雑賀衆という特異な集団を通して戦国史を見直すと、通説とは違った様相が見えてくる。
織田信長と本願寺教団との間に勃発した戦国最大の戦、石山合戦において、雑賀鉄砲衆は本願寺方の主力部隊として活躍した。単に「活躍した」と言うだけでなく、強大な信長軍を卓越した鉄砲戦術で翻弄し、石山合戦を十年間に及ばせて、信長の天下布武のスケジュールを大幅に遅らせた。
信長といえば先進的な鉄砲戦術や楽市楽座で知られるが、鉄砲戦術においては紀州の雑賀・根来衆の方が本家であり、信長はついにそのレベルには至らなかった。楽市楽座についても信長のオリジナルではなく、本願寺の寺内町でも既に同様の経済活動が行われていた。
石山合戦は信長が本願寺へ大坂寺内町からの退去を命じたことに端を発するが、その動機は本願寺寺内町の地の利や経済的な優位、雑賀衆の軍事力を、信仰から切り離した形で我が物にしたかったからではないかと考えられる。
結局、石山合戦は一応信長の勝利に終るのだが、その後の本願寺教団は東西分裂状態になりながらも、日本最大の宗教勢力として江戸時代から現代まで続くことになる。
これは本当に信長の勝利だったのだろうか?
石山合戦から江戸時代に至る過程で本願寺が得たものと失ったものを考えることが、石山合戦とは何だったのかを知ることに繋がる。
●「信長と石山合戦―中世の信仰と一揆」神田千里(吉川弘文館 歴史文化セレクション)
信長と一向宗の戦いについては、ある程度「通説」めいたイメージが存在する。「一向宗は顕如を絶対的な教主と仰ぎ、その号令一下死をも恐れず戦う熱狂的な集団であった」「信長は一向宗を徹底的に殲滅し、石山合戦に勝利した」などなど。
この本はそうした通説の一つ一つについて、丁寧に史料を紹介しつつその実態を解き明かしてくれる。
中でも「一向宗」と呼ばれる集団が必ずしも本願寺教団とイコールでは無く、一応本願寺の名の下に結集してはいるが、山伏や琵琶法師などかなり雑多な集団を抱えていたことや、顕如が必ずしも「絶対的な君主」ではなく、教団内の力のバランスの上に乗った象徴的なリーダーだったらしいことなど、意外な印象を受けた。
●「第六天魔王信長―織田信長と異形の守護神」藤巻一保(学研M文庫)
織田信長と言えば戦国随一の合理主義者であり、無神論者であるかのような印象がある。しかし実際には様々な異形の神を勧請したり、「第六天魔王」を名乗ったりと、必ずしも無神論から仏教教団を攻撃し続けたのではないことが分かってくる。
著者は中世の秘教的な神仏の研究者であり、安倍晴明関連の著作でも知られているが、本質的には「作家」だろう。丁寧に材料を集めた後、独自に想像の翼を広げる所に真骨頂がある。
この本の中には安土城について「これは須弥山を模しているのではないか」という説が提示されているが、物語としては十分「有り」であると思わせてくれる材料を示してあり、興味深い。
信長は大坂石山本願寺の寺内町を欲したがなかなか果たせず、理想の都市計画は安土城の方で実現されることになる。
信長の考案した「天主閣」(天「守」閣ではなく)を持つ城を中心とした城下町構造は、力のある個人をトップにした上下関係で構成される社会を端的に表現している。
これは高層建築を作らず、次々と同じ構造の町を増やしていくことでネットワークを広げていく本願寺の寺内町の在り方と好対照に見える。
須弥山上空から欲界を見下ろす第六天魔王を名乗った信長が垂直構造の都市計画を作り、西方極楽浄土の阿弥陀仏を信仰する本願寺教団が水平方向に伸びていくネットワークを作ったのは興味深い対比だ。