2009年12月08日
金剛宝座
本日、12月8日は釈尊成道会(しゃくそんじょうどうえ)。
約二千五百年前、お釈迦様がインド、ブッダガヤーの菩提樹の下で、悟りを開いたと伝えられる日。
自らの肉体を苦痛の中に置く修行が無意味であることに気づいたお釈迦様は、木の下に草を敷き、そこで静かに禅定に入り、悟りを開いたとされる。
そのときお釈迦様が座していた場所は、後世「金剛宝座」という立派な名で呼ばれるようになるのだが、実際はありふれた木の根元に、長時間座るためのクッション代わりに草が積まれただけの、なんでもない風景だったのだろう。
お釈迦様が立ち去った後は積まれた草も風に吹かれ、あるいは土に返り、何も残らなかったことだろう。
お釈迦様は悟りを開いた後、しばらくはその境地を楽しむばかりだったが、やがて立ち上がって、残りの生涯を衆生に教えを説く旅に費やしたという。
お釈迦様はその長い旅の中で、時には自分が悟りを開いた木の下を懐かしむことがあっただろうか?
それとも全ての執着から解放された心には、過去の自分に思いをはせる隙間は無かっただろうか?
たとえば私はリュック一つで野山に分け入り、河原の石や下生えの中、海辺や無人駅の屋根の下で寝転がって過ごした夜の一つ一つを、たまに思い返しては、また次の旅をあれこれ思い描いている。
まさか私とお釈迦様を同列に語ることはできまいが、ただ一人悟りの境地を楽しむだけで終わらず、敢えて困難な道に一歩踏み出したお釈迦様には、透き通るような知性だけでなく「過去の自分」を振り返る心の幅もあったのではないかと想像するばかりだ。
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