地球は泣きもしないし怒りもしない。
ただそこにあり、自然界の法則に従って変化しているだけであって、地震も津波もあるときにはある。
人間はそれも含めて、地球に「間借り」させてもらうしかない。
よく使われる「地球環境の破壊」と言う表現はしょせん人間本位のものであって、人間が破壊しているのは「人間にとって都合の良い環境」だ。それは「害虫・益虫」という表現と同種の発想で、虫自体には本来「害」も「益」も無い。
今後地球環境が人間の手によって、人間にとっての地獄と化そうとも、地球は急に消滅してしまったりすることなく、ずっと長く付き合ってくれるだろう。その「人間にとっての地獄」の中で、人間を含めた生物を育む事を止めたりはしない。地獄で活動し最後までつきあってくれる唯一の仏・地蔵菩薩と同じく。
今回の震災の被害を「天罰だ」と表現した者がいるらしい。
別に人類の中にそういう人間がいて悪いわけではないが、その人間は作家で、政治においても責任ある立場であるということだ。
天変地異を人の徳性と結び付けて考えるのは、仏教でも他の宗教でも史上いくらでもやってきていることで、珍しいことではない。
ただ、私はやっぱり嫌いだ。
内心で思ったとしても、このタイミングでこの発言をメディアにのせる神経は、信じ難い。
良い悪いは言わない。
ただ、嫌いだ。
もっと言えば、正直「おまえが天罰で死ね」と思う。
しかし、そんなに都合よく天罰とやらは下らない。
良かったな、糞爺。
