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2010年02月01日

2010年2月の予定

【2月の予定】
 1月中は色々進行中の案件に追われてあまり更新できませんでした。
 これからもちょっと読めない状況なんですけど、雑賀衆の基礎勉強を続ける過程で、蓮如上人のことについて、一回ちゃんと自分なりに取り組んでみないといけないなと思っいるところです。
 私は一応、蓮如上人の「御文章」を読む宗派の家に生まれてきたのですが、めぐり合わせで「いよいよこういう時期が来たか」という感想を持っています……

【ロゴ画像変更】
 2月といえば節分。本来は旧暦の方がいいと思うんですけど、節分テーマのものに変更しました。
 使用している図像は牛頭天王で、各種あるものの中で最も複雑な図像です。
 節分は当ブログの主要テーマの一つでもあります。「節分」「牛頭天王」「金神」などの検索キーワードから辿り着かれる人も多いようです。過去記事はカテゴリ節分からどうぞ。
posted by 九郎 at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

そろそろ作り始めてますか?

 当ブログでは作品制作や個人的な研究を優先させているため、積極的な交流や宣伝は行っていません。そのため読者の皆さんも、さまざまな検索ワードからたどり着いた方々がほとんどだと思われます。それで毎年節分近くのこの時期、アクセス解析で目だって多くなってくるのが「折り紙 雛人形」で探してこられる皆さんです。
 今年も三月の雛祭に向けて、動き始めている人がたくさんいらっしゃるようですね(笑)

 当ブログ「縁日草子」の過去記事の中から、折り紙雛人形に関する記事をまとめておきますので、よろしければ参考にしてください。

小さな雛型からコツコツと
おりがみ雛人形
おりがみ雛人形2008
おりがみ雛人形2009

 雛人形についての由来物語や関連記事は、以下の記事にまとめてあります。

中世淡嶋願人
雛流し

 私もそろそろ今年の増設準備です。
 皆さんもご健闘を!


 sumakoさん、見てるかな?
posted by 九郎 at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

野垂れ死に

 本日2月15日は涅槃会。
 お釈迦様が涅槃に入ったとされている日。

 八十歳を過ぎた最晩年のお釈迦様。
 当時としてはかなりの長命だったのだろうが、もうさほど時間が残されていないことは、自身の体調からよく分かっていたのだろう。
 弟子のアーナンダとともに最後の旅に出て、立ち寄った村で出されたキノコ料理に当たって亡くなったと言う。

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 この最後の旅も様々な物語で彩られているが、おそらく史実は上記のようなあっさりとしたものだったのだろう。
 言葉は悪いが、「野垂れ死に」と表現しても遠からずだったのではないか。

 お釈迦様は立ち寄った貧しい家で精一杯の心尽くしを受け、自分が最初に一口食べてみて、弟子には食べさせないように計らった。
 一口目で何事か感じながら、自分だけは供養を受けたのは、お釈迦様の優しさだったのだろう。
 そもそも自分の死期がせまっていることも分かっていたので、「ならばここが死に場所でいい」と、清明な納得があったのかもしれない。

 八十歳を過ぎて長い旅に出て、その途中に野垂れ死にできることは、それだけで十分に素晴らしいことだと、自分がある程度年をとって見てつくづく思う。
posted by 九郎 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

五木寛之「日本幻論」

 五木寛之さんが直木賞の選考委員を辞任なさったニュースが流れている。
 報道されている内容だけでは何とも言えないが、文学賞の選考に関しては何度も思い入れを語ってきた方なので、選考の過程で何らかの勘違いやミスはあったとしても、「自分では読まずに名前だけ貸していた」などということはないはずだ。
 私は今までもこれからも、変わらず愛読者であり続けるだろう。
 
 私がこの「縁日草子」を立ち上げて、神仏について様々に語り続けるに至ったことには様々な原点があるのだが、まだ二十代の頃に読んだ一冊の本の衝撃は、間違いなくそのうちの一つだ。



●「日本幻論」五木寛之(新潮文庫)
 歴史の影に埋没した様々な民衆の姿、「隠岐共和国」「かくれ念仏」そして「蓮如」。
 この本にはかつて存在し、今はもうほとんど痕跡も残っていない民衆の生き方が紹介されている。一般に日本人は「長いものには巻かれろ」式で、支配層に対してきわめて従順であることばかりが強調されがちであるが、隠岐共和国や加賀一向一揆のように「下から持ち上がった形での自治体制」が存在したこともあったのだという点に、強い興奮を覚えた。
 同様のテーマは後年の「日本人のこころ」シリーズに結実することになり、以前の記事で紹介した風の王国辺界の輝きにも繋がる世界なのだが、私にとってはこの「日本幻論」が最初の扉だった。
 はるかに時が流れた今、私は雑賀衆の活躍した石山合戦と言うテーマに行き当たって、最初の扉をもう一度潜ろうとしているかのような思いを感じている。

 二十代当時よく立ち寄っていた喫茶店で、「日本幻論」を飽きもしないで何度も何度も興奮しつつ読み耽った記憶がある。
 何度も繰り返し読み返すうちに文庫本のカバーはボロボロになり、本の角は摩滅して丸くなった。
 このままではいつ本自体が崩壊してもおかしくない。その後も何度となく再読する本であることがはっきり分かっていたので、ハードカバー版を探し出して控えに購入した。

 あるとき、行きつけの大型書店で、新刊発売記念として五木寛之さんのサイン会が開催されたことがあった。私はポケットにボロボロになった方の「日本幻論」を忍ばせ、新刊本を手にサインの列に並んだ。
 自分の順番が回ってきたとき、恐る恐る「あの、失礼ですが、こちらの本にサインをいただいてもよろしいですか?」と、古びた文庫本を差し出した。
 「いいですよ、両方とも書きましょう」
 五木寛之さんは笑いながら新刊本とともに受け取ってくださった。
 サインを書き終わるまでの短い時間、雑談に付き合ってくださった。 「この本(日本幻論)は自分でも気に入っているんですよ」
 「僕は祖父と父が浄土真宗の僧なんですけど、この本を読んであらためて仏教や他の宗教のことを学ぶようになりました」
 「それは嬉しいですね。これからも勉強なさってください」
 作家にとっては数多くのファンの中の一人との雑談だったはずだが、私にとっては大切な思い出になった。



 だから、今も続けている。
posted by 九郎 at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

津本陽「雑賀六字の城」

 戦国ブームのおかげで、様々な関連書籍がコンビニにも並ぶようになった。いい加減な内容のものも多々あるが、中にはかなり参考になるものも含まれているのでチェックは欠かせない。
 先日、コンビニの漫画雑誌コーナーで、「歴史街道増刊 大河」という雑誌の創刊号を見かけた。創刊号なのでどれも新作なのだが、表紙の中に「雑賀六字の城」という文字列を発見した瞬間に、私の右手がボクサー並みの速度で往復した(笑)

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 雑誌を一読。
 以前の記事でも軽く紹介したことがあるが、「雑賀六字の城」と言えば、雑賀衆を扱った津本陽の小説で、今回の漫画はそれを原作にしたもののようだ。
 作画の質も高く、かなり資料を用意して読み込んでいるのが伺われる。当時使用されていた原始的な「薬莢」である「早合せ」の詳しい描写が、漫画の中で登場するところなど、私はあまり見たことがない。
もともとの小説が、雑賀衆や鉄砲戦術、海戦術について詳細を究めたリアルな描写の作品なのだが、これほどのレベルで忠実に漫画として再現されているのははっきり言って驚異的だ。
 何しろ24ページの初回で、300ページを超える原作の40ページ分ほどしか進んでいない。物凄い密度である。
 折からの出版不況の中、この雑誌がどれだけ続くか不透明なのだが、ぜひとも漫画版「雑賀六字の城」は完結させてもらいたい。

 と言うわけで、当ブログの読者の皆さんも、雑賀衆に関心のある人は雑誌を見かけたら手にとって見てください!
 次号は2月25日発売予定とのこと。
 あまり日は残されていませんね…… 

 良い機会なので原作小説についても紹介しておこう。



●「雑賀六字の城」津本陽(文春文庫)
 著者は和歌山市出身で、どうやら雑賀衆の血筋に連なるらしい津本陽。
 以前紹介した神坂次郎も同様なのだが、地元出身作家が郷土の歴史を扱う場合の強みは、なんと言っても言葉や気質、風俗、土地勘を熟知していることだろう。
 鉄砲戦術や海戦術については、調べればそれなりの知識は得られるだろうが、言葉や気質についてはやはりネイティブに勝るものはない。
 執筆されたのは1980年代前半。この時点で雑賀衆の内の沿海部と内陸部の利害関係をきちんとおさえ、史実の徹底的な分析を行っているのは、司馬遼太郎の先行作「尻啖え孫市」と差別化を図るには是非とも必要なことだったのではないだろうか。
 司馬版「孫市」ではほとんど触れられていない部分、雑賀衆が行った様々な火気の新規開発、火薬の製造、毛利水軍と連携した海戦術の描写にも、著者の意気込みが見える気がする。

 物語は雑賀の土豪の年若い末っ子・七郎丸が、石山合戦の渦に巻き込まれて地獄の戦場を駆けるようになる筋立てだ。
 その視点は一貫して雑兵足軽と同じ、地を這い泥を啜り、血腥い戦争の現実を直視していくことになる。雑賀の地に住む一般民衆から見上げた場合、戦国武将の中でも人気の高い織田信長が、いかに冷酷無残な魔王に映ることか、読者は背筋の凍る思いで読み進めることになるだろう。
 作中には「鈴木孫一」も登場するのだが、同じ雑賀衆からは「戦の実力は認めるものの、どこか信頼の置けない人物」と思われているところなど、実際ありそうな話なので非常に面白い解釈だ。
 ただ、史実としては津本作品の方が正確なのだと思うが、司馬版「孫市」の陽性なキャラクターが存在しない戦争の、なんと殺伐として酸鼻を究めていることだろうか。
 主人公が多感な十代の少年で、まだ人を殺めることに麻痺しきっていない点がせめてもの救いと言えるかもしれない。

 同著者には雑賀衆に関連する作品が多数あるので、いずれ続けて紹介していくことになるだろう。


 ところで、雑賀衆に関する漫画と言えば、「COMIC戦国無頼3月号」という雑誌に孫市が主人公の「ヤタガラス」と言う作品が載っているという話を聞いているが、雑誌自体を見かけたことがない。
 ご存知の人がいたら、情報求ム!
posted by 九郎 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

人間椅子「芋虫」

 映画「キャタピラー」のことがニュースになっています。
 あらすじ紹介を聴いてすぐに「あれ? 乱歩か?」と思い、検索してみるとやっぱり江戸川乱歩「芋虫」が原作なんですね。
 この乱歩の短編作品は、学生時代に読んできつい思いをしました(苦笑)
 あれから一度も読み返していないのですが、たった一度読んだだけで心に刻み込まれ、ふとした瞬間に記憶が蘇ってきてあれこれものを考える、そんな作品です。
 
 私の好きなハードロックバンド・人間椅子が「芋虫」を非常にうまく楽曲で再現しています。

 ここ数年、人間椅子にハマっています。
 90年代のデビュー当時は、特異なルックスからイロモノのイメージが強かったこともありますが、今でも現役。大人が聴けるハードロックバンドです。
 昨年は結成二十周年と言うことで、2枚組ベスト盤も発売されました。
 

●「人間椅子傑作選」人間椅子

 残念ながら「芋虫」はこのベスト盤には収録されていません。人間椅子の名曲は8分超えの大作が多く、そのため「ベスト盤にベスト曲が出揃い難い」というのが、ファンとしては何とも歯がゆい限りです。

 人間椅子版「芋虫」は、下記のアルバムに収録されています。


●「怪人二十面相」人間椅子

 ベスト盤ではありませんが、粒ぞろいの名盤です。

 これだけのクオリティなのに「メンバーがバンドだけで食っていけてない」と言う状況もまた、歯がゆい限り……
 この記事が少しでも宣伝になりますように。
posted by 九郎 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

「さいが」か「さいか」か?

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 漫画版「雑賀六字の城」が掲載されている、「歴史街道増刊 大河」第二号が発売された。連載第二回も非常に面白い。いよいよ主人公が初陣に出発する。ちゃんと雑賀鉢をかぶっており、相変わらず細部の描写に手抜きがない。
 次回は船戦が開戦されるようで、目が離せない。
 是非ともこの調子で、原作を完全に漫画化してほしい。

 もう一遍、雑賀衆をテーマにした漫画を見つけた。隔週刊「プレイコミック」連載の「雷神孫市」(漫画:さだやす圭)だ。こちらは雑賀孫市が主人公なのだが、おなじみのさだやすキャラを孫市に当てはめて、活躍を楽しもうと言う趣旨の娯楽作のようだ。現在連載三回目。

 私は現在、雑賀衆や石山合戦の実像に関心を持っているので、どうしても創作作品にも正確な細部描写を求めがちになっている。しかし記述の正確さは、物語本来の面白さの一要素ではあっても、全てではない。面白さで言えば、やはり司馬遼太郎「尻啖え孫市」が飛びぬけている。
 一応そのことを確認した上で、少し書いておきたいことがある。「雑賀」という人名(あるいは地名)の読みに関してである。

 上で紹介した漫画版「雑賀六字の城」の表紙タイトルには「さいがろくじのしろ」という読み仮名がふってある。
 最初それに気づいたときに「おや?」と疑問に思った。
 一般には「雑賀」は「さいが」と読まれることが多いと思う。私も以前は何の疑問もなくそのように読んでいた。今PCで「さいが」と打ち込んでみても、普通に「雑賀」と変換される。戦国ゲームの人気キャラ・雑賀孫市も、ほとんどの人は「さいがまごいち」と読んでいることだろう。
 
 物語の中の「雑賀孫市」は、「鈴木孫一」という実在の人物を原型にしている。鈴木孫一は紀州雑賀庄の人物と言うことで、通称として「雑賀の孫一」と表現されたようなのだが、この雑賀庄という地名は「さいか」と読むので、本来は「さいかまごいち」と読むのが正しいはずだ。
 雑賀(さいか)という地名は現在でも和歌山市和歌浦に残っているので、地元の人はまず間違いなく「さいか」と読むだろう。その地名を知らない地元以外の人が、字面から読んだ場合に、「さいが」となるのではないだろうか。
 漫画版「雑賀六字の城」は、同名小説を忠実に再現してあり、その原作にも「さいが」と読み仮名が振ってある。しかし、原作小説の著者・津本陽は和歌山市出身で雑賀衆の血を引いているらしいので、地名としての雑賀(さいか)の読み方は、当たり前のように知っているはずだ。
 それなのに何故かわざわざ当該作品では「さいが」と読ませている。
 さらにややこしいことに、同じく津本陽の別の作品「鉄砲無頼」等では、何故か「さいか」という読みになっていたりする。
 このあたりの事情はよくわからないのだが、漫画版「雑賀六字の城」はリアルな細部描写が「売り」の作品になるはずなので、「さいが」と読ませている点は何とかした方がベターではないかという気もする。

 ちなみに手持ちの小説・漫画作品に登場する「まごいち」の表記と読み方をまとめてみると、以下のようになる。

●司馬遼太郎「尻啖え孫市」・・・雑賀孫市(さいかまごいち)
山本兼一「雷神の筒」・・・雑賀孫市(さいかまごいち)
神坂次郎「海の伽耶琴」・・・雑賀孫市(さいかまごいち)
津本陽「雑賀六字の城」・・・鈴木孫一(すずきまごいち)
川原正敏「修羅の刻」・・・雑賀孫一(さいかまごいち)

 多少なりとも時代考証を心がけた創作作品では、総じて一般に知られた「雑賀孫市」の表記を使用しながらも、「さいか」と正しく読ませるようにしている場合が多いようだ。
posted by 九郎 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

波と津波は別物!

 南米チリで大地震が起きたことが原因で、日本の太平洋側各地にも津波警報が出ていますね。
 私は以前、「津波について沿岸住民に説明する仕事」の手伝いをしたことがあるんですけど、(←何の仕事だ?)津波は本当に怖いです。
 津波に関する説明で、よく紹介されるAAがあるのですが、凄く出来がいいのでコピー&ペーストしておきます。


◆波と津波の違い◆
 ※3メートルの波             波
                      波波        ●
                     波波         人
波波波波波波波波波波波波波波波波_________

※3メートルの津波
  ←何十キロもの彼方までおんなじ高さ
波波波波波波波波波波波波波波波波波        Σ●
波波波波波波波波波波波波波波波波         人
波波波波波波波波波波波波波波波_______



 津波というと、単に「高い波」と思っている人もいるかもしれませんが、津波の怖さは高さとはまた別問題です。数十センチであっても極めて危険です。
 予報で五十センチと出ていても、普通の「五十センチの高さの波」とはまったく違います。
 喩えるならば、そこに突然「ひざ位までの水深の、流れの急な河」が出現するのと同じだと考えてください。くれぐれも厳重注意です!
 普段波の穏やかな湾や入り江、河口がけっこう危険です。津波の水量が、そのまま「すぼまって」押し寄せることになります。
 決して見物にいったりしてはいけません!
posted by 九郎 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | 更新情報をチェックする