2010年08月30日

放浪者的こころ

 ふとした瞬間に、耳に蘇ってくる「音の記憶」がいくつかある。
 例えば私は夕刻になると、軽快な口笛のメロディが、たまに蘇ってきて耳の奥、頭の中で繰り返される。
 何のメロディだったかなと、記憶を探ってみると、小学生の頃の情景に行き当たる。
 当時私は、週二回剣道の教室に通っていた。当時も今も小柄で、スポーツは全般に不得意だった。短距離走や球技は特に苦手だったのだが、剣道は少しばかり適性があったらしく、同年代の中ではけっこう強い方だった。さほど熱心ではなかったが、高校生頃まで剣道を続けていたおかげで、体力的な貯金が今も残っている気がする。
 小学生の頃通っていた剣道教室は、少し離れた校区の小学校体育館で開かれていた。防具一式を持って歩いて行くには距離があったので、バスか、父親の運転する車で送り迎えをしてもらっていた。
 夕刻、父の車で送ってもらっている時に、カーラジオからよく流れてくる番組があった。
 今でも耳に残っている軽快な口笛のメロディとともに始まるその番組は、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という。
 ある年代以上にとっては説明の要もないほどに有名な長寿人気番組なのだが、私の年代以下でこの番組名を知っている人は少ないかもしれない。私も、父親の車に同乗していなければ、知ることはなかっただろう。
 大学生の頃、サークル活動をやっている時になんとなくあのメロディを口笛で吹いていたら、一人だけ反応した後輩がいた。その後輩は、高校生の頃よく通っていた古本屋で番組を聴いていたそうだ。

 ともかく、小沢昭一のことである。
 今この名前を出すと、字面の類似から某政党の内紛の、一方の主役を連想されるかもしれないが、残念ながら当ブログでは基本的に時事ネタは扱わない(笑)
 小沢昭一と言う人の肩書を一つに定めるのは難しい。一番無難なのは「俳優」ということになるのだろうけど、私はその方面の小沢昭一をほとんど知らない。
 子供の頃に聴いた口笛のメロディに導かれ、歴史・民俗・宗教に関心を持つようになってから再会したのは、日本やアジアの「放浪芸」の大家としての小沢昭一だった。
 今はもう失われつつある放浪芸の世界は、はるか日本の中世〜古代にまでつながり得る可能性を持つ。文字記録として残りにくい「音」と「声」の豊かな伝承世界だ。
 そうした世界が、たとえば雅楽のように保護された伝統芸能ではなく、地べたを這いずるような俗の極みの領域の中で、連綿と繋がってきたことには、なんとも形容しがたい感情を覚える。

 私は「放浪芸」の記録者としての小沢昭一に再会してまだ日が浅い。
 amazonや図書館の検索サービスでこの名前を調べてみると、けっこうな分量の読みたい本や聴きたい音がヒットしてくる。
 当ブログを介してとりあえず、小沢昭一という人物を知りたい人には、以下の二冊がお勧めだ。


●「文藝別冊 小沢昭一 芸能者的こころ」(KAWADE夢ムック 文藝別冊)
●「日本の放浪芸 オリジナル版」小沢昭一(岩波現代文庫)

 今後も折々、紹介していくことになると思う。


【追記】
 あの口笛のメロディを再現してるのを見つけたのであわせてご紹介。
posted by 九郎 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする