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2009年09月01日

2009年9月の予定

【9月の予定】
 諸事情により10月末まで記事更新がどうなるか見通しが立ちません。案外普段通りいくかもしれませんが、あまり投稿できなくなるかもしれません。
 気長にお付き合いください。

【ロゴ画像変更】
 9月は秋のお彼岸。
 私の好きな和歌浦は、秋のお彼岸の夕暮れが美しいのですが、今回のロゴflashは和歌浦での思い出が元になっています。
 詳しくはまた明日。
posted by 九郎 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

子供の宇宙

 もう何年も前のこと、ある秋の日に和歌浦へ向った。
 和歌浦にいくつかある小さなビーチの一つ、波打ち際で遊ぶ子供達の姿。
 その中の、熱心に石ころや貝を並べている幼児のことが、ふと気になった。

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 幼児の向かいに座り込んで、何をしているのか聞いてみると、「実験や」と答えてくれた。
 「なんの実験?」
 幼児は真ん中に渡してある針金を指差しながら説明してくれる。
 「この線で石と石がひっついて、太陽が沈んだらこの線を通って、朝になったらまた出てくるんや」
 なにやら宇宙的な実験中らしい。
 私がすっかり感心して「年いくつ?」と尋ねると、幼児は「これだけ」と、右手の指を四本出して見せてくれた。
 壮大な宇宙観と、まだ数がよくわからないことの、可愛らしいアンバランス。
 私はまだまだ暑い秋の和歌浦で寝転がって、いつまでも続く幼児の宇宙的な実験を、横からずっと見学させてもらった。


 そのときの思い出を元に描いたのが下の絵。
 8号カンバスにアクリル絵具の、アナログ作品だ。

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2009年09月17日

安否確認

 記事投稿が滞っています。
 多忙が胃腸にきたらしく、口内炎が花盛り。
 物を言うにも食うにも困るときは「なるべく食わずに胃腸を休めろ」という身体のサイン。
 パンをゆっくり少量ずつスープで摂取してなんとか乗り切ります。

 昔撮った、ある神社の写真でほっと一息。
 この神社についても、いずれ語る時が来ることでしょう。

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 連休中、少しは記事投稿ができると思います。
 それではまたノシ
posted by 九郎 at 00:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

お彼岸2009

 多忙に紛れているうちにもうお彼岸入りしていた。
 23日の秋分の日を中日にした一週間が秋のお彼岸。
 今年は「シルバーウイーク」ともほぼ重なっている。
 近所で馴染みの柘榴の樹には、パンパンにふくらんだ実が重たげにぶら下がっている。

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 ヒガンバナも気付いたときにはもう満開だ。
 ビルの谷間にわずかに残った田んぼの縁は、毎年見事な花壇と変わる。もしかしたらずっと昔、周囲が一面田んぼだった頃から続く株なのかもしれない。

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 ヒガンバナは毎年同じ場所で咲く。
 どこかで咲いているのを見かけると、ついつい寄り道して毎年馴染みの場所を覗いてみたくなる。
 四年ほど前に気付いた「白いヒガンバナ」の何箇所かも、立ち寄って確かめてみたくなる。

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 当ブログもそれなりの年月が重なってきた。
 ヒガンバナの記録が、毎年の九月の記事で、三年前まで確認できるのは楽しいことだ。

 2006年
 2007年
 2008年

 秋のお彼岸には、毎年ある海辺の情景を思い出す。
 お彼岸の落日にハナガフルという伝説の場所。
 そこで繰り広げられた歴史絵巻についても、そろそろ手を付けたいなあ……
posted by 九郎 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

八咫烏の面

 戦国時代に特異な存在感を放った鈴木孫一(通称・雑賀孫市)率いる「雑賀鉄砲衆」のことについて、カテゴリ和歌浦で紹介してきた。
 いつの日か(何年先になるか不明だが)雑賀衆が身につけた甲冑を自作してみたいと思っている。そのためにじわじわとスケッチなどを重ねているのだが、ふと思い立って「面」を試作してみた。
 八咫烏(ヤタガラス)をモチーフにしたもので、兜を被った際に顔面を保護する「総面」を意識して、油粘土で原型を作ってみた。

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 粘土原型の上から新聞紙を貼り重ね、その上に更に障子紙を貼り重ねる。十分な層ができたら乾燥後、裏面から粘土をかき出し、樹脂を含ませて硬化させると、軽量で紙製でも強度のある張り子面になる。

 ここから更にパテなどで形を整え、鉄錆地状に表面を整えるとリアルな感じになるのだが、それなりに時間のかかる作業になるのでひとまず仮着色で雰囲気を確かめてみた。

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 今回はひとまずここまで。

 雑賀衆は単なる「地侍」の集団ではなく、海運業者や様々な職能民・芸能民、武士や農民たちが、身分の差を超えて一体となって活動していた所に特徴がある。なぜそのようなことが可能だったかといえば、そこには「どんな身分でも阿弥陀仏の前では同朋である」という本願寺の信仰が生きていたはずだ。
 雑賀衆は甲冑や、おそらく鉄砲まで自作していたといわれ、鉄砲衆のリーダー格の中には面頬制作の名手も含まれていたようだ。
 ただ、雑賀衆が使用していた鉄砲・火縄銃は、射撃時には銃身に「頬付け」するらしい。銃を使う際には皮製の頬あてぐらいは装着したかもしれないが、総面や面頬は外していたと思われる。

 私も愛してやまない雑賀衆と同じく、何でも自前でやってみたくなる質なのだ。
posted by 九郎 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

雑賀衆に関する参考図書1

 戦国時代における雑賀衆の活躍を絵物語にしたいと思っているのだが、まだ時間がかかりそうなので参考図書などについて先にまとめておこう。既に紹介したことのある本もこの際一まとめに。

 雑賀衆と言えば「雑賀孫市」その人にスポットライトが当たりがちだが、実はこの名も含めて後世の「物語」による脚色が多い。
 史実にフィクションを交えて出来上がったヒーロー「孫市」の系譜の集大成は、なんといっても司馬遼太郎「尻啖え孫市」だろう。
 私が持っているのは講談社文庫一冊にまとまったものだが、最近はリニューアルされて復刊しているらしい。




 この小説が物凄く面白く、作中の「孫市」があまりに魅力的であることは、実在した「雑賀衆」の姿が現代の世に理解される上で、大きな可能性にもなり、また制約にもなっている。
 かく言う私もまた、この小説の「孫市」像に心ひかれて雑賀衆のことを調べ始めたのだが、一筋縄ではいかない実在の「鈴木孫一」という謎めいた人物と区別をつけるまでに時間がかかった。
 もっとはっきり言うならば、愛すべき司馬版「雑賀孫市」がフィクションの中だけに存在する人物像であると納得することに、心が抵抗を示していたのだと思う。
 しかし一旦史実の謎に足を踏み入れ、当時の時代背景や一向一揆、石山合戦に取り組んでみれば、それはそれで豊かな謎と物語の世界が広がってくるのだった。

 戦国の同時代、同テーマを扱った小説作品には、他にも面白く読めるものがある。



●「雑賀六字の城」津本陽(文春文庫)
●「火焔浄土―顕如上人伝」津本陽(角川文庫)

 まずはこうした読み易いフィクションを楽しんだ上で、史実の世界に足を踏み入れてみよう。


 雑賀衆や「雑賀孫市」は、並居る戦国キャラクターの中ではマイナーな部類に入る。他の戦国大名とは出自も行動原理も違っているので、非常に実態が伝わりにくい面がある。
 専門に扱った書籍も少なく、小説を除けば一般向けで雑賀衆単独テーマの本は、以下の二冊くらいしか見当たらないだろう。



●「戦国鉄砲・傭兵隊―天下人に逆らった紀州雑賀衆」鈴木真哉(平凡社新書)
 雑賀衆を扱った専門に扱った書籍が少ない中、史実として確認できる雑賀衆の姿と、物語の中の姿を丁寧に区別しながら、実像を浮かび上がらせている。
 司馬遼太郎「尻啖え孫市」に描かれる姿とは違うが、中央から離れた紀州の地で、独自の方法論でしたたかに生き抜いてきた雑賀衆の姿が描き出されている。
 鉄砲を用いた戦術についても詳しく述べてあり、色々と眼からうろこが落ちるような読後感があった。
 今現在入手の容易な「雑賀衆」本は、これ一冊と言ってよい。

●「紀州雑賀衆鈴木一族」鈴木真哉(新人物往来社)
 同じ著者の本だが1984年刊なのでやや入手は困難。図書館をこまめに探すのがお勧め。
 上掲の新書より内容的にはこちらの方が詳しく、いわゆる「雑賀孫市」の実像により迫れるだろう。
 ここから先へ進むには、もう原資料に当たって「研究」するしかなくなってくるかもしれない。そんな本だ。
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2009年09月28日

雑賀衆に関する参考図書2

 戦国時代に特異な光を放った「雑賀衆」を単独で扱った書籍は数少ない。しかし一旦「雑賀衆」の存在を知り、それを前提に「中世」や「一向一揆」をテーマにした本を読んでみると様々な発見があり、バラバラのパズルピースが次々に頭の中で繋がり合い、思ってもみなかった「雑賀衆」の姿が描き出される不思議な体験をすることになる。

 主に扱っている時代は戦国以前になるが、中世社会を独自の視点で見つめた網野善彦の本は、「雑賀衆」が生み出された時代背景を理解するために欠かせない。
 数ある著作の中から手に取りやすい入門書的なものを紹介しておこう。



●「河原にできた中世の町」網野善彦/司修(岩波書店 歴史を旅する絵本)
 一冊目は絵本である。しかし単なる網野本の「絵解き」ではない。名手・司修が網野史学と真っ向から切り結び、様々な絵巻物から自在に風景を引用・再構築し、現代の目からは異様に映る中世を巧みに描き出している。
 河原は水と陸の境であり、人と神の境であり、境に生きる流浪の人々が仮の宿を求める所であった。そうした無縁の地であればこそ、日頃がんじがらめの縁に繋がれた里の人々が解放され、市が開かれてその場限りの後腐れのない商行為が可能になり、仮設の小屋では一夜の夢としての芸能が催された。
 この絵本には直接「雑賀衆」は登場しないが、雑賀衆が本拠地とした紀ノ川河口部は巨大な「河原」であった。そこに集まった人々がどのような出自を背負っていたかを感覚的に捉えるのに、絶好の一冊である。
 巻末の解説も分かり易い。
 
●「日本中世に何が起きたか」網野善彦(洋泉社MC新書)
 文章であれば数十ページ、数百ページを費やす内容を、たった一枚の絵が感覚的に伝えてしまうこともあるが、同時に絵だけでは伝えるのが困難な事柄も多い。
 本書は網野善彦が自身の仕事を「語り」で紹介する調子でまとめてあり、網野本の「一冊目」としてお勧めだ。



●「瀬戸内の民俗誌―海民史の深層をたずねて」沖浦和光(岩波新書)
 陸路の交通機関が発達しきった現代人には理解しづらくなっているが、中世において「水路」は交通・物流の中心だった。とりわけ西は関門海峡から東は紀淡海峡にまで及ぶ「瀬戸内」は、交通の大動脈であった。海や河川の道を中心に据えてみれば、現在は僻地にしか見えない孤島や浦が、交通の要地として賑わっていた事実が浮かび上がってくる。
 この本にも「雑賀衆」はほとんど登場しないが、同じ瀬戸内の非常に緊密に交流し合っていた「海賊」「水軍」に関する記述を読んでいると、「海の民」としての雑賀衆が理解できてくる。
 何故こうした「海の民」に本願寺の信仰が広まり、一向一揆、そして石山合戦を戦い抜いた力の源泉になったのかが明らかになってくる。

 司馬遼太郎「尻啖え孫市」に登場する「雑賀孫市」は、ほとんど陸上で傭兵活動を行っているだけで、せいぜい小舟に揺られながら釣りをする程度だ。しかし実在の雑賀衆・鈴木孫一の場合は、おそらく「本業」は海運業で、傭兵活動は「割のいい副業」だったのではないだろうか。
posted by 九郎 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

ヒガンバナ2009

 あっ

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 という間に9月が過ぎ去っていく……
 日陰のヒガンバナはもう終わりですが、日当たりのいい場所はまだまだ見頃。つい最近まで夏だったのに、もう秋そのものですね。
 一年の内7ヶ月ぐらいはTシャツの私ですが、そろそろ上着は持ち歩くようになって来ました。
 まだ着てませんけど(笑)

 去年に続き、赤鉛筆で一枚スケッチ。



 ヒガンバナは一見、一つの茎に一つの花が咲いているように見えますが、実は細身の百合のような朱の花が六つほど、ぐるりと一周まわるように並んだ状態になっており、真上から見るとその様子がよくわかります。
 お彼岸の時期にこのような構造の花をみると、おもわず「六道の輪」という言葉が浮かんできます。
posted by 九郎 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする