2011年04月18日

穏やかな昼下がり

 もう十数年前になるだろうか。
 アルバイトの昼休みのこと。
 天気がいいので公園のベンチで買ってきたパンをかじり、しばしのんびりしていた。
 都市部だが川のほとりにある広い公園で、私と同じように昼休みを楽しむ勤め人の皆さんも、たくさんいた。
 食事を終え、寝転がって持参した文庫本を開いていると、近づいてきたおじさんに声をかけられた。
「にいちゃん、仕事あるか? 紹介したろか?」
 当時の私は(今もそうだが)どう贔屓目に見ても金を持っていそうには見えなかっただろうから、昼間から公園でゴロゴロしていれば、こういう風に声をかけられるのも無理はない。
「いや〜今、仕事の昼休みなんですよ」
「そうか。金いるんやったらええ仕事あるで」
 興味本位でちょっと話を聞いてみる気になった。
「どんな仕事なんですか?」
「うん、場所は福井県でちょっと遠いんやけどな」
「……それ、もしかして原発ですか?」
「にいちゃん、よう知っとるな。まあ、金払いはええで。どや?」
 私は丁重にお断りして、午後の仕事に戻ったのだった。

 90年代当時から私は、興味があったので原発関連の資料をあれこれ読んでいた。
 チェルノブイリ直後の80年代ほどではなかったが、まだまだ読める本はたくさんあった。2000年以降、原発の危険性を述べる書籍はほぼ壊滅状態になってしまうのだが、当時はまだ探せば見つけることができた。
 原発労働者のおかれた厳しい実態については、以下の本などに詳述されており、私があの昼下がりにおじさんの誘いに乗らなかったも、それを読んでいたせいだ。


●「原発ジプシー」堀江邦夫(講談社文庫)
 実際に原発労働の現場に入って書かれた、伝聞取材ではない貴重なルポ。
 現在福島第一原発で進行中の「事象」の報道の中で、作業員の携帯する線量計が全員に行きわたっていないというものがあった。
 よく報道写真等で写っている「防護服」には、基本的には放射線自体を大幅に遮断する機能は無い。主に作業現場に存在する放射性物質の、付着や吸入を防ぐためのものだ。
 だから作業員は線量計を身につけ、規定の数値に達すると作業を中断して被曝量を管理しなければならない。ところがいわば作業員にとっては「命綱」ともいうべきその線量計が、故障などにより全員に行きわたっていないという、普通に考えれば信じ難いニュースがあったのだ。
 上掲書のamazonブックレビューを読むと、そのことについての疑問が投稿されている。
 東電側の言い分としては、ここでも「想定外の事象のため」というロジックが使われているのだが、そもそも本当に故障していなかったとしても十分な数の線量計は常備されていたのかという疑問が湧いてくるというのである。
 本書「原発ジプシー」を読んでいた私も、ニュースを聞いた瞬間全く同じ感想を抱いた。
 あくまで「疑問」であって、はっきりした「疑惑」というほどのものではないが、本に描かれる杜撰極まりない現場作業の実態から考えると、どうしてもそのような疑いを抱いてしまうのだ。
 興味のある人はリンクを辿ってみてほしい。
 福島の作業現場が決死隊の様相を帯びてきており、単純に「英雄視」できるような状態にないことはすでに周知の事実だが、原発労働と言うものは現在のような「非常時」だけでなく、「平時」においても悲惨な実態を持っていたことが、本書を読めば理解できるだろう。
 文庫版の発行は講談社で、震災以降、反原発の急先鋒になった「週間現代」の発行元でもある。なんとか復刊してもらえないかと願っていたのだが、どうやら別の出版社から新装版が出るようだ。


●「原発ジプシー 新装改訂版」堀江邦夫(現代書館)

 入手困難になって久しい本だったが、原発震災発生以降、ぜひ読まれるべき本の中の一冊だと思っていた。
 他にも何冊か、復刊の望まれる本がある。
 折りを見て紹介していきたい。
posted by 九郎 at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする