強烈に蒸し暑いです!
最近のヒットは「ブラックモンブラン」!
そもそもは九州ローカルのお菓子メーカーの人気商品だったらしいのですが、最近は九州以外でもけっこう手に入るようです。
あっさりバニラアイスをチョコで包み、クッキークランチをまぶした小振りなアイスバーで、まあ、ぶっちゃけ駄菓子なんですけど、このぐらいの味がほっと一息なごめます。
お風呂上りに一本!
【7月の予定】
6月に語り残したカテゴリ葛城の「大和葛城宝山記」を、もうしばらく続けた後、なんとかカテゴリ和歌浦に戻って「雑賀年代記(仮)」を語りたいなと考えています。
なんとか……
きっと……
たぶん……
6月中に絵だけでアップしていた「大和葛城宝山記」に、文章部分も追加していますので、未読のかたはどうぞ。
【ロゴ画像変更】
昔、地図から紀伊半島山岳部の等高線をひたすらトレスして地形を浮かび上がらせるという仕事をしたことがあります。←なんの仕事だ(笑)
大阪と和歌山、奈良を分断する葛城山脈の地形起こしをいている時、延々黙々とと等高線を辿っていると意識が朦朧としてきて、「巨大な独鈷杵(とっこしょ)が紀伊半島に水平に突き刺さっている」というようなアホな妄想が頭をよぎりました。
お手持ちの日本地図で確かめてもらえれば、「まあそんな感じもするかな」程度には感じていただけるかもしれません。
最近「大和葛城宝山記」を読んでいて、「独鈷杵が世界を創造する」という神話の構造に、昔バイト中に抱いた妄想を思い出したわけです。
2009年07月01日
2009年07月05日
プラモデルの思い出
あちこち寄り道しながら、ぼちぼち行きます。
むか〜し作ったプラモデルが出てきた。
日本のTV特撮番組の先駆け「ウルトラQ」の怪獣「ガラモン」だ。
全高12cm弱で、固定ポーズ。
放映当時のレトロ玩具ではなく、かなり経ってから発売されたバンダイのThe特撮collectionシリーズなので、造りはリアルな感じだ。
今調べてみたが、とくにプレミアのついた商品ではないようだ(笑)
最近のプラモデルははめ込み式がほとんどだが、当時のものは自分で丁寧に接着剤を塗って組み上げなければならなかった。ガラモンの上半身一帯を覆う突起物は、一つ一つ全て別パーツ!
かなりの難行苦行だった覚えがあるが、それでも「ちょっと少な目」な感じがする。今記事を書いていて「プラモ二個買って、刺二倍にしたらちょうどだな」と思いながら作っていたことを思い出した。
最近のフィギュアは塗装済みが主流だが、この頃のプラモはまだ成型色のままで、色は自分で塗らなければならなかった。
この作品は最初に全体をつや消しブラックのスプレーを吹き、乾燥後に少しずつドライブラシで色味を入れていったはずだ。
ドライブラシというのは、毛を短く切った古い筆に少量の塗料をつけ、半ば乾燥させながらこするように着色していく技法で、小さな凸凹をより大きく見せ、立体感や明暗を際立たせるのに便利だ。
この「ガラモン」はもともとプラモの出来が良かったので、組み上げて塗るだけで十分だった。
私の年代はガンダム直撃なので、こうした技術を普通に子供時代に修得している人がけっこういる。今現在、模型やフィギュアの商品開発をしている人の中には、おそらく私たちの世代のプラモ・エリートがたくさんいるのだろう。
エリートの皆さんの活躍で、組み立てたり塗ったりしなくても、誰にでも質の良い模型が手に入るようになった。
しかしこの状況では「石を投げればモデラーに当たる」ガンダム世代のような特殊な民族は、二度と生まれないことだろう……
むか〜し作ったプラモデルが出てきた。
日本のTV特撮番組の先駆け「ウルトラQ」の怪獣「ガラモン」だ。
全高12cm弱で、固定ポーズ。
放映当時のレトロ玩具ではなく、かなり経ってから発売されたバンダイのThe特撮collectionシリーズなので、造りはリアルな感じだ。
今調べてみたが、とくにプレミアのついた商品ではないようだ(笑)
最近のプラモデルははめ込み式がほとんどだが、当時のものは自分で丁寧に接着剤を塗って組み上げなければならなかった。ガラモンの上半身一帯を覆う突起物は、一つ一つ全て別パーツ!
かなりの難行苦行だった覚えがあるが、それでも「ちょっと少な目」な感じがする。今記事を書いていて「プラモ二個買って、刺二倍にしたらちょうどだな」と思いながら作っていたことを思い出した。
最近のフィギュアは塗装済みが主流だが、この頃のプラモはまだ成型色のままで、色は自分で塗らなければならなかった。
この作品は最初に全体をつや消しブラックのスプレーを吹き、乾燥後に少しずつドライブラシで色味を入れていったはずだ。
ドライブラシというのは、毛を短く切った古い筆に少量の塗料をつけ、半ば乾燥させながらこするように着色していく技法で、小さな凸凹をより大きく見せ、立体感や明暗を際立たせるのに便利だ。
この「ガラモン」はもともとプラモの出来が良かったので、組み上げて塗るだけで十分だった。
私の年代はガンダム直撃なので、こうした技術を普通に子供時代に修得している人がけっこういる。今現在、模型やフィギュアの商品開発をしている人の中には、おそらく私たちの世代のプラモ・エリートがたくさんいるのだろう。
エリートの皆さんの活躍で、組み立てたり塗ったりしなくても、誰にでも質の良い模型が手に入るようになった。
しかしこの状況では「石を投げればモデラーに当たる」ガンダム世代のような特殊な民族は、二度と生まれないことだろう……
2009年07月10日
オモチャの色、ホンモノの色
ほとんど就学前から、プラモデルを作ってきた。
最初にハマったのはイマイの「ロボダッチ」シリーズだったと記憶している。
当時よくTVコマーシャルで「♪人間だったら友達だけど〜、ロボットだからロボダッチ♪」という歌が流れていて、子供達の購買意欲をそそっていた。
上掲の商品はおそらく復刻されたものだと思うが、私の記憶の中の「ロボダッチ」とほぼ一致している。
このシリーズはアニメ等のキャラクターを玩具で再現したものではなく、プラモデルだけで展開されたものだったはずだ。
安い値段のロボット単体のプラモだけでなく、そうしたロボットたちを活動させるための、少し高価な情景モデルまで揃っており、「世界観」を提供する商品展開になっていた。
各キャラクターの性格付けや物語は、プラモデルの箱の横面や組み立て解説書に断片的に記されているのだが、シリーズを集めて情報が蓄積されてくると、けっこう壮大な作品世界が顕れてくる。
子供時代の私はプラモデルを集めているのと同時に、実はそうした物語の断片を集めて、より大きな物語が頭の中に出来上がることを喜んでいたはずだ。
こうした商品の特性は、後のヒット商品「ビックリマン・シール」の、一枚一枚の断片的神話情報をつなぎ合わせると壮大な神話体系が浮かび上がってくる構造にも共通するだろう。
ここまで書いてふと気付いたが、当ブログ「縁日草子」も、様々な神仏の断片的な物語を図像とともに記録して、そこから立ち上ってくる「より大きな物語」を楽しむという点では、子供の頃ハマっていた玩具のシリーズと同じだ。「三つ子の魂百まで」とはこのことか(笑)
プラモデルを組み立てていると、子供心にはまるで自分が本当にロボットを作っているように感じられた。「組み立て解説書」のことを「設計図」と読び、熱中していた。
メカものの模型にとっては「まるでホンモノを組み立てているような感覚」は強い訴求力を持っているらしく、最近よくある大人向けの「週刊〜」のシリーズでもよく使われている売り文句だ。
「ロボダッチ」は、プラモデルの成型色に2〜3色は使われていて、細かな色分けのためのシールもついていたので、解説書通りに組み立てれば、ほぼ箱絵と同じ仕上がりになった。
魅力的な箱絵と、微妙に違った色や形になることもあり、それが不満でなんとか同じ色に出来ないかと試してみたが、サインペンやクレパス、水彩絵具ではプラモにうまく着色できないことはすぐに学習した。
「プラモは買ったままの色で満足するしかない」
そんな風に思っていた時期がけっこう長く続いた。
子供の頃の私のプラモ制作の技術が上がって、それまで「はめ込み式」一辺倒だったのが、接着剤を使うものも作れるようになってきた。
今のプラモデルはかなり精巧なものでも「はめ込み式」が主流になってきているが、当時は模型の箱の中に接着剤の包みが付属していた。平行四辺形の包みの尖った先端を切って部品に接着剤を塗るのだが、切るときに失敗すると、大量の接着剤がこぼれてしまうという、なんとも使いにくい代物だった。
接着剤付きプラモで最初にハマったのは「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズだった。一番小さいスケールのものが一箱百円だったので、子供のお小遣いでもコレクションしやすかった。
ちょっと調べてみると、当時の百円シリーズが今でも二百円で入手できることに驚いた(笑)
その頃、行きつけのプラモ屋さんの一画で、模型用塗料というものが存在することを知った。当時は水性アクリル塗料の出始めた頃で、その種類なら部屋をシンナー臭くせずに使用でき、スポンサーである親の理解も得やすかった。
一生懸命塗ってもムラだらけ、はみ出しだらけになってしまったが、自分の力で「箱のカッコいい絵と同じ色にできる」という満足感は、何者にもかえがたかった。
最近、荷物整理をしていてガラモンとともに、ヤマト関連のプラモも発見した。
いつ作ったものなのかは憶えていないが、塗装技術から判断すると小学生当時のものではなくて、中高生ぐらいの時に作ったものだろうか。
箱の全幅15cm、模型の全長10cmの小品ながら、模型そのものの出来が素晴らしいことがわかる。
「ロボダッチ」は子供の頃の私の意識の中でも完全に「オモチャ」だった。成長とともに私は模型にも「ホンモノっぽさ」を求めるようになっており、その志向と「ヤマト」の模型シリーズはぴたりと一致していたのだ。
それからほどなく空前の「ガンプラ・ブーム」が始まった。
様々な関連本が出版され、中でも私が子供心に衝撃を受けたのが模型雑誌ホビージャパンの別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」だった。
表紙に大写しになったガンダムの色合いを見て、すぐに「ホンモノの色だ」と思った。それまで赤や青や黄色の原色で塗り分けていた自慢のガンダム模型コレクションが、とたんにちゃちな「オモチャの色」に見えてきた。
この色使いは一体どうやってるんだろう?
子供の私はプラモ制作を通して、徐々に色の「彩度」という概念の門をくぐろうとしていたのだった。
最初にハマったのはイマイの「ロボダッチ」シリーズだったと記憶している。
当時よくTVコマーシャルで「♪人間だったら友達だけど〜、ロボットだからロボダッチ♪」という歌が流れていて、子供達の購買意欲をそそっていた。
上掲の商品はおそらく復刻されたものだと思うが、私の記憶の中の「ロボダッチ」とほぼ一致している。
このシリーズはアニメ等のキャラクターを玩具で再現したものではなく、プラモデルだけで展開されたものだったはずだ。
安い値段のロボット単体のプラモだけでなく、そうしたロボットたちを活動させるための、少し高価な情景モデルまで揃っており、「世界観」を提供する商品展開になっていた。
各キャラクターの性格付けや物語は、プラモデルの箱の横面や組み立て解説書に断片的に記されているのだが、シリーズを集めて情報が蓄積されてくると、けっこう壮大な作品世界が顕れてくる。
子供時代の私はプラモデルを集めているのと同時に、実はそうした物語の断片を集めて、より大きな物語が頭の中に出来上がることを喜んでいたはずだ。
こうした商品の特性は、後のヒット商品「ビックリマン・シール」の、一枚一枚の断片的神話情報をつなぎ合わせると壮大な神話体系が浮かび上がってくる構造にも共通するだろう。
ここまで書いてふと気付いたが、当ブログ「縁日草子」も、様々な神仏の断片的な物語を図像とともに記録して、そこから立ち上ってくる「より大きな物語」を楽しむという点では、子供の頃ハマっていた玩具のシリーズと同じだ。「三つ子の魂百まで」とはこのことか(笑)
プラモデルを組み立てていると、子供心にはまるで自分が本当にロボットを作っているように感じられた。「組み立て解説書」のことを「設計図」と読び、熱中していた。
メカものの模型にとっては「まるでホンモノを組み立てているような感覚」は強い訴求力を持っているらしく、最近よくある大人向けの「週刊〜」のシリーズでもよく使われている売り文句だ。
「ロボダッチ」は、プラモデルの成型色に2〜3色は使われていて、細かな色分けのためのシールもついていたので、解説書通りに組み立てれば、ほぼ箱絵と同じ仕上がりになった。
魅力的な箱絵と、微妙に違った色や形になることもあり、それが不満でなんとか同じ色に出来ないかと試してみたが、サインペンやクレパス、水彩絵具ではプラモにうまく着色できないことはすぐに学習した。
「プラモは買ったままの色で満足するしかない」
そんな風に思っていた時期がけっこう長く続いた。
子供の頃の私のプラモ制作の技術が上がって、それまで「はめ込み式」一辺倒だったのが、接着剤を使うものも作れるようになってきた。
今のプラモデルはかなり精巧なものでも「はめ込み式」が主流になってきているが、当時は模型の箱の中に接着剤の包みが付属していた。平行四辺形の包みの尖った先端を切って部品に接着剤を塗るのだが、切るときに失敗すると、大量の接着剤がこぼれてしまうという、なんとも使いにくい代物だった。
接着剤付きプラモで最初にハマったのは「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズだった。一番小さいスケールのものが一箱百円だったので、子供のお小遣いでもコレクションしやすかった。
ちょっと調べてみると、当時の百円シリーズが今でも二百円で入手できることに驚いた(笑)
その頃、行きつけのプラモ屋さんの一画で、模型用塗料というものが存在することを知った。当時は水性アクリル塗料の出始めた頃で、その種類なら部屋をシンナー臭くせずに使用でき、スポンサーである親の理解も得やすかった。
一生懸命塗ってもムラだらけ、はみ出しだらけになってしまったが、自分の力で「箱のカッコいい絵と同じ色にできる」という満足感は、何者にもかえがたかった。
最近、荷物整理をしていてガラモンとともに、ヤマト関連のプラモも発見した。
いつ作ったものなのかは憶えていないが、塗装技術から判断すると小学生当時のものではなくて、中高生ぐらいの時に作ったものだろうか。
箱の全幅15cm、模型の全長10cmの小品ながら、模型そのものの出来が素晴らしいことがわかる。
「ロボダッチ」は子供の頃の私の意識の中でも完全に「オモチャ」だった。成長とともに私は模型にも「ホンモノっぽさ」を求めるようになっており、その志向と「ヤマト」の模型シリーズはぴたりと一致していたのだ。
それからほどなく空前の「ガンプラ・ブーム」が始まった。
様々な関連本が出版され、中でも私が子供心に衝撃を受けたのが模型雑誌ホビージャパンの別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」だった。
表紙に大写しになったガンダムの色合いを見て、すぐに「ホンモノの色だ」と思った。それまで赤や青や黄色の原色で塗り分けていた自慢のガンダム模型コレクションが、とたんにちゃちな「オモチャの色」に見えてきた。
この色使いは一体どうやってるんだろう?
子供の私はプラモ制作を通して、徐々に色の「彩度」という概念の門をくぐろうとしていたのだった。
2009年07月16日
灰色の世界
今の子供達の娯楽の王様が何になるのか、詳しくは知らない。やはりゲームが王道なのだろうか。
漫画、アニメ、特撮、ゲーム、全て私の子供時代には出揃っていたのだが、今と昔でランクが大きく変動したのが「プラモ」だろう。
私と同じくらいの世代の、特に男子の間では、娯楽の王様の位置は「ガンプラ」が占めていたはずだ。「ガンプラ」は言わずと知れた「ガンダムプラモ」の略。当時の男の子連中はこぞって欲しがり、プラモ屋の仕入れ日には早朝から長蛇の列ができ、開店と同時に激しい争奪戦が繰り広げられた。
子供向けの月刊漫画誌で「コロコロ」を追撃していた「ボンボン」ではプラモ制作をテーマにした「プラモ狂四郎」が連載され、毎号カラー特集でガンプラの作例&技術解説が掲載されていた。
私はすぐにガンプラに夢中になり、設計図(組立解説書)に従って組み立て、塗料で色を塗り分けた。
当時のプラモはプラスティックの成型色がせいぜい一色か二色程度しか無かった。「世界で一番売れたプラモデル」として記録に残っている「1/144ガンダム」の場合、組んだだけでは真っ白だった。
だからどんなに塗りむらだらけ、はみ出しだらけであろうと、とにかく塗った方がはるかにカッコ良くなるので、子供たちはみんな小瓶の塗料を何色も買い込んで悪戦苦闘していた。
図工が得意だった私は、同世代の中ではごく少数の「ガンダムの顔をはみ出さずに塗り分けられる」内の一人で、けっこう尊敬を集めたりした。
当時はブームの真っ最中だったので、専用の「ガンダムカラー」なるものまで発売されていた。「ガンダム世代」の中では低年齢層に属する私はシンナーを使用する模型塗料は親から止められていたので、水性塗料を混色して設定の色を再現することに努めていた。
ほとんどの色は再現できていたのだが、ガンダムのライフルやランドセルに使用される「ミディアムブルー」と言う色が、どうしても作れなくて壁にぶち当たった時期があった。
青味がかったグレーであることはわかるのだが、実際に「黒+白+青」で混ぜてみると「ちょっと違う」感じになってしまうのだ。
限られた小遣いで買い集めた塗料を空費し、途中からはスポンサー(親)から支給される水彩絵具での実験に切り替え、私の試行錯誤は続いた。
たまたまパレット上の赤が混じってしまった時に似た色ができ、ようやく私はミディアムブルーと言う色を「わずかに紫がかった青味のグレー」と認識できたのだった。
そうこうしているうちに、当時の私は身のまわりの色を全て「赤・青・黄・黒・白」の五色で分析して観る習慣がついてしまっていた。通常は中学美術で習うはずの色彩の仕組み(色相環・明度・彩度など)のを独自に研究・開発し、世の中の「色の秘密」を理解した気分になって興奮していた。
分析結果によれば、この世に「絵具のような鮮やかな色」は極めて少なく、ほとんどのものが「灰色の混じった色」であることがわかった。
灰色を基本としてそれに色彩を混ぜてできる「この世の色」と、オモチャなどの人工物に見られる灰色の割合の少ない鮮やかな色。
オモチャの色、ホンモノの色という二つの色のカテゴリが、私の中で出来上がっていたのだった。
そして前回紹介した「HOW TO BUILD GUNDAM」との出会いにより、「オモチャであるプラモにホンモノの色を塗る」という発想に至る事になった。
こうして少年時代の私は、色を使うことによってオモチャの世界で「現実感」を再現する、二つの別の世界を交錯させることの面白さを知りつつあったのだ。
●「HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版」(ホビージャパン)
ガンダムの三十周年記念があちこちで盛り上がる中、伝説のガンプラ解説本も復刻されるようです。
今読むとたぶん物凄く技術レベルが低く見えることでしょう。しかし、新しいジャンルが切り開かれつつある「熱」が、この本には充満しています。この一冊が現代の1/1ガンダム建立の原動力になったことは間違いありません!
同世代の皆さんはこの際「買い」でしょう!
漫画、アニメ、特撮、ゲーム、全て私の子供時代には出揃っていたのだが、今と昔でランクが大きく変動したのが「プラモ」だろう。
私と同じくらいの世代の、特に男子の間では、娯楽の王様の位置は「ガンプラ」が占めていたはずだ。「ガンプラ」は言わずと知れた「ガンダムプラモ」の略。当時の男の子連中はこぞって欲しがり、プラモ屋の仕入れ日には早朝から長蛇の列ができ、開店と同時に激しい争奪戦が繰り広げられた。
子供向けの月刊漫画誌で「コロコロ」を追撃していた「ボンボン」ではプラモ制作をテーマにした「プラモ狂四郎」が連載され、毎号カラー特集でガンプラの作例&技術解説が掲載されていた。
私はすぐにガンプラに夢中になり、設計図(組立解説書)に従って組み立て、塗料で色を塗り分けた。
当時のプラモはプラスティックの成型色がせいぜい一色か二色程度しか無かった。「世界で一番売れたプラモデル」として記録に残っている「1/144ガンダム」の場合、組んだだけでは真っ白だった。
だからどんなに塗りむらだらけ、はみ出しだらけであろうと、とにかく塗った方がはるかにカッコ良くなるので、子供たちはみんな小瓶の塗料を何色も買い込んで悪戦苦闘していた。
図工が得意だった私は、同世代の中ではごく少数の「ガンダムの顔をはみ出さずに塗り分けられる」内の一人で、けっこう尊敬を集めたりした。
当時はブームの真っ最中だったので、専用の「ガンダムカラー」なるものまで発売されていた。「ガンダム世代」の中では低年齢層に属する私はシンナーを使用する模型塗料は親から止められていたので、水性塗料を混色して設定の色を再現することに努めていた。
ほとんどの色は再現できていたのだが、ガンダムのライフルやランドセルに使用される「ミディアムブルー」と言う色が、どうしても作れなくて壁にぶち当たった時期があった。
青味がかったグレーであることはわかるのだが、実際に「黒+白+青」で混ぜてみると「ちょっと違う」感じになってしまうのだ。
限られた小遣いで買い集めた塗料を空費し、途中からはスポンサー(親)から支給される水彩絵具での実験に切り替え、私の試行錯誤は続いた。
たまたまパレット上の赤が混じってしまった時に似た色ができ、ようやく私はミディアムブルーと言う色を「わずかに紫がかった青味のグレー」と認識できたのだった。
そうこうしているうちに、当時の私は身のまわりの色を全て「赤・青・黄・黒・白」の五色で分析して観る習慣がついてしまっていた。通常は中学美術で習うはずの色彩の仕組み(色相環・明度・彩度など)のを独自に研究・開発し、世の中の「色の秘密」を理解した気分になって興奮していた。
分析結果によれば、この世に「絵具のような鮮やかな色」は極めて少なく、ほとんどのものが「灰色の混じった色」であることがわかった。
灰色を基本としてそれに色彩を混ぜてできる「この世の色」と、オモチャなどの人工物に見られる灰色の割合の少ない鮮やかな色。
オモチャの色、ホンモノの色という二つの色のカテゴリが、私の中で出来上がっていたのだった。
そして前回紹介した「HOW TO BUILD GUNDAM」との出会いにより、「オモチャであるプラモにホンモノの色を塗る」という発想に至る事になった。
こうして少年時代の私は、色を使うことによってオモチャの世界で「現実感」を再現する、二つの別の世界を交錯させることの面白さを知りつつあったのだ。
●「HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版」(ホビージャパン)
ガンダムの三十周年記念があちこちで盛り上がる中、伝説のガンプラ解説本も復刻されるようです。
今読むとたぶん物凄く技術レベルが低く見えることでしょう。しかし、新しいジャンルが切り開かれつつある「熱」が、この本には充満しています。この一冊が現代の1/1ガンダム建立の原動力になったことは間違いありません!
同世代の皆さんはこの際「買い」でしょう!
2009年07月18日
表現・再現・修復
プラモの思い出をいくつか記事にしている内に、今の興味の対象である神仏像についても少し思うところがあったのでメモしておく。
ものをつくる、絵を描くと言う行為にも様々な種類がある。
実在のものを「再現」しようとする場合。
存在しないものを「表現」しようとする場合。
何か元になるもの無しに作品自体で新しく創造しようとする場合。
そしてそうした作品を「修復」しようとする場合など。
例えば「神像・仏像」というものを考えるとき、お釈迦様は一応実在の人物とされているが、約2500年前に実在したお釈迦様の容姿は、おそらく現存するどの釈迦如来像ともあまり似ていないだろう。
釈迦如来像は「悟りを開き、輪廻の輪から解放された人物」という、ある意味でファンタジーの設定を、いったん「まこと」であると信じ、容姿を「まことらしく」思索した上で表現したものだ。
その他様々な仏菩薩の尊像は、この世に物質的に実在したことはない神仏を、「あるとすればこのような姿であろう」と仮定したり、あるいは仏道修行の途上に感得した姿を形に定着させたものだ。
だから多くの仏像は、作られた当初はこの世のものならぬ鮮やかな原色で彩られていることが多い。有名な興福寺の阿修羅像も、元は華麗な赤の体色であったことがわかっている。
いったん表現された神仏像は、それ自体が神仏の宿る聖なるモノ、または神仏そのものとして受け止められることになる。信仰の対象となった神仏像は、極力「現状維持」の努力が払われる。
大きな破損は原状復帰が行われるが、それ以外の経年変化、色の古び・退色は、変化したその状態が尊重される。
修復と言うなら色も元の鮮やかな状態に戻すべきではないかとも思うのだが、例えば興福寺の阿修羅像クラスの古仏になると、破損の修復以外の「塗りなおし」などは誰も望まない。修復ポイントにわざわざ「古びた色」を塗って周囲に馴染ませるという、ある意味で虚構を仏像に施さなければならないのは、考えてみれば不思議なことだ。
もう一歩踏み込むと「修復」と言う行為は、決して「完全に元の状態に戻すこと」を意味しない。
もちろん一般参拝者が見て「元通りだ」と感じられなければならないのは当然なのだが、実際の作業は違う。
後の世の修復家が見て、どこからどこまでが元の作品で、どこからどこまでが後世の修復なのかはっきり分かる修復で、しかも見た目は「元通り」であるということを両立させなければならないのだ。
芸術作品の「修復」について関心のある人は、下記の二冊をお勧めしておく。
●「仏像は語る」西村公朝(新潮文庫)
●「岡本太郎『明日の神話』修復960日間の記録」吉村絵美留(青春出版社)
ものをつくる、絵を描くと言う行為にも様々な種類がある。
実在のものを「再現」しようとする場合。
存在しないものを「表現」しようとする場合。
何か元になるもの無しに作品自体で新しく創造しようとする場合。
そしてそうした作品を「修復」しようとする場合など。
例えば「神像・仏像」というものを考えるとき、お釈迦様は一応実在の人物とされているが、約2500年前に実在したお釈迦様の容姿は、おそらく現存するどの釈迦如来像ともあまり似ていないだろう。
釈迦如来像は「悟りを開き、輪廻の輪から解放された人物」という、ある意味でファンタジーの設定を、いったん「まこと」であると信じ、容姿を「まことらしく」思索した上で表現したものだ。
その他様々な仏菩薩の尊像は、この世に物質的に実在したことはない神仏を、「あるとすればこのような姿であろう」と仮定したり、あるいは仏道修行の途上に感得した姿を形に定着させたものだ。
だから多くの仏像は、作られた当初はこの世のものならぬ鮮やかな原色で彩られていることが多い。有名な興福寺の阿修羅像も、元は華麗な赤の体色であったことがわかっている。
いったん表現された神仏像は、それ自体が神仏の宿る聖なるモノ、または神仏そのものとして受け止められることになる。信仰の対象となった神仏像は、極力「現状維持」の努力が払われる。
大きな破損は原状復帰が行われるが、それ以外の経年変化、色の古び・退色は、変化したその状態が尊重される。
修復と言うなら色も元の鮮やかな状態に戻すべきではないかとも思うのだが、例えば興福寺の阿修羅像クラスの古仏になると、破損の修復以外の「塗りなおし」などは誰も望まない。修復ポイントにわざわざ「古びた色」を塗って周囲に馴染ませるという、ある意味で虚構を仏像に施さなければならないのは、考えてみれば不思議なことだ。
もう一歩踏み込むと「修復」と言う行為は、決して「完全に元の状態に戻すこと」を意味しない。
もちろん一般参拝者が見て「元通りだ」と感じられなければならないのは当然なのだが、実際の作業は違う。
後の世の修復家が見て、どこからどこまでが元の作品で、どこからどこまでが後世の修復なのかはっきり分かる修復で、しかも見た目は「元通り」であるということを両立させなければならないのだ。
芸術作品の「修復」について関心のある人は、下記の二冊をお勧めしておく。
●「仏像は語る」西村公朝(新潮文庫)
●「岡本太郎『明日の神話』修復960日間の記録」吉村絵美留(青春出版社)
2009年07月19日
日蝕の島
7月22日の皆既日食の話題が盛り上がっている。
ニュースでは度々「今世紀最長の皆既日蝕が見られる島」として、鹿児島県トカラ列島の悪石島を取り上げている。
悪石島では当日「6分25秒」の日蝕が見られるらしく、これは異例中の異例の長さだそうで、十年以上前から世界中の天文ファンにこの小さな離島が注目され、今現在続々と人が集まりつつある。
渡航が困難でろくに宿泊施設も無い絶海の孤島、しかもお天気まかせの天体ショーなのにも関わらず、ちょっとした騒ぎになっているようだ。
今のところ当日の天気予報は「曇り時々雨」。
さて、どうなることか。
悪石島のことは今回の日蝕騒動以前から気になっていた。
この島のお祭りには異形の仮面神が登場するのだ。
まるで東南アジアの民族芸術のようなデザインの来訪神は「ボゼ」と呼ばれている。検索してみるとわかると思うが、上掲の絵はとくに誇張したものではない(笑)
こんな素晴らしい仮面文化が残っている日本は、まだまだ広く、深く、捨てたものではないと思わせてくれる。
トカラ列島は思い立ってすぐ行けるような場所ではない。
そこに至るためには溢れんばかりの「島」への情熱と、十分な時間と、その二つを用意できるだけの生き方が必要になってくる。
今の私にはまず無理なのだが、いつか行ってみたい場所の一つだ。
今回、ただ太陽が欠けるのを見るためだけに絶海の孤島へと旅立った愛すべき大馬鹿野郎たちに、心からのエールを送りたい。
どうか天気になりますように……
●「吐カ喇列島」斎藤潤(光文社新書)
ニュースでは度々「今世紀最長の皆既日蝕が見られる島」として、鹿児島県トカラ列島の悪石島を取り上げている。
悪石島では当日「6分25秒」の日蝕が見られるらしく、これは異例中の異例の長さだそうで、十年以上前から世界中の天文ファンにこの小さな離島が注目され、今現在続々と人が集まりつつある。
渡航が困難でろくに宿泊施設も無い絶海の孤島、しかもお天気まかせの天体ショーなのにも関わらず、ちょっとした騒ぎになっているようだ。
今のところ当日の天気予報は「曇り時々雨」。
さて、どうなることか。
悪石島のことは今回の日蝕騒動以前から気になっていた。
この島のお祭りには異形の仮面神が登場するのだ。
まるで東南アジアの民族芸術のようなデザインの来訪神は「ボゼ」と呼ばれている。検索してみるとわかると思うが、上掲の絵はとくに誇張したものではない(笑)
こんな素晴らしい仮面文化が残っている日本は、まだまだ広く、深く、捨てたものではないと思わせてくれる。
トカラ列島は思い立ってすぐ行けるような場所ではない。
そこに至るためには溢れんばかりの「島」への情熱と、十分な時間と、その二つを用意できるだけの生き方が必要になってくる。
今の私にはまず無理なのだが、いつか行ってみたい場所の一つだ。
今回、ただ太陽が欠けるのを見るためだけに絶海の孤島へと旅立った愛すべき大馬鹿野郎たちに、心からのエールを送りたい。
どうか天気になりますように……
●「吐カ喇列島」斎藤潤(光文社新書)
2009年07月20日
ゴーヤーちゃんぷるー
おいしそうなゴーヤーをもらった。
ちょうど近所で沖縄物産展もやっている。
久しぶりに少しは材料の揃ったちゃんぷるーを作ってみるかと、買い物に出かけた。
買ってきたのは、
・島豆腐
・スパム
・オリオンビール
・ジーマーミ豆腐
の四点。
島豆腐とスパムをゴーヤーちゃんぷるーに使い、ジーマーミ豆腐はオリオンビールのつまみ。
沖縄の食べ物・飲み物も最近は近所のスーパーで手に入りやすくなってきた。とくに泡盛やゴーヤーはいつでも手に入る。
それは喜ばしいことなのだけど、島豆腐がなかなか手に入らないのが困りものだ。島豆腐の無いちゃんぷるーは魅力半減だ。
島豆腐は木綿豆腐よりはるかにしっかりしていて、調理の時にかき混ぜても形が崩れず、味も濃厚だ。いつもは仕方なく水切りした木綿豆腐や厚揚げで代用するのだが、やはり島豆腐には及ばない。
よくゴーヤーちゃんぷるーの調理法に「豚肉を入れる」と紹介されている。間違いではないのだろうけど、個人的にはやっぱり現地でよくあるスパムの類が馴染む。塩辛さもちゃんぷるーの味付けの内。
今回はハーフサイズを1缶。
残ったら味噌汁に入れるか、「ポークたまご」にするか。
ちゃんぷるーはつゆだくで、半ば煮物のような感じの仕上がりが好みだ。かまぼこも入るとベストだったのだが、いいのが売ってなかったので今回は見送り。
ジーマーミ豆腐は落花生から作ったもので、胡麻豆腐に少し似ている。もちもちっとした食感が美味しくて、ちょっとしたデザート風でもある。
どれも沖縄ではお手軽な食材なのだが、物産展で買うとちょっと値が張る。まあ、ここは沖縄ではないので仕方がない(笑)
せめて島豆腐がこちらのスーパーで普通に売られるようになってくれるとありがたいので、そういう薔薇色の未来への第一歩として、ささやかながら当ブログでも紹介しておこう。
ちょうど近所で沖縄物産展もやっている。
久しぶりに少しは材料の揃ったちゃんぷるーを作ってみるかと、買い物に出かけた。
買ってきたのは、
・島豆腐
・スパム
・オリオンビール
・ジーマーミ豆腐
の四点。
島豆腐とスパムをゴーヤーちゃんぷるーに使い、ジーマーミ豆腐はオリオンビールのつまみ。
沖縄の食べ物・飲み物も最近は近所のスーパーで手に入りやすくなってきた。とくに泡盛やゴーヤーはいつでも手に入る。
それは喜ばしいことなのだけど、島豆腐がなかなか手に入らないのが困りものだ。島豆腐の無いちゃんぷるーは魅力半減だ。
島豆腐は木綿豆腐よりはるかにしっかりしていて、調理の時にかき混ぜても形が崩れず、味も濃厚だ。いつもは仕方なく水切りした木綿豆腐や厚揚げで代用するのだが、やはり島豆腐には及ばない。
よくゴーヤーちゃんぷるーの調理法に「豚肉を入れる」と紹介されている。間違いではないのだろうけど、個人的にはやっぱり現地でよくあるスパムの類が馴染む。塩辛さもちゃんぷるーの味付けの内。
今回はハーフサイズを1缶。
残ったら味噌汁に入れるか、「ポークたまご」にするか。
ちゃんぷるーはつゆだくで、半ば煮物のような感じの仕上がりが好みだ。かまぼこも入るとベストだったのだが、いいのが売ってなかったので今回は見送り。
ジーマーミ豆腐は落花生から作ったもので、胡麻豆腐に少し似ている。もちもちっとした食感が美味しくて、ちょっとしたデザート風でもある。
どれも沖縄ではお手軽な食材なのだが、物産展で買うとちょっと値が張る。まあ、ここは沖縄ではないので仕方がない(笑)
せめて島豆腐がこちらのスーパーで普通に売られるようになってくれるとありがたいので、そういう薔薇色の未来への第一歩として、ささやかながら当ブログでも紹介しておこう。
2009年07月21日
夢告「平家物語」
もう十年以上前になるが、断続的に「夢日記」をつけていた時期があった。
枕元にメモ用紙と筆記用具を常備し、夜半や朝方、夢で目覚めた時に憶えていることを絵や文で書き留めておく。
半分寝惚けた状態の走り書きなので、意味をなしていない事も多々あるのだが、たまに面白いイメージが形に残る。
ただ、夢に関心を持っていると、奇怪な夢を呼び込むようになってしまう傾向もあるようなので、長期間夢日記を続けることはしなかった。心身ともに余裕のある時期に、何度か集中してかきとめていたのだ。
記録はまだ手元にあるので、いずれ一応「作品になっている」と思われる、公開して差し支えなさそうなものはブログに上げようかと思っている。
そうした内的記録をつけていた時期に、気になる夢を見たことを憶えている。
夢の中の人物に「平家物語にはこの世とあの世のまことの姿がある」と教えられたのだ。
目が覚めてその内容を書きとめながら、私は少し首をかしげていた。当時の私の平家物語に関する知識は、教科書通りの「軍記物語」という程度でしかなかったのだ。
なぜ平家の栄枯盛衰や合戦の様子を描いた物語に「この世とあの世のまこと」があるのか、今ひとつピンとこなかった。「あの世」のことまで含まれるのなら「今昔物語」の間違いではないかとも思ったのだが、夢の中の人物ははっきり「平家物語」と言ったはずだ。
なんとなく納得いかないまま、何年も過ごしてきた。
その間、読書の幅が広まってきたこともあり、少しずつ「平家物語」に関する認識も改まってきた。「この世」のことだけが書いてある書物ではなく、当時流布されていた様々な中世神話が反映され、奇怪な神話の領域まで含まれる物語であることがわかってきた。
そして最近手に取った一冊の本により、ようやくずっと昔の「夢のお告げ」を納得するに至った。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
平家物語はそもそも書物ではなく、琵琶法師によって語り継がれた物語であった。
琵琶法師は盲目の芸能者であり、宗教者でもある。
盲目であるということと、芸能者・宗教者であるということは、そのまま「あの世」と「この世」の境に身を置くことと繋がる。
有名な「耳なし芳一」のイメージに、異界の声を聞き、語りによってあの世とこの世を結びつける琵琶法師というものの本質がよく表現されている。
平家物語と琵琶法師の成立過程には、中世から近世にかけての「この世」の社会制度と、神仏入り乱れた中世の精神世界が色濃く反映されているようなのだ。
付録のDVDには「最後の琵琶法師」による貴重な記録映像も収録されている。
震え響く声と琵琶の音に、ふと昔見た「夢のお告げ」に思い当たり、一人なんどもうなずいたのだった。
枕元にメモ用紙と筆記用具を常備し、夜半や朝方、夢で目覚めた時に憶えていることを絵や文で書き留めておく。
半分寝惚けた状態の走り書きなので、意味をなしていない事も多々あるのだが、たまに面白いイメージが形に残る。
ただ、夢に関心を持っていると、奇怪な夢を呼び込むようになってしまう傾向もあるようなので、長期間夢日記を続けることはしなかった。心身ともに余裕のある時期に、何度か集中してかきとめていたのだ。
記録はまだ手元にあるので、いずれ一応「作品になっている」と思われる、公開して差し支えなさそうなものはブログに上げようかと思っている。
そうした内的記録をつけていた時期に、気になる夢を見たことを憶えている。
夢の中の人物に「平家物語にはこの世とあの世のまことの姿がある」と教えられたのだ。
目が覚めてその内容を書きとめながら、私は少し首をかしげていた。当時の私の平家物語に関する知識は、教科書通りの「軍記物語」という程度でしかなかったのだ。
なぜ平家の栄枯盛衰や合戦の様子を描いた物語に「この世とあの世のまこと」があるのか、今ひとつピンとこなかった。「あの世」のことまで含まれるのなら「今昔物語」の間違いではないかとも思ったのだが、夢の中の人物ははっきり「平家物語」と言ったはずだ。
なんとなく納得いかないまま、何年も過ごしてきた。
その間、読書の幅が広まってきたこともあり、少しずつ「平家物語」に関する認識も改まってきた。「この世」のことだけが書いてある書物ではなく、当時流布されていた様々な中世神話が反映され、奇怪な神話の領域まで含まれる物語であることがわかってきた。
そして最近手に取った一冊の本により、ようやくずっと昔の「夢のお告げ」を納得するに至った。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
平家物語はそもそも書物ではなく、琵琶法師によって語り継がれた物語であった。
琵琶法師は盲目の芸能者であり、宗教者でもある。
盲目であるということと、芸能者・宗教者であるということは、そのまま「あの世」と「この世」の境に身を置くことと繋がる。
有名な「耳なし芳一」のイメージに、異界の声を聞き、語りによってあの世とこの世を結びつける琵琶法師というものの本質がよく表現されている。
平家物語と琵琶法師の成立過程には、中世から近世にかけての「この世」の社会制度と、神仏入り乱れた中世の精神世界が色濃く反映されているようなのだ。
付録のDVDには「最後の琵琶法師」による貴重な記録映像も収録されている。
震え響く声と琵琶の音に、ふと昔見た「夢のお告げ」に思い当たり、一人なんどもうなずいたのだった。
2009年07月22日
蝕2
出先で日蝕を見た。
曇りだったので半分諦めていたが、雲が流れて薄くなった時、鮮明に日の欠けた様が観察できた。
薄い雲が適度なフィルターになって、専用のサングラスを使わなくても肉眼で楽に観察できたので、条件としては晴天よりも良かったかもしれない。
手持ちのデジカメでも普通に撮影することができた。
道端の水たまりに映った日蝕は更に見易く、それに気付いた通りすがりの人々があちこちで下を向いてケータイを向けているのが面白かった。私ももちろんその中の一人だ(笑)
最も欠けた時間帯では、曇りであるという以上に辺りが暗くなり、それまで喧しく鳴き立てていた蝉たちも静まり返って、異様な雰囲気だった。
今回の日蝕については一年ぐらい前から知っており、ここ数週間は報道も頻繁だった。そうした心の準備があってさえ、真昼の日蝕はちょっとした衝撃だった。
二年前の月蝕の時は事前の知識無しに体験できて、原始的な「畏れ」の心を味わったのだが、今回の体験も中々得がたいものだった。
【関連記事】
日蝕の島
蝕
太陽と月を喰う悪魔
曇りだったので半分諦めていたが、雲が流れて薄くなった時、鮮明に日の欠けた様が観察できた。
薄い雲が適度なフィルターになって、専用のサングラスを使わなくても肉眼で楽に観察できたので、条件としては晴天よりも良かったかもしれない。
手持ちのデジカメでも普通に撮影することができた。
道端の水たまりに映った日蝕は更に見易く、それに気付いた通りすがりの人々があちこちで下を向いてケータイを向けているのが面白かった。私ももちろんその中の一人だ(笑)
最も欠けた時間帯では、曇りであるという以上に辺りが暗くなり、それまで喧しく鳴き立てていた蝉たちも静まり返って、異様な雰囲気だった。
今回の日蝕については一年ぐらい前から知っており、ここ数週間は報道も頻繁だった。そうした心の準備があってさえ、真昼の日蝕はちょっとした衝撃だった。
二年前の月蝕の時は事前の知識無しに体験できて、原始的な「畏れ」の心を味わったのだが、今回の体験も中々得がたいものだった。
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日蝕の島
蝕
太陽と月を喰う悪魔
2009年07月23日
天の乗物 太陽と月
仏教の宇宙観では、太陽と月は「天宮」という乗物として説明されている。その軌道や位置関係は九山八海で紹介したことがある。
大きさはそれぞれ太陽が51由旬、月が50由旬。1由旬を約7kmと想定すると、大体350kmぐらいの大きさを持つことになる。この数値を元にすると、人間の住む南贍部洲という大陸よりはるかに小さく、太陽と月がほぼ同じ大きさに設定されていることが分かる。空を見上げた時の主観的な「見かけ上の大きさ」を、そのまま表現した数値だからだろう。
大地は平らであり、太陽と月はほぼ同じ大きさであるという設定は、現代から見ると間違っているのは明らかなのだが、よく自然を観察した体感としてはごく自然で「正しい」説明だ。
太陽と月の天宮、その下半分の外周部分は、それぞれ火珠と水珠の輪になっているとされ、太陽は熱し、月は冷やす働きを持つと説明されている。
正直、分かったような分からないような説明なのだが、仮に図示すると以下のようになるかもしれない。(自信無し!)
日蝕や月蝕が起こる原因は、海に住む阿修羅の仕業として説明されている。
大きさはそれぞれ太陽が51由旬、月が50由旬。1由旬を約7kmと想定すると、大体350kmぐらいの大きさを持つことになる。この数値を元にすると、人間の住む南贍部洲という大陸よりはるかに小さく、太陽と月がほぼ同じ大きさに設定されていることが分かる。空を見上げた時の主観的な「見かけ上の大きさ」を、そのまま表現した数値だからだろう。
大地は平らであり、太陽と月はほぼ同じ大きさであるという設定は、現代から見ると間違っているのは明らかなのだが、よく自然を観察した体感としてはごく自然で「正しい」説明だ。
太陽と月の天宮、その下半分の外周部分は、それぞれ火珠と水珠の輪になっているとされ、太陽は熱し、月は冷やす働きを持つと説明されている。
正直、分かったような分からないような説明なのだが、仮に図示すると以下のようになるかもしれない。(自信無し!)
日蝕や月蝕が起こる原因は、海に住む阿修羅の仕業として説明されている。