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2011年01月17日

GUREN1

 今日の日付1月17日を、特別な感慨を持って迎える人は多い。
 私もその一人だ。

 十六年前の今日、その場所に私もいた。

 夜明け前、私は何の前触れもなく目が覚めた。
 目がさめた瞬間、無意識のうちに私は布団の中で頭部を抱え、危機回避の姿勢をとった。
 その直後である。
 これまでに経験したこともないような激しい振動が私を襲った。
 体ごと巨大なシェイカーに入れられ、猛スピードで揺すられているような感覚。
 
 今考えても不思議なことだが、振動の始まる一瞬前に、私は突然目を覚ましてそれに備えたのだった。
 あるいは初期微動のような何らかの前兆現象を無意識のうちに感じ取っていたのだろうか、もしあの回避行動がなかったら、私の頭部には、部屋中を跳ねまわるTVやその他の大型家電が直撃していたかもしれない。
 後で聞いてみると、私以外にも「なぜか揺れが始まる少し前に目が覚めた」と言う人はけっこういたようだ。

 激しい揺れは、ほとんど永遠かと思えるほどに長く続いた。
 実際に何秒間揺れが続いたのかは知らないが、体感としては本当に長かった。
 自分の体の上に、何か部屋の中の物がゴツゴツと降り注いでくるのがわかった。
 季節が真冬で、厚い掛け布団を頭からかぶって寝ていたことも幸いして、直撃は無さそうだったのだが、揺れの最中にそういうことに思考が及ぶほど長く感じた。
 それと同時に、けっこう日常的な心配事も、頭の中では繰り返されていた。

 あ〜、これは大地震やな……
 えらいことになったあ〜
 明日のバイト、どうなるんやろ?

 後から考えるとなんとものん気な想像を巡らしていたものだが、ともかくその時の私は律儀にバイト先の心配もしていた。

 阪神大震災発生のまさにその時、動転する意識の中で、人は様々な想像を巡らせるようだ。
 ある知人は激しい揺れを感じた瞬間、「ついに関東大震災が再発した」と思ったそうだ。
 東京を凄まじい巨大地震が襲い、その余波で神戸も揺れていると、とっさに妄想したらしい。
 またある友人は、前夜に泥酔していたために震災でも目が覚めず、朝起きてみると瓦礫の中だったという。
 その時とっさに出てきた想像は「ついにアメリカが攻めてきた」だったそうだ。
 ちなみにその人は戦争経験者でもなんでもない、当時二十代の若者だった。
 他にも色々、珍妙な「震災妄想」の例はあるが、きりがないので以下略。

 ようやく揺れがおさまった。
 暗闇の中、おそるおそる両手で体の各所をチェックしてみる。
 どこにも異常は無く、出血しているような手触りも無い。
 身をおこしてみると、部屋中に物は散乱しているらしいが、「生き埋め」ということも無さそうだと分かった。

 よかった。たすかった!

 私は隣の部屋に声をかけてみた。
「おーい、大丈夫か?」
 アパートのお隣が友人だったのだ。
「大丈夫や! そっちは?」
 声が返ってきた。壁の薄い安アパートの利点だった。
「こっちも大丈夫。えらい地震やったなあ!」

 まだ夜明け前で、しかも大停電の最中であったからまるで外の様子がわからない。
 私たちはそれぞれの部屋のベランダに出てみた。
 少し山手に入りかけた立地のアパートの三階で、多少眺望の効くベランダに出てみると、遠景にいくつかのオレンジ色の煙の柱が光っているのが見える。
 どうやらあちこちで火事が起こっているらしい。

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「こういう時に知り合いが近所におると心強いなあ」
 隣室の友人がぽつりと言った。
 全く同感だった。
 私たちの住むアパート自体には大した被害が無さそうだとわかり、一安心した。
 すると現金なもので、他の場所の被害も大した事が無さそうに思えてきた。
 火災も起こっているが、ほどなく消防がなんとかしてくれるだろうと楽観していた。
 私達は寒いし電気も点かない事だからと、しっちゃかめっちゃかの部屋の中から酒瓶を掘り返し、明け行く風景を眺めながら酒盛りを始めたのだった。
 知らないというのは幸せなことである。
 ほんの1時間後には、能天気な私たちも、事態の深刻さに直面することになった。
(続く)
posted by 九郎 at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする