヤヴァそうですね……
 もうどこをどう直したらいいとかのレベルではないと思うんですけど、なんでこれがヒットしたのか理解不能です。
 これだったら横山光輝先生のマンガ版をシナリオと絵コンテにして、そのまま実写化すればはるかにマシな代物になったはずです。

 それはさておき

 気がついてみればすっかり春になりました。
 覚えてますか?
 ほんの一週間前まではまだ肌寒かったんですよ……

 道を歩きながらくさむらを眺めていて、はじめて見た雑草がありました。

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(画像をクリックすると少し大きくなります)

 写真ではわかりにくいかもしれませんが、カラスノエンドウの赤紫の花のまわりに、物凄く小さなエンドウの一種が生えています。
 水色のツブツブが花で、よくみると小さな豆が生っているのがわかると思います。
 普通のエンドウマメ:カラスノエンドウの比率とちょうど同じくらいの感じで、更に小さくなっています。
 これははじめて見ました。

 この間の火曜日ぐらいから突然暖かくなって、ここ数日は夏日。
 桜は意外に長持ちして今日ぐらいまではなんとか花見が可能でした。

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 花見と言えば、当ブログでは「縄文土器」。
 今年も焼きましたよ。
posted by 九郎 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

今年もまた縄文の季節

 今年も花見がてらに縄文土器を焼いた。
 両手に乗る土鍋ほどの大きさの浅い鉢だ。
 形状や模様についての詳細は、また後ほど。

 土器は焼いてみるまでわからない。
 焼成前に一度撮影。

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 愛用の「釜」である煎餅の空き缶に、土器と木炭を程よく詰める。
 詰めすぎも、詰めなさすぎも良くない。
 燃焼には空気が必要だが、一気に温度が上がりすぎるのも、土器の割れの原因になる。

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 去年の残りの木炭を使ったら、湿気ていたのか着火に手間取ってしまった。私としたことが(苦笑)
 木炭の燃焼が一旦始まってしまえば、あとはのんびり待つだけ。
 親類から送ってもらった干物などをあぶってみたりする。

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 炭火で焼いた干物は絶品。
 見上げた頭の上には桜。

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 約三時間後、真っ白に完全燃焼の進んだ木炭の合間から、赤褐色に焼き上がった土器の肌がちらりと見える。

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 そろそろ頃合か。
(続く)
posted by 九郎 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

縄文六地蔵

 焼成中に割れたり爆ぜたりすることなく、今年のお花見兼土器焼きも無事終らせることができた。
 今回のテーマは「六地蔵」。
 昨年、土器地蔵を焼いたのだが、造型的にはおとなしめのものだった。今回は縄文テイスト全開で造ろうとスケッチを重ね、外向きの輪になった六地蔵で器を作ってみることにした。
 そして出来上がったのが↓これ。

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 合掌した手と衣の重なりを、縄文風に刻み込む。
 器の内側にも紋様を刻んでしまったので、煮炊きや植木鉢などの実用には適さないかもしれない(笑)

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 果物やその他の食材乗せるのには似合いそうだ。

 六地蔵を横一列に並べると、それぞれ表情が違うことがわかる。

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(クリックすると画像が大きくなります)


 粘土段階で少し砂を混ぜすぎてしまい、表面処理が粗くなった。一部、崩れてしまった箇所もある。
 そういうマイナス点も含めて、地蔵の表情になってくれているといいのだが……

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 縄文時代は年代的にいうと仏教のはじまり以前のことになる。
 わざわざ遡って「地蔵」を作ったことには一応理屈もつけてあるのだが、それはまた後日。
posted by 九郎 at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

縄文時代の子安地蔵

 お釈迦様は「仏教の開祖」と言われるが、厳密には「仏教を創り出した人」ではない。「仏陀(悟りを開いた人)」の名で表現されるように、あくまで「悟った人」であって「創った人」ではない。
 この娑婆世界でただ一人、宇宙の法を悟り、言葉で説けた人と設定されているが、「法」そのものはお釈迦様以前から存在していたことになっている。たとえば「ニュートンが発見する以前から万有引力の法則は存在した」ということと似た構図になるだろう。
 また、お釈迦様以前にも仏は存在したことになっているし、別の世界には別の仏が数え切れないほど存在することになっている。
 だから「仏教はお釈迦様以前から存在する」と表現しても、(歴史的事実関係はさておき)教義上は間違いではないはずだ。

 そうした教義上の設定以外にも、一般に「仏教」として扱われている仏菩薩や神々、世界観の由来は、お釈迦様以前に遡る要素が数多くある。
 地蔵菩薩もそんな仏尊の一つで、カテゴリ地蔵で紹介したように、仏教以前から存在する「大地母神」が仏教的に読み替えられた仏様だ。

 私の好きな土器に、「人面装飾付深鉢」という、縄文中期の作品がある。イラストで再現すると、以下のような形状をしている。

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 この深鉢の形状・模様の解釈は様々に可能なのだろうが、素直に解釈すれば、やはり「出産」または「子を抱く母」の表現ということになるだろう。安産や、子供の安全を願う要素が含まれる表現であることは、間違いないのではないか。
 現在でも、都会のビルの一画や地方の道端に残る素朴な石造りのお地蔵さまには、この中期縄文深鉢の人面装飾に似た顔立ちのものがいくらでもありそうに思う。
 
 日本で素朴な石造りのお地蔵さまが広く定着したのは、仏教の菩薩としてのお地蔵さまが伝来する以前に、この中期縄文深鉢に見られるような、同じ構図を持つ信仰と造型の流れが存在したからなのかもしれない。
posted by 九郎 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

雑賀鉢

 現在の和歌山市周辺は古くは「雑賀(さいか)」と呼ばれ、室町時代より実戦兜「雑賀鉢(さいかばち)」の生産で知られた。

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 一口に雑賀鉢と言ってもさまざまな形状があるのだが、特徴的な様式に「置手拭(おきてぬぐい)」と呼ばれるものがある。

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 頭頂部に二枚あわせの鉄板を「手拭をのせるように」装着し、後頭部には通気用(?)の隙間を空けてある。
 鉄板同士の結合には鋲が使用されており、兜の表面には防錆用に薄く黒漆が塗られたいた。兜前面の「眉庇(まびさし)」と呼ばれる箇所には人間の眉毛を模した飾りが付くことが多かったようだが、この飾り自体は雑賀鉢独自の様式ではなく、様々な様式の兜に広く見られる。
 
 実戦本位の質実剛健な造りは、量産型ザクみたいでカッコいい。(すぐガンダムで喩えたがるのは私の世代の悪い癖なのだが……)
 和歌浦の英雄・雑賀孫市も、おそらくこの雑賀鉢を被ったはずだ。和歌山市内で毎年恒例の孫市まつりでは、自作甲冑に身を包んだ皆さんの武者行列が出るのだが、この雑賀鉢もご当地モノとして人気が高い。
 こうしてスケッチしていると、ガンダム世代=プラモ世代の血がざわざわと蠢いてくる。いつか自分で被れるものを造ってみたくなって来るのだ……
 機が熟すまで、資料集めやスケッチ、紙による試作などをボチボチ進めて行きたい。

 気長に、無理せず。
posted by 九郎 at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする