一般に、芸術家というのは「作品を制作し、それ売って生計を立てている」というイメージがあるかもしれない。しかし実際には、作品を売って喰っているだけが芸術家というわけでもない。生徒を抱えてレッスンすることで生計を立てたり、兼業で制作したり、副業があったり、その在り方は様々だ。それぞれに制約があり、それぞれに自由があるので、どれが正しいというわけでもない。
岡本太郎の場合は、作品を個人的に欲しがる人はいくらでもいたのだが、独自の考え方でほとんど他人に売ることはなかった。個人、法人を問わず、誰かに作品を私有させ、散逸させてしまうと、再び集めることが非常に困難になる。展覧会一つ開くにしても膨大な時間と手間をかけて借りて回らなければならなくなるし、買い手によっては作品をひたすら死蔵して一般の目に触れさせないようにしたりする。
太郎にとって芸術とは、作品と鑑賞者のギリギリの交流の中で成立するものであって、蔵の中に後生大事に抱え込まれた作品になど、何の価値もなかった。だからごく小数の例外を除いて、ほとんど作品は売らなかった。そのおかげで没後、太郎作品を多数収蔵した美術館が、比較的スムーズに立ち上げられた。
岡本一平・かの子という著名な芸術家夫婦の間に生まれた太郎には、戦前にパリ遊学を敢行するなど裕福な育ちのイメージがある。しかし戦争によって財産はかなり失われていたし、父母も早世し、年の離れた兄弟を養う必要もあったため、経済的には苦労がたえなかったようだ。
それではどのようにして生計を立てていたのか?
絵画作品を個人に売らなかった代わりに、様々な著述活動をし、公的なスペースのモニュメント等は積極的に制作した。「太陽の塔」はその代表だが、他にも旧東京都庁舎やJR岡山駅の壁画、お寺の梵鐘などが有名だ。
もっと身近な例では、近鉄バファローズのマークや鯉のぼりのデザインがある。
ブログ用に本物のマークを見ながらざっとスケッチしてみたが、物凄く洗練されたデザインで、まさに岡本太郎の絵柄だ。他の日本の球団のマークとは次元がまったく違っていると感じる。私は別に近鉄ファンではなかったけれども、球団合併でこのマークが使用されなくなってしまったのは非常に惜しい。
野球つながりで余談をまじえると、甲子園の「アルプススタンド」は、太郎が名付けたというエピソードもあったりするらしい。
こちらは太郎デザインの鯉のぼり。鮮やかな原色のデザインが5月の青空によく映える。写真はお手軽なミニサイズだが、大きなものも結構求めやすい価格で今も販売されているようだ。
このように、限られた人だけが作品に触れられる美術館展示より、誰にでも親しめる形での作品発表にこだわった岡本太郎なのだが、中でも極めつけは、太郎の最高傑作とも噂される「明日の神話」で、現在は東京渋谷駅で直に見ることができる。
●「明日の神話 岡本太郎の魂」
日本からはるか地球の裏側・メキシコにおいて、「太陽の塔」とほぼ同時期に制作された全幅30メートルの超大作でありながら、設置予定地のホテル計画の頓挫により、一般の目に触れることなく約40年間行方不明になっていた「明日の神話」。
太郎没後、岡本敏子の執念により発見され、日本に輸送、敏子の死、修復から公開に至る過程は、一つの感動的なドラマになっている。
私はまだ実見していないのだが、なんとか機会を作って体感してみたいと思っている。
(2009年3月の記事を再掲)