2010年05月27日

フリーマーケットの中世的風景

 たまにフリーマーケットに出店している。
 売り物は当ブログにアップしているような神仏イラストを、ポストカードやポスターにしたものや、手作りTシャツなどなど。
 フリマで売れ筋なのは古着や子供用品リサイクル、フィギュアなどだから、神仏という地味なテーマの私のブースから目立った売り上げが出るわけではない(苦笑)
 それでもときにはアジア雑貨を好む層の皆さんが立ち寄って、あれこれ物色してくださったり、描かれている神仏について質問があったりして、出店料+交通費+食費と、さらに小遣い稼ぎくらいにはなり、楽しい時間が過ごせる。
 ずっとお客さんがいるわけではないし、怪しげな商品を前にしてじっと座っていると怖いという印象を与えがちで、近づきがたい雰囲気になってくる。
 だから客待ちの時間は、適当に絵を描いて過ごすことにしている。
 絵を描いていれば道行く人々を睨みつけずに済むし、何をしているのかと興味を持った皆さんが近寄りやすい雰囲気になる。
 今回は8号キャンバスに褐色系の色をナイフで塗りたくって下地を作り、その上からポスカ各色でアボリジナルアート風に描いてみた。

fm01.jpg


 昔、TVでオーストラリアの原住民であるアボリジニの人々のアートを紹介していたのを観て以来、ずっと興味を持っていた。
 晴れ渡った原野の中、地面の上に直接キャンバスを置き、その傍らにどっしりと座りこんだアボリジニの芸術家。ポタージュスープ状に溶いたアクリル絵の具を空き缶に入れ、木の枝をそれに浸し、褐色の画面に丹念に点描していく様子は、アートというものを物凄く自然に生活の中で実践しているようで感動した。

 私が熱心にキャンバスに向かっていると、関心を持った人が一人二人とブースに歩み寄ってくる。そして店頭に置いてあるポストカードのファイルをめくったり、Tシャツを手に取ったり、描いてある神仏について質問してきたり……

 フリーマーケットという場は、見知らぬ人々が物の売り買いという一点でつながっている。日常の人間関係や生活感覚から外れた「無縁」の空間だからこそ、浮世離れした神仏絵描きとしての私も、さほどの違和感なくその場にいることができ、私もお客さんもその不思議を楽しむことができる。
 これは中世の「市」という場と同質のものだと、ここ一年ほど寺内町の勉強にハマっている私はついつい連想してしまう(笑)
 最近、伝統的な地縁血縁の世界から疎外された「無縁社会」の問題が取りざたされるようになってきたが、人生の中で「無縁」という時間を持つことそれ自体は悪いことではない。
 問題は互助の「身内の縁」だけが消滅し、それに代わって現れたのが「便利さ・経済性」という名目で、日常の行動も金の流れも常に他者に捕捉されてしまっているという、がんじがらめの息苦しさだけだったということだろう。
 フリーマーケットの売り買いは、売る方も買う方も匿名で現金決済が基本だ。その場限りの取引で足もつかず、源泉徴収からも自由だ。(あくまで精神的な自由のオハナシ。念のために書いておくが、別に脱税を勧めているわけではない。フリマでもそれなりに収益が上がるならば、自己責任でちゃんとしましょう!)
 何かと息苦しい世の中、「無縁」の世界を楽しむ場があることは、一服の清涼剤になるだろう。
posted by 九郎 at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする