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2010年06月11日

ブッダと蓮如

 以前から読もう読もうと思いながら果たせずにいた五木寛之「21世紀 仏教の旅」シリーズにようやく手を伸ばした。まずは最初の二冊「インド編上下巻」を読了。


●「21世紀 仏教への旅 インド編・上下」五木寛之(講談社)

 親鸞・蓮如を中心として、日本の仏教について多くを語ってきた著者が、インド現地へ赴いて「ブッダ最後の旅」の足跡を辿る。
 道しるべは岩波文庫「ブッダ最後の旅」だ。


●「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経」中村元・訳(岩波文庫)

 当時のインドでは異例の長命の80歳を越えたブッダが、自身の死期を悟って最後の伝道の旅に出る物語。
 構成の脚色が多々あると思われる経典の記述から、それでも滲みだしてくる生身で等身大の人間・ブッダの姿を、五木寛之が現地の見聞をもとに語り綴っていく。
 とりわけ作家の語りに力が入っていると感じられるのは、当時差別的に扱われていた階級の人々に対する、ブッダの分け隔てのない公平な態度だ。
 周知の通り、インドには今なおカーストと呼ばれる強固な身分制度が存在する。それは明文化された制度というよりは、生活規範そのものを支配するヒンドゥーという文化による。
 約2500年前登場したブッダの教説は、ヒンドゥー文化の前身であるバラモン教が、人間を氏素性で差別することに対する、鋭い批判を含むものだった。
 ブッダ在世時のインドは武士階級や商工階級、芸能民が力をつけ、流通経済の発達した「都市」が生まれ始めた時代だった。賤視を受けながらも都市生活の中で力をつけつつあった階級の人々は、生まれながらの平等を説くブッダを喜びを持って迎え、援助を惜しまなかったという。
 ブッダの死後数百年の間は国等の経済的な援助を受けて大いに発展した仏教だったが、やがてイスラムの破壊を受け、揺り戻されるように厳しいカースト制度を説くヒンドゥー教に飲み込まれて行くことになる。

 こうした内容は他の書物でもよく解説されていて、私も通り一遍の教科書的理解はしていたつもりだったのだが、著者が「あの」五木寛之であることも影響して、私の中で一気に様々なことが繋がって理解できた気がする。
 まず感じたことは、「蓮如の活躍した日本の戦国時代と、ほとんど同じことがブッダ在世当時のインドでも起こっていたのだな」ということだった。
 日本の戦国時代に生きた浄土真宗中興・蓮如も、ブッダと同じく当時の世の中でもっとも差別を受けながらも、時代の変化に乗じて力を付けつつあった人々、商工業者・芸能民の中にこだわりなく分け入った人だった。
 中年以降の後半生をほとんど全て「歩き」による伝道に費やし、当時としては異例の長寿を生き抜いたことでも共通しているし、本人の死後も「平等」を説く教えが長期にわたって国レベルの勢力を保持したが、やがては厳しい身分制の社会・文化に飲み込まれていったことも共通している。
 ブッダの説いた初期仏教と、日本で独自に発達した仏教の間の相違点ばかりが強調されやすい昨今だが、こうしてみると生きた時代も地域も遠く離れ、表現も大きく異なったブッダと蓮如の教説が、根っこの部分ではやはりしっかりと繋がっているように感じられた。

 もちろん、ブッダと蓮如の間にははっきりと違う点も存在する。
 出家以降は修行者の生活を生涯崩すことのなかったブッダと、多くの子孫を残し、教えに対するピュアな部分は持ちながらも「巨大な俗物」として生きることを避けなかった蓮如。
 教団の寝起きする場所を「都市」から「近すぎず、遠すぎず」の間合いに設定したブッダと、寺と都市を一体化させた「寺内町」を各地に作り続けた蓮如。
 蓮如とその後援者が築いた「本願寺王国」「寺内町」の存在は、やがて織田信長という特異な個性とぶつかり合って「石山合戦」という事象を生み出すことになるのだが、これは日本の中世だけに起こったレアケースではないのかもしれない。
 もしかしたら仏教と身分制を元にした現世勢力が互いに力を持ったとき、必然的に持ちあがってくる確執なのかもしれない。
 この「インド編」で紹介された、現代インドで少しずつ仏教が勢いを増しつつある様相はそうした予感を感じさせるし、経済格差がじわじわと固定化されつつあるように見える未来の日本でも、起こりえることなのかもしれない。

 今後も時間を作って読み続けてみたいシリーズだ。
posted by 九郎 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 蓮如 | 更新情報をチェックする