2010年06月23日

巧みな嘘、まことの感情

 この一年半ほど、遅々とした歩みながら「石山合戦」や「雑賀衆」の実像を求めて資料を渉猟し続けている。
 直接の興味の対象は上記の二つなのだが、それを理解するためには戦国時代全般の知識も、当然必要になってくる。
 調べ始める前の私は自分のことを、をさほど濃くは無いものの一応「歴史ファン」であると思っていた。学生時代から日本史や中国史の成績はまあまあだったし、有名どころの歴史小説などにも一通りは目を通していた。端的にいえば、「そこそこ知っている」つもりだったのだ。
 ところがいざ「史実」ということにこだわりながら調べ始めてみると、自分の戦国時代に関する知識の大半が、実は史実であるかどうか疑わしいものばかりであることが分かってきた。なんのことはない、私は「歴史ファン」ではなく、小説や漫画やTV番組などの「歴史モノファン」だったわけだ。

 ゴメンナサイ、これからはちゃんと勉強します。

 と反省して事が済めば簡単なのだが、事態はそれほど単純ではない。 色々調べていると、疑う余地もないほど定説と化しているように思えたアレコレや、歴史モノの創作物ではない、一応マジメに出された歴史解説本の中にも、数え切れないほどのフィクションが混入していることが分かってきたのだ。
 試みに石山合戦の一方の主役である織田信長について、まとめてみよう。

【長篠の合戦における「鉄砲の三段撃ち」は無かった】
 まず、このお話のソースが後世に作られた軍記物であり、同時代の史料には一切出てこないという根本的な問題がある。
 その上、過去の歴史教科書等でも記述され、私も感心していた「三千丁の鉄砲を三隊に分けて、入れ替わり立ち替わり一斉射撃をした」という描写が、全く現実性のないものである点が致命的だ。
 当時の織田軍にはせいぜい千五百丁の「寄せ集め」の鉄砲隊しかおらず、生の火や火薬を扱う大量の火縄銃を、号令とともに整然と操れるような環境にはなかった。
 そもそも「三段撃ち」の的になった「武田の騎馬隊」自体の存在が疑わしく、舞台になった長篠の地理条件からも「馬による一斉突撃」はあり得なかった。

 もはや戦国の常識と化しているかに見える「長篠の合戦・織田軍三段撃ち」の物語は、「戦国時代に一人近代を先取りした信長の先見性」「戦国最強・織田鉄砲隊」などの物語に現実味を与え、実物以上に信長を優れた戦国武将としてイメージアップしてしまった。
 ところが実際には、以下のような指摘が可能なのだ。

・織田軍は鉄砲戦では最後まで雑賀衆に歯が立たなかった。むしろ雑賀衆の戦術を積極的にパクることによって、戦力を高めていった。
・鉄砲戦術においても、経済戦略においても、信長の独創と呼べるものは少なく、むしろ雑賀衆や寺内町の在り方を学習し、奪った手法が多かった。

 現代の「歴史ファン」の多くが共有していると思われる「中世にただ一人近代を先取りした男・信長」というイメージは、おそらく司馬遼太郎の戦国テーマの作品あたりが出典ではないかと思われるが、そのイメージは有態に言えば「与太話」に過ぎない。
 念のために書いておくと、私は国民的作家を非難しているわけではない。司馬作品は大好きだ。
 もっともらしい材料を拾い集め、あるいはでっち上げて与太話にリアリティを持たせることは、まさに作家の本分なのだから、ここで私は作家を大絶賛しているつもりですらある。
 私が愛してやまない司馬版「孫市」も、初めて読んだ時にはあまりに生き生きと描かれているため、「こういう人物が本当に実在したのか!」と感激したものだが、今はいくつかの点で実在の「鈴木孫一」とは全く別物であることは理解している。
 司馬遼太郎「尻啖え孫市」作中の、自由と女性と孤独を愛するあの快傑は、小説の中だけに存在するフィクションであるけれども、彼が雑賀合戦で「南無阿弥陀仏」と唱える瞬間に爆発した感情のピークは、まぎれもない「まことの感情」として、確かに読む者に伝わった。
 あのシーンを読んだ時の感動が、私をここまで石山合戦にのめり込ませた原点になっているのだ。

 物語の最も強力な武器は、巧みな嘘の中から本物の感情を創り出せることにある。そうして創り出された本物の感情は、単なる史実を超えて人を動かし、新たな史実の掘り起こしや、新たな物語の読み替えを生み、連鎖していくのだ。




 ただ、フィクションではない戦国本の著者、編集者、専門の学者の方々には、もう少し史実と物語の区別をはっきりさせた本づくりをしてほしいなと思う今日この頃……
posted by 九郎 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 石山合戦 | 更新情報をチェックする