暖かくなったり、また寒くなったりする中、桜がおずおずと咲き始めている。
桜といえばお花見、お花見といえば当ブログでは縄文なのだが(なぜそうなのかはリンク先を参照)、今年はどうもお花見にかこつけた縄文土器作りができそうにない。
実は昨年中に引っ越しをして、ちょっと雰囲気的に野焼が難しい地域になってしまったからだ。近所迷惑にならない範囲で方策は追々練っていくとして、今年の「縄文花見」は一回お休み。
最近の私は下書きから着色まで全部PCで制作することが多くなっているのだが、やはり手書きには愛着があり、たまに小学生の頃使っていたようなシンプルな画材でスケッチを描き、手書きの感覚を蘇らせている。
先日は「火焔土器」の写真を見ながら割り箸を削ったペンを墨汁につけながらグリグリ描いてみた。水彩絵具で思いつくままに着色しているうちに、沖縄で見た風景が思い出されてならなかった。
気根の絡み合ったガジュマルの肌合いや、亜熱帯植物の繁茂した森の空気が、縄文土器写真の茶褐色に刻まれた渦巻く文様を通してありありと見えてきたのだ。
縄文と沖縄については、関連性を指摘する説もいくつか読んだことがあるけれども、今回は絵描きのハシクレが眼と手を通した直感として「縄文人はガジュマルを見たことがあるのではないか?」という閃きがあった。
今の段階では単なる閃きに過ぎないので、ここに覚書きとして残しておこう。