お祭りの名は「どんと院マツリCARNIVAL」で、2000年に亡くなったどんとの追悼ライブが中心のイベントだった。
チラシによると「楽器ナリモノ、おどり、仮装、大歓迎」ということで、私も自作の仮面とウクレレを持って、一路会場へ。
海辺のバス停で降りて漁港を抜けると、会場の方から太鼓の音が聞こえてきて、色とりどりの衣装に身を包んだ参加者の皆さんが行きかうようになった。
私が衝撃を受けたあの夜から、決して短くない時が流れていたのだが、まるで昨日のことのように、何も変ったことがなく感じられた。
ボ・ガンボスの曲に「カーニバル」という作品がある。
どんとの歌詞には発表当時謎めいていたものが、死後になってからあまりに明確な形で現実化したように見えるものがいくつかあるのだが、この「カーニバル」も、そうした作品の一つだ。
その日、その海岸で開催されたお祭りは、まさに「カーニバル」に描かれる情景そのものだったと思う。
岸壁前の特設ステージには、手作りの象のオブジェが設置され、色とりどりの花で前面が飾られていた。
私が会場に着いたのは夕方で、既にステージには蝋燭の照明がともされて、ライブは始まっており、様々な出演者が入れ替わり立ち替わり、どんとの曲を演奏していた。
私はビールを片手に、ひとまず懐かしい海岸を散策した。
色とりどりの仮設店舗ではフリーマーケットが開かれ、一般のものとは一味違った食べ物やグッズが並べられていた。
思い思いに楽器を演奏したり、おどったり、絵を描いたりする参加者の姿。
焚火でジャガイモを焼きながら、詩集を売っているおっちゃん。
「飲んでも飲まれるな」と大書してあるカクテル屋。
国籍も年齢層もばらばらで、カオスななりに、小さな海岸の中で調和している。
やはり、あの時と、なにも変わったことはない。
日が落ちると、ライブはいよいよ佳境に入る。どんとと縁の深かった出演者による「カーニバル」「坊さんごっこ」「波」など、今ここで演奏することの意味深い曲の数々。
会場の背景はあのときと同じ月夜の海。
踊り狂う人々。
ラストの「どんとマンボ」では、本当にどんとが帰って来たとしか思えない盛り上がり……
ライブが終わると、あとはそれぞれにばらけて夜を味わう。
思い思いに話したり、歌ったり、踊ったり、月や海を眺めたり。
詩人のおっちゃんの焚火では朗読会。
そのうち一人二人と力尽きていく。
私はなんとなく寝付けなくて、一人明け方ごろまでステージに座って海を眺める。
ふとステージ奥に目をやると、小さな岩のくぼみにどんとの写真が飾ってあった。
緑が目にしみるような、おそらく沖縄の風景の中、そっと微笑んで立っているどんとの姿。
写真には線香とお灯明、お経の本が供えてあった。
どんとの家は浄土真宗で、和讃も好きだったらしいことを知っていたので、私は本を手にとってパラパラめくってみる。
念仏和讃の一節をゆっくり唱えると、そろそろ眠くなってきた。
(念仏和讃については、このブログでも何度か紹介してきた)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
翌日、また昼ごろ目が覚めると、海岸で一日のんびり遊んだ。
これもまた、あのときと同じ。
夕方になり、どんとの遺灰の一部を流した岩場に、みんなで花を流しに行こうということになった。
ステージを飾っていた自然物で、花に包まれた小さな舟が作られ、残りの花を参加者がそれぞれに手にして、岩場にむかった。
様々な衣装に身を包んだ人々が百人ぐらい、手に手に花を持って更新してきたので、件の岩場で釣りをしていた人はびっくりしていた。
スタッフの人が事情説明していたが、怪しい宗教団体か何かに取り囲まれたと思ったかもしれない(笑)
こういうバカバカしさ、怪しさもまた、どんとの作品世界そのものだ。
花の小舟は沖へ沖へとゆっくり流れ、みんなが投げた花々が、渦巻きながらそれを追いかけていった。
流れてしまった後も、みんななんとなく立ち去り難く、その場で海を眺め続けていた。
夕陽を背景にした不思議な美しい風景。
私もいつまでも眺めながら、「ああ、いい法事だったなあ」と、思っていた。
(続く)