戦国時代に特異な存在感を放った鈴木孫一(通称・雑賀孫市)率いる「雑賀鉄砲衆」のことについて、カテゴリ和歌浦で紹介してきた。
いつの日か(何年先になるか不明だが)雑賀衆が身につけた甲冑を自作してみたいと思っている。そのためにじわじわとスケッチなどを重ねているのだが、ふと思い立って「面」を試作してみた。
八咫烏(ヤタガラス)をモチーフにしたもので、兜を被った際に顔面を保護する「総面」を意識して、油粘土で原型を作ってみた。
粘土原型の上から新聞紙を貼り重ね、その上に更に障子紙を貼り重ねる。十分な層ができたら乾燥後、裏面から粘土をかき出し、樹脂を含ませて硬化させると、軽量で紙製でも強度のある張り子面になる。
ここから更にパテなどで形を整え、鉄錆地状に表面を整えるとリアルな感じになるのだが、それなりに時間のかかる作業になるのでひとまず仮着色で雰囲気を確かめてみた。
今回はひとまずここまで。
雑賀衆は単なる「地侍」の集団ではなく、海運業者や様々な職能民・芸能民、武士や農民たちが、身分の差を超えて一体となって活動していた所に特徴がある。なぜそのようなことが可能だったかといえば、そこには「どんな身分でも阿弥陀仏の前では同朋である」という本願寺の信仰が生きていたはずだ。
雑賀衆は甲冑や、おそらく鉄砲まで自作していたといわれ、鉄砲衆のリーダー格の中には面頬制作の名手も含まれていたようだ。
ただ、雑賀衆が使用していた鉄砲・火縄銃は、射撃時には銃身に「頬付け」するらしい。銃を使う際には皮製の頬あてぐらいは装着したかもしれないが、総面や面頬は外していたと思われる。
私も愛してやまない雑賀衆と同じく、何でも自前でやってみたくなる質なのだ。