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2009年06月01日

2009年6月の予定

【6月の予定】
 アジサイがあちこちで開花し始めていますね。
 毎年この季節になると、道端のアジサイを眺めながら曼荼羅のことを考えています。
 そんなテーマでぼちぼち進行していけたらなと予定しています。

 5月に書いていた夢枕獏関連の記事に少しずつ加筆していますので、興味のある人は再読してみてください。

 現在、カテゴリ和歌浦で雑賀衆のことを記事にするために色々本を読んでいます。
 雑賀衆を単独で扱った書籍はほとんど無いのですが、断片的に触れてあるものをかき集めると、和歌浦という地域が単なる「点」ではなく、海を介したネットワークの一つのセンターとして見えてくるようです。
 今までバラバラに読んでいた本が、雑賀衆という横糸で次々に繋がって、どんどん内容がわかった気分になれて、ページを繰る手がはずんできます。
 著者で言えば網野善彦、沖浦和光、五木寛之などなど。
 テーマで言えば海の民、芸能民、河原者などなど。 
 たまにこういう「どんどん本が読める時期」が来てくれると、本読みにとっては至福の一時ですね。

【ロゴ画像変更】
 インド神話から取材しています。

原初の海、大蛇のベッドで眠るヴィシュヌ神
長い永い眠りの中、あるとき体内になにものかが生じる
それは臍から体外に伸び、蓮となって花開く
蓮華の中には創造神ブラフマーが生まれ
かくてブラフマーは世界創造を開始する

 
 宇宙に生じた蓮華から世界が始まるイメージは、仏教の蓮華蔵世界や胎蔵曼荼羅と似ていますし、原初の海に多頭の大蛇が横たわる姿は泥海神話とも似ています。
posted by 九郎 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年06月05日

アジサイ2009

 ブログを開始して四回目の6月が来た。
 私の好きなアジサイの季節だ。
 これまでにもアジサイのことは毎年記事にしてきた。
 2006年2007年2008年

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 アジサイは咲き始め、天気は曇りか雨がいい。
 
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 下から上へスーッと伸びた茎から、細かな蕾の集合体。
 その周囲には大きめの花が取り囲むガクアジサイ。

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 生まれたての曼荼羅みたいな花が、雨にぬれた葉の上に並ぶ。

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 花の中にもう一つ花の世界。

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 この時期はアジサイだけでなく、曼荼羅みたいに見える花が何種類も咲いている。

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 春先から近所の道端で様々な花を楽しんできたが、個人的にはアジサイでクライマックスという気がする。
 アジサイが終ればもう夏はすぐそこだ。
posted by 九郎 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

葛城の中世神話

 中世に創作された神仏習合の書の中に「大和葛城宝山記」という一書がある。
 冒頭に「行基菩薩撰」と表記されているが、実際には鎌倉時代後期に創作されたものであるらしい。
 ごく短い文書だが、大和葛城山周辺を舞台に、壮大な宇宙の開闢神話が展開されており、当時の宗教者達には重視されたようだ。
 中世の神仏習合の書らしく、インド神話の神々や仏教尊、日本神話の神々が複雑に読み替えられて登場し、葛城山脈の峰々が神話の舞台として紹介されている。日本の古都のほど近くに、世界の神々や宇宙と繋がる神話が伝えられていることになり、非常に面白い。
 特殊な文書だが、岩波書店「日本思想体系」に収録されているので、原典にあたるのにさほど苦労は無い。

 葛城は役行者の出身地であり、修験道の中心地だ。
 仏教・神道・儒教など、宗派の判然とした状態を見慣れた現代人の眼で見れば、修験道は正体不明の「ごちゃまぜ」宗教の代表のように受け止められやすい。しかし日本の宗教史上では、そうした「ごちゃまぜ」の神仏習合時代の方が遥かに長かった。そうでなかった時代の方が珍しい。
 とくに神道については、明治期にかなり人為的に「記紀神話」の内容にまで復古させた経緯があり、現在の「神道」の在り方が古来からずっと継続しているわけではない。
 葛城の信仰の歴史的厚みを理解するには、こうした中世神話をおさえておくことも必要だろう。



●「中世神話」山本ひろ子(岩波新書)
 中世神話一般を扱った入門書だが、「大和葛城宝山記」についても各所で触れて詳細な解説を施してある。「宝山記」はごく短い文書なので、中心的な内容についてはほぼ全て語られていると言って良い。その他の文書と関連付けられているので、中世神話の持つ世界観特有の傾向を掴め、理解しやすくなる。

●「神仏習合の本」(学研Books Esoterica45)
 以前にも一度、紹介したことがある一冊だが、「大和葛城宝山記」についても何箇所かで言及がある。
 図版が非常に豊富なので、当時の人々が中世神話についてどのようなビジュアルイメージを持っていたのか、よくわかる。

●「日本思想大系19 中世神道論」(岩波書店)
 今回紹介した「大和葛城宝山記」本文を読みたい場合はこの一冊。
 このシリーズは日本宗教の原典資料を探す場合、非常に重宝する。図書館に所蔵されていることが多く、古書店で探せばたまに安く見つかるので要チェック。
posted by 九郎 at 21:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

1/1ガンダム建立

 色々準備中につき記事投稿が滞っているので、たまには時事ネタなど。

機動戦士ガンダム:「台場に立つ」18メートルの雄姿現す

 ここ一週間ほど、ネットでもかなり盛り上がっている1/1ガンダムの話題です。残念ながら手足を動かすことは出来ない「立像」だそうですが、細部まで造りこまれた姿は往年のガンダム世代だけでなく、感動を与えているそうです。
 屋外の公園スペースで、木立から頭一つ抜け出した大きさの超リアルな「実物大」ガンダムが立っていたら、感動しない方がおかしいですね(笑)
 私自身は観に行けそうに無いのが残念ですが、近場にいる皆さんは今すぐダッシュでしょう!
 「ガンダム 台場」で検索すると、実見してきたブロガーの皆さんの熱い記事がたくさんヒットします。
 制作費はおそらく数億円はかかっており、しかも期間限定の無料公開ということですが、経済効果を考えれば余裕で回収できるんじゃないでしょうか。
 すぐに思いつく経済効果としては、このガンダムの足元で、現行の精巧なプラモデルを販売すれば、数百円〜数千円のモデルから一万円を超えるものまで飛ぶように売れることでしょう。お客さんは単にプラモデルを買っただけでなく、払ったお金に替えがたい「この立像を体感できた感動」を形にして持ち帰るわけです。
 今回は期間限定ということですが、このガンダムを使い捨てにできるわけがありませんので、今後の展開も次々に開けていくことでしょう。

 このガンダム立像が正式公開前からこれだけ盛り上り、経済的にも成功するであろうことが予想されるポイントは、ひとえに「本気で造っている事」に尽きるでしょう。
 単に「大きなロボットを置いておけば子供が喜ぶだろう」というような安易な発想でなく、作り手の「真剣さ」「熱さ」が報道写真だけでもビシビシ伝わってくることが素晴らしいです。
 
 ここからやや強引に「神仏与太話」である当ブログ的な話題に繋げますと、故・西村公朝師の作品に「仏像は語る」と言う名著があります。



 この本の中に「新しいお寺を建立するとき、お堂か御本尊かどちらを先に造るか」という話題があります。〈新潮文庫版18P〜)
 実際にお寺を建立する場面に数々関わってこられた西村師は、「最初に御本尊を造るべし」と勧めておられます。お堂やお坊さんが寝起きする建物は、まずは御本尊をしっかり建て、後は勧進しだいで必要に応じて立替えるのが筋であろうとされています。


 今回のガンダム立像、なにやらこうしたお寺の建立話のような経緯を辿りそうな予感もしてきます。今後の動向に注目です。

 中身あってのハコモノ。
 お堂の建設話が先行では順序が違ってしまいます。
posted by 九郎 at 23:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2009年06月26日

大和葛城宝山記

 中世に創作された神仏習合の書「大和葛城宝山記」には、日本神話とインド神話や仏教の宇宙観を折衷させた、独自の創世神話が描かれている。

【大和葛城宝山記の創世神話】
 まず冒頭で宇宙の原初の状態について、十方から「風」が吹き寄せ、相触れた状態で「大水」が保たれており、その水気が変じて天地となったと説かれている。
 これはインド由来の須弥山世界の考え方における宇宙の下層構造、「風輪」と「水輪」を思わせる。
 
 次にその水上に「神聖(かみ)」が化生し、その神は千の頭に二千の手足を持ち、「常住慈悲神王」と名付ける「違細」であると説く。
 「違細」とはインド神話のビシュヌ神のことである。

 そしてその神の臍から強い光を放つ千葉金色の妙法蓮花が生じ、花の中に結跏趺坐した姿で光輝く人神「梵天王」が存在したと説く。
 「梵天」はインド神話のブラフマー神で、ビシュヌの臍から創造神ブラフマーが生まれる構成は、そのままインド神話から引用しているようだ。
 

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 冒頭と別の箇所では、常住慈悲神王は大梵天宮に居り、百億の日月と百億の梵天を作った三千大千世界の本主であると説かれている。
 大きな世界の中に無数の小さな世界、百億の日月と梵天が存在するという宇宙観は、蓮華蔵の発想と近似している。
posted by 九郎 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

大和葛城宝山記2

 原初の水気に生じた常住慈悲神王ビシュヌ、その臍から生じた梵天王ブラフマー。
 大和葛城宝山記の創世神話では、続いて梵天王の心から八子の天神が生まれ、その神々が天地人民を作ったと説く。
 梵天王が心から生んだ神々は、天御中主(アメノミナカヌシ)や高皇産霊(タカミムスビ)、イザナギ・イザナミやオオヒルメ(アマテラス)等の、日本神話でお馴染みの神々であると設定されている。
 インド由来の神々と記紀神話の神々を、一応矛盾無く整合させた本地垂迹の設定だ。
 中でもイザナギ・イザナミは「第六天宮の主、大自在天王に坐します」とされ、須弥山宇宙における欲界の支配者・第六天魔王と習合されており、非常に興味深い。
 第六天宮のイザナギ・イザナミはあるとき、さらに上位の神のみことのりにより、アメノヌボコの呪力で日本の国土や日神・月神を作ったと説かれており、別の箇所ではそのアメノヌボコは「金剛ノ杵」であるとする。

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 「金剛ノ杵」とは密教法具の「金剛杵(こんごうしょ)」、中でも先端が単独の「独鈷杵(とっこしょ)」のことだろう。明王部の密教図像では先端が三本や五本のものが多く使用される。独鈷杵は帝釈天や役行者像によく見られる。
 「宝山記」ではこの独鈷杵が極めて神聖視され、天地開闢のアシカビであり、国土創世のアメノヌボコであり、国の心柱であり、天地人民・東西南北・日月星辰・山川草木の本体であると説く。

 また独鈷杵は形を変じて栗柄(くりから)と化すとされる。
 「栗柄」は不動明王の持つ剣に絡み付く倶利迦羅竜王のことで、「宝山記」の記述によれば、明王・八大龍王に姿を変え、十二神将を心柱の守護とさせ、龍神・八咫烏等の荒ぶる神を使役すると説いている。


 独鈷杵や龍神・八咫烏が重要な役割で登場するあたり、いかにも役行者の本拠地を舞台とする神話にふさわしい感じがする。
posted by 九郎 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする