【12月の予定】
11月中に本格復帰のつもりがずるずると休止状態が続いてしまいました。
実は数日前にまた軽くぎっくり腰をやってしまいました(苦笑)
今回もやってしまったのは朝目覚めて間もない朝食時、普段なら何でもない5キロ前後のものを持ち上げようとした瞬間でした。
気温が下がり、体の固まっている起き抜けはくれぐれも注意です!
前回の経験があったせいか、致命傷を負う直前「あ、やばい!」と気づき、持っていたものをさっと下ろしたので、なんとか「腰痛」の範囲内におさめることができ、日常生活もほぼ支障なくできたのは幸いでした。
【ロゴ画像変更】
まだ12月も始まったばかりなのですが、クリスマスネタで。
当ブログではサンタクロースと大黒様の類似をテーマに、いくつか記事を書いてきましたので、お手すきの人はそちらもご覧ください。
サンタクロース
2007年12月のロゴ画像
六副神
そう言えば最近は11月中から街中でクリスマス飾りやセールを見かけるようになってきましたね。
昔は12月初旬でもあまり見かけなかったと記憶しています。
高校生の頃、同じクラスの女子が11月中から鞄に小さなリースを付けているのを馬鹿にしたりしていた覚えがありますが、今にして思えば彼女は時代を先取りしていたのかもしれません……
2009年12月01日
2009年12月02日
友よ、さらば
先月、部屋の荷物整理をしていて、ボロボロになったリュックをようやく思い切って捨てた。
肩紐が片方千切れかけていて、まだ何とか保っていたのだが、山行きを考えると不安な状態だった。
ここ十年以上、山に行くときは必ず背負って出かけたリュックだ。高価な品ではないが、まずまず頑丈で使いでがあり、私にとってはかけがえのない相棒だった。
高野山や玉置山、熊野本宮や那智、新宮、葛城にも行ったし、友が島にも何度も出かけた。山ではないが、沖縄等への旅でもいつも背負っていた。
山へ行き、野山に泊まると、それだけで結構「命がけ」の場面に出くわす。そんな場面でいつも使ってきた道具類には、やはりそれなりの愛着がわく。 私が使う道具はどれも安価ではあるが、注意深く「使える」ものばかり吟味してきた思い入れが深い。
それでも道具はやはり道具。
破損して使えなくなったものは、いずれ処分するしかない。
古い友達に感謝を込めて、記事にしておく。
肩紐が片方千切れかけていて、まだ何とか保っていたのだが、山行きを考えると不安な状態だった。
ここ十年以上、山に行くときは必ず背負って出かけたリュックだ。高価な品ではないが、まずまず頑丈で使いでがあり、私にとってはかけがえのない相棒だった。
高野山や玉置山、熊野本宮や那智、新宮、葛城にも行ったし、友が島にも何度も出かけた。山ではないが、沖縄等への旅でもいつも背負っていた。
山へ行き、野山に泊まると、それだけで結構「命がけ」の場面に出くわす。そんな場面でいつも使ってきた道具類には、やはりそれなりの愛着がわく。 私が使う道具はどれも安価ではあるが、注意深く「使える」ものばかり吟味してきた思い入れが深い。
それでも道具はやはり道具。
破損して使えなくなったものは、いずれ処分するしかない。
古い友達に感謝を込めて、記事にしておく。
2009年12月08日
金剛宝座
本日、12月8日は釈尊成道会(しゃくそんじょうどうえ)。
約二千五百年前、お釈迦様がインド、ブッダガヤーの菩提樹の下で、悟りを開いたと伝えられる日。
自らの肉体を苦痛の中に置く修行が無意味であることに気づいたお釈迦様は、木の下に草を敷き、そこで静かに禅定に入り、悟りを開いたとされる。
そのときお釈迦様が座していた場所は、後世「金剛宝座」という立派な名で呼ばれるようになるのだが、実際はありふれた木の根元に、長時間座るためのクッション代わりに草が積まれただけの、なんでもない風景だったのだろう。
お釈迦様が立ち去った後は積まれた草も風に吹かれ、あるいは土に返り、何も残らなかったことだろう。
お釈迦様は悟りを開いた後、しばらくはその境地を楽しむばかりだったが、やがて立ち上がって、残りの生涯を衆生に教えを説く旅に費やしたという。
お釈迦様はその長い旅の中で、時には自分が悟りを開いた木の下を懐かしむことがあっただろうか?
それとも全ての執着から解放された心には、過去の自分に思いをはせる隙間は無かっただろうか?
たとえば私はリュック一つで野山に分け入り、河原の石や下生えの中、海辺や無人駅の屋根の下で寝転がって過ごした夜の一つ一つを、たまに思い返しては、また次の旅をあれこれ思い描いている。
まさか私とお釈迦様を同列に語ることはできまいが、ただ一人悟りの境地を楽しむだけで終わらず、敢えて困難な道に一歩踏み出したお釈迦様には、透き通るような知性だけでなく「過去の自分」を振り返る心の幅もあったのではないかと想像するばかりだ。
【関連投稿】
成道会
降魔成道
色究竟天
2009年12月15日
2009年12月21日
ゲームの中の雑賀孫市
この間コンビニに寄ったら、お茶のペットボトルのおまけに戦国武将のフィギュアが付いているのを目にした。
私はほとんどゲームをやらないので詳しく知らないのだが、戦国時代をテーマにした有名なゲームの主要な登場人物が揃っているらしい。
織田信長や伊達政宗に混じって、われらが雑賀孫市も並んでいたので思わず買ってしまった。
開封してみると「銃剣をかついだ雲のジュウザ」が入っていた(笑)
YouTubeで検索してだいたい感じをつかんでみた。
孫市のイメージとしてはもっとも流布している司馬遼太郎版「孫市」を下敷きにして、格闘要素もあるゲームのキャラクターとして、史実から大幅に飛躍してまとめてある印象。これはこれで面白く、史実との相違点を一々指摘するのも野暮というものだろう。
一点だけ取り上げてみると、ゲームの中で孫市が使う「銃剣」は、史実としては幕末期に輸入されたことになっている。戦国時代に使用されていたのは火縄銃なので、筒先に剣を付けて振り回すことは、危険すぎてたぶん誰一人実際には試さなかっただろう。ゲームキャラとして得意の「銃」で格闘させなければならない必要性から、設定されたのだろうか。
銃剣自体は幕末から明治以降、日本の軍隊でも使用された、それなりに実戦的な武器だが、実際に剣として使用すると銃身に狂いが出てしまうという証言もあるようだ。射撃または剣術の熟練者にとっては、どちらの機能も中途半端な武器であるかもしれない。
実在の孫市である「鈴木孫一」は、銃と槍を得意としたと伝えられている。もし戦国時代に銃剣に似た武器があったとしても、槍の使える銃の名手が、わざわざ銃としての精度が求められない代物を愛用したとは思えない。
雑賀孫市に関連した創作やコスチュームをやってみたい人は、一応上記のような史実を踏まえた上で、自由に楽しむのがいいと思う。
ガンダム・プラモの全盛時代、実際に存在する車や航空機、鉄道などの模型である「スケールモデル」のファンと、実際には存在しないアニメや漫画に登場するキャラクターの模型である「アニメモデル」のファンの間で、多少の軋轢が生じたことがあった。
写実性や史実の正確さが求められるスケールモデル派からすれば、アニメモデル派はぬるいお遊びに見え、アニメモデル派からすればスケールモデル派は、煩瑣な資料や技術にばかりこだわった面倒臭い人種に見えた。ファン人口や模型の売り上げは、圧倒的にアニメモデルの方に軍配が上がるところが、また話をややこしくする一因になった。
年月がたつにつれ、アニメモデル派も年齢層が上がり、他の色々な模型制作に手を広げていくことによって、現在の模型・フィギュア大国ニッポンが築かれることになった。
今、戦国ブームだ。
戦国時代を扱った漫画やアニメ、ゲームから入って、各地の戦国祭の武者行列にも、若いコスプレ層が参加するようになってきた。
お祭に多くの若者層が参加することは、単純に考えて凄くいいことだ。
年季の入った戦国ファンにしてみれば基礎的な史実を無視した扮装には奇異な印象を受けるかもしれないが、ここは一つ度量を広く歓迎してあげてほしい。
若い層は積極的に年上の戦国ファンと会話して、史実の奥深さや面白さを感じてみてほしい。
中世という時代は、一過性のブームで終わらせるにはもったいない、物凄く面白い時代なのだから。
私はほとんどゲームをやらないので詳しく知らないのだが、戦国時代をテーマにした有名なゲームの主要な登場人物が揃っているらしい。
織田信長や伊達政宗に混じって、われらが雑賀孫市も並んでいたので思わず買ってしまった。
開封してみると「銃剣をかついだ雲のジュウザ」が入っていた(笑)
YouTubeで検索してだいたい感じをつかんでみた。
孫市のイメージとしてはもっとも流布している司馬遼太郎版「孫市」を下敷きにして、格闘要素もあるゲームのキャラクターとして、史実から大幅に飛躍してまとめてある印象。これはこれで面白く、史実との相違点を一々指摘するのも野暮というものだろう。
一点だけ取り上げてみると、ゲームの中で孫市が使う「銃剣」は、史実としては幕末期に輸入されたことになっている。戦国時代に使用されていたのは火縄銃なので、筒先に剣を付けて振り回すことは、危険すぎてたぶん誰一人実際には試さなかっただろう。ゲームキャラとして得意の「銃」で格闘させなければならない必要性から、設定されたのだろうか。
銃剣自体は幕末から明治以降、日本の軍隊でも使用された、それなりに実戦的な武器だが、実際に剣として使用すると銃身に狂いが出てしまうという証言もあるようだ。射撃または剣術の熟練者にとっては、どちらの機能も中途半端な武器であるかもしれない。
実在の孫市である「鈴木孫一」は、銃と槍を得意としたと伝えられている。もし戦国時代に銃剣に似た武器があったとしても、槍の使える銃の名手が、わざわざ銃としての精度が求められない代物を愛用したとは思えない。
雑賀孫市に関連した創作やコスチュームをやってみたい人は、一応上記のような史実を踏まえた上で、自由に楽しむのがいいと思う。
ガンダム・プラモの全盛時代、実際に存在する車や航空機、鉄道などの模型である「スケールモデル」のファンと、実際には存在しないアニメや漫画に登場するキャラクターの模型である「アニメモデル」のファンの間で、多少の軋轢が生じたことがあった。
写実性や史実の正確さが求められるスケールモデル派からすれば、アニメモデル派はぬるいお遊びに見え、アニメモデル派からすればスケールモデル派は、煩瑣な資料や技術にばかりこだわった面倒臭い人種に見えた。ファン人口や模型の売り上げは、圧倒的にアニメモデルの方に軍配が上がるところが、また話をややこしくする一因になった。
年月がたつにつれ、アニメモデル派も年齢層が上がり、他の色々な模型制作に手を広げていくことによって、現在の模型・フィギュア大国ニッポンが築かれることになった。
今、戦国ブームだ。
戦国時代を扱った漫画やアニメ、ゲームから入って、各地の戦国祭の武者行列にも、若いコスプレ層が参加するようになってきた。
お祭に多くの若者層が参加することは、単純に考えて凄くいいことだ。
年季の入った戦国ファンにしてみれば基礎的な史実を無視した扮装には奇異な印象を受けるかもしれないが、ここは一つ度量を広く歓迎してあげてほしい。
若い層は積極的に年上の戦国ファンと会話して、史実の奥深さや面白さを感じてみてほしい。
中世という時代は、一過性のブームで終わらせるにはもったいない、物凄く面白い時代なのだから。
2009年12月24日
クランプス
クリスマス・イブ。
こんな夜にわざわざこのようなブログを覗いてくれる皆さんには、それなりのおもてなしをしなければ。
毎年ではないが、これまでにもイブにはクリスマス関連の記事をアップしてきた。
サンタクロース
2007年12月のロゴ画像
六福神
今年はヨーロッパに伝わる古いタイプのサンタクロース祭について紹介してみよう。
ドイツやオーストリアあたりでは、12月にサンタクロースの原型である「聖ニコラウス」のお祭があるそうだ。
聖ニコラウスは「クランプス」と呼ばれる悪魔を引き連れており、「良い子」にはお菓子が与えられるが、「悪い子」はクランプスたちに枝でぴしぴしひっぱたかれるという。
現代日本のクリスマスとなまはげが合体したようなお祭だ。
単純に優しい姿の神が来訪して福を授けてくれるだけではないところが面白いのだが、当ブログのカテゴリ大黒や節分でも紹介してきたとおり、神話の世界では来訪する福神は本来異形の神で、もたらされる「福」は「禍」と表裏一体であることが多く、古い形のお祭には現代風のクリスマスからは削除された奥深い要素が残っているのかもしれない。
そういえば、現代日本の保育園や幼稚園で行われるクリスマス会でも、サンタクロースが颯爽と登場してプレゼントを配ろうとしたとたん、恐怖のあまり泣き出してしまう幼児がけっこういるらしい。
一人泣き出してしまうとその不安な気分は部屋中に蔓延し、楽しいクリスマス会は一転、阿鼻叫喚のクリスマス怪になってしまうことも珍しくないとか……
まだ現代風のクリスマスという概念が定着していない子供たちの目には、来訪する異形の神であるサンタクロースの原型が、正しく映し出されてしまうのかもしれない。
……とかもっともらしく与太話(笑)
それでは皆さん、よいクリスマスを!
こんな夜にわざわざこのようなブログを覗いてくれる皆さんには、それなりのおもてなしをしなければ。
毎年ではないが、これまでにもイブにはクリスマス関連の記事をアップしてきた。
サンタクロース
2007年12月のロゴ画像
六福神
今年はヨーロッパに伝わる古いタイプのサンタクロース祭について紹介してみよう。
ドイツやオーストリアあたりでは、12月にサンタクロースの原型である「聖ニコラウス」のお祭があるそうだ。
聖ニコラウスは「クランプス」と呼ばれる悪魔を引き連れており、「良い子」にはお菓子が与えられるが、「悪い子」はクランプスたちに枝でぴしぴしひっぱたかれるという。
現代日本のクリスマスとなまはげが合体したようなお祭だ。
単純に優しい姿の神が来訪して福を授けてくれるだけではないところが面白いのだが、当ブログのカテゴリ大黒や節分でも紹介してきたとおり、神話の世界では来訪する福神は本来異形の神で、もたらされる「福」は「禍」と表裏一体であることが多く、古い形のお祭には現代風のクリスマスからは削除された奥深い要素が残っているのかもしれない。
そういえば、現代日本の保育園や幼稚園で行われるクリスマス会でも、サンタクロースが颯爽と登場してプレゼントを配ろうとしたとたん、恐怖のあまり泣き出してしまう幼児がけっこういるらしい。
一人泣き出してしまうとその不安な気分は部屋中に蔓延し、楽しいクリスマス会は一転、阿鼻叫喚のクリスマス怪になってしまうことも珍しくないとか……
まだ現代風のクリスマスという概念が定着していない子供たちの目には、来訪する異形の神であるサンタクロースの原型が、正しく映し出されてしまうのかもしれない。
……とかもっともらしく与太話(笑)
それでは皆さん、よいクリスマスを!
2009年12月28日
漫画の中の雑賀孫一
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗などなど、戦国武将の「定番」といえる人々については度々著名な漫画家の作品の題材になり、そうした作品を目にする機会も多々ある。
しかしわれらが雑賀孫市が漫画に登場する機会ははるかに少なく、せいぜい信長伝の敵役として少々顔を出す程度だ。
孫市が登場して主役級の活躍をする有名漫画となると、ほとんど見当たらなくなるのだが、そんな中から一作紹介してみよう。
●「修羅の刻(とき)―陸奥円明流外伝」川原正敏(講談社)
人気格闘漫画「修羅の門」の外伝。本編の主人公・陸奥九十九は千年以上続く一子相伝の古武術の継承者と設定されているのだが、外伝ではその主人公の祖先が、それぞれの時代の有名な歴史上の人物と絡み織り成すドラマを、表の歴史には現れない「秘史」として楽しむ趣向になっている。単行本11巻〜13巻が戦国時代のドラマに費やされており、双子の陸奥継承者候補が織田信長や雑賀孫一と関わりを持つ構成だ。われらが孫一は戦国最強の武器、鉄砲の使い手として、双子の主人公の片割れと戦う。つまりは戦国最強の人物として登場する訳で、マイナーな扱いを受け易い孫一としては破格と言える抜擢だろう。
孫一の人物造形は基本的には司馬遼太郎版「孫市」を踏襲しており、自由を愛し、本願寺の信仰は持たないと設定されている。一番大きな相違点は石山合戦のさなかに作中の孫一は死亡し、信長によってその首を晒されることになる点だろう。
雑賀「孫一」という名前の表記を見てもある程度わかるのだが、作者はかなりの程度史料に当たった上で描いているらしく、孫一の晒し首シーンでは注記として「宣教卿記にその記述がある。また、これ以降史書に登場する孫一は、その息子と思われる」と記している。
確かにそうした文書は存在するのだが、石山合戦の時点で実在の「鈴木孫一」が死亡した可能性は、おそらくきわめて低い。その説をとる学者・研究者もおらず、物語の中で採用している例も本作以外には皆無だろう。
もしかしたら作者本人も、史実としての可能性は低いと分かった上で、架空の古武術「陸奥圓明流」の物語としてのリアリティや整合性を優先させ、敢えてそうしたのかもしれない。
しかし「修羅の刻」はかなり売れている作品なので、今後は「孫一は信長との合戦中に死亡した」という描写のフォロワーが出てくるかもしれないし、そうした物語の筋立てに思い入れを持つ読者も増えていくかもしれない。
通俗の物語や稗史の世界なら、それはそれでよい。物語というものは「面白ければ正義」の原則でOKだ。ただ、読む方は史実とは全く違うことだけは理解しつつ、楽しむのが良いと思う。
作中の孫一が、信長を最も苦しめた男として描かれている点や、鉄砲の使用に際して「弾込め役」と「撃ち手」に分業している描写などは、綿密な調査が生きている部分だとは思う。
しかしわれらが雑賀孫市が漫画に登場する機会ははるかに少なく、せいぜい信長伝の敵役として少々顔を出す程度だ。
孫市が登場して主役級の活躍をする有名漫画となると、ほとんど見当たらなくなるのだが、そんな中から一作紹介してみよう。
●「修羅の刻(とき)―陸奥円明流外伝」川原正敏(講談社)
人気格闘漫画「修羅の門」の外伝。本編の主人公・陸奥九十九は千年以上続く一子相伝の古武術の継承者と設定されているのだが、外伝ではその主人公の祖先が、それぞれの時代の有名な歴史上の人物と絡み織り成すドラマを、表の歴史には現れない「秘史」として楽しむ趣向になっている。単行本11巻〜13巻が戦国時代のドラマに費やされており、双子の陸奥継承者候補が織田信長や雑賀孫一と関わりを持つ構成だ。われらが孫一は戦国最強の武器、鉄砲の使い手として、双子の主人公の片割れと戦う。つまりは戦国最強の人物として登場する訳で、マイナーな扱いを受け易い孫一としては破格と言える抜擢だろう。
孫一の人物造形は基本的には司馬遼太郎版「孫市」を踏襲しており、自由を愛し、本願寺の信仰は持たないと設定されている。一番大きな相違点は石山合戦のさなかに作中の孫一は死亡し、信長によってその首を晒されることになる点だろう。
雑賀「孫一」という名前の表記を見てもある程度わかるのだが、作者はかなりの程度史料に当たった上で描いているらしく、孫一の晒し首シーンでは注記として「宣教卿記にその記述がある。また、これ以降史書に登場する孫一は、その息子と思われる」と記している。
確かにそうした文書は存在するのだが、石山合戦の時点で実在の「鈴木孫一」が死亡した可能性は、おそらくきわめて低い。その説をとる学者・研究者もおらず、物語の中で採用している例も本作以外には皆無だろう。
もしかしたら作者本人も、史実としての可能性は低いと分かった上で、架空の古武術「陸奥圓明流」の物語としてのリアリティや整合性を優先させ、敢えてそうしたのかもしれない。
しかし「修羅の刻」はかなり売れている作品なので、今後は「孫一は信長との合戦中に死亡した」という描写のフォロワーが出てくるかもしれないし、そうした物語の筋立てに思い入れを持つ読者も増えていくかもしれない。
通俗の物語や稗史の世界なら、それはそれでよい。物語というものは「面白ければ正義」の原則でOKだ。ただ、読む方は史実とは全く違うことだけは理解しつつ、楽しむのが良いと思う。
作中の孫一が、信長を最も苦しめた男として描かれている点や、鉄砲の使用に際して「弾込め役」と「撃ち手」に分業している描写などは、綿密な調査が生きている部分だとは思う。
2009年12月29日
もう一人の孫市
雑賀衆について言及している書籍をあれこれ漁っているうちに、面白い小説を見つけたのでご紹介。
●「雷神の筒」山本兼一(集英社文庫)
著者は最近映画化された「火天の城」と同じ。「火天の城」は安土城築城に関わった技術者を主人公にした物語で、大名の華々しい活躍に焦点が向きがちな戦国時代小説として異彩を放っていた。
この「雷神の筒」は、織田信長の領国尾張で流通業を営んでいた橋本一巴が、商いの途中に出会った鉄砲の威力に魅せられ、やがて信長の鉄砲の師匠となり、織田軍鉄砲隊の中心人物になっていく様子が描かれている。われらが雑賀孫市も作中に登場し、主人公の手強い好敵手として活躍している。
主人公・橋本一巴は主に陸運業者として活動しているのだが、鉄砲の火薬に使用するため品薄になった塩硝を求めて旅するうちに、紀州から種子島、琉球までを股にかけて手広く海運業を営む雑賀孫市と出会うことになる。
雑賀孫市は鉄砲隊のリーダーとしての面ばかりが注目されがちであるが、実像の鈴木孫一は本業が漁業・海運業、他に割のいい副業として傭兵活動も行っていた可能性が高い。孫市の生業を史実に忠実な形で描写してある作品は珍しく、司馬遼太郎「尻啖え孫市」にも描かれていないので、そうした意味でもこの「雷神の筒」は興味深い。
流通業者であり、鉄砲隊を率いるリーダーでもある橋本一巴は、いわば織田家中の「もう一人の孫市」なのだ。
中でも興味深いのは、それまで海外からの輸入に頼るほかなかった塩硝が、国内で独自に精製され、流通に乗り始める描写だ。戦略物資の調達ルートの確保が物語の核になっている所など、知的興奮を呼び覚まされる。
鉄砲戦術についても詳細で、長篠の戦における有名な「織田鉄砲隊の三段撃ち」を冷静に否定する描写があり、リアリティに徹した姿勢は読んでいて心地よい。
孫市の登場する最近作の中では白眉だろう。
●「雷神の筒」山本兼一(集英社文庫)
著者は最近映画化された「火天の城」と同じ。「火天の城」は安土城築城に関わった技術者を主人公にした物語で、大名の華々しい活躍に焦点が向きがちな戦国時代小説として異彩を放っていた。
この「雷神の筒」は、織田信長の領国尾張で流通業を営んでいた橋本一巴が、商いの途中に出会った鉄砲の威力に魅せられ、やがて信長の鉄砲の師匠となり、織田軍鉄砲隊の中心人物になっていく様子が描かれている。われらが雑賀孫市も作中に登場し、主人公の手強い好敵手として活躍している。
主人公・橋本一巴は主に陸運業者として活動しているのだが、鉄砲の火薬に使用するため品薄になった塩硝を求めて旅するうちに、紀州から種子島、琉球までを股にかけて手広く海運業を営む雑賀孫市と出会うことになる。
雑賀孫市は鉄砲隊のリーダーとしての面ばかりが注目されがちであるが、実像の鈴木孫一は本業が漁業・海運業、他に割のいい副業として傭兵活動も行っていた可能性が高い。孫市の生業を史実に忠実な形で描写してある作品は珍しく、司馬遼太郎「尻啖え孫市」にも描かれていないので、そうした意味でもこの「雷神の筒」は興味深い。
流通業者であり、鉄砲隊を率いるリーダーでもある橋本一巴は、いわば織田家中の「もう一人の孫市」なのだ。
中でも興味深いのは、それまで海外からの輸入に頼るほかなかった塩硝が、国内で独自に精製され、流通に乗り始める描写だ。戦略物資の調達ルートの確保が物語の核になっている所など、知的興奮を呼び覚まされる。
鉄砲戦術についても詳細で、長篠の戦における有名な「織田鉄砲隊の三段撃ち」を冷静に否定する描写があり、リアリティに徹した姿勢は読んでいて心地よい。
孫市の登場する最近作の中では白眉だろう。
2009年12月30日
ブログ開設4周年!
ブログ「縁日草子」開設4周年です!
自分の好きな神仏の与太話を、自分の好きなようにただ書き散らした四年間、「いったい読む人はいるのだろうか?」と自問しながらも、ぼちぼちアクセス数は伸び、今では通常時の訪問者数50〜100、記事投稿時には訪問者数150〜200を数えるまでになりました。
一日に数万以上の読者数を持つ有名ブログと比べればほんのささやかな数字に過ぎませんが、たまにうれしいコメントなども頂き、なんとかここまで続けてこれました。
とくに2009年は、長年温めてきた「雑賀衆」についての記事をスタートすることができ、まだまだ途中経過ですが自分なりに認識を深めることができました。
今年も残りあとわずかですが、今後とも「縁日草子」をお楽しみください。
自分の好きな神仏の与太話を、自分の好きなようにただ書き散らした四年間、「いったい読む人はいるのだろうか?」と自問しながらも、ぼちぼちアクセス数は伸び、今では通常時の訪問者数50〜100、記事投稿時には訪問者数150〜200を数えるまでになりました。
一日に数万以上の読者数を持つ有名ブログと比べればほんのささやかな数字に過ぎませんが、たまにうれしいコメントなども頂き、なんとかここまで続けてこれました。
とくに2009年は、長年温めてきた「雑賀衆」についての記事をスタートすることができ、まだまだ途中経過ですが自分なりに認識を深めることができました。
今年も残りあとわずかですが、今後とも「縁日草子」をお楽しみください。