2009年04月20日

縄文時代の子安地蔵

 お釈迦様は「仏教の開祖」と言われるが、厳密には「仏教を創り出した人」ではない。「仏陀(悟りを開いた人)」の名で表現されるように、あくまで「悟った人」であって「創った人」ではない。
 この娑婆世界でただ一人、宇宙の法を悟り、言葉で説けた人と設定されているが、「法」そのものはお釈迦様以前から存在していたことになっている。たとえば「ニュートンが発見する以前から万有引力の法則は存在した」ということと似た構図になるだろう。
 また、お釈迦様以前にも仏は存在したことになっているし、別の世界には別の仏が数え切れないほど存在することになっている。
 だから「仏教はお釈迦様以前から存在する」と表現しても、(歴史的事実関係はさておき)教義上は間違いではないはずだ。

 そうした教義上の設定以外にも、一般に「仏教」として扱われている仏菩薩や神々、世界観の由来は、お釈迦様以前に遡る要素が数多くある。
 地蔵菩薩もそんな仏尊の一つで、カテゴリ地蔵で紹介したように、仏教以前から存在する「大地母神」が仏教的に読み替えられた仏様だ。

 私の好きな土器に、「人面装飾付深鉢」という、縄文中期の作品がある。イラストで再現すると、以下のような形状をしている。

jm-11.jpg


 この深鉢の形状・模様の解釈は様々に可能なのだろうが、素直に解釈すれば、やはり「出産」または「子を抱く母」の表現ということになるだろう。安産や、子供の安全を願う要素が含まれる表現であることは、間違いないのではないか。
 現在でも、都会のビルの一画や地方の道端に残る素朴な石造りのお地蔵さまには、この中期縄文深鉢の人面装飾に似た顔立ちのものがいくらでもありそうに思う。
 
 日本で素朴な石造りのお地蔵さまが広く定着したのは、仏教の菩薩としてのお地蔵さまが伝来する以前に、この中期縄文深鉢に見られるような、同じ構図を持つ信仰と造型の流れが存在したからなのかもしれない。
posted by 九郎 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする