【9月の予定】
引き続き、雑賀衆・石山合戦・蓮如に関連した記事を投稿していきます。勉強しながらなので遅々とした歩みになりますが、他の記事も織り交ぜながら。
カテゴリ「児童文学」を新設します。
なんだかやたらに風呂敷を広げるばかりですが、気長にお付き合いいただければ、いずれ畳んでいきます。
【ロゴ画像変更】
9月と言えば秋のお彼岸。
お彼岸と言えばヒガンバナ。
今年は猛暑の影響で、開花が遅れそうな気もしますが、今月中には見られることでしょう。
当ブログでお勧めのヒガンバナ名所は葛城。
可能なら一度は言ってみてください。
私もちょっとバタバタしてるんですけど、行けるようなら行きます。
今年は中秋の名月も9月22日だそうで、お彼岸とほぼ重なっていますね。
2010年09月01日
2010年09月05日
一家に一台
たこ焼き機を買った。
この一行に対する反応は、読む人の住む地域によって大きく二つに分かれるだろう。
関西圏以外の人が読むと「へ〜、自分の家で焼くなんて、たこ焼きがすごく好きなんですね。もしかしてたこ焼きマニア?」と思われるだろう。
ところが京阪神を中心とする関西では、たこ焼き機は「一家に一台」が常識なのだ。むしろ、他の地域で「一家に一台」の常識が通用しないことを知って、驚愕したりもする。
たこ焼きと言えば縁日の夜店を連想するのが全国的なイメージだと思うが、関西ではそうした仮設店舗以外でも、常設の専門店が数多く存在する。最近は全国チェーン展開している店もあるので、「町のたこ焼き屋」という概念も、全国的になってきたかもしれない。
それに加えて関西では、外のお店でたこ焼きを買うだけでなく、家でもたまに作ると言う人が非常に多いのだ。
私がどちらに属するかは、長く当ブログを読んでいる人はよくご承知のことと思うのでわざわざ書かない。
私が買ったのは、↓このような感じのモノ。
電熱式で22個いっぺんに焼け、しかも鉄板部分が着脱になっている。これで1480円は安い!
鉄板が着脱できないものなら980円ぐらいからある。何度か780円というのも見たことがある。
ただ、やっぱり後始末を考えると着脱式の方がいいのだが、そうなると2000円越えが相場になってくる。
なんとか着脱式で安いのが無いかと、ホームセンター等に行くたびに探しているうちに、十年以上経ってしまった。前から薄々自覚はしていたのだが、私はもしかして馬鹿なのだろうか(笑)
どちらにしても安い買い物なのだから、さっさと好きな方を買えばよかろうと思われるかもしれない。しかし、鍋やフライパンのような生活必需品とは違って、たこ焼き機などは無いなら無いで不自由のない代物なのだ。たま〜に思い立ってやる趣味のようなものなので、極力無駄遣いは避けたかった。
この十年ほど、何度も着脱式で1980円ぐらいのものをレジに運びそうになってきたが、その度に思い直してそっと陳列棚に戻してきた。途中から意地になって「これだけ何年も粘ったんだから、半端に高いモノは絶対買えない!」と根性が座った。理想のたこ焼き機と出会うことこそが目的になり、完全に探すこと自体が趣味の世界に入っていた。
そして本日、とうとう1480円のモノと出会ってしまったのだ。
この感慨を適切に表現する言葉を、私は持たない。
「もう、ここらでよか……」
西郷どんのように重々しく呟いた私は、その商品をむんずとつかみ、ゆっくりとレジに進んだのだった。
そして、家に帰った。
数週間前の夏祭りの季節を思い出しながら、紅ショウガの効いたたこ焼きを焼いた。
この一行に対する反応は、読む人の住む地域によって大きく二つに分かれるだろう。
関西圏以外の人が読むと「へ〜、自分の家で焼くなんて、たこ焼きがすごく好きなんですね。もしかしてたこ焼きマニア?」と思われるだろう。
ところが京阪神を中心とする関西では、たこ焼き機は「一家に一台」が常識なのだ。むしろ、他の地域で「一家に一台」の常識が通用しないことを知って、驚愕したりもする。
たこ焼きと言えば縁日の夜店を連想するのが全国的なイメージだと思うが、関西ではそうした仮設店舗以外でも、常設の専門店が数多く存在する。最近は全国チェーン展開している店もあるので、「町のたこ焼き屋」という概念も、全国的になってきたかもしれない。
それに加えて関西では、外のお店でたこ焼きを買うだけでなく、家でもたまに作ると言う人が非常に多いのだ。
私がどちらに属するかは、長く当ブログを読んでいる人はよくご承知のことと思うのでわざわざ書かない。
私が買ったのは、↓このような感じのモノ。
電熱式で22個いっぺんに焼け、しかも鉄板部分が着脱になっている。これで1480円は安い!
鉄板が着脱できないものなら980円ぐらいからある。何度か780円というのも見たことがある。
ただ、やっぱり後始末を考えると着脱式の方がいいのだが、そうなると2000円越えが相場になってくる。
なんとか着脱式で安いのが無いかと、ホームセンター等に行くたびに探しているうちに、十年以上経ってしまった。前から薄々自覚はしていたのだが、私はもしかして馬鹿なのだろうか(笑)
どちらにしても安い買い物なのだから、さっさと好きな方を買えばよかろうと思われるかもしれない。しかし、鍋やフライパンのような生活必需品とは違って、たこ焼き機などは無いなら無いで不自由のない代物なのだ。たま〜に思い立ってやる趣味のようなものなので、極力無駄遣いは避けたかった。
この十年ほど、何度も着脱式で1980円ぐらいのものをレジに運びそうになってきたが、その度に思い直してそっと陳列棚に戻してきた。途中から意地になって「これだけ何年も粘ったんだから、半端に高いモノは絶対買えない!」と根性が座った。理想のたこ焼き機と出会うことこそが目的になり、完全に探すこと自体が趣味の世界に入っていた。
そして本日、とうとう1480円のモノと出会ってしまったのだ。
この感慨を適切に表現する言葉を、私は持たない。
「もう、ここらでよか……」
西郷どんのように重々しく呟いた私は、その商品をむんずとつかみ、ゆっくりとレジに進んだのだった。
そして、家に帰った。
数週間前の夏祭りの季節を思い出しながら、紅ショウガの効いたたこ焼きを焼いた。
2010年09月10日
暑さも過ぎゆく
昼間はまだまだ暑いが、夜間に熱気が冷まされる時間帯ができてきた。
しかし例年に比べれば「まだお盆過ぎ」くらいの季節感だったりする。
ともかく、夏休みも終わり、9月に入って一週間以上が過ぎてしまった。
毎年この時期になると思いだすことがある。
私が二十代の頃住んでいた四畳半一間、トイレ共同風呂無しアパートのことは、これまでにも何度か書いてきた。狭いながらも駅に直近で、部屋の割には広々としたベランダからは、広く海が見晴らせた。色々不便はあっても25000円の家賃にはお得感があった。
そのアパートは駅近くだけあって、一階部分は三軒横並びの店舗になっていた。
左から順に寿司屋、焼き鳥屋は経営が安定しているのか長く続いていたが、右端の店舗は入れ替わりがけっこうあった。
そこに、ある夏から翌年の夏の終わりまで、一年間ほど「手作りカレーの店」が出店していたことがあった。
私は人並みにカレー好きなので、さっそく階段を下りて店に入ってみた。ウナギの寝床式の、間口が狭く奥行きで床面積を稼ぐ間取りだったので、店の奥までカウンター席が伸びていて、マスターが一人で調理と接客をやっていた。
頭にバンダナを巻き、眼鏡をかけて髭を生やした、30歳以上の何歳にも見える、ちょっと年齢不詳なマスターだった。
カレーはとても美味しかった。
インドカレーではなく日本式の「カレーライス」の範疇にはいると思うが、各種スパイスを使ったカレーには隠し味にマスター特製の「ニンニク醤油」が使われていた。
お店と同じ建物に住んでいたこともあり、すっかりその店のファンになった私は、閉店間際などのすいている時間を見計らって通ううちに、マスターと世間話を楽しむようになった。
話がはずむと、マスターはカウンターの奥から貝柱の刺身や美味しい日本酒をひっぱり出してきてふるまってくれたりした。
私が言うのもなんだが、マスターはすごくいい人だったが、けっこうな変人でもあった。
他の仕事で収益が上がっているらしく、カレー屋は気分でやっているようなところがあり、開店時間も休日も、あまり一定していなかった。
年齢は当時の私の倍ぐらいだったことも、世間話の中から明らかになるのだが、年若かった私と友達のように話につき合ってくれた。
話によると、マスターは自転車が好きで、あちこち走りまわっていたそうだ。
色々な景色の中を走るのが楽しいそうで、ジム等でバイクをこぐのは「全く意味がわからない」と首をひねっていた。
私が「あいつら、自分がジムで使う分の電力は、自分で発電させればいいんですよ」と暴言を吐くと、爆笑して何度もうなずいていた。
お互い「病院嫌い」という共通点もあった。
私が足の爪が割れたのを自分で消毒し、ハンカチを咥えながらペンチで引っこ抜いた話をすると、マスターは「私も奥歯を自分で抜いたことありますよ」と笑っていた。
同席していた女子大生が気味悪がって、「そんなことするぐらいなら病院いけばいいのに!」と悲鳴を上げたが、マスターと私は声を合せるようにこう言った。
「だって、病院行くのって怖いじゃん!」
彼女が異星人を見る目で私たちを眺めていたことは言うまでもない。
他にも夜遅くまで色んな話をしたが、ここに書けない話も多い(笑)
何度か「これから飲みに行かないか」と誘ってもらったが、それは丁重にお断りした。
私の中の基準として、ちゃんとお金を出してカレーを食べに行き、その過程でいくらかのサービスをしていただく分には心から楽しめるのだが、それ以上のことをしてもらうのは「ちょっと違う」と感じるものがあったのだ。
あくまで私は美味しいカレー屋の常連客。
これからも長くお店の常連客でいられるように、そういう一線はきちんとしておきたいと感じていた。
気分で経営していたこともあり、そのお店は結局一年余りで閉店することになった。
最後の日、何人かの常連客が集まって「閉店祝い」みたいな感じになった。
マスターは店の備品を「好きなの持ってって」とみんなに配った。
私は他に何もできないので、マスターの今後の商売がうまく行くように、ガネーシャの絵を贈った。
絵の中のお供え物には、私がそのお店のメニューの中で一番好きだった「オムライスカレー」を描き入れた。
玉ねぎの効いたチャーハンを玉子で包み、ケチャップとカレーをかけた、ボリューム満点の一品だった。
しかし例年に比べれば「まだお盆過ぎ」くらいの季節感だったりする。
ともかく、夏休みも終わり、9月に入って一週間以上が過ぎてしまった。
毎年この時期になると思いだすことがある。
私が二十代の頃住んでいた四畳半一間、トイレ共同風呂無しアパートのことは、これまでにも何度か書いてきた。狭いながらも駅に直近で、部屋の割には広々としたベランダからは、広く海が見晴らせた。色々不便はあっても25000円の家賃にはお得感があった。
そのアパートは駅近くだけあって、一階部分は三軒横並びの店舗になっていた。
左から順に寿司屋、焼き鳥屋は経営が安定しているのか長く続いていたが、右端の店舗は入れ替わりがけっこうあった。
そこに、ある夏から翌年の夏の終わりまで、一年間ほど「手作りカレーの店」が出店していたことがあった。
私は人並みにカレー好きなので、さっそく階段を下りて店に入ってみた。ウナギの寝床式の、間口が狭く奥行きで床面積を稼ぐ間取りだったので、店の奥までカウンター席が伸びていて、マスターが一人で調理と接客をやっていた。
頭にバンダナを巻き、眼鏡をかけて髭を生やした、30歳以上の何歳にも見える、ちょっと年齢不詳なマスターだった。
カレーはとても美味しかった。
インドカレーではなく日本式の「カレーライス」の範疇にはいると思うが、各種スパイスを使ったカレーには隠し味にマスター特製の「ニンニク醤油」が使われていた。
お店と同じ建物に住んでいたこともあり、すっかりその店のファンになった私は、閉店間際などのすいている時間を見計らって通ううちに、マスターと世間話を楽しむようになった。
話がはずむと、マスターはカウンターの奥から貝柱の刺身や美味しい日本酒をひっぱり出してきてふるまってくれたりした。
私が言うのもなんだが、マスターはすごくいい人だったが、けっこうな変人でもあった。
他の仕事で収益が上がっているらしく、カレー屋は気分でやっているようなところがあり、開店時間も休日も、あまり一定していなかった。
年齢は当時の私の倍ぐらいだったことも、世間話の中から明らかになるのだが、年若かった私と友達のように話につき合ってくれた。
話によると、マスターは自転車が好きで、あちこち走りまわっていたそうだ。
色々な景色の中を走るのが楽しいそうで、ジム等でバイクをこぐのは「全く意味がわからない」と首をひねっていた。
私が「あいつら、自分がジムで使う分の電力は、自分で発電させればいいんですよ」と暴言を吐くと、爆笑して何度もうなずいていた。
お互い「病院嫌い」という共通点もあった。
私が足の爪が割れたのを自分で消毒し、ハンカチを咥えながらペンチで引っこ抜いた話をすると、マスターは「私も奥歯を自分で抜いたことありますよ」と笑っていた。
同席していた女子大生が気味悪がって、「そんなことするぐらいなら病院いけばいいのに!」と悲鳴を上げたが、マスターと私は声を合せるようにこう言った。
「だって、病院行くのって怖いじゃん!」
彼女が異星人を見る目で私たちを眺めていたことは言うまでもない。
他にも夜遅くまで色んな話をしたが、ここに書けない話も多い(笑)
何度か「これから飲みに行かないか」と誘ってもらったが、それは丁重にお断りした。
私の中の基準として、ちゃんとお金を出してカレーを食べに行き、その過程でいくらかのサービスをしていただく分には心から楽しめるのだが、それ以上のことをしてもらうのは「ちょっと違う」と感じるものがあったのだ。
あくまで私は美味しいカレー屋の常連客。
これからも長くお店の常連客でいられるように、そういう一線はきちんとしておきたいと感じていた。
気分で経営していたこともあり、そのお店は結局一年余りで閉店することになった。
最後の日、何人かの常連客が集まって「閉店祝い」みたいな感じになった。
マスターは店の備品を「好きなの持ってって」とみんなに配った。
私は他に何もできないので、マスターの今後の商売がうまく行くように、ガネーシャの絵を贈った。
絵の中のお供え物には、私がそのお店のメニューの中で一番好きだった「オムライスカレー」を描き入れた。
玉ねぎの効いたチャーハンを玉子で包み、ケチャップとカレーをかけた、ボリューム満点の一品だった。
2010年09月11日
狐と鉄砲撃ちと門付芸人
カテゴリ「児童文学」を新設した。
子供の頃から一応「本好き」で通ってきた。
それほど幅広くはないけれども、一つの作品、一人の作家が気に入ると、その周辺を手当たり次第に読み漁った。
この読書法は今も続いている。
ここ数年、年齢のせいもあると思うが、子供の頃読んだ本を再読する機会が増えている。
詳しい内容などは全く記憶になこっていないのだが、昔読んだ絵本や児童書の表紙を見ると、特に好きだった本や作品名、作家の名前には、好きだったという「感情」だけは確実によみがえってくる。
そうした感情のよみがえってくる本を手に取り、ン十年ぶりに読み返してみると、やっぱり当然のように面白い。感動する。
覚書を作っておきたくなったので、一つのカテゴリにまとめておく。
一番手は新美南吉のことだ。
作家の名前は記憶になくとも、代表作「ごん狐」の作者と書けば、十分だと思う。
人が大人になり、生きていくためにどうしても必要になるケガレ。そうした部分を一概には否定せず、当然あるものとして許容しつつも、今一度ケガレのない視点から見つめなおす、そんな構図の作品が多い。
今回、再読していて気付いたのは、人としての日常に遍在するケガレを、今一度見つめなおす視線の持ち主の造形のことだ。
人を違った視線から見つめなおせるのは、人以外のモノ、または人の中でも立場的に周縁部にある者だ。
新美南吉の作品に登場するそうした視線の持ち主は、時には狐であり、時にはお地蔵さまであり、鉄砲撃ちであり、門付芸人であり、学校のクラスの中でもちょっと外れた立場にある児童として登場する。
おそらく浄土真宗寺院であろうお寺が舞台になっていることも多い。
こうして並べてみると、当ブログで扱ってきたモチーフと、重なっているものがけっこうある。
今読むと、作者の関心を持っていた分野、作品の表面上にははっきりと表れていないが、制作する上で資料を漁ったであろう分野が、非常によく理解できるのだ。
まあ、そうした制作過程に関する興味が先に立って再読し始めたのだが、途中からそんな「不純な」興味はどうでもよくなってきてしまったのだが(笑)
ケガレにまみれた俗人としての私は、最初は創作上の秘密を盗んでやろうと分析的に読んでいた。しかし童話集のページを繰る内に、純粋な子供の視線にたじろいでふと堅気に戻ってしまう盗人(「花のき村と盗人たち」より)のごとく、時には不覚にも涙をにじませながら一冊読み切ってしまったのだった。
新美南吉の作品は、青空文庫でも読むことができる。
青空文庫 新美南吉
紙の本が似合う作家ではあるけれども、ともかく一読したい人は、そこから入ってみるのもいいだろう。
紙の本で読みたい場合は、岩波文庫のものがお勧め。
棟方志功の挿絵もある。
●「新美南吉童話集」新美南吉(岩波文庫)
蛇足ながら最後に一つ書き加えておこう。
制作された時代背景もあるだろうが、いくつかの作品の中で、微妙に軍国主義に配慮したかのように見える箇所がある。
しかしそれは本当に、文字通り「とってつけたような」描写であって、作品の全体的な構図とはほとんど関係ない。
こんなとってつけたような描写さえあれば通ってしまったのなら、逆に当時の検閲に関わる人物は表現と言うものが何にも分かっていなかったのだろうなと、ちょっと笑ってしまった。
しょせん「表現規制」等を持ちだす人種には、表現の何たるかなど、少しも理解できないのだろう。
今も昔も。
子供の頃から一応「本好き」で通ってきた。
それほど幅広くはないけれども、一つの作品、一人の作家が気に入ると、その周辺を手当たり次第に読み漁った。
この読書法は今も続いている。
ここ数年、年齢のせいもあると思うが、子供の頃読んだ本を再読する機会が増えている。
詳しい内容などは全く記憶になこっていないのだが、昔読んだ絵本や児童書の表紙を見ると、特に好きだった本や作品名、作家の名前には、好きだったという「感情」だけは確実によみがえってくる。
そうした感情のよみがえってくる本を手に取り、ン十年ぶりに読み返してみると、やっぱり当然のように面白い。感動する。
覚書を作っておきたくなったので、一つのカテゴリにまとめておく。
一番手は新美南吉のことだ。
作家の名前は記憶になくとも、代表作「ごん狐」の作者と書けば、十分だと思う。
人が大人になり、生きていくためにどうしても必要になるケガレ。そうした部分を一概には否定せず、当然あるものとして許容しつつも、今一度ケガレのない視点から見つめなおす、そんな構図の作品が多い。
今回、再読していて気付いたのは、人としての日常に遍在するケガレを、今一度見つめなおす視線の持ち主の造形のことだ。
人を違った視線から見つめなおせるのは、人以外のモノ、または人の中でも立場的に周縁部にある者だ。
新美南吉の作品に登場するそうした視線の持ち主は、時には狐であり、時にはお地蔵さまであり、鉄砲撃ちであり、門付芸人であり、学校のクラスの中でもちょっと外れた立場にある児童として登場する。
おそらく浄土真宗寺院であろうお寺が舞台になっていることも多い。
こうして並べてみると、当ブログで扱ってきたモチーフと、重なっているものがけっこうある。
今読むと、作者の関心を持っていた分野、作品の表面上にははっきりと表れていないが、制作する上で資料を漁ったであろう分野が、非常によく理解できるのだ。
まあ、そうした制作過程に関する興味が先に立って再読し始めたのだが、途中からそんな「不純な」興味はどうでもよくなってきてしまったのだが(笑)
ケガレにまみれた俗人としての私は、最初は創作上の秘密を盗んでやろうと分析的に読んでいた。しかし童話集のページを繰る内に、純粋な子供の視線にたじろいでふと堅気に戻ってしまう盗人(「花のき村と盗人たち」より)のごとく、時には不覚にも涙をにじませながら一冊読み切ってしまったのだった。
新美南吉の作品は、青空文庫でも読むことができる。
青空文庫 新美南吉
紙の本が似合う作家ではあるけれども、ともかく一読したい人は、そこから入ってみるのもいいだろう。
紙の本で読みたい場合は、岩波文庫のものがお勧め。
棟方志功の挿絵もある。
●「新美南吉童話集」新美南吉(岩波文庫)
蛇足ながら最後に一つ書き加えておこう。
制作された時代背景もあるだろうが、いくつかの作品の中で、微妙に軍国主義に配慮したかのように見える箇所がある。
しかしそれは本当に、文字通り「とってつけたような」描写であって、作品の全体的な構図とはほとんど関係ない。
こんなとってつけたような描写さえあれば通ってしまったのなら、逆に当時の検閲に関わる人物は表現と言うものが何にも分かっていなかったのだろうなと、ちょっと笑ってしまった。
しょせん「表現規制」等を持ちだす人種には、表現の何たるかなど、少しも理解できないのだろう。
今も昔も。
2010年09月22日
中秋の名月2010
今夜は2010年の「中秋の名月」。
明日は秋分の日で、秋のお彼岸の中日。
今年は太陽と月の節目が接近している。
今頃、私の好きなとある海岸では、月を見るお祭りが開催されていることだろう。
ここ2年ほど行けてないが、遠く離れたこちらから、月を見ながら彼の地を思う。
中秋の名月にちなんで、むかし描いた月がテーマの小品をご紹介。
タイトルは「二人の月」。
「二人の月」という言葉に、実はこれと言った意味はないのだが、ふと思いついてから今まで、言葉先行で様々な空想・妄想を重ねてきた。
この作品はおそらく90年代半ばに描いたもの。
その当時はこうした小品をアクリルで描きためていて、後にそれを大きく展開させたものも多い。
あの頃、描きためていたあれこれに、私の中で重要なテーマと、その色と形が、出揃っていたような気もする。
本作を展開したものは、以前に一度紹介したことがあるので、なんとなく見覚えのある人もいるかもしれない。
最近、同じテーマでもう一度発想が湧いたので、ぼちぼち大きなカンバスに描き始めてみようかなと思っている。
完成はいつになるかわからないのだが……
これまで当ブログでは、お月様にまつわる物語をいくつか紹介してきました。
再掲しておきますので、秋の夜長、お月見のおともにどうぞ。
お月様のおしっこ
月影
つ、つ、つきよだ
月のウサギ
蝕
太陽と月を喰う悪魔
月を喰う悪魔のロゴ画像動画
月のモノガタリあれこれ
接近
深夜の航路
中秋の名月2009
天の乗物 太陽と月
明日は秋分の日で、秋のお彼岸の中日。
今年は太陽と月の節目が接近している。
今頃、私の好きなとある海岸では、月を見るお祭りが開催されていることだろう。
ここ2年ほど行けてないが、遠く離れたこちらから、月を見ながら彼の地を思う。
中秋の名月にちなんで、むかし描いた月がテーマの小品をご紹介。
タイトルは「二人の月」。
「二人の月」という言葉に、実はこれと言った意味はないのだが、ふと思いついてから今まで、言葉先行で様々な空想・妄想を重ねてきた。
この作品はおそらく90年代半ばに描いたもの。
その当時はこうした小品をアクリルで描きためていて、後にそれを大きく展開させたものも多い。
あの頃、描きためていたあれこれに、私の中で重要なテーマと、その色と形が、出揃っていたような気もする。
本作を展開したものは、以前に一度紹介したことがあるので、なんとなく見覚えのある人もいるかもしれない。
最近、同じテーマでもう一度発想が湧いたので、ぼちぼち大きなカンバスに描き始めてみようかなと思っている。
完成はいつになるかわからないのだが……
これまで当ブログでは、お月様にまつわる物語をいくつか紹介してきました。
再掲しておきますので、秋の夜長、お月見のおともにどうぞ。
お月様のおしっこ
月影
つ、つ、つきよだ
月のウサギ
蝕
太陽と月を喰う悪魔
月を喰う悪魔のロゴ画像動画
月のモノガタリあれこれ
接近
深夜の航路
中秋の名月2009
天の乗物 太陽と月
2010年09月25日
ヒガンバナ覚書
秋のお彼岸も半ばを過ぎた。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる。
今年の夏は酷暑で、9月に入ってからもずっと夏が続いている感じだったのに、秋分の日を過ぎて、ガクンと一段涼しくなってしまった。
ただ、例年ならもう咲き誇っているはずのヒガンバナは、私の住む地域ではまだ見かけていない。
現在の住処は田んぼがほとんど無いエリアなせいもあるだろう。
数日前に鉄道の車窓から眺めた田園地帯の畔道では、ほんの一箇所か二か所で、朱色の点を見かけた。
満開は十月に入ってからになりそうだ。
さて、どのあたりを散策してみようか。
毎年、ヒガンバナを見かける度に、不意を突かれたような驚きと、懐かしさと、一種の怪しさを感じる。
ちょうどお彼岸の時期に咲くせいもあるだろう。
夏の空気が去ってしまったことを思い知らされるせいもあるだろう。
何よりも、あの目に飛び込んでくる朱のせいもあるだろう。
ここ数年、この時期には、花の色によく似た「赤鉛筆」でヒガンバナをスケッチすることにしている。
2008年
2009年
スケッチするために花の構造を詳しく見ていくと、ヒガンバナは茎の上に一つの花が咲いているわけではなく、六つの花がぐるりと一周することで成立していることに気付く。
特に白いヒガンバナを観察するとよくわかるのだが、細身の百合が背中合わせに六つ並んで一つの花を形成しているように見える。
六という数字を見ると、すぐに「六道」という言葉が連想される。
そうか、ヒガンバナというのは、お彼岸に咲く、六つが輪になった花だったのか。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる。
今年の夏は酷暑で、9月に入ってからもずっと夏が続いている感じだったのに、秋分の日を過ぎて、ガクンと一段涼しくなってしまった。
ただ、例年ならもう咲き誇っているはずのヒガンバナは、私の住む地域ではまだ見かけていない。
現在の住処は田んぼがほとんど無いエリアなせいもあるだろう。
数日前に鉄道の車窓から眺めた田園地帯の畔道では、ほんの一箇所か二か所で、朱色の点を見かけた。
満開は十月に入ってからになりそうだ。
さて、どのあたりを散策してみようか。
毎年、ヒガンバナを見かける度に、不意を突かれたような驚きと、懐かしさと、一種の怪しさを感じる。
ちょうどお彼岸の時期に咲くせいもあるだろう。
夏の空気が去ってしまったことを思い知らされるせいもあるだろう。
何よりも、あの目に飛び込んでくる朱のせいもあるだろう。
ここ数年、この時期には、花の色によく似た「赤鉛筆」でヒガンバナをスケッチすることにしている。
2008年
2009年
スケッチするために花の構造を詳しく見ていくと、ヒガンバナは茎の上に一つの花が咲いているわけではなく、六つの花がぐるりと一周することで成立していることに気付く。
特に白いヒガンバナを観察するとよくわかるのだが、細身の百合が背中合わせに六つ並んで一つの花を形成しているように見える。
六という数字を見ると、すぐに「六道」という言葉が連想される。
そうか、ヒガンバナというのは、お彼岸に咲く、六つが輪になった花だったのか。
2010年09月28日
白骨
蓮如の残した御文章/御文の中に、「白骨の御文章」または「白骨の御文」と呼ばれるものがある。葬儀の際などによく読まれるので、真宗門徒以外にもよく知られている。本願寺式の法事で、現代語に近い言葉が独特の抑揚で読まれれば、それは蓮如の御文章である場合が多いのだが、そうした蓮如の作の中では、おそらくこの「白骨章」が最も有名なものだろう。
以下に原文と大意を紹介してみよう。(「大意」は原文の厳密な現代語訳ではなく、参考のための試作である)
【大意】
確かなものが何もない人の世の有様をつらつら観ずるに、おおよそ儚い幻のようなものといえば、この世の人間の一生涯だろう。
万年の命を永らえたという話など聞いたことはなく、一生はまたたく間に過ぎゆく。百年の命ですら、いったい誰が保つことができるだろうか。自分が先か、他人が先か、今日とも知らず明日とも知らず、草の葉の露が根元に落ちてしまうよりも、それはありふれたことだ。
朝、生命に満ちていた者も、夕には白骨となる。無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、花のような姿がむなしく失われるときには、親類縁者が集まって嘆き悲しんでも、もはやどうしようもない。そのままにはできないので野辺の送りをし、夜半の煙となってしまえば、あとにはただ白骨のみが残る。そうなってしまえばもはやいうべき言葉もない。
人の世のはかないことは、老いも若きもかわりがない。誰もみな、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くおたのみし、念仏申すのがよいのではないか。あなかしこ、あなかしこ。
蓮如が生きて活動したのは戦国時代の真っ只中、人間の遺体は巷にいくらでもあふれ、白骨化したものも日常風景の中で度々目にしただろう。
人に命はひどく軽く、文中にあらわれるように、朝元気だったものが夕には無残な遺体と変わることも、決して珍しくなかったに違いない。
当時の門徒にとって、蓮如の言葉は実体験を反映しながら、深く受け止められたことだろう。
現代日本では、「人の死体」という剥き出しの現実は、注意深く日常生活から遠ざけられている。
しかし、親類縁者の葬儀に参ずれば、どうしようもなくそうした現実に直面することになる。
普段接する機会がないだけに、人の遺体、そして火葬後の白骨は、見る者に強い印象を与える。特に最近の火葬は有害物質を出さないために高温で一気に焼き上げるので、二時間もすれば遺体も副葬品も真っ白になり果てる。一応骨は残るが、弱っていた個所などは崩れて残らない。
それは衛生上、正しい。
火葬にかかる時間が短縮されれば、スケジュールも組みやすい。
理屈で考えれば、現代の火葬は非の打ちどころがない。
しかし実際に親しい者の肉体が、きわめて衛生的かつ能率的に白骨化される様を目の当たりにした時、なんとも言葉にできない感情が湧きおこってくることがある。
白骨化のプロセスが「正しい」と頭でわかってはいても、その感情は収まらない。
実体験を伴わない知的作業、単なる読書として文面を目で追うだけなら、「御文章」の内容は古臭く通俗的な説教にしか感じられないかもしれない。しかし蓮如の言葉は、葬儀の際の剥き出しの現実に直面した時、独特の抑揚で実際の「音」として耳に入ってくると、思わぬ響きを帯びてくる。
数百年の時を経てなお、それは変わらない。
以下に原文と大意を紹介してみよう。(「大意」は原文の厳密な現代語訳ではなく、参考のための試作である)
【白骨章】
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、一生過すぎやすし。 いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
【大意】
確かなものが何もない人の世の有様をつらつら観ずるに、おおよそ儚い幻のようなものといえば、この世の人間の一生涯だろう。
万年の命を永らえたという話など聞いたことはなく、一生はまたたく間に過ぎゆく。百年の命ですら、いったい誰が保つことができるだろうか。自分が先か、他人が先か、今日とも知らず明日とも知らず、草の葉の露が根元に落ちてしまうよりも、それはありふれたことだ。
朝、生命に満ちていた者も、夕には白骨となる。無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、花のような姿がむなしく失われるときには、親類縁者が集まって嘆き悲しんでも、もはやどうしようもない。そのままにはできないので野辺の送りをし、夜半の煙となってしまえば、あとにはただ白骨のみが残る。そうなってしまえばもはやいうべき言葉もない。
人の世のはかないことは、老いも若きもかわりがない。誰もみな、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くおたのみし、念仏申すのがよいのではないか。あなかしこ、あなかしこ。
蓮如が生きて活動したのは戦国時代の真っ只中、人間の遺体は巷にいくらでもあふれ、白骨化したものも日常風景の中で度々目にしただろう。
人に命はひどく軽く、文中にあらわれるように、朝元気だったものが夕には無残な遺体と変わることも、決して珍しくなかったに違いない。
当時の門徒にとって、蓮如の言葉は実体験を反映しながら、深く受け止められたことだろう。
現代日本では、「人の死体」という剥き出しの現実は、注意深く日常生活から遠ざけられている。
しかし、親類縁者の葬儀に参ずれば、どうしようもなくそうした現実に直面することになる。
普段接する機会がないだけに、人の遺体、そして火葬後の白骨は、見る者に強い印象を与える。特に最近の火葬は有害物質を出さないために高温で一気に焼き上げるので、二時間もすれば遺体も副葬品も真っ白になり果てる。一応骨は残るが、弱っていた個所などは崩れて残らない。
それは衛生上、正しい。
火葬にかかる時間が短縮されれば、スケジュールも組みやすい。
理屈で考えれば、現代の火葬は非の打ちどころがない。
しかし実際に親しい者の肉体が、きわめて衛生的かつ能率的に白骨化される様を目の当たりにした時、なんとも言葉にできない感情が湧きおこってくることがある。
白骨化のプロセスが「正しい」と頭でわかってはいても、その感情は収まらない。
さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり……
実体験を伴わない知的作業、単なる読書として文面を目で追うだけなら、「御文章」の内容は古臭く通俗的な説教にしか感じられないかもしれない。しかし蓮如の言葉は、葬儀の際の剥き出しの現実に直面した時、独特の抑揚で実際の「音」として耳に入ってくると、思わぬ響きを帯びてくる。
数百年の時を経てなお、それは変わらない。
2010年09月30日
厚く御礼申し上げます
9月の集計分で、当ブログに広告を貼っておりますamazonの紹介料が、ようやく支払金額の1500円を超えました(笑)
周知のことかと思いますが一応解説しておきますと、当ブログで本を紹介した際などに、ネット通販のamazonの広告を掲載しております。
この「縁日草子」読者のみなさんが、その広告を介してamazonから本などを購入していただきますと、私には紹介料として売り上げの3パーセントがカウントされます。
その紹介料の累積が、現金ならば5000円、amazon商品券ならば1500円分で、私に支払われることになるわけです。
販売価格が数百〜数千円の書籍の場合、一冊分の紹介料は、まさに神社仏閣のお賽銭程の金額。さらに当ブログで紹介している書籍は、売れ筋とは程遠いマニアックなものばかりとくれば、1500円に達するにも一苦労でありました。
皆さんのご協力で得たこの収入は、新たに資料を購入する際にありがたく使わせていただき、「神仏与太話」に更なる磨きをかけていく所存でございます。
当ブログは数万のアクセスがあるような人気ブログではありませんが、それでも日に150〜200の訪問者の皆さんがあります。記事中のキーワードに自動で反応する仕様の広告に参加すれば、もう少し収入は増えるかもしれないのですが、ちょっと理由があって思いとどまっておりました。
自分のブログが広告だらけになるのは見苦しいということもありますが、「縁日草子」で扱っているような記事に自動広告が貼られると、いわゆる「スピリチュアル」「精神世界」「オカルト」等の分野の書籍広告ばかりがズラズラと並んでしまう可能性が高いのです。
このようなブログを運営しておきながら、こんなことを書くのは滑稽に見えるかもしれませんが、私は「スピリチュアル」という業界が、あまり好きではありません。
書店の「スピリチュアル」な本棚に並んでいる個々の書籍の中には、良質のものも無いでは無いのですが、特にネットでその手のサイトを覗いてみると「どうみてもマルチ商法やがな!」という個人サイトもけっこうあって、精神衛生上、非常によろしくないのです。
自動広告を貼っても、しょせん微々たる小遣い稼ぎにしかならないわけで、それと引き換えに自分のブログが同じ業界に入ってしまう形になるのは、感覚的に受け付けないものがあります。
読者の皆さんの中には「縁日草子」をスピリチュアル的な関心から読んでくださっている方もけっこうおられるかもしれません。それはそれでかまわないのですが、くれぐれもおかしな商法に引っかかったりしないよう、ご注意を!
当ブログで紹介している書籍については、中には「スピリチュアル」に分類されうる本もありますが、私の眼から見て一応「セーフ」なものばかり。
私ごときのお墨付きに何ほどの価値があるかはわかりませんが(笑)、安心して手に取ってもらってけっこうです。
それでは今後とも「縁日草子」をよろしくお願いいたします!