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2010年12月24日

びるぜんさんた丸や

 キリスト教のことはほとんど知らない。
 このブログでよく取り上げる仏教や神道、道教についても、専門に学んだわけではないので「本当に理解しているのか」と問われると困るのだが、知識としてはある程度知っている。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った旧約聖書の世界を母体とする教えについて、もちろん興味はあったのだが、なかなかそこまで手が回らずにいた。
 ただ、キリスト教の流れをくむ、日本の「かくれキリシタン」の信仰については、いくらか調べてみたことがある。
 特に独自の創世神話である「天地始之事」に描かれる世界はとても魅力的で、繰り返し何度も読んだ。
 一応聖書の神話がベースになっているものの、「天地始之事」は非常に日本的なアレンジになっていて、素晴らしい物語世界だ。
 中でも生き生きと描かれているのが「びるぜんさんた丸や」というヒロインで、このキャラクターは「聖母マリア」に相当する。

 天帝でうすが苦しみの中にある人類を救うため、自らの身を分けるために選んだ少女・丸や。
 あんじよさんがむりあ(天使聖ガブリエル)の受胎告知を受けた丸やに、でうすが蝶の姿になって口から入りこみ、処女懐胎が成就する。
 王様のプロポーズも断り、父のわからぬ懐妊に両親から家を追われ、丸やの苦難の旅が始まる。
 身重の旅路の中、大雪に降られ、しかたなく牛馬の小屋に入りこんで寒さをしのいでいるうちに産気づき、ついに「御身様」を誕生させる。
 寒さの中の新生児を気の毒に思った周囲の牛馬は、息を吐きかけて赤ん坊を温め、食み桶で産湯をつかわせてやった。
 そして暁になると家主の女房が母子を発見、家の中に招じ入れて、様々に親切な施しを与える。

 原典の聖書神話にはない、細やかな情に満ちたイエスの誕生シーンの細部描写だ。
 丸やの苦難はこの後もまだまだ続くのだが、新しい命の誕生、極寒の中の温もりのイメージは、読んでいるとこちらも優しい気分になってくる。
 貧しい暮らしと苛烈な弾圧の中、信仰を守ってきた人々の思いが伝わってくるようだ。

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 今回の図像は隠れキリシタンの御神体の中から、聖母子像を元に再現している。
 元図はおそらく専門の絵師ではなく、ごく普通の信徒が心をこめて描いたであろう素朴なもの。
 何パターンかの「聖母子像」があるが、いずれも「丸や」は赤ん坊を抱き、十字をアクセサリーにつけ、月または日月の上に立った姿で表現されている。
 胸元はゆったりくつろげられているものが多く、はっきり乳房が描いてあったり、赤ん坊が授乳している姿のものもある。
 
 絵描きのはしくれとして自分でも描いては見たものの、やはり思いのこもった元図には遠く及ばない。
 興味のある人は以下の本で。
 各種図像と詳細な解説、「天地始之事」全文も収録されている。



●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)

 ヒロイン・丸や以外にも、様々な魅力的なキャラクターが登場する。
 堕天使ルシフェルも、「七人のあんじよ頭じゆすへる」として登場し、天帝に反旗を翻した結果「鼻ながく、口ひろく、手足は鱗、角をふりたて」た姿に変わり果て、「雷の神」にされてしまう。 じゆすへるを拝んだあんじよも全て、天狗に変わって天から落ちてしまう。
 
 ともかく、一読の価値あり。

 隠れキリシタンに伝承された音の世界も、とても良い。



●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2010年12月28日

諸星大二郎「生命の木」

 諸星作品が好きだ。
 どのくらい好きかと言うと、たとえば今住んでいる部屋の窓から外をのぞくと、隣のビルの屋上に何か植物の葉っぱが見えて、風に揺れているのだが、

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 その葉っぱを見ていると、なんとなくこんな鉢植えが置いてあるのではないかと、妄想してしまう自分がいる。

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 それぐらい好きだ。

 諸星大二郎の代表作に「妖怪ハンター」シリーズがある。
 民俗学の研究者稗田礼二郎が、日本各地でフィールドワークを行う中、数々の怪事件に遭遇する連作短編のシリーズで、当ブログでも何度か紹介してきたことがある。

 祭の始まり、祭の終り
 六福神

 今回紹介するのは、妖怪ハンターシリーズ第一集「海竜祭の夜」の中から、「生命の木」という作品だ。



「生命の木」
 前回記事で紹介した隠れキリシタンの神話世界をベースに、舞台を東北の山村に読み替えて、ある殺人事件から壮大な神話体系がこぼれてくる様を描く、諸星作品の真骨頂。
 わずか31ページの短編であること、まだデビューから年月の経っていない初期作であることが信じられないくらい濃密な物語だ。
 近年「奇談」というタイトルで阿部寛主演の映画が制作され、概ね好評のようなのだが、まだ未見。原作があまりにも素晴らしすぎると、実写化作品を観るのには、自分で高いハードルを設定してしまうのは仕方がない。
 おそらく諸星大二郎は、隠れキリシタンの聖書「天地始之事」を貪るように読み込み、その内容に震えたのだと思う。
 ローカルを極め尽くしたことで逆に広がる巨大な世界観、隠された信仰の底知れない闇が生み出す強烈な光に打ち震え、そしてその「震え」を自らのペンで紙に叩きつけるようにして出来上がったのがこの作品なのではないだろうか。
 因習めいた山村の奇怪な殺人事件が生み出す、まばゆいばかりの聖なる世界。



 上掲作品集は現在入手困難なようなので、一応「生命の木」が収録されている本の中から比較的入手しやすいものも紹介しておく。


●「汝、神になれ 鬼になれ (諸星大二郎自選短編集)」(集英社文庫)
posted by 九郎 at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2010年12月29日

絵本「かさじぞう」

 今年も残すところあとわずか。
 この時期になると思い出されるのが「かさじぞう」のお話だ。
 人気のある昔話なので、細部には様々な異同があるが、大筋では以下のようなお話になっている。

 大晦日に貧しい老夫婦が正月の準備ができずにいる。
 仕方なくおじいさんは傘を売りに出るがまったく売れない。
 その帰り道、雪に降り込められた六地蔵を気の毒に思って傘を全部施してしまう。
 欲のないおばあさんは「それは良いことをした」と暖かくおじいさんをむかえる。
 その夜、六地蔵が恩返しに宝を持ってきて、老夫婦はその後幸せに暮らす。

 昔話なので本来なら誰かに語って聞かせてもらうのが一番なのだが、語り手がいない場合は本で読むことになる。
 ところがあまりに有名すぎて本も多数出ているため、あらためて読もうとするとけっこう迷う。
 そんなとき、当ブログでお勧めするのはこの一冊。



●「かさじぞう」瀬田貞二 赤羽末吉(こどものとも絵本)
 何よりも赤羽末吉の絵が素晴らしい。
 淡い墨絵の雰囲気が、水気が多くしんしんと冷える日本の雪景色を見事に再現している。
 私自身は今まであまり雪の降らない地域で過ごしてきたのだが、それでも何年かに一回の積雪の経験から、この絵の表現する雪の重みは理解できる。
 色彩の少ない世界の中で、ほんの少しの温もりに手をかざす風情が堪能できる。
 ただ、少しだけ残念なのが、おじいさんが六地蔵に施したのが六体とも「傘」であったことだろうか。
 私が子どもの頃から親しんできたお話では、六体目のお地蔵さんに施されたのはおじいさんのかぶっていた「手ぬぐい」で、もうその情景は頭の中に刷り込まれてしまっているのだ。
 これは個人的な思い入れの範囲なので、作品の評価には直接関係ないことではあるけれども。

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 もうすぐ大晦日
posted by 九郎 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 地蔵 | 更新情報をチェックする

2010年12月31日

大晦日2010

それでは皆様、良いお年を。

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posted by 九郎 at 05:37| Comment(0) | TrackBack(1) | 季節の便り | 更新情報をチェックする