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2009年07月25日

「風の王国」から続く道

 人生の中で、これまでも、そしてこれからも何度となく読み返すであろう、大切な物語がいくつかある。私にとっての五木寛之「風の王国」は、そうした物語の中の一つだ。
 表の歴史として豊富な文字記録が残っている世界、平地に定住し、農耕を営む「常民」の世界と並行し、かつて存在したもう一つの世界。
 定まった住居を持たず、農耕に関わらず、山・川・海を経巡って暮らす「化外の民」の世界。
 葛城二上山を本拠とし、作中で活躍する山民をルーツに持つ人々の姿は、著者の綿密な考証により、まるで実在する集団のように生き生きと描かれている。
 素晴らしい物語を読み終えると、その甘美な余韻の中で、「この物語は本当にこれで終ってしまったのだろうか?」とか「続きはもう無いのだろうか?」と、無いものねだりをしたくなる。
 無いものねだりは程々に、そうした「楽しくて、やがて寂しき」感覚こそ、大切に味わうのが良い。それはもうそこそこの年齢になった今なら理解できるのだが、はじめて「風の王国」を読んだ時にはまだそのような諦念に至っていなかった。
 同じ作者の「戒厳令の夜」を読んだり、その他の著者の「サンカ」をテーマにした本を読んでみたりしたが、直接「風の王国」に続くものは見出せなかった。
 小説ではなかったが、五木寛之の仏教をテーマにした一連の著書は気に入ったので「日本幻論」「蓮如―聖俗具有の人間像」「日本人のこころ1〜6」と、折に触れて読み進めるうちに、「風の王国」の後日譚と言える記述に出会った。
 中国地方に実在する山の民に連なる人々が、フィクションとして描かれた「風の王国」を読み、熱烈な読者になり、五木寛之自身がそうした人たちに直接会って対話することになる物語。
 虚構と現実が交錯して新しい歴史が生み出されていく過程を、ドキドキしながら私は読み耽った。


●「サンカの民と被差別の世界」五木寛之(講談社 五木寛之こころの新書)

 そしてその仲介の役割を果たした沖浦和光との対談も刊行される。


●「辺界の輝き」五木寛之/沖浦和光(講談社 五木寛之こころの新書)

 葛城二上山から当麻寺、金剛山。紀ノ川を通過して瀬戸内、中国地方へと、漂白に生きた人々の文字に残されなかった歴史が、対談と言う「語り」の中で描き出されていく。

 小説「風の王国」から続く道は、本という文字の世界の枠を超える。それぞれの土地に足を運び、今回紹介した本を道しるべに歩き回ることで、それぞれの心の中に補完されるのかもしれない。
posted by 九郎 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする