2010年02月20日

五木寛之「日本幻論」

 五木寛之さんが直木賞の選考委員を辞任なさったニュースが流れている。
 報道されている内容だけでは何とも言えないが、文学賞の選考に関しては何度も思い入れを語ってきた方なので、選考の過程で何らかの勘違いやミスはあったとしても、「自分では読まずに名前だけ貸していた」などということはないはずだ。
 私は今までもこれからも、変わらず愛読者であり続けるだろう。
 
 私がこの「縁日草子」を立ち上げて、神仏について様々に語り続けるに至ったことには様々な原点があるのだが、まだ二十代の頃に読んだ一冊の本の衝撃は、間違いなくそのうちの一つだ。



●「日本幻論」五木寛之(新潮文庫)
 歴史の影に埋没した様々な民衆の姿、「隠岐共和国」「かくれ念仏」そして「蓮如」。
 この本にはかつて存在し、今はもうほとんど痕跡も残っていない民衆の生き方が紹介されている。一般に日本人は「長いものには巻かれろ」式で、支配層に対してきわめて従順であることばかりが強調されがちであるが、隠岐共和国や加賀一向一揆のように「下から持ち上がった形での自治体制」が存在したこともあったのだという点に、強い興奮を覚えた。
 同様のテーマは後年の「日本人のこころ」シリーズに結実することになり、以前の記事で紹介した風の王国辺界の輝きにも繋がる世界なのだが、私にとってはこの「日本幻論」が最初の扉だった。
 はるかに時が流れた今、私は雑賀衆の活躍した石山合戦と言うテーマに行き当たって、最初の扉をもう一度潜ろうとしているかのような思いを感じている。

 二十代当時よく立ち寄っていた喫茶店で、「日本幻論」を飽きもしないで何度も何度も興奮しつつ読み耽った記憶がある。
 何度も繰り返し読み返すうちに文庫本のカバーはボロボロになり、本の角は摩滅して丸くなった。
 このままではいつ本自体が崩壊してもおかしくない。その後も何度となく再読する本であることがはっきり分かっていたので、ハードカバー版を探し出して控えに購入した。

 あるとき、行きつけの大型書店で、新刊発売記念として五木寛之さんのサイン会が開催されたことがあった。私はポケットにボロボロになった方の「日本幻論」を忍ばせ、新刊本を手にサインの列に並んだ。
 自分の順番が回ってきたとき、恐る恐る「あの、失礼ですが、こちらの本にサインをいただいてもよろしいですか?」と、古びた文庫本を差し出した。
 「いいですよ、両方とも書きましょう」
 五木寛之さんは笑いながら新刊本とともに受け取ってくださった。
 サインを書き終わるまでの短い時間、雑談に付き合ってくださった。 「この本(日本幻論)は自分でも気に入っているんですよ」
 「僕は祖父と父が浄土真宗の僧なんですけど、この本を読んであらためて仏教や他の宗教のことを学ぶようになりました」
 「それは嬉しいですね。これからも勉強なさってください」
 作家にとっては数多くのファンの中の一人との雑談だったはずだが、私にとっては大切な思い出になった。



 だから、今も続けている。
posted by 九郎 at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする